第323話

「僕は……」


 そこから長い静寂が下りた。

 再びブレイブが口を開いたのは一分ばかり経過した時だろうか。

 だがそれは直接的な回答ではなく、彼の長年積もりに積もった経験と苦難、そして後悔の吐露であった。


「……最初の周では多くの仲間がいて、けれど彼らは戦いの過程で散っていった。どうにかクレストの元に辿り着いた時には既に最初の半分程度の人数になっていた……それでも彼を追い詰めたその時、彼は隠しに隠し続けていた魔法で時を巻き戻した」


 私自身何度か経験したから分かる。

 彼の時間遡行にタイムラグはほぼ存在しない。動画を巻き戻すように何かが戻っている瞬間を見ることはないし、それこそ一瞬で事は終わる。

 手足を奪われそれでも逃げようと距離を取ったが、あの時も一度瞬きをした刹那に私は元の場所へと戻っていた。

 恐らく彼自身の意思であれば発動の過程自体も一瞬だ。


 最初の周ならばまずクレストがどんな力を持っているのかすら知らないはず、一度発動する余裕さえ与えてしまえば回避は不可能だろう。


「全ては白紙に帰った。いや、それどころか消滅に巻き込まれた人々は消え、施設や資材も減り、状況は悪化していた……当然僕たちは全て忘れてたけどね」


 『復元』、それなら。


 ふと浮かんだ私の疑問であったが彼も当然出てくると考えていたのだろう、自身の力を試したが無理だったと続けた。

 その世界から消えた物の欠片すら残っていないのだ、と。物的な意味だけではない、記憶そのものが消えているから無理なのだと。


 魔力の性質の内に、同じ記憶を持つ魔力同士が引き合うというものがある。

 例えばダンジョンはその性質によってさまざまな環境や生物を形作っているし、彼の『復元』もまた同じだ。

 だが魔天楼によってこちら・・・の世界に魔力をその記憶ごと吸い上げられてしまっては、復元するための断片すら残っていない。

 あちらの世界での復元は不可能だった。


「それでも僕たちは再びカナリア君と出会い、以前の記憶はないままに、けれど再度戦った……限られた施設、限られた資材、人材。全てを掻き集め、多くの仲間が更に失われていく中、僕たちは再びあの男を追い詰めた。ようやく終わる、血反吐を吐きながら続ける終わりの見えないマラソンが……そう思っていたのに」


 世界は二度の時間遡行を体験している。

 私が知る情報はこのただ一つで、だがそれで十二分だろう。


「その……ある女の子・・・が、人質に取られてたんだ。本当に古典的な手法さ、でも……一番効いた。中心メンバーは僕達夫婦と、その教え子である剛力君や研究者、関係者の泉都さん達だ。彼女・・の事を知らない奴なんていなかった……だから何よりも効いた」


 生鈍い音が響いた。

 驚き振り返るとそこには彼が這いつくばり、何度も、何度も、繰り返しその拳を床へ叩き付ける姿があった。


「僕は……僕たちは奴と共に殺すことなんて出来なかった……出来る訳ないだろ……っ! 僕たちがずっと戦ってきた理由なんて、家族・・のために以外に無いんだから……ッ!!」

「――っ! 待って、もしかしてその女の子・・・って……!?」


 家族のために戦ってきた人が絶対に殺せないなんて手を止めるのは、きっとその人質が家族だったからに違いない。

 ブレイブさんの家族で、戦う力が無くて、女の子で。

 でも、それじゃあどう考えても、その人質だった女の子ってのは……! 


「違うッ! 違うんだよフォリア……全部僕が悪いんだ……十分考えうる可能性だった、君を遠くに逃がしたり、見つからない場所へ隠せば全て解決してた話なんだ……だから、君は何も悪くない、悪くないんだ……」

「でも……」

「もし何もしていない君が責められるっていうなら、僕は君なんか比にならない、それこそ刺し殺されてもおかしくない屑さ……だって全てを捨てて逃げたんだから」

「逃げた……?」


 それはあまりに相応しくない言葉だった。

 結果はさておき、終わりの見えない戦いに二度も身を投じ、決して諦めなかった彼を一体誰が責めるのか。

 加えてカナリアだって三度目の世界でも彼をやはり頼りに来ていた、あの偏屈な彼女が認める程の知識か能力があったということだ。


 意味が分からない。


「三周目、僕はダンジョンの調査中狭間に飲み込まれた。多分クレストが裏で手を回していたんだろうね、調査の依頼は協会から来ていたものだから……でも直接狭間の魔力に触れたことでそこで全ての記憶を思い出してね、どうにかこちらの世界に逃げることは出来た」


 どうにか、なんて言っているが、それが並大抵で出来ることではないと私は知っている。

 それは魔法の研究者としての長い経験、二度の周回においてカナリアと繰り返し行っていた魔法に関する情報共有、そしてなにより幸運によって恵まれたのだろう。


「でもこの世界に来て僕は……安堵したんだ、最低だろ。僕とカナリア君が出会わなければ、きっと生き残っている奴らはクレストと戦うことはない。フォリア、君がまた巻き込まれることも、そしてアリアも戦うことはない! どれだけ時間が残されてるのかは分からないけどっ! それでも少しでも長く生きれるってっ!! ……でもきっと、それも全部じゃない」


 冷たい石材の床に紅い雫が落ちる。

 深く唇を噛み締めた彼は手を白くなるほどに難く握りしめ、苦しむように首を何度も振りながら小さく吐き出した。


「――本当は怖かったんだ。二度戦って負けてるのに、全ての状態が悪化しているこの三度目で勝てるのか、って。また人質を取られてもきっと僕は同じように躊躇う。無理だ、勝てるわけがないって心の底から認めてしまっているんだ僕はもうッ! 親なんて失格も失格、最低さ! 僕は君たちを見捨てたのと変わらない、危険な世界を捨てて一人のうのうと生きてるんだから!」


 一際大きく叫び、彼はひどく縮こまって握りしめた両拳を再び床へ叩き付けた。


「だから僕は……ブレイブだ……今はもう……そうなんだ。君が思っているような人間は……僕がここに辿り着いたその日に、死んだんだ……!」

「そっか」


 全部聞いても正直理解は出来ないが、まあ彼が自分をやたらと責める理由は大体わかった。


 彼の硬く握りしめられた拳をやさしく指先で解いてい……こうとするも、どうにも抵抗するのでちょっと力を入れ無理やり解くと、爪が食い込んで血が滲んでいた。

 いたそう。


「すごいなぁ……皆」 

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