第188話

 戦いは未だ決着の気配すらなかった。


 違和感や消滅の可能性から基本的に距離を取り続ける私、異常な行動を繰り返す黒い獣。

 特に獣の動きは不気味だった。

 妙に連続で攻撃を仕掛けてきたかと思えば、突然ピタッと攻撃を止め何かをうかがうようにこちらをじっと見つめ、首を振り、無秩序に暴れ出す。


 てんで共通点のない行動。


 それに今まであってきたモンスターはそのどれもが攻撃的であり、常に私たちを狩るという殺意に溢れていた。

 この黒い獣にはそれがない。殺意というには足りず、しかし友好的には程遠い。

 何かを企んでいる……そんな気はするが何がしたいのかはさっぱりだ。


 激しく首を振り呻く獣。

 この動きはまるで……


「……苦しんでる?」


 私のつぶやきへ呼応するように、一瞬、獣の動きが止まったようにも見えた。


『――!』

「くっ」


 いや、きっと気のせいだろう。


 隙を突いての猛襲がまた始まった。

 距離を詰めてはやみくもに振られる爪、時々こちらの頬を掠るがやはりダメージは薄く、見切れる程度の物なので大概は余裕をもって避けることが出来る。


 だがあまり近づきすぎるのも恐ろしいので、牽制に軽く横薙ぎをしたのが失敗であった。


「おいっ、協会に近づくなって! こっち来い!」


 全身バネさながらの盛大なジャンプ。

 漆黒の影となって跳びあがった先、奴が着地したのは協会の屋根だ。


 鋭い手足の爪が屋根に食い込み、小さな破片が飛び散る。

 体中の毛を逆立たせ激しく唸った獣は屋根の上を走り回るが、その度に私の掌より大きい穴がどんどん開いていき、あっという間に見るも無残な見た目へと変わっていく。


 所詮は獣、人の言葉なんて分かるはずがないし、奴にとってはただ屋根を歩いているだけに過ぎない。

 しかし私たちの場所がこうも無邪気に壊されていくは不愉快で、つい叫んでしまった。


「おい! それ以上壊すなら本気で倒すぞ! おい!」


 ぴん、と張った尻尾が雲に隠れた月の下、ピクリと揺れる。


 やっぱり、私の言葉分かる……!?

 もしかしてちゃんと話せば、なんで私を襲ったりしたのか分かり合えるかも。


 そう、思えたのに。

 奴はまるで躊躇って・・・・・・・いるかのように身を一瞬引き、しかし獣は盛大に協会へと飛び掛かると、その切れ味鋭い爪で外壁を切り裂いていった。


「……っ!? やめろ! そこに触るな! 壊すなッ!」


 脳の神経一本一本が焼き切れそうなほどの憤怒。


 こいつ、分かっててやりやがった。

 私の言葉を、意味を理解して、その上で……っ!


「そこは私の、私たちの大切な場所なんだッ! お前ごときが触れていい場所じゃないッ!」


 激昂に任せた跳び蹴り。

 互いにもみくちゃになって地面へ降り立ち、今度は間髪入れずに私から攻撃を仕掛ける。

 興奮からつい大振りになるこちらの攻撃だが、速度、パワーどちらをとっても私が上。

 しかし獣もさる者。素早く距離を取ろうとするも、全力で襲い掛かるこちらを避け続けるのは不可能だと悟ったのか賭けの攻勢に出た。


 反転してこちらへ前足を伸ばし、鋭い牙を剥いて襲い掛かってきたのだ。


 絶対に許さない。

 お前が正面から戦うつもりなら、真正面から叩き潰してやる。



「え?」


 交わる瞬間、獣の爪が力を失ったように見えた。


 だがもう遅い。

 既に全力で振られてしまったスイングはあまりに高速で、ちょっと気付いたからと力を抜いたところで、圧倒的なレベル差の前にはさほどの効果もなかった。


 柔らかな頭蓋骨を叩き潰す感覚。


 重い水音を立てて吹き飛ばされる獣の肉体が、二度、三度と激しく地面へ叩きつけられ転がる。

 完膚なきまでの致命的な一撃。びくびくと跳ねる巨体、しかし最後にはどうしようもなく力を失い、ゆっくりとその肉体は色を失い、端からじわじわ光の粒へと変わっていく。


 もしなんちゃらなら、と色々と残念だが仕方ない。

 それにしても色々変な奴ではあったが、やっぱりモンスターではあったらしい。

 しかしいったいどこから現れたのか、明日一から調べないといけないなんて、今から面倒すぎて頭が痛いなぁ。


 のそのそとモンスターが倒れた元へ寄って行った時、丁度空が晴れる。

 天に浮かぶ満月が柔らかな明かりを周囲へ撒き、当然モンスターがいた場所にもその光は届いた。



「え……なんで……?」



 だが、そこにあったのは、消えかけの巨大なモンスターの死骸でも、ましてや素敵なドロップアイテムでもなかった。



『ミ゛ィ……』

「なに……これ……」


 猫だ。


 頭から血を流す一匹の黒猫が、傷だらけの身体をコンクリートの上に横たえ、力なく喉を鳴らす。

 彼女・・の首元には真っ赤な首輪と、小さな音のしない鈴・・・・・・・・・だけが付けられていた。


「え……え……? ねこ……なんで……」


 手から滑り落ちたカリバーが、甲高い金属音をまき散らす。


 なんでねこが?

 だってあそこにいたのはモンスターで、それならモンスターにまきこまれた? でも猫が怪我してるのは頭で、いや、それはきっと偶然同じ場所を怪我しただけで……

 ありえない、ありえない、そんなの絶対ありえない。


 信じがたい結論ばかりが脳内を埋め尽くした。


 真っ黄色の瞳、ピンと張った尻尾、鳴き声。

 獣には欠片さえ猫特有の可愛らしさはなかったが、姿かたちの一部を切り取ってみれば、確かに彼女と似た部分をいくつも持っていた。

 だが、この結論では……まるで……


 突拍子もない考えを誤魔化すため、震える右手を伸ばす。

 だが地面に横たわる彼女は首を捻ると、最期まで冷たい態度で鼻を鳴らすと、弱弱しく手のひらを引っ掻き……ゆっくりと力尽きた。


「あ、ああ……! まって……やめて……」


 その小さな身が色を失う。


 先ほどまで動いていたはずなのに、何も言わず小さな砂粒の塊となって空気へ溶けていく。


 飛んでいかないように胸へ手繰り寄せ、泣き、叫び、何度も掻き抱いた。


 だが、その度により小さな粒へと変わった彼女は、生前私を惑わせたように、腕や指の隙間からするりと抜けてしまう。

 私の掌に残ったのは、音の鳴らぬ鈴付きの首輪と、小指の爪ほどしかない、冷たい光を湛える黒い石だけだった。


「ちっ、ちがう……私は……私はっ、なんだよこれ……なん……なんだよ……意味わかんないよ、なんなんだよこれ!?」


 私の叫びに応えてくれる人は、誰一人とて存在しなかった。

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