第232話

「食材沢山買ったのはいいとして……私料理できないんだけど」

「私に任せろ!」

「そうですね、あたしもあんまり得意な方ではないので……」


 三人の姦しい会話と共に、カツカツと鳴り響く金属の階段を登る音。


 あれこれと会話が弾むのは良いことだが、弾み過ぎた結果、物を買い過ぎた気がする。

 私は当然として、琉希もそこまで色々と料理できるようではなく、カナリアに関しては話にならない。

 はて一体だれがこれを料理するのか……?


 ピザでも注文してケーキは買ってくればよかったのでは、と今更ながら気付いてしまうも、家を出る前は興奮していたので後の祭りだ。


 賃貸というのもありそこまで広い家ではないが、一応調理道具や電子製品の類は一通りそろえてある。

 どうにか検索を駆使して料理していくしかない。

 まあお湯沸かす奴以外ほとんど使ったことないけど。


「ん?」

「どうしたんですか?」


 鍵を開ける瞬間、違和感に首を捻る。


 扉の端、はめ込まれた摺りガラスの奥に明かりが見えた。

 奇妙だ。

 家にいるのは、昏々と眠り続けるママしかいないはずなのに。


「いや、部屋の電気が付いてるみたいで……」


 電気消し忘れたっけ?


 耳を突く甲高い軋みと共に開けられた入り口。

 廊下の奥、丸見えになったリビングの椅子に無言で腰掛ける彼女は――


「ママ……!?」

「フォリアちゃん……」


 困ったような笑みを浮かべる彼女は、いつ起きるのかも分からず、しかしきっと今日は目を覚まさないのだろうと思っていたママだった。



「ちょっと貴女はあたしと一緒に外で待ちましょうね」

「は? 何故だ? 寒さを抑えるために魔力あんまり使いたくないし、早く中に入るべきだろ……おい引っ張るな!」


 気を使った二人……いや、一人と、ついでに無理やり引っ張られていくもう一人は、にぎやかに話しながら外へ出た。

 室内にいるのは私たち親子だけ。


 何を話せばいいのだろう。


 なんだか一対一で話すのが恐ろしく久しぶりな気がして、良い話題が思い浮かばない。

 前は、仲直りをしたあの日からはこんな意識したことなんてなかった。

 目を合わせれば勝手に口が開いて、なんでも話せたのに。 


「も、もう体調はいいの……?」

「ええ、なんだか妙に調子がよくて。不思議ね、ちょっと前まであんなに体が動かなかったのに……」


 ようやく絞り出せた言葉はありがちなもの。


 彼女も何から話せばいいのか悩んでいたのだろう、その話題に乗って笑みを浮かべ、もう大丈夫よと力こぶを作る。


 しかし会話が続かない。

 結局すぐにぴったりと会話は途切れ、私たちの間には再び、目を合わせることすら気まずい空気だけが流れ出す。

 そして一分か、或いは数秒だったかもしれない、沈黙に堪え切れなくなったママは逸らしていた目を真っ直ぐにこちらへ向け、遂に話を切り出した。


「――全部、思い出したの」


 息を呑む。


 思い出さなければいい、それは前までの話。

 冷たかった『アリア』は『カナリア』で、私の記憶にうっすらと残る楽しい家族の記憶は、決して偽物ではなかった。

 思い出しても何一つ変わらない。彼女はずっと優しいだろう、幸せなあの頃と同じはずで。


 頭ではわかっている。

 でも、冬だというのに掌は妙に湿っているし、喉は急激に乾いてきた。


 大丈夫だ、大丈夫。

 そんな事より、私には言うべきことが……


「六年前、奏さんとダンジョンに調査へ出るまでの全部を。私たちが家族として普通に暮らして来た日々を」


 ママは一度話し出したら、もう止まらなかった。


「覚えてるかしら。中庭でかなでさん……貴女のパパが作った椅子に座ってね、日曜日にはよく皆でドルチェを食べたのよ?」


 きっとそれは、私にとって当然の事だった。


 普通の家族で、普通に暮らして、普通に仲が良くて。

 今なら分かる、それはきっと普通ではなかった。


 過去の自分が羨ましくて仕方ない。

 そして同時に、ほとんど覚えていない、ぼんやりと覚えているあの光景はきっとそれだったのだと、しっかり覚えていない自分が憎かった。

 二度と手に入らないのにどうして覚えていないんだ、と、遅すぎる後悔だけが胸に募っていく。


「ティラミスやパンナコッタも良く手作りしたものだけれど、貴女はいっつも奏さんが買ってきたショートケーキにばかり夢中になってね、私としては少し嫉妬してたわ」


 知らなかった。

 何も知らなかった。

 私は何一つとして、家族の事も、心情も、記憶も、なにもかもを知らなかった。


 知らないのに、でも、ママが目を細め話す記憶を私は覚えている。

 だから……こんなに苦しい。


 机の上で知らず知らずのうちに、指先が赤黒くなるほどに力を込めていた両手が、いきなり掬い上げられる。


「楽しいことは覚えているのに、フォリア、貴女の苦しみを私は何一つ支えてあげられなかった。母親の癖に貴女の大切な六年間に、私は何もしてあげることが出来なかった。記憶を失って、なんて良い訳は出来ないわ。恨むのも当然よ」

「ちが……っ!? 私は恨んでなんかない! 私は……私はただ……」


 また、一緒に住めればそれでよかった。


 でもその言葉は言えない。


 ママはずっとママだった。

 記憶を失っても優しくて、一緒に居れば安心して。私のために色々してくれて、拒絶した私を受け入れてくれて。


 けど私は、また・・裏切った。

 ママと約束したことをすぐ忘れて、カナリアの言葉を鵜吞みにして、ママが先に裏切ったんだって全部押し付けて、自分で確認することすらせずに耳を塞いだ。


 良い訳は出来ない? それは私の言うべきことだ。


 琉希に言われなければ、あの時彼女が無理にでも動かなければきっと私は今でもこの家に引き籠っていた。

 私は間違った。

 また、間違った選択肢を選んだ。

 家族だの、信じるだのなんだのと綺麗事を吐いておきながら、結局私は何処までも最低の屑じゃないか。


「私は……ママを信じれなかった。琉希が背中を押してくれなかったら、こうやって会えなかった。だから私は……」


 私に、ママともう一度暮らしたいなんて言う権利はない。


 そしてまた気付く。

 こういう言い方をすればきっとママは許してくれるんだろうって。

 きっとあなたは悪くないって、私が悪いのよって。ママの優しい心を利用して許してもらって、またのうのうと家族として暮らせてしまう。


 最低だ。

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