第354話

「狂ってる……アンタは世界に巣くう寄生虫だ」


 剣が、槍が、杖が、もはや私の無意識に従って魔法を、斬撃を、砲撃を巻き散らかす。


 殺すんじゃない、それだけじゃだめだ。

 消さなくてはいけない、決して存在を許してはいけない。

 ただの一ミリですら生き残る可能性があれば、また惨劇が繰り返される。いや、更に技術が発展していけば今回以上の地獄が生み出される可能性すらある。


「クレスト様っ! ここは……ここは私がっ! 貴方だけでもっ、どうかお逃げ下さいっ!」


 更に苛烈さを増した大剣の乱舞が障壁を切り裂いていく。

 生み出されるよりも速く打ち砕く、クラリスの頬に大粒の汗が伝う。

 もはや片手で別の魔法陣を作り出すことすら不可能になったクラリスは、悲鳴にも近い叫び声でクレストへと単独での脱出を伝えた。


「逃がさない」

「いいや君は逃がすさ、必ずね」


 クラリスの背後、クレストがナイフを取り出し彼女へと近づく。


「クラリス君」

「クレスト様……私の事は、私の事はどうかお気になさらずっ! たとえ離れていようとも、いつでも貴方様のおそ……ば……に?」



 彼女の言葉が途絶えた。

 


 クラリスの胸元から突き出す銀の刃はいともたやすく捩じ回され、ずるりと赤黒いものを纏い引き抜かれる。

 がっぽりと空いた穴の向こう側すら見えるかと思うほど、直ぐにでも手を打たなければ死に至るほどの致命傷。



「は?」



 なにを、してるんだあの人は?

 クラリスさんは、クレストの味方じゃないのか?

 それに今の今まで、あんな必死に障壁で守っていたじゃないか。


 それをっ、刺す?

 は?

 なんで?


「はぇ……? え……?」


 刺された本人ですらも完璧な理解をしていないらしい。

 魔の抜けた声と共に胸へ手を当て、意味もなく二度ゆっくりと瞬きをする。


「良かった、君ならそう言ってくれると思っていた。まあ、何を言わずとも未来は変わらなかっただろうがね」

「くれすと、さま……?」


 くらり、ゆらり。

 顔には唖然とした表情を浮かべ胸に手を当てたまま、風に踊る布のようにふらふらと彼女はあてもなく前へと進んでいく。



「ふむ……」


 何もかもが凍り付いた世界の中で、傷から多少覚束ないものの男だけが淡々と前へ進み……表情一つ変えることなく彼女の背中を蹴り飛ばした。


「――っ!」


 抱きかかえた瞬間、むわりと噎せるほどの甘い匂い・・・・・・・・・・が鼻を突く。

 まるで血のファウンテンだ。一呼吸ごとで呼応するかのように、激しく溢れ出す血が留まるところを知らない。

 大丈夫、かなんて聞くまでもない言葉が喉奥までせり上がり、どうにか呑みこむ。


 そうだ、『記憶』を取り込んだ今の私なら回復魔法もっ!



「『開け』」


 凍り付いていた空気を切り裂く、ひどく間の抜けた空気の破裂音。

 指を鳴らした本人の何気ない文言、途端に私の腕で抱きかかえられた彼女が口角から泡を飛ばし、その顔を苦痛に歪ませ大きく両手を突き上げた。


「あ……がっ……! くれ、すと……さま……っ」

「アンタ一体何を!?」


 まさか、これはただの失血じゃないのか? こんな致命傷、失血のショックで意識を失ってそのまま死に至るはず。

 何か、なにか刺された瞬間か、もしかしたらその以前からこの人の身体には仕組まれていたのか!?

 でも、一体なんでそんなことを!?


「あぁ……では御機嫌よう、良き終末を」

「待てっ! クレ――」


 ひどい暴風だ。

 もしこのお面をしていなければ、飛び込んできた砂や髪に目を覆われ、今にも逃げ去らんと魔法陣へ足を引き摺り近付くクレストの姿すら見えないほどに。

 さっきまではこんな吹いていなかったのに。


 いや、待て。

 この風一体何処に吹いて行っている? 上から下へ吹く風だなんて……違う!


