第24話 兄妹
◆
翌朝、目が覚めた時、さすがにしまったなと考えた。
着物ははだけて、すぐそばにシユが寝転がっている。
昨夜のことを思い出して、頭を振るしかない。
もし昨日の夜に誰かの襲撃を受ければ、そこではハカリを襲撃した時と同じ光景が、立場を逆転して再現されたかもしれない。
シユが目覚めないので、素早く身支度をした。今更、服装を整えて剣を手繰り寄せても遅いのだが。
のんびりと座り込んで、眠っている遊女を見るが、なるほど、ハカリが溺れるのもわかる。
彼女の兄であるノヤはまだ二十代だろうから、その妹となるシユは遊女になった歳を逆算すると、そんな仕事をするには早すぎるし、今のような自由な立場を手にしているのは、不思議でもある。
そんな生き方ができる裏の事情は、そう、何かありそうなことだ……。
ふすまの向こうから小声で女中が声をかけてくる。シユが起きる様子がないので、そっと立ち上がってふすまを少しだけ開けると、宿の女中が恐縮した様子で「これが届いております」と折りたたまれた紙が差し出される。
「どなたから?」
宛名がないので確かめると、女の方に、と女中が言おうとして、急に頬を染める。それからこちらを上目遣いに見た。
「紅が頬についております」
そう言って女中は逃げるように去っていた。
まったく、みっともないことじゃないか。
紙を開く気にもなれず、またシユを見ていた。だいぶ経ってから、通りが騒がしくなったからだろう、シユが身じろぎをして、起き上がった。
自分がどこにいるのか確認するように視線を巡らせ、こちらの視線とぶつかる。黒目がちな瞳が丸くなる。
「まったく、私も不覚なこと」
彼女の方からそういうので、どことなく可笑しい。
「それはこちらも同じことを言いたいですね。これが届いています」
紙を差し出すと、彼女は着物を手繰り寄せて一枚だけ羽織り、手を伸ばして受け取る。着物の前が閉じていないので、真っ白い肌がはっきり見えて、やや緊張する。
紙を開いてそれを読んだシユは、そっとその紙を元に戻した。それからこちらを見て、ジィッと瞳を覗き込んでくる。
「私と兄の関係を見抜いたあなたなら、この書状の中身もわかるかしら?」
「紙自体は上質だったし、匂いが付いている」
大昔からの典雅な文化として、香のようなもので紙に香りをつけることがあるのは知っていた。贅沢というか、気障ったらしいやり口だが、そんなことを遊女にする男は限られる。
「商人かな、とも思ったが、ハカリが死んだことを考慮すると、市井の人は血の匂いがする遊女を抱きたいとは思わないと考えるべきでしょう」
「あなたみたいに、普通の商人は血に塗れないものね」
はぐらかそうとするのを、無理矢理に軌道修正する。
「なら、武家の誰かになるが、まっとうに考えれば、最も有力な武家はオリカミ様しかいない」
そう考えれば、シユが特権的な立場を持っているのも納得がいく。
マサエイあたりが囲っているのだろうか。街を統治する棟梁なら、女の一人や二人、自由にできるはず。その上、シユはマサエイの前妻と近い血を引いている。
あるいは面影などが似ているのかもしれなかった。
そうなると、マサエイの後妻は放っておかないだろうが、確か故人だったはず。もう何の混乱も起こらないのなら、この街の中心の陰謀劇は、不必要な陰謀ということだ。
ノヤがマサジを切ることは、やはり筋が通らないのではないか。
元を正せば、復讐自体が筋が通らない気もした。
過去の犠牲と憎悪が、先を見据える現在の足を引っ張るのは、必要なことではない。
それに巻き込まれるものは、たまったものではないだろう。
ただ、過去と現在、そして未来はひと連なりで、過去を完全に忘れ去ることはできないのだ。
「マサエイ様によろしくお伝えください。昨夜のことは決して口にしないように」
こちらからもからかうつもりになり、そう言ってみたが、パチパチとシユは瞬きをして、笑い出した。
「いい筋まで行っているのに、最後で間違えるんだから、スマ様は面白いお方ね。あはは、もう、あんなお祖父さんに情欲なんてあるものですか」
「は?」
「私を呼びつけたのは、マサエイ様ではなく、マサジ様よ」
そう言われて、嘘だろう、と危うく口走りそうになったが、シユの瞳には愉快がる色と同時に真面目な色がある。
マサジとシユが関係を持っていて、そのシユの兄のノヤはマサジを殺そうとしている?
「ノヤ殿はそれをご存知なのですか?」
「それはまぁ、知っていますよ、きっと。だいぶ前に兄とは喧嘩別れになりましたけどね。その時からもう私は遊女で、マサジ様ともお知り合いでしたから」
どう応じるべきか、言葉が見つからない。
この兄妹はのっぴきならない立場にいる。ああ、でも、それはわかっていたことか。
「書状には、今夜、屋敷へ来るようにとありましたから、今夜はスマ様のお相手はできませんよ」
そういう艶かしい口調に、ため息しか出ない。呆れのため息だ。
そんな態度を無視して、半裸のままでにじり寄ってきたシユの手が、頬に触れる。
「一緒について来てもいいわよ、スマ様。私の護衛とでも言えば、通してもらえるでしょう」
「ついて行って、隣の間に控えていろ、ということですか」
「まあ、マサジ様が変な気を起こさなければ。もしその気になったようなら、あなたは席を外しなさいな」
この女人はまだ、全体のほんの一部しか見せていないようだ。
もたれかかってきて、二人がもつれて倒れ込むが、これでは食事も抜きだろうか。
結局、太陽が空のてっぺんを通り過ぎてから、やっと食事にありつけた。
部屋で質素な料理に向かいながら、シユが平然という。
「遠慮せず、ついてきなさいね」
そうしましょう、と応じながら、またため息が漏れてしまった。
(続く)
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