世界一の初恋
五十嵐夏星
第1話 世界一の初恋
「英ちゃん。今日の放課後、クラスの女子でカラオケに行こうって話をしてるんだけど、参加してもらえるかな?」
四限目の授業が終わり、教科書と弁当箱を入れ替えているとクラスメイトが私に声をかけてきた。
参加してもらえるかな?、と言っているけれど、きっとこの子は私が参加しない、できないことを知っている。だって、私は。
「英、飯」
私の耳によく馴染んだ声が届く。教室にいた女子生徒が全員、その声の方を見ている。私も、その声を発した人物を瞳に映す。
少し癖のある黒髪。身長は自称百七十五センチ。細身。
私は弁当箱を手にその人物の元に走って行く。側に寄れば私の頭をぽんぽんと叩く。その表情は優しい。
「祐樹が待ってる。行くぞ」
私の手首を掴み、廊下を早足で歩く。
影山祥丞。私の幼馴染。そして、大好きな人。
*
「ここだよ」
校庭にある大きなクスノキが、風で葉を揺らす。その木の下に置かれたベンチに、もう一人の幼馴染である吉柳祐樹が座っていた。
翔丞くんは一歳上、祐樹くんは二歳上。私は幼い頃から、二人のお兄ちゃんたちに守られて生きてきた。それゆえ、友達を作るということが極端に下手で、入学して一ヶ月以上経った今もクラスでは浮いた存在だという自覚がある。もっとも、登下校は二人、もしくはどちらかと一緒、昼食も三人で、ということが続いているので、クラスに友達ができなくても仕方のない話なのかもしれない。
「英、おいで」
祐樹くんがベンチの右端に寄り、私に手招きをする。呼ばれるがままに祐樹くんの左隣に座れば、更に私の左隣に翔丞くんが座った。
「狭い」
「文句言うなら翔丞だけ地面でもいいんだよ?」
「やだよ」
「狭いと英と密着できるしね」
「はあ?」
私を挟んで何やら話し始めた二人より先に、弁当箱の蓋を開ける。
翔丞くんは少し強い口調で話しているけれど、祐樹くんはそれを気にも留めていないようだし、二人も幼いときから一緒に過ごしているので、口喧嘩くらいでは私も心配しない。
「言うことがおっさんなんだよ、祐樹は」
「言わずに想像して悶々とする翔丞より大人であることは確かだね」
弁当箱の中のプチトマトをフォークで刺す。ぷちゅ、っと音がして、皮が破れる。そのまま口に運びながら、二人の会話を聞く。
二人、いや、私も含めての会話は、いつも祐樹くんが翔丞くんを揶揄っているような気がする。祐樹くんは私にはとても優しいのに、翔丞くんには少しサディストな感じで接している。翔丞が眉を顰める顔が可愛くてね、と本人が言っているから、完全に愛情の裏返しである。
「あー、うるさい。お前、そんなこと言うと今日、一人で帰らせるぞ」
「大丈夫。二人と帰らなくても、俺と一緒に帰りたいっていう人はいるし」
「その飄々とした感じがむかつく」
「…祐樹くん、一緒に帰らないの?」
「翔丞が英と二人で帰りたいんだって。だから、俺は他の人と帰るよ」
「そうは言ってないだろう、そうは」
「じゃあ、今日も三人だね?」
「あー、祐樹に上手く丸め込まれてる気がする…」
翔丞くんが頭を抱え始め、祐樹くんはそれを見て楽しそうに笑う。
高校生にもなって、異性の幼馴染とずっと一緒にいるなんて異質な気もするけれど、この日常が私たちの常で、二人に甘やかされることに私は私がこの世界に生きる許可のようなものを得ているような気がしているので、この日常は崩せない。
翔丞くんが拗ねながらパックジュースを吸って、ぱこっと音が鳴る。その隙に祐樹くんが私の弁当箱の中からウインナーを指で摘まみ、口に運ぶ。そのまま指を舐め、唇に人差し指だけを当てる。祐樹くんは毎日、朝登校途中に寄ったコンビニで買った総菜パンがお昼ご飯だ。翔丞くんと私は、お互いのお母さんがお弁当を作ってくれる。翔丞くんはちょっとやんちゃな口調に反して、家族思いだし、実はとてもとても優しい。それは祐樹くんも同じだ。髪の色を今は赤っぽくしているけれど、別に暴れん坊なわけではない。髪の色が赤いと暴れん坊だという私の先入観もどうかと思うけれど。
「そういえば英、いくつかテスト返ってきたでしょ?どうだったの?」
祐樹くんが私の方を見て問いかけてくる。
先週、中間テストがあった。中間テストは主要五教科を細かく分けた全十科目。二人が家庭教師になって教えてくれたおかげで、今日返された分はきちんと解けていた気がする。
「ちゃんと解けてた。祐樹くんも翔丞くんもありがとう」
「英はできる子だからね。翔丞と違って」
「おいおい、聞き捨てならない発言だな」
「だって、翔丞はこの時期のテスト、全然だめだったじゃん」
