第317話
「……反応はするな、聞け」
「――!」
意識が、ある……!
やはり! 希望はまだ完全に潰えてはいない!
「来る……な……」
身体を捩じり、背後へにじり寄る。
逃げるわけじゃない。そう、ぴったりと頭同士を押し付けるために、カナリアの声をよりしっかりと聴くために。
「そう身もだえするんじゃないフォリア君、動けば動くほどに耐えがたいほど苦しいだろう? 直ぐに終わらせてあげよう」
「
逃げる。
その言葉が意味することは、ただ単純に距離を取って姿を隠したり、なんてものじゃないのは分かりきっている。
けれどここに来た目的であった帰るべき世界はたった今、何もかもが破壊され尽くして消えたのをこの目で見た。
そう、残された逃げることの出来る場所とはただ一つ。
私にとっては異世界で、カナリアにとってはきっと様々な思いを抱えているであろう、けれど唯一無二の自分の世界。
「だが生憎と……魔力はもう尽きかけていてな。どうにか、貴様が目覚める以前に画策していたのだが……全てクラリスに阻まれてしまった。二人は、不可能だ……一人だけ……ひとりだけならばどうにか、なる」
「……!」
一人、ひとりだけ。
残った一人はここで、この真っ暗闇で死ぬ。外の空気も吸うことはなく、未来がどうなるかを見届けることすら出来ぬままに。
……ここか、私が死ぬのは。
いや、これで良いのかもしれない。皆が私達をここまで導いてくれて、けれど大事な一回のチャンスを生かすことは出来なかった。
「ふぅ……」
「本当に、
なら、今度は私が新たな機会を生み出す番、きっとそういうことなのだろう。
「――わかった」
この世界に、天国は存在するのだろうか。
いや、その前に魂は存在するのだろうか。
きっとここで私が死んで、そして意識が途切れてしまうだろう。
私の世界は無くなってしまった。でもきっと、カナリアは私の世界を復活させる手段を持っている。
同じ姿、同じ考え、人や場所を全てをどうにか元通りにする方法を、きっと彼女は既に思いついているからこそこんなことを言ったのだろう。
けれど、それは本当に私なのだろうか。
同じ考えをして、同じ姿をしていても、一度意識が途切れて再構築された
「うぐっ……おあァッ!」
激しい衝突音。
同時に鈍く鋭い頭痛が走り、視界へ真っ白な星が散った。
「飛んだ……いや、頭を叩き付けて無理やり跳ねたのか」
「クレスト様」
「いや、私がやろう。君は先に戻っていなさい」
瞬間、全身を舐め回したのは鳥肌が立つような小さい不快感。
一度瞬きをしたその時、既に私は地面へ先ほどと同じように這いつくばっていた。
「まさか、繰り返し逃げれば魔力が尽きる、なんて考えているわけじゃあないだろうね?」
「げふぇ……ッ!?」
背中を執拗に踏みつける男の足。
捩じりつけるようなそれは肺の空気を絞り出し、伝わる衝撃が四肢の傷から新たな激痛を産む。
「確かに時を戻すことは瞬時に膨大な魔力を必要とする、時間が長くなれば猶更ね。だが、考えたことはあるかい……時が戻ったその時、私の体内、魔力の状況すらもが元に戻るという可能性を」
「ぎぃ……」
「回数に制限はない、私にその気があれば、だが」
行けカナリア!
早く逃げて!
「――何を勘違いしているフォリア、人の話は最後まで聞け」
『!?』
これから起こることはきっと、クレストですらまるきりに予想外だった
強烈な閃光が二度走った。
私を踏みつけていた男が声すら上げる間もなく消え去り、ゴムボールの様に横へかっとんでいった。
「まだ動けたのかカナリア君」
「動ける、というのは正しくないな。動かなくてはならない状況というだけだ」
「――貴様は『稲光』という言葉を知っているか? 日本語における雷の類義語だ、あまり日常的に使われているわけではないがな」
「夏から秋にかけ作物の大半は花を咲かせ、果実をつける。そしてどういったわけか、夏あたりに雷が多い方が秋の実りはより豊かになる。微々たる量ではあるが、どうやら雷によって気体であった窒素が酸化物へと変わり、土壌へ定着し、作物の重要な栄養へと変わるからだそうだ。勿論雷が鳴る、というのは雨が降ることでもある為、それもやはり重要な要素なのだろうがな」
きっとそれが本当の男の戦闘方法なのだろう。
しばしば時が遡り、二人の位置がまるで瞬間移動かのようにコロコロと移り変わる。
だがいつ、どのタイミングで、何処へ遡るかすらもがカナリアには読めているのだろう、狙ったかのように雷撃が男の頭上へ降り注いだ。
「兎も角、異世界人は常識に科学が加わる遥か以前から、雷と豊作の関係を経験で学んでいたらしい」
互いに致命打にはなりえない、しかしながら猛烈な追撃に近付くことは叶わない。
結果として繰り返し瞬く閃光は、その度に男は障壁のようなもので己を守るしかなかった。
「『稲光』、それを目撃することは即ち豊穣への期待、
「そうかい、なら君たちからは最も遠い言葉かも知れないねぇ!」
どれだけの戦闘時間かは分からない、けれど何か声を発することは出来なかった。
地面へ転がる私の周りが、床そのものの発光とはまた異なる、小さな輝きによって囲まれていることに気付いてしまったから。
彼女の意図とは、逃げるたった一人とは……!
「忘れ物だフォリア」
「待って……まってかなりあ……!」
からりと金属の棒が地面を転がり、這いつくばる私の元へ投げ渡される。
まさか、本当は何も思いついていなかったの?
もうどうしようもなく手は尽きていて、本当に私をただ逃がすしか方法が無かったの……!?
「待って……まってよ……! 嘘でしょ……カナリア!」
「辛いのなら、耐え難いのなら逃げて構わん。ここまで貴様はよくやった、誰一人として貴様を咎める人間はいないだろう」
.
.
.
「中々に分からないね君達は、何度逃げようと……」
フォリアの姿が消えた瞬間、男はカナリアの目的に気が付いた。
彼女のあまりに下らない目論みを叩き潰してやろうと、手慣れた己の固有魔法を発動せんと魔力を放出し……
「なに?」
二つの異常な事態に顔をしかめた。
まず一つ。
先ほどまで実に飄々とした態度で宙を舞っていたカナリアが、ぶつりと糸が切れてしまった操り人形の様に地面へと叩き落されてしまった事。
当然クレストは関与していない。
そしてもう一つ。
てっきりどこか適当な場所へ飛ばしたのだとばかり考えていたあの少女が、時を戻そうと姿を現さなかったことだ。
「まさか……我々の世界に?」
仕掛けたであろう本人は、力なく地面に倒れ伏しクレストの返事には答えない。
罠か?
近づいた瞬間に何かを仕掛けてくるつもりだろうか?
躊躇いなくクレストはそれの元へ歩み寄るが、やはり彼女は何一つとして新たな行動をする素振りすら見せなかった。
「化け物の子供一人を逃すため最期の気力を振り絞る、ね。素晴らしく英雄的な自己犠牲だ」
もはや鼓動を止めた肉塊を足で軽く軽く蹴り、僅かに見えたものへ眉を顰めるクレスト。
体調に何の問題もないと錯覚させるためだろう。
酷く縮れ焼け焦げたかのような皮膚が服の隙間から垣間見える一方、彼女の手足は見目の年齢相応な肌をしていた。
「まあいい、知識の無いあの化物一匹に何が出来る。とはいえ……捜索の手はずだけは整えておこうか」
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