第211話

「ぐええええ!? お、怒らないって言っただろ!?」


 もはや当然のように首元へ伸びる腕。


「怒ってません! 治療方法はないんですか!? そもそもあの病気? の名前は! 原因は! 全部吐けッ!」

「分かったから! ぜっ、全部言うから首を絞めるのをやめろ! 死んじゃうだろ!?」


 地面に足が着く安堵感二度目に胸をなでおろし、今度はもう掴まれんとばかりに席へ座り椅子を引くと、少女は疲れたように机へ崩れた。


「はぁ……貴様もう少し温和になった方が良いぞ。あと何か書く物あるか」


 備え付けられていたポットからお湯を注ぎ、粉茶を作りながら少女は愚痴を吐く。

 そしてコップの中身を一口啜るとため息を零し、漸く彼女は本題を切り出す気になったようで、琉希から受け取ったホワイトボードと水性ペンを握った。


「薄々勘付いているかもしれないが、私はこの世界の人間ではない。とある世界から……まあ色々とあってここに来た、後でそのことも説明する予定だがな」

「ああ、やっぱりその耳……」


 ツンと尖り、ぴくぴくと動く長い耳。

 気になってはいたものの取りあえずスルーしていた琉希であったが、肯定の言葉に漸く納得がいった。


「あの病気はこの世界には元々存在しないものでな、私の世界でも滅多に患者はおらずあまり知られた物でもない。病名はそうだな……貴様らの言語に当てはめるなら『ましょく』と、私はそう呼んでいる」


 水性ペンの擦り付けられる甲高い音を立てながら彼女が書き記したのは『魔蝕』の二文字。


 魔に蝕まれる。

 実に単純であったが、琉希も目の当たりにした症状を言い表しているだろう。

 少なくとも知る限りでは何の変哲もない少女が歪で背徳的な姿へ変化するのは、魔力に蝕まれていると言える。


「はっきり言ってしまえば元々、ダンジョンシステムは、魔蝕を防止、抑制するために創り上げられた物なのだ」

「……ちょっとよく分かりませんね。今までの話を聞く限り、ダンジョンとあの病気に関係があるとは思えません。第一探索者の皆が魔蝕でしたっけ? になったら大問題じゃないですか、でも今のところフォリアちゃん以外にそんな話聞いたことありません」

「抑制するために創ったのだから当たり前じゃないか、むしろこれまでは上手く行っていた証だ」


 確かに彼女の言葉正しい。

 魔蝕を抑えるためにダンジョンを創り、目論見通り今まで症例が一つもないのは感嘆に値すべきことだろう。

 彼女が何かを隠していない、という前提があればの話だが。


 嘘の上手い人間であるようには見えない。

 だが全てを偽っている可能性は否定できず、一方で何の情報も持たない己にとって真偽の判断など不可能。

 結局のところは話を聞く以外に選択肢はなかった。


「とは言えさて、どう纏めるべきか……そもそもダンジョンを創ることになった理由など、私の事情もあって色々と複雑でな」

「あの、一ついいですか?」

「なんだ、もう音を上げたのか? まだ面倒な所など話してすらいないというのに、もう少し頭を使う練習をした方が良いぞ。うむ、水平思考の遊びなんてどうあだだだだっ!?」


 飛び出すアームロック、琉希の背中を叩き叫ぶ少女。


「一々人を煽らないと生きていけない人間なんですか貴方は。名前ですよ名前、貴女の名前も分からないのは不便で仕方ないです」

「煽る……? 私はあくまで真実と改善点をだな……まあいい。うむ、確かに自己紹介がまだであったな」


 腰ほどまである見事な金髪を手で翻し、意気揚々とした表情で腕を組む少女。


「我が名はカナリア。とある世界で学者として活動していた結果、今はその尻拭いをしている者だ。ちなみに言っておくが、ループの時間も合わせて合計年齢は七十八だ、間違いなく貴様より年上だからもっと敬えよ!」


 ビシッと琉希の顔へ指を突きつけ、鼻息荒く告げた彼女の頬にビンタが飛んだことは言うまでもない。



「まず何故ダンジョンを創ることになったか、ということから始めようか」

「ええ、お願いします」


 鼻にティッシュを詰めながらカナリアは語り出した。


「まず前提条件として、私の世界と貴様らの世界は非常に近い位置に存在する」

「物理的な距離で……って訳ではないんですよね」

「うむ、貴様らでも分かりやすい言葉で言うのなら、魔力的、或いは次元的にとでも言えばいいのだろうか。イメージとしては地球などの星がひとつの世界ならば、宇宙空間すべてが次元の狭間だ。だが我々の世界はどうやら他の世界と比べてもごく近くにあるようでな、互いに影響されやすい」

「えっ、他にも世界ってあるんですか? あと次元の狭間っていうのは……?」


 次から次へと新たな言葉が出てくることで、琉希の思考が絡まっていく。


「他の世界についての観測は出来ていない。だが少なくとも、私の推論からすれば間違いなく存在するというだけだ。問題は次元の狭間についてだな……これは端的に言えば狂い渦巻く膨大な魔力だ。だが性質がちょっと面倒でな……貴様らは簡易魔術……いや、『スキル』を使っているな?」

「え、ええ。回復魔法だとか、私も使えますよ」


 一体一般的に使われているスキルと、その荒れ狂う膨大な魔力のどこに関係があるのか。


「不思議だと思わないか? 毎回同じような効果を得られることを、身体が勝手に理想的な動きをしてくれることに。野球選手ですら毎回理想的な投球をできないというのに、どうして訓練を積んでもいない貴様らが出来るのか?」

「野球知ってるんですね……まあ、確かに。でもゲームだってそうですし、そういうものなのだとばかり……」

「私はこの世界にもう二十四年もいるんだぞ、野球くらい知っている。要するに貴様らは理想的な動きが出来るんじゃない、理想的な動きをその体に再現している・・・・・・に過ぎない、ということだ」


 彼女はホワイトボードに立体的な人間を描……こうとして無理だと悟ったのか、棒人間を二つ描いた。

 片方には英雄、片方には凡人の文字。

 更に二つの棒人間を矢印で繋げ、転写と書き記した。


「かつて存在した人物の技、或いは経験の蓄積によって理想的だと思われる動き、或いは魔法陣を再現する。これによって理論上は誰でも魔法を発動したり、最高の攻撃を再現させる。さらに魔力的な補助を加えることで、その攻撃力などを強化することが出来る……これが貴様ら使うスキルの正体だ」

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