第8話 理屈
◆
タルサカを見るが、そのタルサカは平静な様子だ。
「そんなつもりはありません。たまたま、噂で朽木という名前を聞きましてここへ参りました」
「スマ殿は剣術の道を歩んでいるとお見受けしますが」
「そのつもりですが……」
少し言葉に詰まって、それがどこか我ながら可笑しくて堪えきれず、笑ってしまった。
「剣術の道など、始まりもなければ終わりもないものでしょう」
言い訳じみた発言を受けて、何かを理解したようでわずかにタルサカが口元を緩ませたのがわかった。
「私も志しましたが、父のようにはいきません」
その父であるヒロテツは縁側に腰掛けたままで、こちらには背を向けている。何も言わないが、聞こえてはいるだろう。
「あまり楽しい道でもありません」
何をかばっているのか、何を弁明したいのか、そんなことを言っていた。タルサカの表情が今度は真剣なものになる。
「高みに通じる道だと考えていましたが、違うのですか?」
「頂点に立つことが、誰にも負けないことなら、確かに剣術を極めることは頂点に立つ助けにはなるでしょう。ただ実際にやっていることは、誰かに勝つことではなく、生き延びることです。剣術を修め、それで生きていこうとすること自体が、こうなってしまえば死に急ぐのと同義かと存じます」
「それは臆病とどう違うのですか?」
どうやらタルサカはこの議論に慣れているようだ。しかしこちらも似た場面は数多くあった。ノヤでさえ似た問答をしたのだ。
考えを整理し、説明を試みる気になった。
「死ぬと思う場面に飛び込むのは、臆病ではありません。それは正しい判断、むしろ冷静の現れでしょう。真の臆病とは、勝てる瞬間に躊躇うことではないかと考えます。その躊躇いが勝機を逃すことになり、勝機を逃すことは、つまり死ぬということです」
「どう違うのか、わかりません。死ぬと思っていても、無我夢中で飛び込めば勝機が見つかるものですか?」
この問いかけは、素朴な疑問などではない。どんな理屈か、試しているのだろう。
「死ぬかもしれないところにある一筋の勝機に頼る必要はありません。十回やれば一回は勝てる、という場面が仮にあるとしても、命は一つです。一回の勝機に賭けるよりは、九回の敗北を重く見て、その場は退くべきです」
じっとタルサカは瞳を覗き込んできて、こちらも彼の視線を受け止め、見つめ返した。
しばらく両者の動きが止まったが、タルサカがふっと雰囲気を弛緩させた。
「同じことを、父に教えられたことがあります。スマ殿と父は気が合うでしょう」
「ヒロテツ殿が、そのような話を?」
「私が幼い頃です。理解したのはだいぶ時が経ってからのことです」
仕事を始めます、とタルサカが席を立ち、傘を作る作業を始めるようだった。
縁側に戻ると、ちらっとヒロテツの視線がこちらを向いた。
「考えていたよりも面白い男ですね、スマ殿」
「いえ、差し出がましいことを口にして、恥ずかしい思いです」
「謙遜しなさるな。剣士としての素質が十二分にある言葉だった」
どう答えることもできないのは本当に恥ずかしいからだ。こうやって一席打ってしまうのは、反省するべきだろう。
剣士なのだ。剣で、生き様で語るしかない。
そうでなければ、散り際でだ。
「タルサカ殿に剣を教えたとか」
かなり遠回りしていたが、気になったので聞いていた。タルサカはまだ若く、才能がないということもないだろう。剣術そのものの成立が、使い手の個体差を埋めることにある。相手より優れた剣術は、相手に劣る身体能力を克服することが可能にする。
ヒロテツがわずかに頷いた気がした。
「あの子は優しすぎる。そしておそらく、私が恐ろしいのだろう。私でなければ、人を斬るということが」
「それが臆病の話をした理由ですか?」
「前後関係が違うが、あの子は私が人を斬るところを何度か見ている。それでは臆病というものを本質的には知ることもできないし、知らない。私が相手を斬るように、自分も相手を斬れると思い込んだだろう。その感性、思い込みは、剣術がいくら優れているとて如何ともしがたいでしょう」
よくわからない話だが、推測はできる。
ヒロテツの剣はそれほど鮮やかだったのだろう。
特殊と言ってもいい使い手の中には、相手をあまりにも見事に、まさに一撃で葬るような使い手がいる。
その剣を一度でも見てしまうと、幻想が心に差し込むようになる。
魔術めいた剣が存在し、道を極めることでそこへ至れる、という幻想である。
そんな剣は存在しないはずだが、幻想、ほとんど願望か、そうでなければ期待に過ぎない思い込みが、心を占めてしまい、剣の道を踏み外すことは必定だ。
一度、幻を見てしまえば、その誘惑を克服するのは難しい。
天才の剣は天才でしか扱えないのだが、その天才が同じ人間で、同じような剣を振るうことで、自分にもできると勘違いする。勘違いは天才の剣という自分には不釣り合いで、全く適合しない術を求めさせる。
そうして不完全で欠陥ばかりの剣術で敵に挑み、才能の片鱗すら見えない平凡な剣に対しても、問題にもされず殺される。
猿真似の天才の剣は、凡庸さにさえ届かない、そんな剣であることがままある。
「なぜ、人斬りなどをしたのですか?」
満を辞しての質問こそ、本命である。
短い時間のやりとりしかないが、ヒロテツという剣士が好んで人を斬るとは、とても思えなかった。
彼は冷静で、頭の回る知性があるように見えた。
人を斬ることは、本来的には損しかない。そんな損をヒロテツが選ぶだろうか。
短い沈黙の後、古い話です、とひっそりとした声でヒロテツが呟いた。
(続く)
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