『小さなお話し』 その256……『こいごろは、いた』
やましん(テンパー)
『こいごろは、いた』
『これは、かなり、当初から書き直しいたしましたが、個人的なことがらに、いくらかの、具体的な過去の事実が関連しています。しかし、やましんの意見であり感想であり、批判の意図はありません。ご承知おきください。』
🌊
『おう、やましん。まだ、生きてたか。』
こいごろは、まだまだ、健在であった。
やましんの親戚には、鯉屋さんがある。
高い鯉は、数百万、いや、もっとするらしい。
こいごろは、いくらなのか、やましんには、わからない。
『いやあ、また、がんの、精密検査指示が出たんだ。二回目かな。今日は、いつもの検査とお腹のパイプの交換だけ。』
『じゃあ。馴れたもんだな。』
『まあ。なれは、関係ないかも。また、来月
来るよ。こいごろも、頑張って長生きしろよ。』
『まあ、鯉生、いきにかんぜずだぜ。じゃあな。がんばれ。』
こいごろは、すいすい、あっちに向かって、泳いで行く。
はあ、それって、どういう、意味だったけ?
なんだか、侘しいやましんなのである。
これを、言葉で、表現するのは、難しいであろう。
痛い。と言えば、痛いのだけれど、どのように痛いのかは、他人にはわからない。
体も痛いが、心理的にも、痛い。
しかし、他人の痛みを直に、感じるのでは、ひとは、なにもできないだろう?
これが、難しいのだ。
政治家は、相手の痛みを綿密に計算するらしい。
首相や、大統領ともなれば、指の動かし方ひとつで、社会に影響を与えかねない。
だから、言動には、最大の注意を払い、一言一句、違わないようにする。(しない人もいる。)
苦しむ仲間さえ、見殺しにしても、全体的な目的を達成できたらば、それは、偉大かも知れないが、個人的に尊敬できるのかどうかは、なかなか、微妙だ。
欧米の映画などでは、よく見るパターンであろう。
自己犠牲と、いうものだ。
ただし、役に立たない自己犠牲は、無駄死にである。
しかし、そうした立場に立つ人は、それだけで偉大なんだとは、思う。
公務ならば、殉職という。
ただ、ぼくは、へんなやつだから、昼休みに、医療関係者に、みんなで拍手を贈るのは、立派だと思う一方で、多少、心配にもなる。
それは、本質的な、ありかただろうか。
そうしなければ、ならないというのではないのだろうが、そうせざるを得なかった事情が、問題だ。
ひとつの、やりかたとしては、もちろん、立派だと思う。
独裁者のための、強制的な応援みたいな雰囲気には、なってほしくないだけだ。
それより、まず、そうせざるを得なくなった、おかしな、差別などは、ぜひ、止めてください。
感染を広げないことが、重要なので、あまりたくさん集まってしまうのは、ちょっと、心配だっただけなんだけれど。
ビルの窓からするのは、たぶん、問題はないが、やましんみたいに、やかましいのが、苦手な人は、多少、がまんを強いられるかも。
選挙カーの、名前連呼と、違うとは思うが、目の前なら、同じかもしれない。
これらは、短時間である。
しかし、野球場の応援などは、はっきり言わせていただけば、近隣住民には、やはり、もう、騒音の一種だよ、と、言いたくなるし、ついでに、お酒を飲んで、道路で騒ぐ人や、住宅地にまで入り込んで、ぐるぐるまわり、無断駐車するのは、恐れ入りますが、危ないし、やはり、迷惑である。お気の毒ではありますが、電車がすぐそばに停まるんだから、カッコいいのは、わかりますから、次は、自動車では来ないでください。
どうしても、自動車のかたは、早く来て、正規の駐車場を使ってください。
これは、たしかに、音楽も同様である。
商店街を舞台に繰り広げられる、ディスコの延長みないなダンスの行列のフェスティバルは、各地にあるようだが、あまりに、音楽の音量が大きすぎる。
楽器店のビルの中で、楽器の練習をしていても、外の音楽のほうがはるかに、大きい。
しかし、これは、商店街の行事であり、つまり、文句は言えないのである。
仕事辞めてからは、楽器の練習は、平日になったので、重なることはなくなった。
しかし、これは、人気はあるようで、やましんみたいなのは、少数派らしい。
ご近所のおうちは、音圧で、揺れるんじゃないかしら、とも、思いますが。
神社などのお祭りなど、永年続く伝統行事には、対抗不可能である。
神様には、歯が立たないですし。
