第352話

『――! コ、こ、この化物ガアアアアアア!!!!』


 それは地団駄の代替か、全身から幾つもの巨大な触手が飛び出すと蛇の如く犇めきうねり、地面を、木々を、家屋をなぎ倒していく。

 一つ一つが人間など比べ物でないほどの太さだ、地面を伝い広がった衝撃波だけでも凄まじいものがあった。


 だが問題はそれだけじゃない。

 彼が身体の何かを打ち付ける度、微かにだが消滅現象が起こっている。抉れた木々は奇妙な形に接合し、家々は奇怪なオブジェクトへと組み変わっていく。

 あの体の大半が魔力で構築されその上魔天楼の基本構造を吸収したことで、ただの攻撃すら世界に亀裂を与えかねないほどの力を秘めているのだ。


「化け物化け物バケモノバケモノ、貴方ってそればっかり」


 私の背後を舞っていた剣達が光を纏い、目前にて暴れ狂う触手のひとつひとつへと食らい付く。

 一本で切り裂けないのなら二本で、二本でダメなら四本で、八本で。

 触手だったモノは黒々とした肉塊へと食い千切られ、霧散していく。


 暴力が巻き散らかされるこの二人だけの戦場で、私はただ歩くだけ。

 己の手に握った武器を振るう必要も、攻撃を避ける必要もない。

 ただ、信じたこの道を歩き続けるだけでいい。



「本当の化け物は貴方でしょ、少しは自分を顧みてみたら?」



 びくりとその巨体が波打ち、触手も、そして本体の活動すらもが静止した。

 ありとあらゆる場所に生まれた眼は限界までひん剥かれ、血管らしきものが一瞬で隆起し赤黒い色をこれでもかと見せつける。



『――――ッ!!!』



 数分か、それともほんの一瞬か。胴体のど真ん中に、ぐっぽりとした巨大な割れ目が生まれる。


 口だ。

 ぬらりと昏く不気味に艶めく牙たちがゆっくりと広がり……爆発的な感情の吐露をもって周囲に激烈な音波を巻き散らかした。


『オ……お前ガッ!! お前さエいなければこンな姿になる必要は無かったァ!!!!』


 更に溢れ出した触手。

 無数の眼が付随したそれらは周囲への破壊を変わらずに続け、しかしそれでは足りぬと宙を浮かぶ私の元へと殺到する。


 一体何を勘違いしているのか。


「別に、見た目の問題じゃない」


 苛烈さと密度の増した攻撃に人間大の剣達では立ち行かなくなる。

 一つ、また一つと絡めとられ、握り潰された瞬間に消滅した。


「貴方にとっての化物って何? 腕が無ければ化物?」


 それなら不運な事故で、或いは生まれつきで腕が無ければその人は、人間として認められないのか?

 まさか、そんなはずがない。

 そりゃ確かに探索者ならポーションで腕すら治せるかもしれないけど、その前は?

 ダンジョンなんてない時から怪我をする人はいて、でも彼らは自分のハンデすら押しのけて生きてきた。


「足がなくなれば化物?」


 腕が違うなら足だって同じだ。

 そんなことで人が人でなくなるはずがない。


「顔が醜かったり、身体のどこかが変だったり、力や、何かが普通とかけ離れてたら化物?」


 違う違う違う違う!

 全然違う! 話にならない!

 頭が良かろうと悪かろうと、力があろうとなかろうと、何かが『普通』とかけ離れていようとそんなんじゃあ全く人じゃないなんて言えない!


「違う。そんなどうっ! でもいいことで変わるものなんかじゃない!」


 なら、人じゃないってなんだ!

 怪物ってなんだ!