「祐樹の力の入れようも違ったじゃねえかよ。去年の俺には過去問見せてくれなかったくせに、英には見せやがって。祐樹は俺に全然優しくしてくれない」
「何?翔丞。俺に優しくしてほしいの?頭撫でる?ぎゅうってする?」
「気持ち悪いわ!」
二人の会話がまるでコントか何かのようで、思わず笑ってしまう。
「笑われてるよ、翔丞」
「ちが、違うの、ごめん、なさい、ふふっ」
「英、笑いが堪えきれてないから」
「ごめ、ごめんなさい、二人の会話がコントみたいで、面白くて」
「二人で芸人にでもなる?」
「ならんならん」
「毎回英が最前列で笑ってくれるよ」
「それサクラじゃん」
「そんな進路、親が許してくれないか、翔丞は」
「祐樹」
「だって事実でしょう?」
翔丞くんの家は先生一家だ。ご両親は現役の小学校の先生で、遠くに住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんも先生と呼ばれる職業をしていたようだ。そんなお家柄なので翔丞くんも大学進学を当たり前とされているし、教職じゃなくても堅い職業に就くことを望まれている。
でも、それは祐樹くんも同じかもしれない。祐樹くんは幼いときからおじいちゃん、おばあちゃんと三人で暮らしている。お父さんとお母さんは祐樹くんがまだ言葉も発さない年齢のときに離婚し、祐樹くんはお父さんに引き取られた。でも、そのお父さんも仕事中の不慮の事故で亡くなった。祐樹くんは父方のおじいちゃん、おばあちゃんと暮らすようになり、私たちが初めて祐樹くんに会ったのは祐樹くんが小学校に上がる春だったと記憶している。家が近かった私たちはすぐに仲良くなったし、私は優しいお兄ちゃんたちがずっと大好きだった。
「そんな祐樹は進路決めたのかよ」
「俺?のんびりフリーターでもしようかな」
「じいさん泣くぞ」
「冗談だよ。大学に行く。ちょっと学びたいものがあって」
「学びたいもの?」
「二人にもまだ秘密だけどね」
「秘密かあ。でも、しっかり目標があっていいね」
「ありがとう、英」
祐樹くんが私の頭を撫でてくれて、その手のひらの優しさに私は目を閉じる。
「祐樹に対して、無防備すぎるんだよ、英は」
「俺たち、幼馴染だもんね?」
「俺だってそうだろ」
「俺は英に対して、そういう恋愛感情も、性的な感情も抱かない。俺にとって、英は、ずっと可愛い妹だよ」
私にとっても、祐樹くんはずっと頼りになるお兄ちゃんだ。それは、私たちが大人になっても変わらないのではないかと思う。もっとも、今のように守られ続けるつもりはないけれど、私に何かあれば手を貸してくれる、そんな気がする。でも、甘え続けてはいけない。
「でも、翔丞が英を振るようなことがあれば、そのときは俺が英の手を取る。英は翔丞か俺じゃないとダメだから」
「ばーか。俺が英の手を離すと思ってるのか?」
「もしもの話だよ」
「もしも、なんてないから」
翔丞くんが私の身体を自分の方に引き寄せる。
「自信家なんだか、余裕がないんだか」
「祐樹、何か言った?」
「何も。でも、今日も三人で帰るからね。俺を置いて帰ったりしないでよ」
「置いて帰ったことねえだろ」
「優しい幼馴染でよかったよ」
じゃあ、俺は先に教室に戻るね、と、祐樹くんがベンチから立ち上がる。祐樹くんの顔を見て手を振りたいのに翔丞くんに抱き締められていて、それは叶わない。足音が少しずつ遠ざかっていく。
「英。お前、祐樹に触られすぎ」
私と身体を離して、翔丞くんは私の顔をじっと見る。
「え?」
「幼馴染だしうるさく言えないけどさ、いい気はしない」
「ごめんなさい?」
「もし、祐樹が欲情して襲ってきたらどうすんの」
「祐樹くんだよ?そんなことあるはずない」
「お前はね、男ってものを甘く見すぎなんだよ」
そう言うと、翔丞くんは私の唇に自分の唇をそっと当ててきて。口調は少し強いのに、触れる唇はどこまでも優しい。
翔丞くんも、祐樹くんも、私にとっては大切な幼馴染。大好きな人。でも、私が恋心を抱いたのは翔丞くんだ。自分から触れたいと思うのも、身体の奥まで触れられたい、満たされたいと思うのも、当たり前だけど翔丞くんだけだ。それが、恋愛感情で好きだということなのではないだろうか。
「そこが、まあ、可愛いんですけど」
もう一度触れる唇。離れて行ってほしくなくて、翔丞くんの着ているシャツを掴む。
私の初恋。世界一の初恋。青葉の葉と葉の隙間から太陽が見える。
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