第45話 禍根
◆
夕方になってヒゲの男が戻ってきて、出来上がっている草鞋に目を丸くし、
「慣れとるな」
と胴間声で言う。ヒゲの中で口元に笑みを浮かべたのがわかった。
男が引き戸を開けたままにして、野菜を運び入れた。一人で担ぐにはやや多いが、力があるようだから、苦にならないのかもしれない。
「明日、市に行くんだが、ついて来いよ」
老婆は料理をしている。しかし男の太い声は聞こえているだろう。
草鞋が出来上がり、それを重ねてから、男の方を見る。
「イチキの街には行けない事情があるのですが」
「俺たちもイチキには近づかないさ。そういう取り決めだ」
取り決め、とはなんだろう。縄張りのようなものだろうか。
野菜が縄でまとめられ、二人分の荷造りが鮮やかな手並みで出来上がった時、老婆が料理を運んできた。野菜を煮込んだ汁のようだった。
「俺の名前はカガという。母はモトリという」
モトリと紹介された老婆はゆっくりと匙で汁をすすっている。
カガがこちらを指差す。
「その剣は珍しいものだな。両刃なんだな?」
「え? なぜわかるのですか?」
抜いて見せたわけではない。刀とは違うだろうが、両刃だとなぜ気づいたのだろう。
カガが得意げにいう。
「その方が合理的だから、だな。片方の刃が潰れたら、逆の刃を使えばいい」
そう言われて、思わず笑ってしまった。それが面白がっているからだとわかると、カガが真面目な顔で「違うのか?」と訊ねてくる。
「違いますね。戦いの中で、そんな余裕はありません。それに両刃の剣を使うのに適した、剣術というものがあるのです」
「そういう剣術を身につけているのか?」
「そうです」
わからんなぁ、とカガが呆れたような顔になる。
それよりも素人の直感というものも侮れないな、などとこちらが感心してしまった。何も知らない人間、知識が足りないものでも、想像する力さえあれば、何かを見抜くことはできる。不完全といえども、だ。
昨夜はほとんど走り通していたので、日が暮れて少しすると眠くなった。カガとモトリはまた草鞋を作っていて、すぐ横で乾いた着物を繕っていたが、あくびが何度か出た。
「明日は早いから、休むとするか」
モトリがそう言ってくれたのは、気遣ってくれたのだろう。カガは草鞋を作るのが得意ではないようで、仕事が終わることが嬉しいようだ。
明かりが消されて、すぐにカガのいびきが聞こえ始めた。
うるさいのではなく、むしろ心地よかった。安心しきっている人間がそばにいることで、こちらも安心できる。
眠りに落ちた、と思った時には肩を揺さぶられて、目を開いていた。
薄暗い中でカガが笑みを見せる。
「時間だぞ。ほら、支度をしな」
起き上がると、モトリはまだ眠っている。
さあさあと促され、裏の川で顔を洗い、服を自分のものに着替えた。
その時にはカガは野菜を背負って、小屋の前で待っている。
時間はまだ夜明け前、星が輝いている。
腰の剣を確認し、自分の分の荷物を背負った。モトリに礼を言いたいが、眠っているのでは起こすわけにはいかない。昨夜のうちに礼を言えばよかった。
この時には、小屋へ戻ってくるつもりがない自分がいるのだが、カガはそれを察しているような雰囲気だ。
「行くぞ、ほら、急げ。出遅れちまう」
二人で並んで道を歩いていく。街道から逸れているので、太い道ではない。両側に畑が広がっていた。
「どちらに市が立っているのですか?」
「ヤツモという小さな町だ。ここからは、まぁ、二刻半かな」
そんなに歩くのか。それならイチキの方が近いだろう。
「イチキに行けない理由とは、なんでしょうか」
「質問の多い奴だなぁ。ヤツモに着いて酒を一杯、もらえるなら話す」
酒の一杯程度なら、どうにかなるだろう。
「わかりました、約束します」
「酒を飲むとおっかあが怖いからな、一杯しか飲めんのだ」
豪快に笑いながら、酒が待っているとばかりにカガが足を速める。それに合わせて口も回りがよくなったようだ。
「おっかあは詳しくは教えてくれないが、イチキの街を治めるオリカミとかいう領主が、俺たちの村から嫁をとったんだと。で、その嫁がなんだか、子が生まれないだか、人を殺しただか、そんな感じらしい」
予想外の言葉に、絶句しているのに気付かず、カガが言う。
「それでイチキの街とは禍根ができて、これ以上の問題を起こさないために、俺らの集落は近づかないことにしたらしい。もう何年も前のことだからな、よく知らん」
「カガ殿はその時、何を?」
「子どもだったなぁ。その嫁に行った女子のことも見ていたはずだが、覚えとらん」
訳がわからないことが多すぎる。どこから確認すればいいのだろう。
「カガ殿はおいくつですか?」
「二十になるくらいだな」
もう二の句も告げない形なのだが、それでもどうにか確認する。
「モトリ殿は実母ではないのですか?」
「俺の本当の親は、死んだな。疫病でだ」
いよいよ何も言えず、ただ歩き続けた。
カガが何も気にしていないようで、のんびりと鼻歌を歌い始めた。
(続く)
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