殺意の凶界線
天海琉星
第1話
雑居ビルが立ち並ぶ夜の繁華街。仕事帰りのサラリーマン達が行き交っている。空からはらはらと舞い降る玉雪がどこか寂しさを演出する。そんな街の薄暗い路地裏を1人のスーツ姿の金髪の男が胸に右手を当てて息も絶え絶えに歩いている。上着に血が大量に染みつき、ポタポタと血の滴が地面に垂れる。
“あいつ・・・、どこかで・・・”
ふらふらと歩く男の霞みゆく視界の先に、行き交う人の姿がぼんやりと見える。そこにあるのは居酒屋が建ち並ぶ通り道。そこをコート姿のサラリーマン達が行き交っている。
“そうだ・・・、あいつは・・・”
男は通りに差しかかろうとした時、ついに力尽きてその場に倒れ伏してしまった。白い息を吐きだす力は弱々しく、薄れゆく意識の中、1人の女性の姿が男の脳裏に浮かぶ。
“フィオナ・・・”
立ち上がろうと意識するも、もはや体に力が入らない。すると、偶然通りかかったほろ酔い気味の2人組のサラリーマンが男に気付き、慌てた様子で傍に駆け寄ってきた。
「大丈夫か、あんた!!」
「今、救急車を呼ぶから!!」
サラリーマンの1人が慌てながら近くの居酒屋に入って、急いで店員に救急車を呼んでもらった。何事かと、店にいた客が気になって次々と外へ出てくる。路地を行き交う他の歩行者も足を止めて様子を見ている。
「大門・・・?大門!どうしたんだ!!」
居酒屋から出てきた客の一人が、倒れ伏している男が会社の同僚と分かると声を荒げて駆け寄る。直ぐ後に駆け寄ってきた同僚の女性も慌てた素振りで男に声を掛けている。すると、男は傍でしゃがみ込んでいる同僚の男性の袖を震える手で必死に掴んで訴えかけた。青ざめたその表情は弱々しく、声を出す事すらままならない。
「・・・ロ・・・ファー・・・」
男はそう呟くと力尽き、そのまま目を閉じて動かなくなってしまった。
「何だ、ローファーって!?おい!大門?大門!!」
同僚が必死に声を掛けるも応答はなく、男の脳裏に1つの思い出が映し出される。大歓声に包まれたスタジアム。そのピッチに立つ選手達の中で、1人の選手が中心に映っている。その背番号10が何よりも力強く、何よりも眩しい。
“母さん・・・、父さん・・・”
男の頬を涙が伝い、やがて思い出はぼやけて暗闇の中へ消えていった。雪が降りしきる夜に、命の灯が1つ消えたのだった。
――そして、およそ3年の月日が流れる――
――惑星ヴィーナ――
この世界の宇宙の北半球側には4つの渦状の銀河が存在する。主な舞台となる惑星ヴィーナは、その内の左から3番目となる銀河にあるアウロラ系(太陽系)の黄色い海の惑星である。
――アトランティコ連邦共和国――
惑星ヴィーナにある6つある大陸の1つのヴァルメシア大陸を統治する国。人口はおよそ4800万人。12の州で構成されており、大和語とエゲレス語という2種類の言語(日本語と英語にそっくりな言語)を主に使う移民国家で、昔前から移民問題や不法入国、麻薬や銃の密売といった様々な問題を抱えている。
――フローラ州――
国の中枢たる首都サクラがあり、都の6つの特別区を除いて全部で12の自治体をもって構成されている州。人口はおよそ600万人。物語の中心となる場所は、首都サクラの中枢たるコンゴウ区の桜坂3丁目にある12階建てのビルの6階の一角に構える事務所である。
――桜坂探偵事務所――
桜坂駅から徒歩6分ほどの場所にあるこの事務所は一人の女探偵が1年ほど前から経営している。そんな彼女の下には浮気調査から人探しといった普通の依頼だけじゃなく、悪霊退治といった奇妙な依頼まで持ち込まれてくる。
“トゥルルルル・・・”
事務所の電話が鳴り響き、受話器が置いてある机の下へ女が歩み寄る。長いストレートの黒髪に白い肌、黒い瞳、チェック柄の茶色系のジャケットとハーフズボンスタイルに黒いタイツと赤茶色の革靴という、どこか探偵っぽい洒落た格好をしている見た目の若い女だ。
“ガチャ・・・”
「はい、桜坂探偵事務所です。」
『あの~・・・、昨日お電話した、ラグウェルというものですけど・・・』
「あ、はいはい。ちょっとお待ちくださいね。」
女はどこか色気を感じさせる落ち着いた雰囲気のある声でそう言うと、事務所の入り口に向かった。このビルはセキュリティの関係で事務所の入り口の傍に内線電話が備え付けられている。そして、女は事務室と細い廊下を挟んだ入口の扉を開けると、外の廊下に立つ1人の女性を目にした。赤いコートを着た、どこか幼さを感じさせる顔つきの女性だ。高級そうなバッグを肩に掛け、背はそれほど高くはない。160cmいくかどうかといったところだ。彼女の名前はフィオナ・ラグウェル。カミーラ系(茶髪茶瞳黄色肌の人種)で、10代に見える顔つきだが実年齢は24歳だ。そんなフィオナだが、目の前に立つ背の高い妖艶な色気を感じさせる女を見てどこか驚いたといった表情を見せている。美しい黒髪の少女の人形のように整った顔立ちをしているので驚いているのだ。そんなフィオナに対して女は笑顔を見せる。