 私は私、唯の結城フォリア。そう、ただの、たった一人の人間だって、胸を張って言い切れるその根拠は――



 遂に、全ての剣を握り潰した触手たちが周囲を取り囲んだ。

 逃げ道は無い。ネズミ一匹すらこの隙間のない世界から逃げ出すことは叶わないだろう。

 無数の魔法陣が上空から、地面から、前後から溢れ出し、視界の一片すらをも閃光で塗りつぶす。




『げくャッ!?』



 一切が覆いつくされた暗闇の中から、一筋の斬撃が飛び出した。

 どこまでも鋭く、何処までも届くほどに強大で、揺るぐことのない真っ直ぐな大剣が、塗り潰さんと覆いかぶさった触手たちを、それらの生み出した無数の魔法陣を、そしてクレスト本体のど真ん中すらをも刺し貫いた。


「――心だ! 私は私を信じてくれた人を信じてる! 私を皆が信じてくれたからこそ、私は私自身を信じることが出来てる! そんな誰かの思いやりや感情を足蹴にして、何もかもを傷つけてっ! それでも平然としていられる貴方の心こそが化物だって言ってんのっ!」

『なっ……アっ、が……』



 怪物が黙ったのは一瞬であった。


 ズ、ズ、ズズズズズズズォォッ!!


『あっ……ガ……ぁぁぁァァァアアアアアアアアアッ! そんな幼稚な理論デ……!! ァァアアアア黙レェェェェッ!!!!!!』


 自身に突き刺さった剣すら意に介さず、大地に深々と根差していた怪物がその根を自ら引き千切り遂に動き出す。

 巨大な肉が引き裂かれる鈍い重低音、心の臓すら震わせるほどの地響きを立て巨体が進行する。


 黙れ! 黙れ! 黙れ黙れダマレッ!


 瞳の数と同じほどに無数の裂け目が生まれ、そこから吐き捨てられる言葉は呪詛。

 光線が地面を抉り取り、口々から発せられた濃密な魔力を含む言葉は精神を捩じり切り、叩き付けられる触手たちは世界すら砕き全てを消滅させんと暴れ回る。

 振るわれる直接的な暴力。言の葉という暴力。それは魔天楼が……いや、男が生まれてからというもの振るい続けてきた物の権化と言って良いかもしれない。


「もう黙らない! 黙らせない! 幼稚? 違う、誰かを信じて、誰かを思いやっていたからこそっ、私達は戦い続けてこれたんだ! これが幼稚だって言うならっ、今から叩き潰されるアンタは一体なんだって言うんだ!」


 喉は掠れ、歩いているのかすら分からないほどに感覚は薄れ、視界は霞み、もはや目前に広がるその全容を捉えることすらできない。

 なのに叫ぶのを止められない。

 なのに歩くのを止められない。

 なのに、前を見ることを止められない。


 ああ、遠いなぁ。

 でもずっと垣間見えすらしなかった姿が、今はこんなに近くにあるから。


『ィやってみろォッ!!!! 貴様らは何時もどいつもそうダッ!!! 大層な夢ばカり並べ立てる夢想家の屑共ガッ!!!!』


 だから、走り出した。


「やってやる! 全部叶えてやるっ! 夢を見て何が悪いっ! バカなことを言って何が悪いっ! 力を持つ人間が絵空事を言わないで誰かそれを口に出来るっ! 誰がそれを叶えようと思えるっ! 今できるかもしれない私たちがやるんだっ! 今ここで力を持つ私達こそがっ! 今いるこの時間こそがっ、遠い未来を変えた過去だろうがっ!!」


 走り、走り、跳び出し――


「がぇ……」


 だが、大地を蹴り上げた足が再び踏むことは無かった。


 胸を突き抜けた衝撃。

 一度止まればあっという間だった。

 一瞬の隙を逃すわけもなく触腕が脚を絡めとり、首元を突き刺し、脳天を掻き回し、喉奥へ滑り込む。


 ああ、私の戦いはいつもそうだった。

 苦しくて、悲しくて、最後は。


『間抜けガ! やはり貴様には戦闘経験が足りないッ! 頭に血が上っテ周囲の警戒が疎かだったネぇ! 貴様はここデ孤独に死ぬ、たった一人でナぁ!』


 くつくつと、けたけたと、けらけらと。

 だらりと開いた口々が、きゅうと弧を描いた数多の眼が嘲り笑う。

 一体どれだけの獲物を同じように狩って来たのだろう。姿かたちが変われど、彼が行う行為はいつもそうだった。


 ただ刺し込まれただけではない。

 貫いた肉体へさらに侵食するように無数の根を張り、決して逃れられぬ宙吊りのまま目前にまで運ばれる。


ひひょ……ひひとり……?」

『そうだ! 貴様は孤独に死ぬ。屑は屑ラしく、誰にも知られることは無ク! だが安心したまエ、私が君の無様な最期をじっくりと眺めていてあげよウ……一人で死ぬのは寂しいからねェ!』



 一人。

 ……一人? 



