第5話 オレンジの木には本気にならねばならイ
――ブートキャンプ初日。
「結界石はバンバン使ってくれていい」
「気前よく結界石を買ったものだねえ。ありがたく使わせてもらうよ」
「おう。来てもらったんだからさ。エルナンの安全確保は第一優先だよ」
テントを張ったこの場所で待機するエルナンに向けグッと親指を突き出す。
俺の言葉を受けたエルナンはさっそく直径十センチほどのキューブ状をした水晶を地面に置く。
続いて彼は水晶の上部に指先を当て魔力を込める。すると、水晶はふわりとした柔らかな光を放ち、すぐに光が消えた。
この水晶は
結界石に魔力を込めると周囲十メートルの範囲ではあるものの、モンスターを寄せ付けなくなる。
いや、語弊があるな。敵意在るモンスターと猛獣を寄せ付けなくなる。
準備を終えたエルナンは長い髪を揺らして立ち上がり、右手でメガネに触れた。
何気ない仕草だったけど、俺には彼のメガネが一瞬光ったように思えたんだ。
彼なりに何か思うところがあるのだろうか?
「ありがとう。一つだけ確認というか、君の言葉で直接聞きたいことあるんだ、いいかい?」
「うん。どんなことだろう?」
ガラリとエルナンの雰囲気が変わる。
普段の彼は柔らかで頼りなささえ覚えるふんわりとした感じなのだけど、この時ばかりはピンと糸が張り詰めたように真剣そのものだった。
彼の態度に俺も兜の緒を締め、次の言葉を待つ。
「君はギンロウを鍛えてどうするつもりなんだい? まさか、
「そんなことか。あいつを見返してやりたいってだけだよ。このままじゃあ悔しいだろ?」
エルナンにはギンロウを相棒にした経緯を聞かせている。
その上で彼に協力を仰いだのだから。
俺はギンロウと約束した「必ず一人前にしてやる」ってさ。だから、ギンロウを鍛えようと森に来たんだ。
「それでその『あいつ』とやらをどうするつもりなんだい?」
「どうもしないさ。せいぜい、ギンロウを手放したことを悔しがらせてやりたいくらいだな。こんなすごい素質を持ったギンロウを無碍にしてしまったってね」
「ははは。君らしい。いつもの君で安心したよ。ペットに惜しみなく愛情を注ぐ君でね。『あいつ』とやらを襲わせるなんて言わないと思っていたよ」
「そんなことをしたら、ギンロウを貶めるだけじゃないか。彼は誇り高きワイルドウルフなんだ。せいぜい遥かな高見から見下ろしてやるだけだよ」
エルナンの表情が柔らかなものに変わる。
そればかりか、声をたてて笑い始めたじゃあないか。
お腹までおさえ初めてしまったぞ。
「は、ははは。ごめん。ごめん。相変わらずのペット馬鹿ぶりに安心したよ。突然、『モンスターを狩る』とか言ったものだから」
「そ、そうか。ま、まあ。そろそろ行くよ。まずは食糧集めから」
食材は全て現地調達の予定である。
まずはそうだな。隠し持っているオレンジとブドウの匂いをギンロウにかがせてみることにしようか。
◇◇◇
オレンジの匂いをくんくんと嗅いだギンロウは、首をぐるりと回し。その場で尻尾を左右に振る。
その間にもロッソがオレンジに向けてアタックしてくるのを、手を上にやり躱す。
『寄越セ』
「これが無くなったら匂いを嗅げなくなるだろ。オレンジ発見のために必要なんだって」
『発見したら、用は無くなるナ』
「そうだな……」
ロッソの奴、オレンジの木を発見したらすぐにこのオレンジを食べる気だな……。
オレンジの木が見つかったら何も俺が持っているものを食べなくてもいいだろうに。
ギンロウは時折立ち止まりながらも、ついにオレンジの木を発見してくれた。
だいたい一時間と少しってところか。
この世界のオレンジの木は地球のものと少し異なっている。
味についてはこの世界のものの方が断然良い。というのは、自生しているオレンジであっても栽培したオレンジ並みに味がよいのだ。
「採れんなこれ」
