【5章 こってり粉落とし紅ショウガ鬼マシマシチャーシュー抜き】『2名様、ごあんなーい』

 おれらは女の車で市街地へと向かうことになった。

 女の車は使い古された軽自動車だった。おれとPは後ろの座席に座り、女が運転をしている。

 この雪の中を歩いて向かうことを思えば、助かったと言える。

「あたしは、第2棟看守長のテルコ・アムロだ」

 女・テルコは言った。偉そうだと思ったら、本当に偉かったんだな。

「ま、元だがね。今は、ただのヒラだ」

「……なんでヒラになっちまったんだよ?」

「さっきみたいにすぐに眠ってしまう体質なんだ。大事な任務中、それが続いてな」

「ナルコレプシーってやつか?」

 聞いたことくらいはある。

 意思に関係なく、急に眠ってしまう病気だったような。

「いや。単にすぐ眠くなってしまうんだよ。毎日ダラダラ深夜の通販番組を見てしまって……。大して面白くないのに……なぜか見てしまうんだ……」

《タダノ 怠慢 ジャネーカ》

「自分の怠惰で役職が落ちたんだろ? もうちょっと落ち込めよ」

 女は半眼のまま、片方の頬を忌々しげに上げて見せる。

「はん。得てして自分の悩みは実際より大きく感じるもんだ。自分のことばかり考えているうちに膨らむ。大概は案じているほど大したことじゃないんだよ」

「いいこと言ってる風だけど、要は悩むことすらできないってことだよな……」

 女はバックミラー越しにおれを見る。

「あんたら二人は、見たことがないな。なんだそのおめでたい格好は?」

「もちろん、クリスマスパーティだよ」

《オレラ ばかっぷる》

「あたしへの当てつけか? 彼氏いない歴七年のあたしに、バカップルのパーティーを見せつけて楽しいのか? それともなんだ? 若者の間で、そういう遊びが流行っているのか?」

「……そこそこ」

「おい、サンタ女。からかっているなら少しは笑え。あたしがますますみじめだろうが」

《ダハハ》

 はは、もちろん、全然うまく笑えてないんだよ。

「こいつ不器用でさ、笑うのが下手なんだ」

「『おれたちお互いわかり合ってまーす』ってか。虫唾が走るな。……ところであんたら、どこの所属だ? プレートは?」

《……ぷれーと?》

「あぁ、忘れてきちまったんだ。おれらは……」

 あるのかもわからない『第3棟』の所属だとでっち上げようとしたが、喋れば喋るほどボロが出そうな気がする。

「寝不足なんだ。寝かせてくれないか?」

 つーわけで、話を逸らすことにした。かなり不自然だけど。

「寝不足になるほど、夜通ししまくったってアピールか?」

《ンナワケ ネージャン……》

「照れてんじゃねーよ! ちげぇよ、最近夜勤が続いてさ」

「……ま、いいだろう。これ以上、イチャイチャ話を聞かされたくない。耳が爛れ落ちる」

「そらどうも……」

「本来、身分証明のプレートを持っていないと、不審者として撃ち殺されても文句言えないんだぞ。必携だ。習わなかったか?」

《ジャア ナシテ オレタチヲ 仲間ダト 信ジタンダイ?》

「面倒臭いからに決まっているだろう。とりあえずそっちの言うことを信用する。もしあんたらの所属を照会して部外者だったら、朝まで尋問せにゃならん。お肌の敵だ」

 女は、顔をしかめて鼻をひくつかせる。

「それにお前ら、人間じゃないだろう? 妙なにおいがする」

 ……Pはともかく、おれまですぐに見抜かれた?

 こいつ、油断できねぇ。

《ドーカネ》

「はん、ますますめんどくさそうだ。明らかに厄介事のにおいがする。あんたらは、トラブルの要素に満ちた、めんどくささの固まりだ。絶対に、素性を明かすなよ」

 とんでもない不良社員らしい。いや、どんな立場であれ人間として問題がある。

 ま、皮肉にもこいつが不真面目だから助かったんだけどさ。

「それに、あたしは11592号にしか興味がない。あたしはずっと『とっつぁん』みたいになりたかったのだ」

《トッツァン……?》

「とりあえず、毎日指に育毛クリームを塗っている」

「女の子らしくしたいんじゃないのか?」

「冗談だよ。美少女ジョーク。お前、真面目過ぎてつまらないってよく言われないか?」

「……はは、たまに」

「真面目は結構だが、もっと柔軟になれ。考え事ばかりしていると、足が止まるぞ」

《何ヲ 偉ソウニ》

 こいつと話していると「一体今までおれは何を悩んでいたんだ」って気持ちにすらなる。

 おれが真面目か。今なら、佐藤の気持ちが少しわかる。

 不真面目なやつと喋っているとうんと疲れるが、ちょっとだけ憧れちまうんだよ。


 街に着いた。

 ごみごみとしたネオン・タウン。

 上からいつも見下ろしていたが、いざここに立つと、不健全なニオイでいっぱいだ。

 ただ、同時にワクワクもする。いつだって、不健全な香りは甘く感じるんだ。ジャンクフードに病みつきになるみたいに。

 街の中は、仕事が休みの看守とロボットの店員で溢れている。

 姿を隠すのにはいい。

 巨大なロボットの広告塔、でかいモニターには、流行りのメロドラマが流れる。サイバーな街並みに反し、東洋的な屋台街もある。無国籍な喧騒は、おれたちを守ってくれそうだった。

