第324話

「すごいなぁ……みんな」


 当の本人から語られる経験はブラウニーのように濃厚だ。

 聞いている私はきっと、彼の感じている苦悩の数百分の一も受け取ることは出来ていないのだろうけれど、それでも満腹を通り越して胸が苦しくなってくる。


「無理に褒めなくていい、みじめになるだけさ、むしろ責めてくれた方がまだ楽なんだ」

「……」


 最初は、少しだけ責めたかった。


 分かってる。

 一周目も、二周目も頑張ったのは知っていた。

 でも私が覚えているのはこの『今』だけで、辛くて助けてほしい時にこの人はいなかった。

 小中学で虐められてるときも、泣いてるときも、苦しいときも、死にたいときも、私の周りには誰もいなかった。


 街の皆が襲われるときも、ダンジョンが崩壊していくあのときも、皆が私を届けるために戦っていったときも、いなかった。


 わかってる、わかってる。

 この人は何も知らないタイミングで狭間に飲み込まれたんだ、本当なら死んでいたかもしれないんだ。

 あちらの世界に戻る手段も多分、無かった。

 分かってる。


 でも、生きてた。

 異世界で。

 私は覚えていなかったけど、多分最初での反応を思い出せば分かる、多分出会ったその時から私が私だって気付いていた。

 気付いていて、それでも黙っていた。


 責めたかった。

 ずっと苦しかったって、どうして助けてくれなかったのって、皆死んだんだって、なんでいなかったのって。

 分かってる。理不尽な物言いだなんて分かってる。


「逃げた臆病者を罵ってくれて構わない……」

「――逃げてないよ」


 でも、この人は決して逃げてなんていなかった。

 ずっと、ずっと戦っていた。


 なら責められるわけがない。


「だってこれ、そんな辛いのに諦めてないから最後まで作ったんでしょ?」


 これ、この本だ。

 もし彼が何もかもを諦めて異世界でただのうのうと生きよう、なんて考えていたら、この本を作ろうだなんて考えるわけがない。

 そして後悔もきっとしないだろう。後悔は諦めてない人間がするものだ、未練があるから後悔するのだ。


 彼の心はきっと、まだ諦めていない。

 折れそうな限界の影に必死に縋りついて、どれだけ無様に生き残っても必ずどこかに希望があると歯を食いしばって耐えている。


「違うッ! ただの惰性さ! 最後まで結果を見ないと我慢できない性分ってだけで……」

「うそ」


 しゃがんだまま二冊の本を『アイテムボックス』へぽいぽい放り込む。


「もし惰性なら、なんで上巻……って言えばいいのかな、そっちは作らなかったの」

「――っ! そ、それは……そう、素材が足りないから……」


 嘘だ。

 確かにそっくりとは言ったがこの二冊、実際触ったり開いたりしてみると微妙に素材が違うのが分かる。

 それにあちらの世界ではキラキラと不思議に光るインクを使っていたが、当のインクやガラスペンは机の上で開けっぱのまま乾いていた。

 もし一冊完成して二冊目は作りながら持ち歩いているなら、あのインクやペンも持ち歩いていないとおかしい。


 つまり彼はこちらの世界で似たような素材をいくつも精査した上、どうにか代用できるものを用意したのだろう。


 ここでひとつ疑問が生まれる。

 もし材料を代用できる……つまり量産できる体制が整っていたのなら、どうして上巻をつくらなかったのか。

 なんたってそいつは異世界にあるのだ、まともに考えてその上巻が自分の手に入ることはまずありえない。

 そして実質失われていると考えると、一度完成までこぎつけた上巻から作った方がどう考えても効率がいいだろう。

 つまるところ敢えて上巻は作らなかった、下巻の制作から開始した。


 それは何故か?