オレンジ自体は多数果実をつけているのだが、手が届かない。
異世界産のオレンジの木は幹から一番下の枝までの距離が倍ほどある。
そのため、一番低い位置のオレンジを取ろうにも三メートル半くらいになってしまう。
『ノエル。オレを使エ』
「木登りをするって手もあるんだけど、やるのか」
『その方が確実ダ』
リュックからもぞもぞ出てきたロッソが俺の肩から舌を伸ばす。
舌は真っ直ぐオレンジを指していた。
一日がはじまったばかりだってのに、さっそく使うのかよ。それもモンスター相手じゃあなくて、オレンジの収穫に……。
それもロッソらしいか。
苦笑しつつ、ロッソを手のひらに乗せる。
「行くぞ。ロッソ」
『おウ』
掛け声に応じたロッソの体から白い煙があがり、彼の体がくの字に折れ曲がった木製のブーメランへと転じた。
これがロッソの「
もっとも、機械……例えば懐中時計のような複雑なものには変化することができない。俺が中の歯車までイメージできるわけないしな。
といっても、ざっくりと「こんなもの」とイメージするだけでロッソの変化に支障はない。
ヒュン――。
ブーメランがくるくると回転しつつ、オレンジの実を三つほど刈り取ることに成功。
ぼたぼたとオレンジが地面に転がった。
パシ。
ブーメランを受け止めると、すぐに白い煙があがりロッソが元の姿に戻る。
姿が戻ったロッソは俺の手の平からひょいっと飛び降り、さっそく転がったオレンジをもしゃもしゃし始めた。
いや、まだお食事タイムじゃあないんだけど……。
「わおん」
あ、ギンロウが高く飛び上がって、前脚の爪でオレンジを落とした。
「すごいぞ、ギンロウ!」
『爪を装備しテ、高く飛べるようになったことを忘れテいただロ』
食べる手を休めず、汚らしく果実を巻き散らかしながらロッソの鋭い突っ込みが飛んでくる。
「う、うん……」
『わざわざ変化しなくてもよかったナ』
「ま、まあまあ。ロッソも運動しないとさ」
ロッソに向け両手を合わせて「ごめん」と示した後、ギンロウの顎下をわふわふさせた。
彼は気持ちよさそうに喉を鳴らし尻尾をパタパタと振っている。
「ギンロウ。じゃあ、遊びも兼ねて少し運動をしようか」
「わおん」
ロッソはしばらく動かないだろうし。ちょうどここは木の密度もそれほどじゃあない。
小石を拾って、軽くギンロウに向けてほおりなげる。
これに反応したギンロウが小石を追いかけるも、あと一歩でキャッチできなかった。
「よおし、もう一回」
「わおん!」
はっはと舌を出し、尻尾をふりふりしたギンロウがはやくーとせがむ。
ぽおおん。
小石をやまなりに投げると、今度は見事ギンロウがキャッチした。
「おお、すごいぞ! ギンロウ!」
「わおん」
小石を投げるたびにギンロウの動きが目に見えてよくなっていく。
二十回目くらいになると、俺が全力で投げてもやすやすとキャッチしてしまうほどに。
今度はギンロウから離れた所に向け小石を投げ始めるが、これもたった数回で対応できるようになった。
やっぱりギンロウは素晴らしい素質を持っていたんだ!
たったこれだけで、自分の俊敏さと小石の動きを合わせてくるんだからな。
『満腹ダ』
「お、食べ終わったのか」
ようやくロッソのお食事が終わり……っておいおい、歩くんじゃなくてリュックの中に潜り込んでしまったじゃないか。
うん、満腹になると眠くなる。そういうことなんだな。
オレンジを食べるのは後にしておけといっても聞くようなロッソじゃないし。
あ、そうだ。
リュックではなく腰のポーチから布で包んだブドウの粒を取り出す。
「ギンロウ、今度はこれを探しに行こう」
ギンロウにブドウの匂いを嗅がせてみる。
一声吠えたギンロウは、尻尾を左右に振り、オレンジの時とは異なり迷うことなく進み始めた。
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