「どうぞ、お入りください。」
女はフィオナを事務所内に招き入れ、フィオナはどこか緊張した面持ちで女の後ろについて室内の細い通路を歩いていく。ここは入り口を入ってすぐに部屋があるわけではなく、通路を挟んだ構造になっている。
“探偵事務所って、こんな感じなんだ・・・”
もっと古びた感じのイメージをしていたが、割と新しいビルだけに内装も綺麗でどこか洒落ている感じもする。そして、女は廊下の奥の扉を開けて女性客を応接室へ通し、部屋の中央付近に配置されたテーブルの向こう側にある3人用のソファ席に女性客を座らせ、自身は廊下を戻っていった。室内をきょろきょろと見渡すフィオナ。
“個人事務所でも、ちゃんと応接室とかってあるんだな・・・”
ソファの両サイドには肘掛があり、目の前には四角い木製のテーブルがあり、テーブルを挟んだ向こう側には1人用の肘掛のついたソファ席がある。間取りの位置の関係か、この部屋には窓がなく、明るい蛍光灯が部屋全体を照らしている。全体的に綺麗だが、殺風景な場所だ。
“なんか、就職の面接みたいで緊張するな・・・”
見慣れない場所に来ると、少し不安な気持ちになるが、同時に、新鮮な気持ちにもなれる。フィオナが部屋を観察しているうちに、女がお茶を持って戻ってきた。湯呑を乗せたおぼんの下にファイルらしきものが見える。女は丁寧な所作でフィオナの前にお茶を差し出し、ファイルをテーブルに置きつつ、自身もテーブルを挟んで対面のソファ席に腰を下ろした。
「改めまして、ようこそ。私が桜探偵事務所の所長“ヴィステ・山田”です。ま、所長と言っても、私一人しかいませんけどね。」
ヴィステの言葉にクスッと微笑するフィオナ。そんな彼女にヴィステは名刺を差し出した。名刺には“アクマ商会終身名誉会長オウ・ダイマ認定探偵ヴィステ・山田”と行を分けて記載されており、ここの住所と電話番号、それに携帯電話(ショルダーホン)の番号が記載されている。
「それで、電話でも少しお聞きしたのですが、事件の調査の依頼という事ですけど、どのような事件の?」
「はい。実は、3年前に殺された夫の事件について調べてほしいんです。」
「ご主人が殺された事件?」
「はい。3年前にツバキ市のベロニカで起きた通り魔事件です。」
どこか神妙な面持ちのフィオナの話に険しい表情を見せるヴィステ。その事件はヴィステが事務所を開く2年近く前に起こったもので、当時はTVのワイドショーでも取り上げられていた。その理由は、フィオナが海を西に越えた先にあるルアーヌ大陸南部に位置するテイシャン公国の貴族だったからだ。
――ラグウェル家――
テイシャン公国3大貴族の一つのビュネルヴァ家の分家で、歴史上の偉人である白伯爵ことユリアスの血筋の一族である。
「その事件については、以前、アクマ商会の会長からも少し話を伺いましたね。」
「そうなんですか?やっぱり、ダイマ会長の認定を受けてるから、事件の事も知ってたんですね。
――アクマ商会――
この国の財界を牛耳る最大手のグループ企業で、この企業のトップに立つのが終身名誉会長のオウ・ダイマである。何でも、1000年以上の時を生きる謎の老紳士だとか。そして、ヴィステは事務所を立ち上げる際に、彼の認定を受けた方が何かと便利だ、という事でアクマ商会の関係事務所にしてもらった。
「ここの事務所のことは、大学の友達から聞いたんです。悪霊を祓える力を持っている人だって。」
「なるほど。しかし、その事件については、会長の方は警察に任せているらしいですが、未だに解決していないという事ですね。」
「はい。警察の方も色々と捜査してくれたようなんですけど、結局、犯人はまだ分からず、今は捜査をしてくれてるのかすら・・・」
「事件当時、会長から何か言われませんでしたか?」
「ダイマ会長に、ですか?いえ、事件については特に。夫の葬儀以来、1度も会っていませんので・・・」
“会ってないのか。まぁ、最近まではちょくちょく他所に仕事しに行ってたからな。”
ダイマは事件のすぐ後に2年近く会社を留守にしていて、ヴィステが事務所を立ち上げる数日前に戻ってきたのだが、事件が解決していなかった事に憤りを覚えたようだ。しかし、警察庁にクレームを入れる事はせず、特に何もせずに、しばらくしてまた会社を留守にしたらしい。
“そもそも、この子の亭主が殺されたのは、ほぼあいつのせいだし。どの面下げて会えば良いのか分からん、とか言ってたしな。”
