第169話
肉塊が転がる。
相応の大きな音を立て、古臭いブリキのおもちゃのように、ただただその場で左右へ、ぐる、ぐる、と。
人々はそれを見守るしかない。
あまりに大きく強大な相手、隔絶したレベル差の己が攻撃しようと、人が蚊に刺された程度のダメージしか与えられないと知っているから。
まあそもそも私が近寄るなって言ってるんだけど。
「フォリっちヤバない? あれどうすんの?」
寝っ転がる私の横で体育座りをしていた芽衣が、動けないナマコを指を指す。
轟音が止み、どうやら戦いが終わったと思った探索者達。
しかし入り口の扉は相変わらず固く閉ざされたまま、協会からの使者、要するに私が負けたのではないかと恐る恐るこちらを偵察しに来た彼らが見たのは、巨大なカリバーが貫通してちくわのようになったナマコの姿であった。
とどめを刺したいけど、ちょっとキツイ。
私は『巨大化』でMPを使い切ったせいで非常に気持ちが悪いので、正面で寝転んでいる。
吐きそう……というか二回くらい吐いた。
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種族 ゲイズ・ロイディア
名前
LV 71000
HP 22345/1028476 MP 23412/302851
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そろそろ倒せそうだなぁ。
頭から尻まで自分の半分ほどある太い棒が貫通して、しかも死ぬことがなく軽く身じろぎしかできない。
自分でやっておいてあれだが、これ拷問じゃないのか?
「あー……よっこいしょ」
くらくらする頭を押さえ立ち上がる。
ダンジョン内は外よりMPの回復が速い。
数分休憩してはカリバーに触れ、追い『巨大化』でじりじりと直径を変えてダメージを与える。
いや、私も分かっている。
ちょっとずつ体の中の棒が太くなっていき、ゆっくり死へ向かうなんて酷過ぎると。
しかしこうするしかないのだ。横から近寄り少しでも殴ろうとしたのだが、やはり針を伸ばしてきて必死に抵抗するものだから、すぐに楽にさせてやることも出来ない。
「『巨大化』……お?」
遂にその時が来た。
電子レンジに放り込まれたソーセージがはじけるように、軽快な音を立てパンパンに詰まった黒い表面へ白銀の稲妻が走る。
一度切れてしまったナマコの身体は、その弾力のある体表もあって止まることなく切れ目が大きくなって、自重から低い音を立て地面へとずり落ちた。
ついでに弾けて吹っ飛んでくるなんとか器官が、私とついでに近くにいた芽衣の頭へ降り注ぐ。
『レベルが合計7022上昇しました』
はあ、やっと終わった……
◇
静寂、緊張。
鬼が出るか蛇が出るか、なんならもっと恐ろしい怪物が飛び出してくるのか分からないダンジョン。
入り口で支給品の銃を握りしめた男は、くだらない正義感で警官になったことを今になって後悔した。
己だけではない、他の横に並ぶ者たちもみな一様に顔を引くつかせ、手足は震えている。
怖いのだ、この奥に閉じ込められた怪物が。
訓練としてある程度のレベルを上げてきた、武器の扱いも覚えた、緊急時の連携等も叩き込まれた。
だが、それが何になる?
超越した力の前に矮小な存在の結束など無意味だ。
怪物を打ち滅ぼすのは怪物のみ、若しこの扉が砕かれ中からモンスターが溢れた時、ここに集まった者たちは壁にすらならずに蹂躙されるだろう。
しかし崩壊を食い止めに入ったのは僅かに少女と若い男が一人。
唯の人身御供だ、時代遅れの野蛮な風習と変わらないだろう。
こういう時のための協会じゃないのか、国から多大な支援を受けているはずの組織が、一体どうしてそんなことをしたのか理解できない。
その上この街にあった支部には支部長が長年不在であったなどと、あまりに笑えない話だ。
「剛力さんはどこに行ったんだよ……! あの人がいればすぐに終わるんだろ!? きっと今日来るのはあの人だって話だったろ、どうしてガキ一人なんだよ!? 俺達に死ねって言ってんのか!」
「そこ! 静かにしろっ!」
誰かが震える声を絞り出した。
未だ予防策の見つからぬこの災害、食い止める手段は唯一つ……、一般的にボスと呼ばれるモンスターを倒すのみ。
何故ボスを倒すと収まるのか、何故ダンジョンの崩壊が起こるのか、理由は分からずとも人々はそれを行うことでしか安息を得ることが出来なかった。
そこで必要となるものは、兆候や崩壊などが実際に起こった時即座に動くことの出来る戦力。
軍や編成とはまた異なる強力な『個』だ。
実力者として協会に支部長を任命され、日頃ダンジョンの崩壊を食い止めるものの中にも知名度という物は存在する。
年季、実力の三点において抜きんでており、日常生活の雑な点はともかく、少なくとも戦いや犠牲者などにおいては常に真摯であろうとする剛力、メディアへの露出もあり彼の名を知る者は多い。
少なくともこの近くには彼が居り、有事の際には必ず姿を見せる。
鍛え抜かれた体を持つ絶対的な守護者、それが戦場へ駆り出される者たちの心の支えであった。
「もう俺、逃げてえよ……」
一度噴き出した不安や恐怖という物は、それ以上の希望で拭い去られるその時まで決して消えない。
誰かが吐き出した動揺がさざ波となって周囲へ伝播し、人々の息を浅く、動悸を過剰に掻き立てていく。
「不味いですね……」
現場の指揮を任せられていた者が焦りに顎を撫でた。
銃口を突き付けられたままいつ引き金が引かれるとも分からずただ待つだけのこの時間は、戦いに慣れていない者たちの心を酷く擦り減らしている。
あと一つ、何か一つ切欠さえあれば全ては崩壊する。
所謂集団パニックという奴だ。
目の前に差し迫り、しかしいつ起こるかも分からないダンジョンの崩壊。
ここから逃げ出せば自分だけは助かることが出来る、しかし逃げるには周りの存在が邪魔となる……止められるか、或いは他の者も逃げ出せば自分を阻む壁となる。
その時、石で出来た扉が軋んだ。
緊張が走る。
或る者は背後を振り返った。
或る者は前の者の背中に手を当てた。
また或る者は手元の引き金に指を掛けた。
来る、何かが来る。
扉の奥から来る。
ひゅう、と、誰かの喉が鳴った。
「ダンジョンの崩壊とめ、鎮圧した……ました」
最初に見えたのは小さな頭、金を編んだように輝く細い髪。
扉が開き、奥から現れたのは……白いコートを黒く染めた一人の少女であった。
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