第23話 遊女

     ◆


 女性は結い上げた髪を押さえて、こちらに笑みを見せる。

「上らせてもらっているよ、スマ殿」

「ハカリ殿の部屋にいた方ですね」

 そう言葉を向けると、頷かれるが返事はない。キセルをくわえて、息を吸うとその先が少しだけ明るくなる。こちらは座ることにした。

「復讐しに来たのですか?」

 プカリと煙を吐いて、女が笑みを見せる。乾いた、あまり熱のない表情だ。

「あんな二流の剣士とは早く離れたかったから、復讐する理由がないね」

「名前は?」

「私の? 宿のものに聞いただろう。シユというものさ」

「女郎屋にいなくて良いのですか?」

 当たり前のことを訊ねるのね、とシユは楽しそうだ。気だるさの中に、明るさもある。

「女郎屋にはある程度、無理がきくのさ。これでも仕事ができるし、客も多い」

「私は女性を買うほどの銭を持っていません」

 きょとんとしてから、口もとを隠してケラケラとシユが笑っているところに、女中の声がふすまの向こうからして、応じると、二人分の料理が運ばれてきた。料理といっても質素なものだ。そもそも値は張っても豪勢な食事が出る旅籠でもない。

「とりあえず、どうぞ、食べてください。食べながら話をしましょう」

「気がきくこと。召し上がりましょうかね」

 部屋の真ん中で向かいあり、ほんの四品ほどの形だけの膳に向かった。

「ハカリの手下が怖くないのかな、スマ殿は」

 シユの言葉に顔を上げるか、彼女は料理の方に目を落としている。

「そう言うシユ殿こそ、こんなところにいては、私と関係があり、ハカリ殿を切った場面を演出した、と思われるのではないですか」

 かもしれないねぇ、とシユは笑っている。

「でも奴らがここに踏み込んだら、あんたが奴らを切るだろ、スマ殿」

「帰り道を狙われるかもしれない」

「ここから出なければいい」

 この遊女が言っていることを好意的に解釈しようとしたが、かなりの難題だった。

 つまりシユの護衛としての役割を求められているらしい。

「もし外へ出てしまった時は、シユ殿は一人になります」

「宿のものに誰も上げないように頼めばいいじゃないの」

「しかしシユ殿をこうして部屋にあげるような店ですよ」

「全ては銭ですってば、スマ殿」

 そう言って口元を押さえて、遊女はくすくすと笑う。

 これは参ったな、と思ったが、言葉にはしなかった。

 ハカリの手下がこちらに注意を向けることは、少なくとももう一人の当事者のミツを害する意図があるとすれば、それをわずかにだが逸らすことにはなる。ただ、そもそもミツに興味があったのはハカリであって、ハカリを信奉する剣士たちは、むしろミツではなくこちらを狙うだろう。

 その狙いを加速させるのに、シユは意味を持つ。

 ただ結局は、危機にさらされるのがミツではなくシユになるだけのことだ。

「女郎屋には用心棒が大勢いるはずです。そちらの方が安全です」

「女郎屋が銭になびかないとお思い?」

 そうか。銭はある場面では剣よりも強いかもしれない。

「あの店もね、あなたを歓迎しているのですよ」

 いきなりシユがそんなことを言うので、膳に落としていた顔を上げると、ニコニコと笑っている。

「ハカリはだいぶ支払いを渋っていてね、ツケが多かったのよ。それなのに仲間を何人も部屋に入れて、飲んで食って騒いで女を呼んで、やっぱり払わない。だからあなたを店に入れたのね。だってそうでしょ? あなたを店に上げる理由がどこにあるかしら」

 筋が通ってはいる。今まで、いや、今でも、頭に血が上っていて、そこまで考えていない自分が恥ずかしかった。

「シユ殿は私のことが恐ろしくないのですか?」

 そんなことを訊いてしまったのは、シユがあまりにもミツと違うからだろう。

 二人は同じ場面を見ている。剣士が剣士を、一方的に、それも残酷に斬り殺すところを見ているのだ。

 それなのにまるで違う様子で、接してくる。

 二人の何が違うのか、それが気になったのだ。

「恐ろしい? スマ殿がですか?」

 わずかに目を見開いてのシユの言葉に無言で頷くと、面白いお方、とシユが口元を隠す。

「あのような残酷なこと、よくあることでしょう。刀を持っているものが大勢いるのですよ。それはつまり、人が殺されるということ。昨夜のことなど、見慣れていますよ。ただ確かに、スマ殿の剣の冴えはすごかった。鮮やかで、芸術的でした」

「見慣れている、とは」

 それはねぇ、と箸を置いて、すっとシユの表情が真剣なものに変わった。

「私の父も母も、殺されたのですよ。くだらない事情でね」

 その言葉で気づかないわけがない。

「殺したのは、マサエイ様の後妻の方、ですか?」

 予想外だったのか、呆気に取られた顔に変わったシユには、よく見てみるとノヤとどこか似通った面差しがある。

「ノヤ殿が、そのような話を私にされました。もしやお二人は兄妹でしょうか」

「これはまた、迂闊なこと……」

 そう言って、シユは頬を撫でている。無意識らしい。

「ノヤ殿に、マサジ様を切るつもりだと聞いています」

「ああ、それは、また、執念深いことね」

「シユ殿にそのつもりはない?」

「私はもう、兄とは違う人生ですからね、ええ、ええ、もう自由に生きたいのですよ。血筋とか、過去とかとは無縁でね。この町にいる理由もないのですが、なんでここにいるのかしら」

 冗談で紛らわせてはいても、ほとんどは本音だろう。

「スマ殿は旅をされているのでしょう。私にも旅ができるかしら」

「シユ殿のようなお仕事をよく知りませんから、はっきりとは言えませんが、おそらくはできると思います」

 まあまあ、と笑い、まだシユは頬に触れている。化粧が乱れそうだった。

「なら、さっさとこんな街を捨てられたらいいのに、なぜかしらね、離れる気になれないわ。スマ殿はどちらから参ったの?」

「北の果てのようなところです」

「そこを離れる時、どんなお気持ちでした?」

 気持ちか。

「忘れてしまいましたね」

 それはそれは、と応じたシユは、やっと指先が白くなっているのに気付き、払うような仕草をした。

 いつの間にか二人とも、料理はあらかた片付いていた。



(続く)

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