第69話
「はぁ……っ! はぁっ……! ……痛っ」
カリバーを振り続けていたからだろう、気が付けば掌には熱が籠り、ぐっと握った瞬間に血が滲んだ。
目を落とせば飛び込んでくるのは、燃える地面の植物に負けず劣らず真っ赤に染まったグリップ。
私が戦いに集中していたのもあって、気づいてはいないだけで何度か切れては、『活人剣』で回復しては何度も切れていたようだ。
既にダンジョンに潜ってから数時間は経過している、ちょっと休憩しよう。
周りを二度見まわし、耳を澄ます。
大丈夫、羽音や足音は特にしない。
どさりと、近くにあった木の根元へ腰を下ろし、アイテムボックスから水筒を一本取りだす。
きゅぽんと軽快な音。
よく冷えた水を喉奥へ流し込めば、するすると止まることがない。
相当水分を失っていたのだろう、なにもいれていないのに微かに甘く感じる。
「ふぅ……」
そしてその水の甘みを台無しにするのが、アイテムボックスから取り出した希望の実。
一気に二粒かみ砕けば、二倍の不幸が口の中に広がる。
しかし長時間動き回る探索者、こう簡単にカロリーを補給できるのは便利だ……味にさえ耐えることが出来るのなら。
口直しにコンビニで買ってきた飴、味はイチゴミルク、カラリと口内で転がしていると、耐えがたい眠気が脳天から、じわり、じわりと襲ってきた。
既に頭上には満天の星空。とはいって果たして輝くこれらが、私の世界のそれかは分からないのだが。
ああ、だめだだめだ。
ダンジョンで警戒もなく寝るなんて、寝首を掻いてくれというようなものだ。
私はここで死体になるために潜っているんじゃない。
頬の肉を噛んでは、眠らぬよう忙しなく指先を動かす。
だるい……
しかし私の努力とは裏腹に、手足を何度曲げようとも、全く眠気は飛んでくれそうにない。
むしろ動かす度に侵食を強めて行って、ゆっくりと体の動きが絡め捕られていくようだ。
震える膝を強引に動かして立ち上がり、霞む目を激しく瞬かせて辺りをうかがう。
せめて身を隠せるような場所はないのかと探せば、どうにか私一人なら入り込めそうな木の
ここに生えている木はどれも太く立派なものばかり、うろも相応にして大きなものだ。
ちょっと地面から高いところにあるが、むしろそれくらいの方が襲われにくいだろう。
元々運動なんて得意じゃないし、木登りなんてあまりした事が無いのだが、案外するすると登れてしまうのは、レベルが上昇して腕力などが付いたからかもしれない。
往々にしてこういった木のうろには水が溜まっているものだが、不思議と人肌程度の温度があるお陰か、手を突っ込んでみれば中は乾いていた。
うん、これなら……
眠気の枷が纏わりついた手足を丸め、胎児よろしく身体を丸めてうろへすっぽりと入り込む。
外から襲われては叶わないので、リュックを蓋代わりに構え、暫しの休息をとることにしよう。
ごつごつとしていて硬く、木の何とも言えない香ばしい匂い。
決して人とはかけ離れたものだが、その木が持つ確かな温もりが体を包み込み、疲れた体をそっと支える。
ぽかぽかと温かい。
指も、手のひらも、足も。感覚が薄れていく。
ピン、と張り詰められた心の糸が、意識が、端から……
ふと気が付けば私は木の中でも、燃える木々の中でもなく、人工的な建物の中にいた。
照明が周囲を白く染め、微かに混じったオレンジの色彩が暖かな印象を与える。
デパート、かな……?
あまり入ったことがないけれど、きっとそうだ。
視界の端にちらつくエスカレーターや、続々と並べられたマネキン達が、私がどこにいるかを教えてくれた。
一体何があったのか分からず唖然としていると、突然後ろから声が聞こえ、肩が跳ねる。
「フォリアちゃんはどれがいいかしらぁ?」
「うーんとね……」
「ママ、まだ終わらないのか? いい加減腹が減ったよ」
「まあアナタ、女の子の買い物は時間がかかるものなのよぉ」
心臓が激しく鳴った。
金髪の少女と、その傍らで服をあれこれと当てては、これでもあれでもないと入れ替えては、笑みを浮かべる妙齢の女性。
どこかからか戻ってきた黒髪の男がその様子を見て、呆れたように嘆息。早く帰ろうと返された催促に、彼女はいたずらな笑みを返した。
ああ、これは夢だ。
不思議な確信。
どこまでも優しくて、きっとこんな日々が続くと思っていた、何も知らなかったときの夢。
なんで、こんな夢、見たくないのに。
もう何時の事かすら分からないほど昔、私の両親が二人揃っていた時、きっと私は普通の家族をしていた。
けれどいつしかパパはどこかに行ってしまって、同時にママはおかしくなってしまった。
普通はいつの間にか異常になっていて、異常が私の日常になった。尋ねてもママは何も教えてくれない、ただ憎々し気な表情を顔に浮かべて、私を蹴りつけるだけ。
パパ、パパ。どこにいるの……?
パパがどこかに行かなければ、こんな悪夢を見なくてよかったのに。
今からでも戻ってきてくれれば、私の終わらない悪夢は終わるのに。
ただ立ち尽くして、私は目の前で続けられる喜劇を眺め続ける。
私がいたはずの舞台、けれどもう二度と登ることはできない。味のしないガムを何度もしゃぶるように、思い出の中の甘みを反芻するしかない。
「もう、しょうがないわねぇ……じゃあ帰りましょうか」
「うん!」
手を繋いだ家族たちは笑顔で、ゆっくりとその場から去っていく。
私ただ一人を置き去りにして。
『ま、まって……!』
筋肉だって、琉希だって、園崎姉弟だっていい人だろう。
探索者になって、いい思い出も増えた。
けれどそれより、そんなのより、この時に戻れるのなら、わたしは……!
けれど彼らが一歩、また一歩と踏み出す度、私の背後から世界がセピア色に染まっていく。
追いかけ走っているのに絶対に追いつけない、絶対的な距離が広がっていくことが、心の奥に深い絶望を積もらせていった。
いやだ……!
夢で良い、現実になんか戻らなくていい。ここで良い、ここがいい、ここに居たい。
三人の背中に向かって突き出した右腕が、紐となってゆっくり解けている。
夢が醒めようとしているのか。
抑えようとした左手も、両足も紐になって、するり、するりと天へ昇っていく。
ここはお前の居場所じゃない、そう言われているみたいに。
気が付けば私の身体すらもふわりと浮かんで、世界が黒茶色に飲み込まれた。
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