「くふ、あはは」

『あァ……?』


 両腕が、両腕がキリキリと引き延ばされる。

 もはやそこに存在するのか私にすら分からないが、内臓でも怪物の一部が暴れ狂い、ナニカを引き裂き、根を張っている。




「ふへっ、ああっ、あひゃははははははははっ!」


 なのに、おかしくてたまらない。

 笑いが止まらない。


「あああああアアアアっ!! っしゃおら!!!」


 おかしすぎて疲れも悲しみも吹き飛んでしまいそうなほどにっ!


 ブチィッ!


 口の中で暴れ狂っていた肉塊が盛大な音を立て噛み千切られる。

 大きく腕を振り回すほどに、足を踏み込むほどに、幾本も溢れ出し私を捕まえようとする怪物の魔の手は、ゴミ屑のように引き千切れていった。


 当たり前だ。

 こんなもので止められるものか、こんなもので遮られるものか、こんなものでっ!


「アンタには、なにも見えないの? こんなに重くて、こんなに辛くて、こんなに優しいのに」

『なにっ!? 何故動け……それに何が、ダ!?』

「何がって、馬鹿なこと言わないでよ……!」


 ついに、踏み出した。


「これだよ!」


 二歩、走り出した。


「この私が出会ってきてッ! 背負ってきた人たちの想いがッ! アンタにはまだ見えないのかッ!!!」

『は、速ッ……!? まだそれホどの力がッ!?』


 纏わりつく景色が背後に溶けていく。

 世界が色を失い、落ち行く小さな塵の一つすらもが鮮明に見える程一切の時が引き延ばされていった。


 駆けろ! 駆けろ! 駆けろっ!


「お前如きに看取られずとも、私には皆がいるッ!!!」


 私の戦いはいつもそうだった!

 どれだけ苦しくても、どれだけ悲しくても、それでも最後まで諦めなければっ、必ず希望はあった!



「『スキル累乗』、対象変更『スカルクラッ……!?」



 最後の力だ。

 この一撃を放ってしまえば私は、私はきっと――そんな確信があった。


 相棒のグリップを固く、堅く握りしめた瞬刻。



「これは……?」



 色。


 駆け抜けたモノクロの世界で、何故か全身から溢れ出す極彩色があった。

 今の私に追いつける存在なんてある訳が無くて、きっとただの幻影だ。疲労困憊で限界ギリギリの身体が見せた、大した意味のないマボロシ。

 マボロシのはずなのに、なぜかそれはカリバーへしゅるりと絡みつき……黄金の輝きとなって燃え広がった。


「そう、か。そうだよね」

『く……来るナっ! やめろっ、『戻れ』ッ! 『戻れ』ッ! 『戻れ』ェェェェェェェッ!!!?』


 岩盤が吹き飛び、光線が地面を融解させ、空がぐにゃりと歪む。

 世界を破壊する怪物による必死の抵抗が、ただ真っ直ぐに走り続けた私に何一つとして届くことはない。

 どれだけ時を戻されようと、私が一歩ですら後ろに戻ることは無い。


「いくよ、皆」


 それは一体誰に向けた言葉だったのだろう。

 ふわりと背を押す微かな風だけが私に答えた。



『来るなァァァァァァァァァァッ!!!!!!!?』



 これは私の魔法じゃない。

 これは、誰の魔法でもない。

 これはきっと、いつの誰もが使ったことなどなくて、いつの誰でもきっと使える魔法だ。



「行かなきゃっ!!! お前を殴れないだろうがあああああああっ!!!!!」


 宙を見つめ、限界まで見開かれた瞳たちに映り込む黄金の輝き。

 これは、永い間私たちの未来に立ち込めていた暗雲の下、必死に育ち漸く実った可能性。


 絶望を打ち砕く、希望の一撃。


『ィィィィィィイイイゥアアアアアアアアアッ!!?』

「――『ディスペアー・クラッシュ』ッ!!!!!!!」

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