「これ、はっ、くっ、吸い込ま、れる……!?」


 傷だ!


 クレストに開けられた彼女の傷が、何か異常なまでの吸引力を持って周囲のものを吸い込んでいる!

 しかもただ取り込んでいるわけじゃない! 穴に触れたものはまるで出入り口が何かの境界線だとでもいうかのように、一瞬で粉みじんになり消え去っている!

 これは……


「まさかっ、魔力に還元して吸い込んでる……!?」


 信じ難いことだがそれ以外にあり得ない。


 彼女の黒々とした穴の奥底、なにか無機質な輝きを放つ物が目についた。

 魔石だ。

 間違いない。あの時クレストは彼女の身体を抉り抜き、この魔法を仕組んだ魔石を体内へと埋め込んだのだ。


 だが魔石とて延々と魔力を吸い込めるはずもない。

 この吸い込みが終わった先にあるのは? 限界を超えた魔石が弾けたとき起こることは?


 ああ、私が一番知っている。

 なんたって私は探索者になってから暫くというもの、魔石を砕いて武器として使っていたのだから!


「足止めも出来るお手軽な人間爆弾、って訳か……! 本当に……最っ低!」


 離れたいがけれど彼女をこのままに……いや、クラリスさんはクレストの味方でっ、でもクレストに斬り捨てられて……?

 それにこの風っ、岩や木まで吸い込むほどのこの力っ!


「ああ、そうなのね……そうよね……」


 朦朧としていたクラリスの瞳が大きく見開かれ――


「いかせ……ない……っ!」


 戸惑っていた私の首元へと強く抱き着く!


「っ、クラリスさん……」

「貴女を止めるのが私の役目よ、最後にたくされた……!」


 身体は還元されない。

 私の身体は最早生物のそれとは異なる、大量の記憶と魔力によって構築された存在。この魔法で生み出される引力では髪の一つすら引き千切ることは出来ない。


 だが彼女はそんなの知るかと言わんばかりに全身の力を使って絡みつき、何度も何度も聞こえぬ悲鳴を上げた。


「託された……? 違う、あの人は貴女を信頼なんかしてないっ! これじゃただの捨て――」

「それでもっ!」


 こんな風鳴の中、その言葉だけはいやによく聞こえて。


「それでも……堕ちた人間には、暗闇の太陽が必要なの。例え二度と昇ることのない太陽でも、手放すことなんて出来ないから……っ!」

「クラリス……さん……」

「これでよかったのよ」







 音も光すらも存在しない膨大な魔力の奔流、次元の狭間。

 それは世界の根源であり、果てしない時を経て世界が至る末路でもある。

 無限遠にすら続きそうな暗闇の中で、突如として固体と光、影が生まれた。


 それ・・は光る床の上をよたよたと歩き、息も絶え絶えで地面へと大の字に転がった。



 ここは狭間に作られた空間。

 嘗て二つの世界を繋いでいた回廊を試作とし、狭間の海を移動する機能や魔力の物質転換機能などを付け加えた、正しく狭間を航行するための船と言える場所。


「っ、はぁッ! はぁっ! 来て、いない……!」


 男は血走った目を深く瞑り、意識的に呼吸を落ち着けんと深く、長い息を吐く。


 恐ろしく長く、そして何より苦しい日々だった。

 挙句の果てにあれほどの化物がやってくるとは。無敵だと思っていた魔法は打ち砕かれ、鍛錬の成果は何一つ通じず、一方的に蹂躙される恐怖。

 本気で恐怖をしたのはいつぶりだったか。


「っはは」


 どれだけの時間目を瞑っていただろう。

 こんこんと湧き上がってきた感情を抑えきれず、口角が高く、高く吊り上がる。


「勝った、のか」


 己が行かんとする道へ無数に聳える高い壁。

 その全てが当時の己にとって恐ろしく強大で、限界を超えてもなお苦しい戦いばかりが続いてきた。

 折れてしまいそうだった日もあった。当然だ、たとえ高貴な生まれをしていようが、何処まで行っても己の心は人間なのだから。


「フフ……はははははははははっ! 勝った! 勝った! 勝ったァ! 最後の最後に勝つのはやはりこの俺だ・・ッ! 剛力でもないッ! あの屑エルフでも、クソガキでもないッ! この俺だ!」


 だが遂に今日! そう! 全ては叶った!

