第326話
「恐らく、あのフォリアという少女かと」
「あの大森林は未だ未開拓のままだからね、魔力も濃いから身を隠すのにはうってつけだ……だが一週間か、思ったより行動が早かったな」
彼女は異世界の人間だ。
言語は通じず当然手配書も出回っている都合から、誰か医術を操れる人間を頼ることは出来ない。
男の予想では数か月から長ければ年単位で姿を消すのではないか、と計算していたのだが……
協力者がいたのか、それとも回復力自体がずば抜けているのか。
もし回復系のスキルを持っているのなら、手足を切り裂かれた時点で使っているだろう。
「教国の魔天楼は現存していたはずだね」
「はい。かの国は我が国家を仮想敵国に置いているため侵入経路が確立されておらず、未だ手を出せていません」
クレストの王国は強大だ。
カナリアの研究から魔天楼という超巨大建築物を築き上げたこの国は、その膨大な魔力によってかつては不可能であった実験、研究を推し進めていった。
他国が魔天楼の存在に気付き資料を手に入れ、クレストの王国からひた隠しにして自国へ建設する……その期間凡そ十年。
研究は研究を産む。
そして成果は一から十が生まれ、十からは千以上が生まれることすらある。
かつえ数多ある弱小国家の一つであったはずの王国は、十年という短い期間を最大限利用し、決して追いつくことの出来ない優位性を築き上げていた。
「恐らく彼女の目標は魔天楼だろう。彼女はこちらの世界に疎いからね、それ以外に目標とする物が無い……どうやって視認しているかは知らないが」
摩天楼を視認することはほぼ不可能だ。
まず、クレストの王国に存在する物は元々他国に情報を伏せるため、秘密裏かつ常に大規模な隠蔽魔法をかけられている。
そして他国に存在するそれらも重要な施設であると同時に、最大の弱みとなりうるそれを隠さない道理もない。
たとえ各国間でそれらの位置を把握していようと、だ。
彼女の存在を把握したのは王国寄りの大森林ではあるが、確かに直線距離としては教国のそれが最も近い。
怪物のごとき膂力を持つ彼女にとって、大森林を超えることは然したる問題ではない。また教国と王国が最も大きな対立関係にある為、かの国の背後や周囲には未だ魔天楼が健在の国家も多い。
かの少女はより多くの魔天楼が聳える方向へと向かった、と取るべきだろう。
「君はどう考える?」
「どう、とは」
分からないかい?
小さく肩をすくめたクレストは少し立ち上がり、その手で窓を押し広げながらクラリスへと問いを投げかけた。
「彼女の目的だよ。アレは故郷を失い、カナリア君という司令塔を失った。その身一つで異世界へと放り出されたあの化物の目的は、さて、一体何だろうね?」
クラリスは切れ長の瞳を一層細め俯き、口元へと左の人差し指を添える。
だが数秒もしない内にその面を上げると、若干クレストの起源を伺うかのように少しずつと自分の考えを吐き出した。
「……そう、ですね。順当に考えるのなら、復讐、でしょうか」
「私もそう考えている」
男の言葉に彼女の表情が小さく明るくなった。
「世界の消失、直接的原因はダンジョンの崩壊だが、全ての起因は私だからね。そして魔天楼の全てを叩き折れば、そのうちのどこかの国家には間違いなく私がいる。そして各国家は狭間の魔力に大きく依存している……魔天楼を失えば即国家の消滅とはいかないが、数十年単位での大打撃は免れないだろうね」
こちとらただ自国をより良い方向へ導きたいだけだというのに、全く理不尽な話だ。
彼は困ったかのように首を振り、小さくため息を吐いた。
「復讐としてはこれ以上ないだろう、未曽有の災害と言っても過言ではない。そして彼女は実力だけ見るのならそれが可能だ、本物の化物だよあれは」
「……既に教国は行動を開始しているとの話もありますが、各国間での連携を強化して討伐戦線を敷くべきでは?」
クラリスの言葉は最もな内容だ。
だがクレストの返事は意外なものであった。
「いや、放置しよう」
「よろしいので?」
もし世界が魔天楼という存在を手に入れる前であったのなら別だろう。
事実この世界では時として源龍種という強大な龍が生まれることがあり、その時ばかりは各国間でも協力体制が生まれ討伐戦線を敷くことが多々あった。
だがそれはかの龍種が一国では決して立ち向かうことの出来ない存在であり、加えてその肉体……特に血はありとあらゆる傷を治す妙薬になったりと、千金の価値を生み出していたからだ。
「もし教国が彼女を討伐するのならそれまでさ。しかし戦後に被害は避けられないだろう、支援によって恩を売りつけることも可能だ。それに彼女が教国の魔天楼を破壊したのなら手間が省ける、魔天楼の完全な消滅はこちらも被害が避けられないからね」
どちらに転ぼうとクレストにとっては喜ばしい内容でしかない。
もしあのフォリアという怪物がこの王国にやってこようと、一度は己の身一つで瀕死にまで追い込んだ存在だ。
例え彼女が多少戦闘経験から何かを学ぼうと、潤沢な兵士、兵装、設備を揃えているこの地で負ける道理もない。
場合によっては彼女がこの地を踏むより速く、無数の新型兵器によって消し飛ばしてしまっても構わないのだから。
「ただし概念戎具の量産を急いでくれ、各兵団へとクレネリアス、モロモアスを完全に配備するんだ」
「はい」
そう、かつての魔法兵器という概念を覆す概念戎具によって。
概念戎具は男にとって最大の誇りであった。
カナリアの理論によって魔力に宿る記憶という概念が生まれた王国の研究では、かつての魔法とは全く異なる方向での研究が進んだ。
火や氷、水、雷。多くの魔法は物理現象を現実へと引き起こすものであったが、概念戎具は全く違う。
次元へ極小の穴をあけることで疑似的にダンジョンの崩壊を起こし、任意の範囲を記憶ごと消し去る小型の爆弾モロモアス。
そして何よりクレストが気に入っているのは、一見すると大ぶりの武骨なナイフであるクレネリアスであった。
これは勿論ナイフとして使うことも可能だが、ナイフの周囲に触れる物質を魔力へと還元、そして更に純化……魔力に宿る記憶を完全に消し去ることで、万物を切り裂くことが出来る。
鋼であろうと、タングステンであろうと、たとえ伝説の金属であろうと……それこそ次から次へと
クレネリアスの前にはあの化物ですら、柔い果実同然であった。
互いに高水準の戦闘において大半の魔法や物理攻撃というものは価値が消える、障壁等によって無効化されてしまうからだ。
大人数で発動する戦術級の魔法ですらも、より優れた魔術師が一人耐え抜き全てをひっくり返す……これはかつて多く見られた光景だ。
だが概念戎具は違う。
どちらも防ぐことはほぼ不可能、そして初見での回避は不可能に近い。
さらに魔法の様に個々人による大きな実力の差は生まれない、求められるものは体術だけだ。
そう、概念戎具という新世代の兵器は兵士の均一化や量産に向いており、それはフォリアの世界における銃とどこか似ていた。
「それと……」
そういえば、クラリス君はカナリアを殺してからというものの、不思議な事に以前より顔色が優れていない。
多くの事から一度に解放されたためか、それとも新たに多くの仕事が増えてしまったせいか。
どちらにせよ部下の精神状態へ気を遣うのもまた、上に立つ者の役目だろう。
手慣れた笑みを貼り付け、クレストは寝具から腰を上げた。
「今晩、食事はどうだい?」
「……っ、喜んで!」
まったく……実に使える、可愛い秘書官だ。
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