第274話

 倒れた琉希の口元へ小瓶を添える。

 中に詰まった深紅の液体は光を通さないほどに濃く、しかし月明かりとはまた別の、液体そのものがキラキラと輝きを纏っていた。


 ちょっとずつだ。

 一口、いや、半口。喉に引っかからず、変に気管の方へ入らないよう少しずつ口元に注いだ。

 煌めく液体がその喉を潤していく度、彼女の瞳の端からこぼれていた血が止まり、必要以上に剣を固く握りしめていたからだろう、擦り切れた掌の傷が消えていく。


 もしかしたら見えないところなどまだ傷があるかもしれないが、ここまで回復すればおおよその問題は無視できる。


「よかった……」


 流石一番高い奴、抜群の効き目である。


「んー……勿体ない」


 小瓶に余った分を行儀悪く舐めとりながら、琉希を抱き上げる。


 実のところ、協会に蓄えられていたポーションの大半は、先の地震で半分近くが砕け無駄になってしまっていた。

 そしてその在庫を搬入している古手川さんの所でも、やはり多くが地震で互いにぶつかり合ったり、あるいは落ちた衝撃で砕けるなどしていたようで……更に本部はものけの殻な惨状、実のところポーションは割と不足気味なのだ。


 一滴足りとて無駄には出来ない。


 いわゆるお姫様抱っこという奴で、気絶した琉希を抱きかかえた私の耳に、何者かが歩いてくる音が聞こえた。

 暫く待ち、暗闇から現れたのは出会ったばかりで、しかし見慣れた不機嫌そうな顔。


「カナリア……」

「凄まじい騒音だったぞ、ダンジョンの崩壊じゃないかと騒ぐ奴らをなだめるのが手間だった。業腹ではあるが、私より年下の馬場が上手く治めおったがな」


 ぶちぶちといつも通りの傲慢な物言いに笑い、しかしどうにか零したそれもすぐに枯れた。


「……琉希泣いてたよ。やめろって、戦うなって……でも私は無理やり押し切った」


 押し切った。そう、私は無理やりに通した。

 きっと琉希はまだ納得していない、ただ私に勝てないから意見を通しきれなかっただけで。


 合ってる……はず。

 皆を守るためには誰かが戦うしかない。その誰かは今まで私たちを守ってきてくれた人で、既にこの世界には存在しない人。

 だから、次は私の番。今まで守られてきた私がこれだけの力を手に入れたんだから、今度は私が皆を守る番。


 私の選択は間違いないはずなのに、苦しい。


「これじゃ嫌われちゃうかも」

「生憎と私は既に嫌われている。貴様を危険へ駆り出す存在だからな、番犬にはさぞ不愉快な存在だろう」


 ここで生半可な同意や慰めでないことにやはり笑ってしまう。


「こいつの力はどうだった?」

「凄かった。凄い強かった。レベル差はあるはずなのに、全部受け止めるのは正直ギリギリだった」

「……ま、それだけ止めたかったのだろうな」


 そんなの……分かってる、分かりきってる。


 彼女の攻撃を一つ一つ打ち返す度、次に伝わる悲しみが大きくなるのを感じた。

 どうしようもないのに、どうしても止められない。返されれば返されるほど、それを受け止めきれず、もっと大きな力で返そうとする苦しみ。

 言葉以上に言葉であり続ける琉希の感情は、彼女の感情だけではない、私の周りにいる人が思っている言葉を表現していた。


 私は一つの事をやるとどうにも他のが見えなくなるタチなのもある。

 だが私から一歩離れた場所から『私』を見ている人だからこそ、きっと、私では気付けないほどの他人から向いている視線に気付いていたのだろう。


「……カナリア。魔法陣の解読にまで、あとどれだけの時間がかかる?」


 ああ、嫌だなぁ。


 皆が私を心配している。

 状況からすれば酷い考えだが、それに私は喜んでしまっている。

 私が大切だと思っている人たちは私の勘違いではなくて、その人たちも私の事を大切に思ってくれているのが分かってしまったから。


 同時にその皆を心配させてしまっているという悲しみ、そして喜んでしまっている自分への嫌悪感にうんざりする。


 早く、全てを終わらせるんだ。

 ずっと続いた悲しみも、苦しみも、私が全て終わらせる。


「長くて二日だ」

「え!? 早くない!?」


 だがしんみりとした考えも、想像以上にその時が近いと知って吹き飛んだ。


 一枚の紙ぺらから魔法陣を取り上げるだけでも三日掛かったのだ。

 カナリア曰くあの魔法陣は一枚に見えて、実際の所複数のそれが重なってできているらしい。

 一体それが何層になるのかは分からないが、世界を飛び越える魔法だ、単純なものでは決してないだろうし、相応の時間がかかるとばかり思っていた。


「貴様らが消えた後に手帳の文字を解読してな、現れた場所、光の色、人物、全て書かれていた。欠損箇所も多く難航するはずだったが、そのおかげで作業が一気に進んだよ」

「人物……?」


 妙だ。

 筋肉は恐らくクレストという人と戦った。その時にメモに取られたのがあの魔法陣なのだから、当然魔法の発動者は……


「あの魔法陣って、クレストって人が使ったんじゃないの?」

「ああ、起動者はクラリス。私の古き友人で……同じ研究者だった女だ。あいつは中々に優れていてな、私も高く評価していた……」


 ふと目を細め、どこか遠くへ思いを巡らせるカナリア。


 普段人を小馬鹿にするのが常の……いや、本人からすればそのつもりはないのかもしれないが……カナリアからすれば、『高く評価していた』なんてめったに聞けない言葉だ。


「同じ文章を書くでも止めや跳ねなど筆跡に差が出る様に、同じ効果の魔法陣でも組み合わせに癖が出る。クラリスの事は子供の頃から知っているからな、起動者が奴であって良かった」


 どうやらクラリスさんとやらはクレストと仲が良いらしい。

 異世界の王様と聞いて一人でこちらの世界に訪れているのかと思いきや、どうやらそのクラリスさんを始め、彼に付き従っている人も多いとみた。


 そういえばカナリアもそうだけど、このクラリスさんって人もなんか引っかかるなぁ。

 どっかで聞いたことがあるような、顔も見たことがあるような……はて、何処だったか。


 町、というよりは元町の廃墟、すなわち避難所へ向かう中、話すこともないのでカナリアに続きをせっつく。


「ふぅん……クラリスさんか……どんな人だったの?」

「うむ、奴はダークエルフという種族でな。とは言ってもエルフと大して変わらん、肌は黒、身長が高く発育が良いだけ。そうだな、この世界における白人と黒人の関係に近いかもしれん」

「へぇ……」

「古い友人と言ったな、正確に言うのなら幼馴染という奴だ。家が隣同士でな、学科から研究までほぼ同じような道を通り、私としては良い競争相手であった。恐ろしく真面目な奴で、昨日理解していなかったことも次の日になればある程度履修を終えていたよ」


 ふぅん……幼馴染なんだ……ぁ? 


 その瞬間脳みそが震える感覚を知った。。

 一つの事に気付いた瞬間、芋づる式に沸き上がる記憶が激しく思考を刺激し、これまで体験した不思議な思い出が鮮明に蘇った。


「アッ!!!」


 思い……出した!

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