「誰かがもしかしたら持ってきてくれるんじゃないのか、って思ってたんでしょ。多分カナリアかな、一番可能性が高いのは」


 カナリアは地下室の存在を知っていた。

 そして彼女は魔法のプロ……なんてレベルじゃないか、まあ性格があれだし素直に褒めるのはなんか嫌だけど、本物の天才だ。

 きっと本を手にすれば内容を完璧に理解するし、持ち歩くんじゃないかと予想できた。


 だからカナリアの家に潜伏していた。


 もしかしたらカナリアの家自体は既に破壊なりされていたのかもしれない、なんたって彼女はこちらの世界でなんかこう……悪い感じに扱われて処刑された身だから。

 それを自分の力で復元したって訳だ。場所が場所だし何十年も前に処刑されたのなら、他人がここに近寄って違和感を覚えることもあまりない。

 カナリアだってまず最初に立ち寄るのは自分の家だろう、事実私をここに送り付けている。


 まあもしかしたらこの家自体、他人の目には付きにくい魔法とかされているのかもしれないけど、それは流石に私には知る由もないのでおいておく。


 これまでやっといて諦めた? 惰性? 臆病者?

 違う違う、全く違う。

 こういうのはそう……あれ……あれあれ、至福のコシがあるアンパンって奴だ。


「私もそうなんだ。こんなの意味ないって、無駄だー! って分かってるけど、思ってるけど……結局やっちゃうんだよね、もしかしたら……! ってさ」


 普通に生きるのを諦めきれないから探索者になった。

 ママを諦めきれないからカナリアと出会った。

 私の大事なものを諦めきれないから戦った。

 何もかもをを諦めきれないからここにいる。


 諦めが悪いのは性分だ。

 ずっと頭が悪いからこうやってすぐに諦められないんだと思っていたが、どうやらこれは血や生まれと言われるヤツらしい。


 でも諦めが悪いのは損な性格か? 私は違うと思う。

 諦めが悪かったから皆と会えた、今諦めたくない・・・・・・と思えている。


「でも凄いよ。そんな辛いのに、苦しかったはずなのに、ひとりでこんなところでずっと頑張ってるなんて、本当にすごいよ」


 怖いのなんて当然だ、諦めそうになるのなんて当然だ。

 逃げてしまえば一番楽なのなんて分かり切ってる、別にそれでもきっと多少の幸福はあるのも分かり切ってる。


 でも逃げた先にあるのはきっと、今までの幸せに遠く及ばないだろう。

 私が欲しいものはもう決まり切ってるんだから、何一つ諦められないんだ。


「後は私に任せて」

「まってくれ……待って!」


 ピースは全て揃った。

 ヒントは全て今までの経験で与えられていた。

 ああ、そういえばこの戦いが始まる前、カナリアは何かを言いかけて口を噤んでいたが、なるほど、もし彼女もこの結論に至っていたのなら言うのを止めるわけだ。


「ここで……一緒に暮らさないか……? 今は不便かもしれないが数年もすれば追手も無くなるだろう、きっとそうだ。そうすれば……」

「私さ!」


 彼の言葉は恐ろしく魅力的だ、。

 けれど口にする当の本人は、きっと自分自身でも全く乗り気ではないといわんばかりだ。


 良かった。

 もし本心でそれを言われていたら、私はきっと抗い切れなかったから。


「夢が、あるんだ」


 こくりと一つ息を呑む。


「でっかい夢だよ、多分聞いたらびっくりすると思うけど秘密。まあ人によっては無理だって笑うかもしれないけどさ」

「それは……そう、か。ここじゃ叶わないんだね」


 彼の手を離し、地下室の入口へと足を運ぶ。


 もうこの人は大丈夫だろう。


「権力でも何でも力がある人ってさ、馬鹿みたいにデカい夢を持ってた方が良いらしいよ」

「……剛力君に鍛えてもらったのか、強くなったね」


 まだ戦いは終わっちゃいない。

 まだ希望は潰えちゃいない。


 私が最後の希望だ。

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