 ここにいると、不思議な匿名性を得た気になれるんだよ。

 おれは、「飯にするか」と提案したテルコの後をついて、屋台街を歩いた。

 カキと卵の炒め物や魚のフライ、ケバブの芳ばしい匂いやら、うまそうなにおいがまざってるんだ。そういや、たまらなく腹が減っている。

 しばらく歩いていると、食欲をそそる匂いから一転、ぷんと重苦しい臭いがする。

 濡らした犬のような……なんともいえないに獣のにおいだ。

 喰い物の臭いじゃない。何か腐ってるのか?

「ついたぞ」

 テルコが立ちどまったのは、まさしくその臭いの発信源だった。

 ラーメンの屋台。

 信じられないことに、人でにぎわっている。豚骨ラーメンらしいが……おれが思い描いてたのと、だいぶ違う。たまんなくうまい、癖になる喰いもんだって聞いてるんだけどね。

 息を止めてるおれを差し置き、テルコはそこで何度も深呼吸をしている。

 信じられねぇ。

「はぁ~……くっせぇ♪ ここのは特別くせぇんだよ♪」

 さっきまでの仏頂面はどこへやら、恍惚の表情を浮かべやがるんだ。

「どうして今『♪』が出るのか、おれにはわかんねぇんだけど……」

「なんだ、腹減ってるんだろう?」

「腹は減ってるけど……ちっと……臭いが」

「臭ければ臭いほどうまいんだよ。女と同じさ。女は、臭いほどいい女だろ?」

「いや、聞いたことねぇよ」

《へっ ドーセ 石鹸ノ 匂イガ 好キナンダロ》

「何拗ねてんだよ……」

「いいから座れ」

 おれはやむなく屋台の端の席に座る。

 周りのラーメンの愛好者どもの視線が痛いんだ。

「シロートなら、あっさりバリカタくらいを勧めるが……」

 鼻で息ができない。Pのやつは当然こたえてない。

 ただ物珍しそうにあたりを見ているだけだ。

 道路では、蜘蛛みたいな型のロボットが走りまわっている。スプリンクラーみたいに、お湯を出して雪を溶かしているんだ。

 こんなにも寒いのに、街は賑やかだ。物騒な目的の島のくせに、そんなことを感じさせない。

 こいつら、この街でしっかり楽しめちまってるんだよ。

「ゴ注文ハ?」

 ロボットの店員が、カウンター越しに尋ねてくる。こいつもPと同じように、見るからにロボットって感じなんだ。

 テルコは、メニューを一瞥し、

「こってりレベルMAX、粉落とし紅ショウガ鬼マシマシチャーシュー抜きで」

「……何の呪文だ?」

「を3つ」

「3つ!? おれもそれなのかよ? いいよ、シロートにおススメのやつで!」

「気が変わった。素人にこそ、良さが一番わかる状態で食べてもらいたいからな」

 おれは店員に訴えかける。

「おい、変えてくれ!」

「無理さ。このロボットは訂正が利かない。スピード重視だからな」

 店員はおれの声に耳を傾けることなく、作業に入る。

 麺を湯に浸かった網の中に入れた。そして、一瞬浸けた瞬間もう上げてしまった。

「いや、どう考えても煮えてないだろ……」

「言ったろ、粉落としさ」

 テルコは既に割り箸を準備している。

 麺は軽く湯切りされた後、別のロボットが用意したスープの中に入れられた。

 無慈悲にも、そんな生煮えの激しい臭気を伴ったラーメンが、おれの前に置かれる。

「オマチ」

 待ってねーよ。

 湯気が上がるたび、鼻が蝕まれている気がする。

 まさかのピンチだ。これはさすがに予想してねーよ。

「……おげ」

「早く喰え」

 テルコはすでに口に運んでいる。トロトロ遅く喋るくせに、喰うのは異様に早い。

「はぁ~……臭うま♪ はぁ~……」

「……なんだよ」

「くっせぇ……♪」

 テルコは昇天してしまっている。おれは深く息をつき、意を決し、そっと麺をすする。

 ……?

「喰ってみると、意外に臭いが気にならないな……」

 つーかむしろ、うまい? ような?