 恐ろしいほど高い壁をすべて打ち倒し! 私は遂にここまでやってくることが出来たのだ!


「あァ……見える……」


 男の脳裏に過ぎるのは、魔天楼が築き上げられてからの自国の日々。

 尽きることのない資源と豊かな生活、生まれるだろう臣民の満面の笑顔達。

 そうだ! この私が生きてきたのはすべて! これから出会う臣民の笑顔や幸福の為なのだから!


 普段貼り付けた笑みを浮かべている男の表情筋も、いまばかりは心の底から緩んでいた。


 事実、男の持つ技術や知識がもし新たな世界の新たな国へと伝播したのなら、間違いなくその国は大国へと成長していくだろう……男の治めていた王国と同様に。

 無限の魔力は無限の資材を作り出し、一つの世界で完結していた資源状況では到底成し得ない物事を容易く行えるようになる、正しく理想とも言える奇跡の存在だ。

 ただ一つ、永遠に等しいはずだった世界の寿命を削るという欠点を除いては。


 だがそんなことはどうでもいい。

 どうせ無数にある世界だ、一つが壊れようとまた次へ移ればいい。

 全てが消えることはないだろう。なんたって狭間からはきっとどこかで、今も新たな世界が生まれ人々は反映しているに違いないのだから。


 次からは怪物が生まれることもない。

 いや、生まれる前まで遡り潰せばいい。


「はは、ははは……はぁ。少し、休息するべきか」


 ひとしきり笑い切ったのち、男はけだるげに熱いため息を漏らした後、その場で仰向けになり目を閉じた。


 肉体の損傷と精神の疲労はとうに限界を超えている。

 特に生き延びるため魔天楼の核を取り込んだのは賭けだった。意識と記憶を腕輪へ移していなければ、あのガキに打ち倒された後も意識を取り戻せずに終わっていただろう。

 肉体の変質は短期間故、大きく進んでしまったものの人間の見た目さえ取り繕えれば今後も問題ない以上どうとでもなる。


 しかし本当に疲れた。

 魔力も文字通りの空、最早時間の一分一秒すら戻すことは出来まい。

 準備した機器や術式をもって寝具の一つでも作りたいところだが、それすら今は不可能なほどに。


「――まあいい。時間はそれこそ……そう、無限にあるのだ」


 なんという満ち足りた感覚だろう。

 何十年という長い不満の果て、何もかを出し尽くした上での勝利というものは、ここまでも自身の精神を満足させるものであったのか。


 静かに目を瞑り、ゆっくりと息を吸い、胸いっぱいに静寂を沁み込ませ……



「ぁ……?」



 カッ、カッ、カッ。


 何もない。

 そう、この世界には何もない。

 捨て去った世界は今頃粉微塵に砕け散り魔力へと還元されている頃合いだろうに、何だこの音は。


 鼓動か?

 違う、確かに心臓の音は今この瞬間、不気味な恐怖を感じ高鳴りを始めたが、だがこの小さな音は次第に大きな音へと変わり始めている。


「……はぁっ、はぁっ……!」


 息は病的なまでに激しくなり、その顔は青ざめ、小さく全身を震わし、彼はばさりと起き上がり周囲を見渡す。


 暗闇。

 そう、何かある訳もない。

 なんといっても周囲は次元の狭間だ。この生存空間の拡張自体は自由自在とは言え、今はまだ何も配置などされていない以上、目につく物などあるはずもない。

 

 ない、はずだった。



「うそだ……」







 見つけてしまった。



 なんだ、あれは。

 何故こちらを見ている。

 何故こちらへ向かってきている。


 何故、生きている。



「ぅ……嘘だ……嘘だっ! うそだっ! なんで!? 何故そこにいるっ!!!!」


 暗闇の中ですら光り輝く金色の目がッ!


「見つけた」

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