第240話
カナリアと共に家へ戻った後、二時間ばかりしてパーティはつつがなく終わった。
元々味覚を失ってしまった事に対しては、さほど恐怖を覚えていなかった。
これは、あまりの衝撃に理解すら拒んでいるのか、あるいは私の心が既に変化してしまったからなのかは分からない。
しかし今、この状況においては喜ばしいことである。
そして相変わらず錆びついた表情筋も相まって、私の異常は誰にも気付かれてはいないようだった。
味のないスポンジを平らげ、色と匂いのついた白湯を飲み干し、食器を運んではゴミを片付ける。
コーヒーなんて泥水みたいなものだと思っていたけど、これじゃ泥水もコーヒーも紅茶も変わらない。
最初に芽衣が、次に琉希とそのママである椿が帰路に就き、時計の針が頂点を刺す頃には、先ほどまでの喧騒が嘘だったかのような静寂が部屋に降りていた。
歯を磨き、シャワーを浴び、既に寝息を立てていたママの隣のベットへごろりと寝そべって窓の外を覗く。
『何のために力を欲した?』
流石に三人目のベッドなど用意しておらず、今はソファで寝ている彼女の言葉が脳裏へ木霊す。
私が戦っていた理由は、お金だ。
少なくとも最初はそうだった。
孤児院を出て、勉強が嫌だったので高校には行かず工場で働くも、人の目線などが嫌になって抜け出した。
半ばやけくそだったのかもしれない。
普段あまり食べていなかったケーキを好きなだけ貪って、気が付けば財布の中は空っぽ。
お賃金など飛び出して来たものだから、好き勝手したらあっという間に無くなってしまうのなんて当然のことだ。
そして探索者になった。
本当はコンビニバイトでもしようかと思っていたが、そもそも体力が壊滅的であった私は、まずは少しは体力を付けようと思ってこの世界に足を踏み入れた。
そこからは、まあいろいろとあった。
死んだし、死にかけたし、死にかけてる人も何人も助けた。
文字通り必死だった。
未来なんて見通せない。
ただ目の前にあるものにいっぱいいっぱいで、でも出来ることだけをし続けてきた一年だった。
そして……ここまで来て……
『貴様の希望を教えてくれ』
私の希望?
私の希望ってなんだ?
そう、カナリアの言う通り……レベルなんて上げなくても……私は十分稼げる力があったはず……だ。
Dランクダンジョンで戦えるのなら……週に数回戦うだけで……一人で暮らすには十分すぎる稼ぎ……だから……必死に潜る必要なんてない。
じゃあなんで私は……戦ってきた……?
何でわざわざ……死ぬかもしれないところに……自分から飛び込んで……?
それは……きっと……
.
.
.
「昨日は楽しかったわ。また皆とああやって集まれたらいいわね」
「うん。年末年始でもいいかも」
「おいフォリア、醤油くれ」
カナリアへ、押すと出る醤油のボトルを手渡し、ソーセージとご飯を掻きこむ。
普段はおかずを食べるための添え物位なイメージの白米だったが、こうやって味覚を無くしてみると、ああ、案外ちゃんと味があったんだなと思ってしまう。
果たして今の私に食事をとる意味はあるのか、と言われれば、分からないと返すしかない。
どこがどれだけ変化しているか、なんて体を細かく検査しなければいけないし、どうせいつか変わってしまうのなら今検査する意味なんてないから。
なら何故食べるのか。
単純だ、きっと食べなければママが心配する。
「ごちそうさま、おいしかった」
立ち上がり、食器を流しへ重ねていく。
「あ、フォリアちゃん! 今日って時間空いてるかしら?」
さて、今日は何をしようかと宙を彷徨っていた思考が、ママによって捕まえられた。
「え? あ、うん。暫く出てなかったし、協会に顔出そうかと思ったんだけど……」
私が勝手に協会をサボり始めて一週間、いや、二週間くらいだろうか。
そもそもさほど重要な仕事は任されていないが、流石の私と言えどそこまでバックレてしまうのは駄目だと分かる。
協会は年中人手不足とはいえ、それにかまけてクビにはならないと胡坐を掻くのはいけない。
一応昨日の夜の時点でウニには連絡をした。
崩壊の兆候があれば構わず連絡をしてくれとも伝えたし、これで多分大丈夫なはず。
それに芽衣も今は協会で書類整備の手伝いをしているらしく、彼女からも当然話はいくだろう。
それに……正直あそこへ顔を出すのは憂鬱だ。
あそこは楽しい記憶が
それにきっと園崎さんだってまだ立ち直っていないだろう、電話越しのウニの反応からしてもそれは明らかだった。
「どこか行くの? 買い物?」
理由を作れるのならどこでもいい。
カナリアがこの家に住むと決まったのは良いものの、元々『アリア』と二人暮らしする前提で色々と物を買い集めていたので、食器や寝具、足りないものはいくらでもある。
仕事も大事だが、これはこれでとても大事なことだ。そういうことにしておきたい。
私の言葉に反応したカナリアが、ちらりとこちらへ視線を向ける。
ママは軽く目を開き、二度頷いた。
「あっ、それも勿論しないといけないんだけど……その、ね……」
どうにも言い出しそうにどもる彼女。
あまり見たことがない、苦虫を嚙み潰したかのような表情を浮かべ、壁に掛けられていた小さなポーチを掴み上げる。
買い物じゃない……?
ポーチを漁り、ピタリと止まる細腕。
それは握れば隠せてしまえるほど細長い、金属の輝きを湛えていて……
「おうちの様子、見に行かないかしら?」
銀色の小さな鍵であった。
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