ダイマはフィオナと亡くなった夫のジョージにあるお願いをしていたのだが、そのせいで悪魔の類に狙われてもおかしくない状況になっている。
“けど、アイツは、犯人は普通の人間の可能性が高い、とも言ってたな・・・”
ヴィステは真剣な表情で思考を巡らせる。ダイマとは顔見知りの関係で彼が何者なのかも
分かっている。もしも、悪魔が加害者なら、少なくともジョージは死なずに済んだはず。そういう力を2人に与えていたのだから。しかし、それでもジョージが死んだという事は、恐らく普通の通り魔事件なのだろう。悪魔が犯人でもない限り、ヴィステに頼んでこないだろうし。
「分かりました。それでは、亡くなられたご主人の事を少し伺いたいのですが、よろしいですか?」
「はい、かまいません。」
ヴィステはフィオナが知っている限りのジョージに関する事を聞き始めた。だが、フィオナは正直のところジョージの交友関係をよく知らない。幼い頃の話も彼の叔父のチャールズから聞かされて初めて知ったぐらいだ。
「失礼ですが、ジョージさんが誰かから恨まれていた、という事はないですか?」
「恨まれていた・・・」
険しい表情をして唸りながら首を傾げるフィオナ。幼い頃から異性にもてて、彼の実家にあるアルバムの写真には大抵クラスメイトと思しき女の姿があった。恨まれるとすれば、間違いなく女絡みだろう。ただ、フィオナは悪魔の線を特に疑っていた。それは、彼女が高校2年生だった時に初めてジョージと出会ったのだが、その時にフィオナは2人のチンピラ風の悪魔に襲われたのだ。
「公園にいきなり現れて、もう、どうしていいのか分からなくなって・・・」
「そいつらはいきなり現れたんですか?」
「はい、何の前触れもなくです。」
その話を聞いたヴィステは困惑してしまう。この星においては、悪魔が現れる前には必ずといって良いほど空間の歪みが生じる。そして、その3時間後にそこに姿を見せるはずなのだ。しかし、フィオナの言いぶりからして、その2体は、恐らく空間の歪みが生じた直後に姿を見せたのだろう。
“おかしいな。アイツなら、2人が自然に出会うように運命を紡いだはず。ってことは、その時にはもう悪意に気付かれてたのか・・・”
その邪悪な思念はダイマが仕掛けた不自然なる運命の出会いを妨害し、それだけじゃなく、フィオナを殺そうとした。しかし、ダイマが彼女に仕掛けた死を回避する能力が発動してその場を切り抜けたのだろう。ただ、当の本人はその事を知らない様子だ。
「私は、何かユリアスという、大昔に白伯爵と呼ばれていた人の子孫らしくて、その人が当時の人達から“悪魔の裏切り者”とか言われていたみたいで・・・」
「白伯爵ユリアス・・・。そういえば、そうでしたね・・・」
事件当時は妻であるフィオナの事も一応調べられており、警察の間でも話題になっていた。しかし、ユリアス伯爵の伝説もどこまでが本当なのか分からないのが実情。なにせ300年近く前の人物なので資料が乏しいのだ。
「けど、そのおかげでジョージと知り合えたんです。」
「そのおかげ?」
フィオナのピンチに駆け付けたのが、ジョージと彼の友人2人だった。その3人が悪魔達を撃退したのだ。そして、この件がきっかけとなってフィオナはジョージに恋い焦がれたのである。
「なるほど、ちょっと、その時の状況を知りたいので、少しの間だけ目を閉じてもらっていてもよろしいですか?」
「目を?はい・・・」
怪訝な表情を見せるフィオナだが、とりあえずヴィステの言う通りに目を閉じた。すると、ヴィステは目を閉じたフィオナの事を念じるようにしてじっと見つめ始めた。
“ヒィ・・・・ン・・・”
ヴィステの瞳がレインボーホログラムのように怪しげな光を放ち始め、その直後にヴィステとフィオナの脳裏にどこかの公園が映し出され始める。
「え?何ですか、これ?どうなって・・・?」
思わず目を開けてしまったフィオナだが、ヴィステの瞳の輝きを見て声を失ってしまう。見た目は変わらないが、部屋の空気が明らかに変わっている。一体どうなっているのだろうか。何かされそうで怖くなってきた。
「大丈夫です。心配なさらないで下さい。リラックスして、もう一度目を閉じて、そのまま、その時の事を思い出すようにして意識を集中して下さい。」
フィオナは呼吸を整え、言われるがままもう一度目を閉じて、意識を集中させた。すると、体内に何か力が沸きあがってくるような感覚に陥り、再び脳裏に公園がぼんやりと映し出された。
「これから見るのは、あなたの魂に刻まれた当時の記憶。あなた自身の魂の力をもって過去の記憶を呼び戻します。」
ヴィステが念じ続けると、2人の脳裏に当時の記憶がはっきりと浮かび上がってきた。
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