第261話

「ここで……消滅が起こった……」


 自然とこぼれ出た言葉。


 信じ難いがしかしそうとしか言えない。

 これは間違いなく、ダンジョンの崩壊が起こった後食い止められず消滅が起こった時に出来る痕跡だ。


「馬鹿な……こんなデカい街の近くで崩壊が起こる訳が無いだろう、協会がすぐそこにあるんだぞ」

「でもこれは間違いなく消滅の痕跡、カナリアも分かるでしょ」


 地面の直線を指差せば、ぐいと口篭もる彼女。


 他の部分は滑らかな直線にも拘らず、こんなゆがみのでっぱりが一つだけある、なんて普通じゃあり得ないだろう。

 しかしこの妙な形に飛び出したコンクリートのでっぱりも、がっぽり空いた空間を塞ぐために出来た歪みだと考えれば頷ける。


 激しい波しぶき、消滅の痕跡。

 二つの情報が指し示す状況は、あの時の電話から聞こえたものとひどく合致している。


 そしてここは……


 ふと上を向けば、『碧空』を中心に展開した同色のナニカが、ふわり、ふわりと緩慢に蠢いていた。

 そしてその近くには、勿論『碧空』と比べれば勿論ちんけなものではあるが、しかし現代社会の建造物としては稀に見る程の巨大なビルが聳え立っている。


 協会本部。

 今はものけの殻だと話を聞いていたが、しかし向こう側が妙に騒がしい。

 もしかしたらかの入り口付近には助けを求める人が集まっているのかもしれない、そのトップが全ての元凶だとも知らずに。


「筋肉を殺せる人間なんてそう沢山はいない。仮にその実力があったとして、殺す理由がある人間なんて更に限られてくる……」


 筋肉は何を追っていた?

 その全てを知ることはできないかもしれない。だが彼は長年消滅について追っていたと、本人自身が言っていた。

 わざわざ私に、スキルの強さもあって身を守る立場を確保させるためという理由もあるにせよ、支部長の責務を負担させてまで調べたかったこととは。


 彼がそこまで必死に、このチャンスは逃せないと調べることなんて……やはり崩壊に関係することなのではないのか。

 そして情報を手繰る中、ついに見つけた――いや、見つけてしまったのだとしたら。


 証拠なんて何一つない。拡大解釈を並べ立てた妄想にも近いかもしれない。『もしかしたら』を繋ぎ合わせた拙い推理はあいまいな根拠にばかり縋りついていて、下手したら真実なんてフルーツ系炭酸飲料の果汁くらいほんのちょっとしか含まれていない可能性だって大いにあり得る。

 だが、現状のストレスから知らず知らずのうちに私自身がとち狂ったと決めつけるには、どれもこれもどうしようもなくぴったりと合ってしまう。


 街の様子は至って普通だ。

 いや、いたって普通というのはまた違って悲惨な状況ではあるのだが、ダンジョンの崩壊によってどこかが消滅し、歪に修正された痕跡はなかった。

 消滅は直線によって構成された非常に特徴的な痕跡を残す、見逃すことはない。


「やっぱり筋肉はここでやられたんだと思う……」


 だが、この街にあまりにも被害が少ないのは気掛かりだ。


 仮にこの広い街の中にダンジョンがあったとしたら被害は当然大きくなるだろうし、クレストが直接関係していない探索者や組織によって食い止められるだろう。

 第一あちらだって崩壊のきっかけは作ることが出来ても、消滅はその仕組みからして防ぎようがない。

 自分が巻き込まれる危険性を考えればしっかり管理するのではないか。


 軽く地面の縦線をなぞり、立ち上がって周囲を見回す。


 本当は整然と並んでいたのだろう。だが様々な色のコンテナは今、雑に崩れ、倒れ、散乱している。

 奥にある作業場らしき場所も若干崩れかかっており、やはりここも地震の影響が見受けられた。


「ちょっと君たち止まりなさい!」

『……っ!?』


 突如として割り込んできた男性の声にびくりと震える。


 別になにか悪いことをしているわけでもないものの、誰かに窘められれば、バツが悪く感じてしまうのも人間の性。

 逃げてしまえば早いという感情と、しかしまだここで調べたい気持ちが拮抗して、その間に彼はこちらまで近寄ってきてしまった。


「あー君たち、見ての通りここはめちゃんこ危険だから……ぺちゃんこに潰されて死んじまうぞ」


 迷彩服とヘルメット、無地の長ズボン。

 性格か、それとも疲労からか声はだれているものの、しかし見なかったことにもせずわざわざ注意しに来るところに本来の性格が見える。


 そういえば先ほどのおじさんは海自が来たと言っていた、きっと彼はそうなのだろう。


「いや、私たちは別に遊んでいるわけじゃ……」

「……ん?」


 彼の面倒気に横へ引かれていた口が、きゅっと引き絞られた。

 じろり、じろりとこちらを眺め直す視線に身を捩ると、男は納得したかのように繰り返し頷く。


「パイセンじゃないっすか!」

「なんだ貴様の知り合いか」

「いや……知らない」

「えーっ、そりゃないっすよ! オレオレ、俺サマですって!」


 そのまま近寄って来た彼は、なんとしゃがみこんで肩まで組んできた。

 なんと恐ろしき、公務員にあるまじき市民への距離感だろうか。


 ぺちぺちと肩へ食い込む指先を弾いていくと、どうやら本当に私が自分の事を気付いていないと見たのか、彼がヘンテコに顔を歪めた。


「あ……これならわかるかな?」


 どうしたもんかと呟いた彼は、ぐいと被っていたヘルメットを押し上げて小脇に抱える。

 そして現れたのは、公務員にあるまじき染め上げられた茶髪と、どこか人を食ったかのような笑み。


 どこかで見たことがある気がしないでもない。

 はて、一体何処だったか。


「ちっす。ウチの妹は元気にしてます? 一応無事だってメッセージは来たんですけどね」


 うえーいと適当な掛け声(?)が、記憶の中の人間と一致した。

 芽衣の兄。以前ダンジョンの崩壊に無理やりついてきた、本部からの使者として協力したことのある人だ。


「あ……呉島か。うん、芽衣なら炊き出しで……なにそれ、コスプレ?」


 言動こそちょっと……いや、大分軽い感じではあるものの、彼は彼なりに中々家族の事を想っている人間だ。


 図らずの再会に驚きつつ、何より気になるその服装について質問を飛ばす。


「あーっと、言った気がしたんすけどね。元々海自で働いてたんスよ、そもそも協会の仕事も海自の時のつてでしてね。それでこんな大事が起こったんで、まあ人手が足らんと速攻で呼び戻されてこのざまっすわ」


 ぶらぶらと手を振って疲労のアピールを始める呉島。

 本来ならばあり得ないのかもしれないが、今は一人でも協力が欲しいとほぼ強制の動員だったようだ。

 そして今は見回り中、と。


 中々彼も大変だったようだ。


「本部からの連絡無視したらなんか本部も崩壊しちゃってますし、いやほんとウケる。ヤバくないっすか? コントかよ、状況はもっと混沌なんスけど」

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