ただし、まあ、やましんみたいな、音楽好きでも、体調悪いと、聴きたくない場合だってある。
スポーツも、音楽も、強制してはだめだ。
もっとも、野球の場合は、おうちに、帰れなかったりという、物理的障害が出たりもする。
野球は、けっこう、時間長いし。
負けた方のファンの方が、そうなのかどうかはわからないが、いささか、見苦しい方もある。悔しいのはわかるけれど、やつあたりは、やめましょう。
道路と喧嘩しても、さすがに、勝てないと思う。
もっとも、日本人は、マナーが良い方らしいが。
と、お酒飲んだら、みんな、たいてい、ああなんですけどね。
やましんも、むかしは、かなり、お酒をのんでいた。
飲まなくなって、いろいろ、気がつくことも、あったわけである。
きっと、周囲に、ご迷惑かけたに違いない。
酒のみの理屈は、必ずしも、全体の理屈ではないわけだ。
タバコも、そうだ。
野球や、サッカーも、また、そうである。
やましんの、理屈も、屁理屈である。
むかし、会議の席で、『タバコは禁煙にしましょう』、と、提案いたしましたら、ある先輩から、『もう、やましんさんとは、口、きかないから。』と、言われ、それ以来、実際に、最後まで、口、きいていただけなかったので、野球も、タバコも、お酒も、気を付けないと、人間関係、壊すこともありますよ、と、いうわけである。
また、やましんは、スポーツには、あまり、興味がないので、サッカーのワールドカップも、ニュースあたりで、結果がわかれば、それで十分な訳で、テレビを見なかったのだが、なぜか、職場で、ちゃんと見たかどうか、チェックしたひとがあり、それで、非難されたことがあったが、それは、いささか、心外でしたな。
サッカー、興味がないのは、異常なのか?
なんで、そうした問題で、仲間外れになるのかは、疑問ではあった。
愛国心がない、と、いうわけである。
じゃあ、あなた、ショパンコンクール、聴きましたか?
何て言ったら、ズタズタにされたに違いない。
最近は、世界の音楽コンクールも、日本はもちろん、韓国、中国などのアジア勢が強くなっている。
ただし、その後、タバコについては、社会から逆襲、みたいなことになり、会議はすべからく、禁煙になり、いくらか、喫煙者には、上から押し潰したようで、多少、お気の毒ではあったが、まさか、喧嘩までする気なんて、なかったわけだが。
まあ、やましんも、学生時代なら、拍手はやりに、出ていったでしょう。
なにごとも、自分の都合だけで、軽々しく、言ってはならない。
相手の立場を考えてみなければなりませぬ。
職場でも、強い立場から、しかも、多人数で、一方的に弱い立場の者を責めたら、それは、あんまりでしょう、あなた。
おっと、それは、社会全体の問題であり、やましんの問題ではない。
なんで、こいごろから、ここに来たのだろうか。
こいごろは、ほかの仲間と泳いではいるが、あまり、お互いに、カランではいないみたいだ。
ある意味、羨ましい。
漱石先生の言うように、この世は、生きにくいのだ。
あまり、沢山の残りは、ないかもしれないが、憎まれっ子世にはばかる、かもしれないし、近年は、憎まれっ子は、消される方向かもしれないかな?
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いくらか、批判の対象になってしまった事項に、似た事象のありました、先輩、同僚のかたには、悪意はございません。やましんは、体調不調に、くるしんでおります。どうか、お許しください。
また、野球や、サッカーのファンの方にも、お酒の好きな方にも、とくに、悪意があるわけではございません。
ただ、多少、ものが言いにくいよのなかであることは、ご理解くださいませ。
さらに、このバカらしい文章を、お読みくださった方については、お酒も、タバコも、サッカーも、野球も、ラグビーも、ラップも、みな、やましんは、反論ありません。どうか、健康にだけは、気をつけてくださいませ。
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『小さなお話し』 その256……『こいごろは、いた』 やましん(テンパー) @yamashin-2
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