「だろう? なんでも、喰ってみないとわからんさ。女と一緒だ」

「ド下ネタじゃねーか……」

 おれは不平を言いながら、続けて口に運ぶ。

 明らかに、一口目よりうまい。

「麺も生っちゃ生なんだが……不思議と……」

「癖になるか? なかなか見所があるじゃないか」

 おれは気付いたら、夢中になって啜っていた。こんなにうまいもんは、そうそう出会えたことがない。背中に感じる冷たい風と、熱い湯気のコントラストが、おれの気持ちを更に高ぶらせるんだ。

「そっちのサンタ女。あんたは喰わないのか?」

《だいえっと中……》

 Pは恨めしそうにおれたちを見る。羨ましいのかもしれない。

「ロボットは飯が食えないか。なるほどな」

 Pが何かを言う前に、テルコはPのラーメンを手に取り、啜り始めた。

 意地汚い女だ。それこそ羨ましいくらいに。

「……なんだ。うるさいな」

 テルコはラーメンを喰いながら、顔をしかめて内ポケットの無線を手に取る。

「食事中だ。あんたらは、食事中の乙女の邪魔をする性的趣向でもあるのか?」

 無線越しに、何か怒鳴り声が聞こえてくる。テルコは、少し顔色を変えた。

「へいへい、はーい、なるほど。わかりやんした。へーい」

 無線を切り、ポケットにしまい込んだ。うんざりとした雰囲気で、ため息をつく。

「はぁー、あんたもさっさと戻った方がいいんじゃないか? はぁー、めんどくさい」

「なんだよ?」

「すっかり忘れてた。船がな、一日早く来るんだ。明日は夜から大豪雪らしいからな」

「……マジか?」

「聞いてないのか? 朝の六時にはもう着くらしいぞ。それを知らされてないなんて、どれだけ下っぱなんだ、あんたら。それで彼女に飯食わせてやれるのか? 別れちまえ」

《愛サエアレバ ナニモ イラナイノサ……》

 まさしく、渡りに船だ。うまくいきすぎている気すらする。

 それでも、怯んでちゃダメだ。

 前に進め。目を瞑って、進むんだ。

「じゃあ、ごちそうさん。あたしはいくぞ」

「え?」

「どれだけ親切にしてやったと思っているんだ? 奢れ。乙女に財布を出させるな」

《ソコマデ 親切ニ サレタッケカ?》

「あんたらが別れるのを楽しみにしているぞ。このスケベ野郎ども!」

 テルコはおれらの頭をはたき、そのまま去っていった。嫉妬に狂った女は恐ろしい。

 おれは、Pと顔を見合わせる。

「お前、金持って……」

《ンー?》

「るわけねぇもんな……」

「オ代、オ代」

 店員はカウンターから手を伸ばし、バグっちまったみたいに繰りかえしている。

「……うし」

《ナンダヨ》

「逃げるぞ!」

 払えねぇもん。金ねぇもん。逃げるしかねぇもんな。

「喰イ逃ゲデスケン!」

 ロボットが妙な方言で騒ぎ立てる。

 おれらは、人ごみの中を逃げる。誰が追いかけてきてるのか、わからねぇくらいの人ごみ。

 敵も味方も関係ない。

「待ツダッチャ!」

《ダッチャ ダッテ ウケル》

「はははは!」

 はは。なんじゃこりゃ。くだらねぇ。

 命をかけて飛び出てきたのに、いつの間にか喰い逃げ犯だ。

 塔から逃げているときとはわけが違う。

 むちゃくちゃだ。馬鹿げている。

 おれのシリアスはどこにいった。

 でも、なんだか楽しいんだ。今まで感じたことがない高揚感。

 さみぃ。はは、笑えるくらいさむい。逆らうように血が沸騰する。

 おれの心を、湧きあがらせるんだよ。


 走ってるうちに屋台の並びを抜け、歓楽街に出た。

 とりあえず巻いたらしいが、いつ見つかるかわからない。

 呼び込みのうさんくさい風体の男たちが、金色の歯をむき出しに笑っている。

 こいつらはどうやら、人間のようだ。

 ラブホテルや風俗店が、この島に支店を出しているらしい。

 固定客ができるし、何よりこういうはけ口が必要なんだ。

「あのー……どうでしょ……」

 威勢のいい呼び込みの中、1人だけ暗い男がいる。

 ホテル『エデンの園』。

 ここらの建物の中で、一番寂れていて、一番しけたホテル。だが、こういうとこの方がいいかもしれない。それに何かの縁だろう。

 おれは男に話しかける。

「おい、すぐ入れるのか?」

「ええ……すっぽりしっぽりぽっきりと……すぐにご案内……」

「おい、行くぞ!」

 おれはPの手を取った。

《ダイタン……》

「アホか! いいから入るぞ!」

 おれはPの手を引いて、『エデンの園』へと入った。

「2名様、ごあんなーい……」

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