第277話
朝日が瓦礫の山から顔を覗かせる。
透き通った冬の空気は太陽の輝きを隅々へ行き渡らせ、瞼すら通り抜ける眩い輝きに意識が引き上げられた。
もぞもぞと段ボールの上に敷かれた寝袋から這いあがる。
「くぁ……」
眠い。
連日の救助活動や復旧作業、手帳解読に、昨晩はあまり気の進まない戦闘もあった。
時にはストレスからか暴れ出す人もいるし、小さな諍いは耐えることがなく、あちらこちらへと走り回っては連絡を聞いて更に他の場所へ回る日々。
中々に抜けきらない疲労があくびを催す。
しかし、基本的に避難所にいる皆が一丸となって協力し小さなことから進めている今、私ばかりが疲れたからと寝るわけにもいかない。
特にえーっと……そう、馬場さん。彼は一見好々爺だがしっかりとした人で、積極的に先頭にたっての指揮をしてくれている。
彼が居なければここは酷い有様になっていただろう。
これがかの有名なべっこう飴より甲州地鶏か。
「おっす……おやすみ」
「あー今日はウニが夜番だったんだ、おつかれ」
私が起きたのとほぼ同時に、ウニが自分の寝袋へ潜り込んだ。
悲しい話だが、在庫などを保存している倉庫代わりの場所へ夜中に侵入しようとする人はいる。
見つかればすぐに諦める人もいれば、暴力に訴える人も……まあ、いる。
だが町……いや、国中世界中がこんな状態だ、彼らを避難所から放り出してしまえばまともな生活は遅れないだろう。
そんな時、ウニの一般人と比べれば抜けた力がちょうどいい。
本人曰く子供の頃から筋力があったそうだが、当然彼はその力との付き合い方に慣れているし、誰かを怪我させずに取り押さえることが出来る。
結局のところ生活状況が改善されなければ結論を先延ばしにしているに過ぎないが、明るい話題もだんだんと聞くようになってきたので、決してこのまま希望がないわけではない。
実のところ空から、もしくは見知らぬ探索者が、あるいはボロボロの道でも走り回れる車が、だんだんとここいらにも訪れては、食料や消耗品を配給してくれている。
国はまだ死んでいない。少しずつだが、確実に現状は改善されていた。
ふらふらと外へ歩いていけば、どうにも懐かしさを覚える良い香りが微かに漂っていることに気付き、ぼんやりと匂いのする方へ足を進める。
「あっママ、おはよ」
「おはようフォリアちゃん」
ママを含めおおよそ三十人程度だろうか。あっ、琉希のママもいる。
多分主婦の人なのだろう、皆が包丁などの調理器具片手に忙しなく動き回り、真ん中にいくつも並んだ大きな寸胴の鍋からは、えもいえぬ良い香りが漂っていた。
朝食の準備だ。
紙コップとおにぎりを小さなお盆に乗せこちらへやって来たママへ手を振ると、彼女はずい、と笑顔でそれを手渡して来た。
コップの中は……茶色いスープだ。細切れではあるものの、野菜のようなものが随分とたっぷり浮かんでいて、一体何処からこれらを貰ったのかと首をひねる。
「お味噌汁?」
「そう! 昨日の夜にお米とドライのお野菜がいっぱい届いたのよ! ほら、避難所のご飯って糖質多めでしょ? 折角だから朝食はこれであったかいお味噌汁にしましょうって決まったの!」
嬉しそうに語るママへなるほどと頷く。
避難所のご飯はやはり手間などを多くは掛けていられず、さらに保存のきくものがメインとあって、どうしても炭水化物に偏りがちであった。
よく周りの人の顔を見てみれば、普段は何処か陰鬱な雰囲気が漂ってしまうにも拘らず、確かに今日ばかりは笑顔が多い。
皆一味変わった食事に飢えているのだろう。 これは希望だ。徐々に復旧を始めついには遠方から届いた食料、きっと涙が出るくらい美味しいのだろう。
それに味はしないが成程、寝起きの身体に暖かく、こうやってよく噛むようなご飯は目が覚めて丁度いい。
「おい! 飯!」
「おはようございまーっす!」
「あらあら、カナリアちゃんに芽衣ちゃんもおはよう」
調理風景を眺めながらゆっくりと食事をしていると、次から次へ見知った顔が姿を現し始めた。
目をこすりあくびをする者、鼻歌でも歌いそうなほどにゴキゲンな者、不遜な顔つきで椅子の真ん中に居座るエルフ。人によって顔つきは異なるものの、みな一様に芳しい香りに誘われてここへ訪れたことは変わらない。
しかし食事を終わってぐるりと辺りを見回せば、一人だけ妙に落ち着いた雰囲気ですくりと背筋を立て、急須を横に何かを啜っている人がいた。
「馬場さんおはよう。もうご飯食べたんだ、早いね」
「ほっほ、年寄とは早起きしてしまうものなんですよ」
よく見てみれば彼の手には渋い見た目の湯呑が一つ。
覗けば並々と注がれた薄琥珀の液体が熱い湯気を振りまき、少しだけ甘く香ばしい香りを振りまいている。
ちなみに湯呑も急須も彼の手持ちらしい。
地震で砕けなかったのかと思ったが、そういえば彼も元探索者、『アイテムボックス』を持っていてもおかしくはない……いや、当然だろう。
「近くの林にチャノキが生えていましてね、恐らく茶畑から種が逃げてきたものでしょう。昨日の休憩時間につくったのですよ、俗にいう冬番茶ですな……まあほうじ茶に近いかもしれませぬが」
一杯どうですかな?
とニコニコ差し出されたので、ありがたく紙コップで一杯貰う。
「良い香り……抹茶みたい」
まあ抹茶を飲んだことはないのだが。
ケーキなどに掛かっている抹茶みたいな香りが強い、ティーバッグなどとははっきり違うと分かる。
「そうでしょうそうでしょう。手作りならではの香りのよさ、手前ながらこの味は中々市販品でもお目にかかれませんよ」
素直に出た言葉だったが嬉しそうに顔をほころばせた彼。
今は亡くなってしまったが話しやすく朗らかで優しい性格が、私が小学生の頃まで生きていたおばあちゃんにも似ていて、なんだか懐かしい気持ちになる。
とはいえ日常的な会話だけを続けているわけにもいかない。
楽しいおしゃべりは時間を忘れてしまうものだが、その忘れ去られた時間で出来ることも多いからだ。
「なにか足りないものとか、昨日今日で出てきた問題とかある?」
「実が足りませんな。昨晩に支援物資が届きましたが、日本各地がこうなってしまったとあれば必然的に総数の不足が見込まれますのでね。安定供給にはまだほど遠い、希望の実の在庫を出来るだけ増やしておきたいところですな」
「なるほど……」
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