第241話
「おうちの様子、見に行かないかしら?」
唐突な話に困惑する。
当然『行こう』というのだから、今私たちが居るこのアパートの事ではないのだろう。
しかし、私に『おうち』などと呼べる場所は、そう多くはない。
このアパート、その前に借りていたホテルの部屋、ネットカフェ、そして……六年前まで私たちが住んでいたはずの家だ。
◇
分厚い雲に覆われた空の下、三人で歩く。
ママ……と、放っておくと何をするか分からないので一応カナリアも引き連れてやってきたのは、かつて出会った剣崎さんという人、彼女の働いている大学からほど近い場所。
私の家は、普段住んでいる町からさほど遠くない所にあったようだ。
私自身正直場所をあまり覚えていなかったので、思ったよりあっさりついてしまった事に困惑している。
「なんか感想とかないのか」
「そんなこと言われても……大きい?」
「何故疑問形なんだ……?」
いや、大きな家なのは間違いがない。
入り口には柵もあったし、家の扉にたどり着くまでもちょっと距離があった。
庭は荒れ果てているけど全体的に大きいし、白くてきれいな家だと……思う。
しかし、正直私がこの家の事で覚えている事なんて、暗い部屋でママ……もとい彼女に乗り移ったカナリアを待っていることぐらいだ。
来る道中でなんだか見たことがあるようなないような、掠れかけのデジャブに遭遇したものの、それくらい。
彼女自身相当久しぶりだからなのだろうか、恐る恐る近づいたママが、ゆっくりと扉へ手を掛ける。
そして金属片を鍵穴へ近づけ……
「あ、あら? 鍵が開かないわ……?」
が、開かない。
彼女が鍵穴へ何度合わせようとも、その銀色の金属片が中へ入る様子はない。
見た所そもそも鍵穴の形すら違うので、いくら努力しようとも開けることはできないだろう。
「鍵を間違っているんじゃないか」
「そんなはずは……それに、これ以外の鍵は持ってないわ」
カナリアの言葉にポーチを再び漁るママであったが、当然新たな鍵が湧いてくるわけもない。
「なら壊してしまえばいいだろう、どうせ所有者はアリアか奏なのだからな。おい、やれ、フォリア」
「やらないけど?」
なんで私が壊す前提なんだ。
「鍵がそもそも変わってるみたいねぇ……」
ドアへはめ込まれた金色の鍵口を撫でたママが呟く。
どうやらこの六年間で、いつの間にか誰かがこの家の鍵を取り換えてしまったらしい。
「ちょっと周り見てくる」
「危ないことはしないでね」
どこかから入り込めるかと思い家をぐるりと回ってみるも、どの部屋もぴっちり閉められている。
一階からではダメなのなら、二階からと屋根へ飛び移った瞬間、
「ちょ、ちょちょっとぉ!? 人の家に何してるの!?」
素っ頓狂な叫びが鼓膜を突いた。
「ちょあ!?」
誰!? 何!?
驚きのあまり体はピンと硬直し、ずるりと、とっかかりへ掛けていた足元が滑る。
浮遊感と共に響く誰かの叫び。
大きな家なだけあって相応に屋根も高く、どんよりと曇った空が遠ざかっていく。
そして……
「……よっとぉ!」
着地。
一滴たりとて零れていない汗を拭い、ぺしぺしとズボンに付いた土埃を払う。
こちとら数十メートル上空まで跳びあがって攻撃したり、なんなら数百m先まで跳躍したりしている探索者だ。
いきなり声を掛けられてちょっとびっくりしたけど、流石にこの程度でどうこうする様な体はしていない。
「んー?」
それにしても、一体誰があんな変な声を上げたのだろう。
ママではないし、当然カナリアがあんな声を上げるわけもない。
周囲を軽く見まわしたが、どうやら家の脇庭(?)へ落ちてしまったようだ。
先ほどの声の主が誰かは分からないが、取りあえずママやカナリアにも話を聞こうとしたその時。
「も、もしかして……フォリアちゃん?」
「え?」
息を切らして正面から走って来たのは一人の女性。
次第に大きくなる顔が既視感を刺激し、すぐにはっと思い出す。
そこにいたのは……かつてケーキを奢ったりしてくれた、近くの大学で教授をしている剣崎さんであった。
◇
剣崎さんと出会ってから三十分ほど後。
そのまま玄関まで二人で戻ったものの、ママを見た瞬間にぴたりと剣崎さんの動きが止まった。
驚きに見開かれた瞳、言葉を出そうにも詰まる口。
「久しぶりね、真帆ちゃん」
「あ、あ、あぁっ!?」
声を掛けられた直後、まるで早送りのように鍵を取り出し、ぐいぐいと私たちの背を押して家の中へ入る様に促す剣崎さん。
どうやら彼女が今この家を管理しているらしい。
どうしたものかとママへ視線を送ってみると、帰って来たのは頷き。
ならばと促されるままに家へ入りリビングにまで案内され、剣崎さんがお茶を忙しなく用意し終えてから、漸く話が始まった。
「まさかアリアさんとまたこうやって会えるとは……!」
「真帆ちゃんも、今は教授にまでなったって凄いわぁ! 六年で頑張ったのねぇ」
「い、いえ! 私はただ先生の後釜に居座ってしまっただけでして……先生の遺した資料を食いつぶしているにすぎません」
ママの手を涙目で撫でながら、隙あらば頭を下げている剣崎さん。
大学の教授として何度か会った事のある彼女とは異なり、これは……親しみ、だろうか。
まるで古くからの知り合いと話すかのような雰囲気がある。
話についていけない。
次から次へ飛び出す、聞いたことのない単語の応酬、このままでは全く話が進まないまま日が暮れてしまいそうだ。
二人の親し気な会話に果たして割り込んでいいのか。かなり躊躇われるものはあったが、しかしらちが明かないと悟った私は……
「け、剣崎さんとママって何か関係あるの……?」
無理やり割り入ることにした。
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