電波泥棒の夜
名取 雨霧
恋に揺れる波形
私が恋をしていると、周りの人々は頭を抱える。
いつだってそうだ。私が八草くんの一挙一動に見惚れている傍らで、皆は私を心配そうな目で見つめてくる。私が八草くんと楽しくお話をしていると、皆は不安そうにひそひそ話を始める。私、何かいけないことしたかしら。
痺れを切らして、ある日同級生の一人に聞いたことがある。私が八草くんを好きなことに何か不満があるの?だなんて単刀直入に。彼女は目を泳がせながら、全然そんなことはないよと急いで首を振った。なんだ、てっきり嫉妬しているのかと思っていたので意外な反応だ。そしてしどろもどろになりながらも続ける。
「ほら、星良ちゃんって不整脈なんでしょ?あんまりドキドキしてたら倒れちゃわないか、皆気にしてるの」
「え......」
──なるほど、それなら合点がいく。皆は私の身体のことを気遣ってくれていたのか。この高校に入学して早半年、知らぬ間に私は心優しい人達に囲まれていたことを実感する。
私は嬉しくなって口元を少し緩めた。
「ありがとう。ごめんね、疑って」
「う、うん!全然気にしてない......よ?」
錆びたロボットのようにぎこちない笑顔だったが、それすら気にならないほど嬉しかった。クラスメイトに対する不信感がきれいさっぱり拭えただけじゃなく、皆のことを心から好きになれそうだと思えた。仲良くなるための一歩として、私は彼女に右手を差し出す。彼女が恐る恐る私の手を握ると、私も改めてがしっと同級生の華奢な右手を掴み、上下に振った。八草くん以外の友達ができたのは初めてかもしれない。
相当浮かれていたと思う。いつもどこか、クラスで浮いているような気がしていたから。本当に満足感でいっぱいだった。だからこそ、八草くんにこの嬉しさを伝えたい。幸せいっぱいの気持ちで、私は彼の座る窓際の席の方を目尻で捉えた。
そこで私は目の当たりにする。
──八草くんがその光景を、悔しそうに見つめていたところを。
※
放課後、私はよく八草くんのお父さんが持つ研究室に遊びに行っていた。扉を開けると、研究員数名が私に元気よく挨拶をしてくれる。私も丁寧に挨拶を返すのが習慣である。体調や様子を聞かれることもしばしば。
当然といえば当然だ。彼らにとって、私は研究対象だから。
八草くんのお父さん──IT業界で数年前に大きく名を轟かせた八草博士の次なる研究は、医療への応用だ。だから研究員の彼らは、実験体である私の持病、不整脈のデータを日々研究しているらしい。私が研究所に足を運ぶのは被験体として彼らの研究の手助けをすることが半分だ。
そしてもう半分。それは言うまでもなく、八草くんに会いに行くため。
奥の机で小難しそうなプログラムを組んでいる彼の隣にちょこんと座り、私はどきどきしながらも彼に話しかけた。
「今日も楽しそうね」
「うん」
彼が少し笑った気がした。落ち着いてながら、自分の好きなことに対する真剣さも持つ彼がまた愛おしい。
「そういえばさ」
私は息を吸い込んで、気になっていたことを尋ねることにした。
「さっきどーしたの」
「さっきって?」
「私が同級生ちゃんと握手してるとき」
「あー、そんなこともしてたね」
八草くんは特に興味もなさそうに答える。私の方など一瞥もせず、パソコンのディスプレイにお熱だ。さすが天才IT博士の息子。今は質問に答えて欲しいけれど。
「あの子本当に星良の心配してんのかなって、そう思っただけ」
一瞬手を止めてそう告げると、再びかちゃかちゃと目眩のするような文字だらけの画面に目をやった。
本当に心配しているのか。
そんなこと、その子にしか分からない。あのぎこちない笑みを思い出せば、浮かれていた自分の気持ちに自信が持てなくなってくる。
こういうとき、私は弱い。一度不安を抱えてしまうと、それがどうしようもなく膨れ上がって手に負えなくなってしまう。何か裏で罵倒されているのではないか、表面上気遣うのは都合が良いからか。溢れ出る不安の暗雲は止まらない、止まらない、止まらない。押し潰されるまで、あともう少し。
「嘘」
暗い感情に溺れかけていた私に助け舟を出したのは、八草くんの放ったその二文字。彼はパソコンをシャットダウンしながら、ようやく私と向き合う。
「正直あの子が何を考えてるか全部は分からないけど、少なくとも星良が嫌いな感じはしない」
「ど、どうしてそんなこと......」
「握手のとき、あの子ずっと星良の手握ってたじゃん」
「うん......」
「嫌いな奴の手を長く握ってようだなんて、思う奴がいるか?」
「いない、たしかに」
諭すような口調で私に語りかける彼の目は、私の瞳を優しく捉えていた。彼はにこりと笑って告げる。
「ほら、大丈夫」
その魔法の一言に、救われてしまった。心から安心できるその一言。私の心を覆った雨雲はどこかへ消え去り、晴々とした気持ちに変わる。本当に、魔法そのものだ。
「ちゃんと、見ててくれてありがとう」
「当たり前だよ」
彼は目を逸らしながら続ける。
「少なくとも僕は、星良のこと心配してるし」
照れたようなその言葉に、私の心臓は今までになく大きく脈打つ。私は研究室のスクリーンをじっと見つめる。それは、この心臓の波が一体どんな不健康な形をしているのか、気になったからに他ならない。
※
その夜、東京全域で大規模な電波障害が発生した。携帯電話・テレビ電波・ラジオ・PHS諸々が一時的に繋がらなくなり、ものの数分の出来事だったが社会的に大きな影響をもたらす。
“電波泥棒の夜”
この事件はそう名付けらた。何者かによる妨害電波が東京を覆い尽くしたという背景があるらしい。私にとっては難しい話だし、そもそも電波なんて奪ったところでどうするつもりなのかはさっぱりだ。
当時の私にとって、世界は八草くんと私とその他で出来ていた。正直、電波障害云々はどこ吹く風で、取るに足らない出来事だった。それでも私がこの事件を鮮明に記憶しているのは、二度目の“電波泥棒の夜”事件に繋がるからだ。
五年後──私たちが二十歳になる頃。
八草くんは二度目の電波泥棒になる。
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