第4話 意思疎通

     ◆


 翌日、昼前にオリカミ屋敷にノヤとともに入った。

 屋敷の門の両側に男が立っていたが、特に視線を向けるでもなく、直立不動だった。簡略化された鎧を着て、槍を持っている。足軽と呼ぶべきだろうか。それとも門衛か。

 ノヤは慣れた様子で屋敷の敷地、その建物の横に回っていき、裏手にある調理場らしいところの外に出ていた下女に声をかけた。「マサジ様はどこかな」と訊ねている。下女はへりくだった様子で中庭にいる旨を口にした。

 そのままノヤは中庭に向かい、そこでは一人の若者が木刀を素振りしていた。ノヤの姿を見ると表情が明るくなり、しかしすぐに不審げなものに変わる。警戒する視線がこちらを見ていた。

「ノヤ、そのものは何者だ?」

 甲高い声で青年がそう言うのに、さっとノヤが片膝をついて見せるので、真似をするしかない。一人だけで立っていたら不自然だろう。

「こちらはスマという旅の剣士でございます。オリカミ様も興味を持たれるのではと連れてまいりました」

「旅の剣士か。スマ、そなたはどこの生まれだ?」

「北の地の名もない村でございます」

 北か、と青年が空を見上げ、その顔がこちらに向いた時には、抑えきれないらしい興味の色が浮かんでいる。

「たしか、北の山国に、全てが黄金で作られた寺があったはずだ。知っているか?」

「ございますが、すでに古い寺ですから、かろうじて神仏の加護で残っているようなものです」

「黄金の寺は本当にあるのだな。一度、参ってみたいものだ」

 興味本位で訪ねるには、ここからではあまりに距離がありすぎる。それに黄金でできていようと、加護とやらには大差はない。

 青年は、茶でも飲もう、と中庭から廊下へ上がる。すっくと立ち上がったノヤが続くので、その背中を追うことにする。

 広い畳敷きの一室で、小姓というのか、少年が二人やってきて茶を用意する。こちらは昨日、道場で飲んだような煎茶ではなく、本格的な抹茶だった。目の前で点てたわけではない。誰が茶を点てたのだろう?

 小姓が茶菓子も持ってくると、やっと青年が器を手に取った。器自体が高価そうではない木の器であることには、思わず安心する。

「私はマサジという。ノヤは私の師だ。スマは何のために旅をしている?」

 そう訊ねてくる青年に、じっと視線を向ける。よく言えば無垢、悪く言えば散漫な意志が伺える。それほどの興味もないのだろう。少なくとも黄金の寺よりは。

「剣を知るために、旅をしております」

「剣か。ノヤの剣術を見たか?」

 いえ、と応じると、マサジの表情に嬉しげな色が浮かぶ。

「ノヤが剣を抜いて殺せなかった相手はいないぞ、スマ。必殺なのだ」

「それは、恐ろしいことです」

 恐縮して見せるが、すぐ横に座っているノヤの雰囲気が張り詰めたのは、感じないわけにはいかない。本気で恐ろしいと思っていないことを、彼は感じ取ったのだろう。

 しかしマサジはそんなことには気づけずに、そうだろう、そうだろう、と笑っていた。

「一人、切れぬ者がいました」

 意外なことに、ノヤの方からそんなことを口にした。彼が自分の評価を変えようとするのも意外だったし、そもそもノヤが切れない相手がいるというのも、マサジの言葉に反するので、意外だ。ノヤの言を否定するようなものである。

 その一言で、もう忘れるがいい、と想像通りに不快げになったマサジが顔をしかめた。

「あの朽木はもう死んだも同然ではないか」

「しかし切られるところだったのは私でした」

「忘れよと言っている!」

 器を叩きつけるように置いて、マサジが身を乗り出す。

「ノヤ、お前の剣が疑われれば、それはすなわち、私の腕が疑われるということだ。良いな? 余計なことを口にするな」

 失礼いたしました。と静かな声で応じて、ノヤは頭を下げた。

 不機嫌さを制御することもできない様子でマサジは菓子を食べると、稽古をしよう、と立ち上がった。落ち着きのない若者である。ノヤは返事をして立ち上がり、こちらは見ずに中庭に出た。

 小姓が二人に木刀を手渡し、マサジがそれを構えるのに対して、ゆったりとノヤも木刀を構えた。

 二人の力量は見るだけでよくわかる。マサジは典型的な力任せの、技とも言えないものしか使えないようだが、その力を受け流す余地が当然、ノヤには見て取れる。

 実際、ひときわ甲高い声をあげてマサジが打ち掛かっても、ノヤはそれを丁寧に捌いていく。

 結局、マサジは二十回近く攻撃を繰り出したが、ノヤには危なくなる場面は微塵もなかった。

「スマ!」

 激しく呼吸を乱しているマサジがこちらを見る。額やこめかみに汗の雫がびっしりと浮かんで、光を反射している。

「そなた、ノヤと向かいあえ。一撃でも加えられれば、褒美をやろう」

「遠慮いたします。とても敵う使い手ではありません」

「なに、稽古なのだ、死ぬことはないのだぞ。やって見せよ」

 断りきることもできず、差し出されたマサジの木刀を受け取った。

 ノヤは平然と構えている。打ち込む余地はない。しかしこのまま向かい合っているのも、無意味なことだ。

 諦めて、露骨な打ち込みを選択した。

 繰り出した木刀は払われ、その上、体が無防備にノヤの間合いに入ってもいる。

 木刀が向かってくる。

 鈍い衝撃で肩を打たれる瞬間、自ら倒れ込んだ。痛みが走るが、ただの軽度の打ち身で済んだ。少し演技があからさまだったか。

「つまらんなぁ、この程度とは」

 何も察していないマサジが屈み込み、ニタニタと笑いながら起き上がるこちらの顔を覗き込んでくる。

「旅などしても、強くはなれぬものなのだな。期待をして損をした」

「ご期待に添えず、かたじけなく存じます」

「つまらんな、スマよ」

 ポンと肩を叩かれたので、頭を下げておく。

 じっとノヤがこちらを見ているのは見なくてもわかる。彼にはこちらの手加減がわかっただろう。その上、彼は肩を打つ時、力を抜いたのだから、この手合わせが遊びだとあの一撃で伝わってきたし、その前にこちらが誤魔化しを企図していることも伝わったのだ。

 それくらいの意思疎通ができる使い手はある程度の使い手である。

 あるいは実力、本当の実力は伯仲か。

 マサジに促されて、ノヤが稽古を再開する。そっと中庭の隅に下がり、二人の稽古の様子を見ながら、結局、最後までノヤの本当の実力はわからなかった。



(続く)

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