実験的偽善者の島の崩壊

和泉茉樹

第1話 平和を強制された島

     ◆


 僕たちが生きている世界は、相も変わらずそこここで争いが起こっている。

 でも僕が生きているこの小さな世界には、争いはない。

 暴力も、暴言も、怒りすらないかもしれない。

 世界で最も平和な場所にして、世界中から危険視される場所。

 それが東京湾に作られた水上都市。

 実験地区とか、実験島、人工島などと呼ばれる場所。

 僕は両親とここに暮らしている。

 あまり昔話も聞かないけど、両親は二十をいくらかすぎた時、別々にこの島へやってきた。それはこの人工の島は、職を斡旋してもらえて、住む場所も容易に手に入ったからだ。

 僕にはあまり実感もないけど、両親はそれぞれにニートと大昔には呼ばれた立場だった、と二人ともが僕に話してくれた。ニート? と首を傾げる僕に、両親は、さらに大昔には高等遊民とも言われたかもね、と笑っていた。

 さて。

 で、僕はといえば、高校一年生の十五歳で、あと一週間で十六歳になる。

 通っている高校は、第二高校と呼ばれていて、でも島には二つの高校しかない。そして二つの間に大きな学力差はなくて、というか、試験も形だけだ。望むものはどちらかに入学できる。

 名前は、南レオ。ありきたりな名前で、僕自身にもあまり特徴はない。

 唯一、特殊とも言えるものはあるけれど。

 その日もいつも通りの朝、いつも通りの学校、いつも通りの放課後になった。

 帰り道、珍しいことに喧嘩があった。

 実は、第二高校には一つ、難点があって、それはこの人工島に出入りできる場所、俗に「港」と呼ばれている場所が近いことだ。

 人工島はぐるっと壁に囲まれ、その上で無機的な骨格を思われる梁で支えられる軒のような小さな屋根と、壁の外部にあるエアカーテンで周囲を隔絶されている。

 だから、港だけが唯一の出入り口で、つまり、そこには島の流儀を知らない人間が大勢いる。

 ニューカマー、というわけだけど、この島は無謀なニューカマーにはやや厳しい。

 喧嘩をしたのも、そんな若者のようだった。

 殴り倒された男は、見るからに島の住民の中年男性で、倒れこんで男を見上げている。

 その表情には、びっくりするほど感情がないけど、それを眺める僕も、どこかで感情が動かない自分を感じる。

 殴りつけた若者が、もう一度、拳を振り上げた。

 ニヤニヤと笑う、その顔。

 無抵抗の相手を攻撃する愉悦。

 それはこの島ではご法度だ。

 若者が急に顔を引きつらせて、倒れこむ。地面に伸びてもがているそれを前に、当の殴られた方の男性は、平然と立ち上がり、去って行った。通りかかった他の人たちも、倒れている男には一顧だにしない。

 もちろん、僕も平然と眺めている。

 すぐに衛生局という組織の職員がバンでやってきて、動かなくなった男性をどこかへ運んで行った。

 これがこの島の現実なんだ。

 この人工の島、実験地区には、あるウイルスが全住民に植え付けられている。

 ありとあらゆる疾病から肉体を防御する、善の側面も持つそれだけど、実際にはこのウイルスこそが、この島の平和の根幹になっている。

 ウイルスの名前は、「ピースメーカー」。

 そのウイルスは、人間の中の暴力衝動、他人を害する意志によって起動し、宿主を殺す。

 三十年ほど前、この「意識をトリガーとして起動するウイルス」は、物議を醸し、国内でも国際社会でも、議論になった。

 開発者は日本の科学者で、日本はすぐに行動した。科学者は個人情報も、所在も、全てが隠されて、それ以降、二度と表舞台には出ていない。死亡説がたまに出るが、なぜか誰もそれを信じない、という具合だ。

 とにかく、国連、それも安全保障理事会の議題になるほどのそのウイルスは、議論の間に、実験地区と名付けられた、別の目的で建設途中だった人工島に限定して、実際の実験、大規模な人体実験が始まった。

 当然、世界中から非難を浴びたけど、なぜか日本は非常に珍しい強硬外交を展開した。

 今もそれは続いているわけだけど、すでに実験は走り出して、長い時間が過ぎて、幾つかの情報が開示されたこともあり、風当たりは弱くなりつつある。

 なんにせよ、僕はその人工島で生まれた、実験動物二世、ということになる。

 ピースメーカーはこの島を完全な平和の中に押し込んで、住民もそんな日々に、何も疑問を感じない。

 僕がそれを不自然に思うのは、両親が紹介してくれた、外部の友人による。

 彼の名前は、星野、といって、年齢は僕と同年。本土で生活していて、もちろん、ピースメーカーを植え付けられてはいない。

 初めて話をしたのはもう六年は前になる。

 当初、彼は何度も何度も僕を挑発し、僕は自分の中に怒りが目覚める度に、僕の中のピースメーカーによる容赦ない裁きを下されたものだ。ピースメーカーに軽度の衝動には軽度のダメージで済ます程度の分別があるのが、僕の命を救ったようなものだった。

 それでも心臓がぎりぎりと締め付けられ、肺が強張って椅子から転げ落ちる度に、幼いながら、死を意識したけど。

 星野も僕が画面から消えるのを面白がっていたのも最初だけで、僕が本当の苦痛、命に関わるかもしれない事態に陥っているのを察して、やがて、僕を怒らせるイタズラはしなくなった。

 それどころか、最終的には、「ピースメーカーっていうのが諸刃の剣だな」などと言っている。

 平和を約束しながら、それは破滅によって約束されている、というわけだ。

 いやいや、きみが僕を苛立たせなければ良いんだよ、とは思ったけど、そんな思いさえも、怒りや衝動が伴うと苦痛に直結するので、迂闊なことは思考できない。

 そんなこんなで、僕はこの、平和を強制され、その平和を謳歌する島で生活しながら、高校生活と同時に、別の、極めて珍しい生活もこなしていた。

 それは、イレギュラー候補生、という生活だ。

 人工島に存在する形だけの警察、決して暴力をもって暴力を制圧してはいけない表向きの警察とは違う、暴力を行使することが許された警官が、イレギュラーだ。

 それは、暴力が否定された場所における、まさに不規則存在だった。



(続く)

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