第44話 逃走
◆
剣が翻る。
殺意。
殺すことだけで構成された技が、展開される。
何人がいるかなんて、関係ない。
今、命を狙われている。
凌がなければ、それまでのこと。
また一人を切った。足を切り、崩れたところに切っ先を差し込む。ほとんど手応えもなく、切っ先が胸に沈み、引き抜くと真っ赤な花が開く。
背後からの気配。
振り返りざまに刀を弾き、最短距離で切っ先が突き進み、突き破る。
相手の刀の切っ先が肩を掠めていた。痛みはない。
脱力した剣士が倒れこむ。五つ目の亡骸。
三人目、四人目はどう倒したんだろう?
ただ五人を倒したことが、倒れている人数でわかっただけ。
周囲を囲まれている。さらに五人か。
全員が怯えていた。
戦場で怯えなど、余計なもの。
ここでは勝ったものが、生きているものが、最後まで立っているものが、正しいのだ。
明りが眩しい。捨てられた提灯が燃えている。
ゆらゆらと揺らめいているはずが、まるで照りつける太陽。
夜だ。暗いはずなのに、その闇はどこへ行った?
誰かが声を上げる。
うるさい。
語るのは声ではなく、刃だ。
今、終わりが始まる。
決着をつける時だ。
剣に。
そして、命に。
どっと押し寄せてきた五人は、恐慌を抑え込み、より確実に仕留めるために、一人目を倒せても二人目が、二人目を倒せても三人目が、と波状攻撃の構え。
一人で旅をしてきた。
長い間、一人だった。
誰も助けてくれない。
守ってくれない。
一人で戦うのには、慣れている。
一人目を斬り殺し、二人も切った。
三人目は防げないはずだった。
片手で剣を持ったまま、二人目の方の死体を空いた手で引きずり、振り回す。
三人目が死体とぶつかり、もんどり打って倒れる。
四人目が躊躇う。そこへ突っ込む。
切った。五人目が来る。背後には起き上がった三人目になるはずだった男。
挟まれている。
今しかない。
剣が走る。
無我夢中で、全くの静寂の中で、はっきりと剣がどこを走り抜けるか、想像できた。
そしてその筋に、二人の剣士が過たずに踏み込むことも。
手元にかすかな感触。
二本の刀がすぐそばをすり抜けていく。
予想通り。
何もかもが、理解のうちに収束する、不思議な感覚。
しかしこれこそが剣術だろう。
低い音を立てて、二人が倒れる。
周囲には十人分の死体が転がっていた。
誰かが悲鳴をあげる。女の声だ。
そちらを見ると、何をするために外へ出たのか、騒動の見物にでも来たのか、寝間着のような女がいる。
剣を腰の鞘に戻し、その場を離れた。
走り出してすぐに、息が乱れて、苦しさに喘いだ。
剣を振る時の疲れは、尋常ではない。
それが命がけとなれば、なおさらだ。
イチキの街を抜け、街道を走っていく。足が動かなくなろうとも、走るしかない。マサエイから逃れなくては、最後には死ぬしかないのだ。
夜明けを横目に、汗にまみれ、ほとんど呼吸もできないような有り様で、ついに前方に小さな集落が見えたが、足がもつれた。
倒れこみ、うつ伏せから仰向けになる。
星空だったはずが、既に色は薄まり、星の瞬きももはや見えなかった。
呼吸が落ち着く頃には、太陽が上がっていた。
ぬっと髭面の男の顔が空を見るしかできないところに、現れた。
「死体じゃねぇらしい」
年齢は五十代くらいか。濃すぎるほどの顎髭に半分は覆われているが、顔は四角い。視線をやれば、体つきも四角くく石臼のようだ。
「怪我しているかい。血塗れだが」
なんだ、またそんななりをしているのか。おかしくて笑いたかったが、喉に何かが絡まり、咳き込んでしまった。
「まぁ、生きているのなら、良い。立てるかい」
「いえ、少し、疲れて」
運んでやらぁといきなり言うと、大きすぎる手が腕を掴み、乱暴に引っ張り上げた。上背があるし決して体重が軽くはないはずが、男はあっさりと持ち上げて、荷物のように背負っていた。
集落の方へ行き、一軒の家、というより小屋の引き戸を上げる。男の力が強すぎるせいだろう、引き戸の滑りが渋いのもあって、引き戸自体が引き裂かれそうだった。
「おっかあ、人を拾ったよ」
そう声をかけられたのは、小屋なのかでわらじを編んでいる老婆だった。しわだらけの顔がこちらに向けられる。険しい、油断ない視線だ。
「犬猫のように人を拾ってどうするんだい」
「村のそばで人が死んだら、疫病が出るだろうがよぉ」
「焼けばいいのさ、焼けば」
「生きている人間を焼いちゃ、かわいそうだ」
そんなやり取りの間に、乱暴に土間に敷かれたむしろの上に寝かされる。
「水でも飲むかい?」
「お願いします」
どうにか声を出せた。
それから水を何杯かもらう頃には、体の具合は回復していたが、男は農作業があるからと出て行き、老婆と二人になっていて、気まずい。
「服を脱ぎなさい、お若い方。そんな身なりではいけません」
そんな言葉とともに、古い着物が投げ渡される。くすんでいて元の色が分からないほど古い。
この時はさすがに、自分の服が返り血でひどい有様だと気づいていた。生臭くもある。
「ありがとうございます」
「裏に水を引いてあるから、そこで洗えば良い。裁縫道具もある」
「申し訳なく思います」
深く頭を下げて、大きさの合わない着物に苦労しつつ、小屋の裏で自分の着物を洗う。明るい色ではないので、すぐに血の跡も目立たなくなる。所々に切れ目があり、それは刀を受けたところだろう。
体にもうっすらと切り傷がいくつもあるが、どれも血は止まり、悪くなるようではない。
洗った服を小屋の裏にあった物干し竿にかけておく。
小屋へ戻り、老婆に「何かお手伝いできますか?」と言うと、シワに埋もれるような細い目がこちらを見上げる。
「何ができる?」
「草鞋を作ることはできます」
「やって見せなさい」
老婆の横に座り、藁を受け取る。
つい昨夜に人と斬り合っていたものが、昼になれば草鞋を編むとは、おかしな世界だ。
老婆はこちらの手元を見てから、悪くない、と小さく、しかし嬉しそうな声で言った。
(続く)
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