【漫画原作】運命のシークと愛のスパイス ― A Lovely Spice for Sheik ―

スイートミモザブックス

01 - パリ編 運命のタルト・オ・ゼピス

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パリのビストロで共同オーナーシェフを務めるマリー‐ルイーズ。

ひょんなことからヘルプに入った一流ホテルで、中東のイスファハール王国第二王子サイードと運命的な出会いをする。

作:ケイ・ブルー(Kay Blue)

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「ポワレ用のヒラメ、下ごしらえ終わったぞ!」

「コンソメのチェック頼む!」

 活気のみなぎる広い厨房に、マリー‐ルイーズは視線をめぐらせた。

 ここはパリ屈指の最高級ホテル〈オテル・ド・クリヨン〉にあるレストラン。

 パリの中心コンコルド広場に面し、世界中からセレブが集まる人気店だ。

 設備も食材も超一流で、コックたちの動きにもむだがない。

 本日、マリーはここでデザートを担当していた。

 といっても、ふだん彼女が働いているのはこの店ではない。

 リゾートシーズンを迎えたこの時期、どうしても人手が足りないからと、料理学校時代の恩師からヘルプに入るよう頼まれたのだ。

 いつもは学生の街で有名なパリ五区のカルチエ・ラタンで、料理学校の同級生ふたりと小さなビストロを切り盛りしている。

自分たちの店〈レトワール〉で出すのは、もっと気取らない料理ばかり。

 それでも学校を最優等で卒業したマリーには、一流ホテルのコースメニューをひとりで仕上げられるだけの腕もある。


 さて、本日のデザートは――。

 初夏にふさわしいブラッドオレンジのジュレ。

 ふわふわシフォンケーキは、オーダーが入ってからフレッシュフルーツとベリーのソースで華麗な一皿に。

 クーベルチュールチョコレートをふんだんに使った濃厚なムースも冷蔵庫で冷やし中。

 そしていまオーブンに入っているのは――予約客のための特別なタルト。

 昨日、料理長からの電話で、中東のVIP客から予約が入っていると連絡があった。

 そこでマリーは中東料理に使われるスパイスを自分で調合し、オリジナルのタルトを焼くことにしたのだ。


「おい、今日のVIPって、イスファハール王国の王子だろ?」

 どこかから若手コックの声が聞こえた。

「あそこって石油は採れるわ、レアメタルは採れるわ、すっげえ金持ちなんだよな」

「王族はハーレムを持てるんだっけ?」

「取り巻き連中やら美女やらはべらせて、いいご身分だよなあ、うらやましい~」

 中東の金持ちがケタ違いだというのは、よく聞く話だ。

 頭に布を巻いて長い民族衣装をなびかせ、ヒゲ面に太鼓腹で、宝石をじゃらじゃらつけた中年男がマリーの頭に浮かんだ。

「わたしには縁のない世界ね。でもパリには中東出身の人も多いから、スパイスについてはずいぶん研究してきたわ。今日のタルトも気に入ってもらえるといいんだけど……」

そうつぶやくと、彼女はタルトの焼け具合を見にいった。


 八人ほどのきらびやかな男女が、VIP客専用にセッティングされた長方形のテーブルについていた。

 真っ白な上質のクロスにつや消しの黒を基調としたモダンな食器がよく映えている。

「さすがはオテル・ド・クリヨンね。さっきのソースは絶品だったわ」

「肉も魚も素材がすばらしかった。火の通し方、あれはもう芸術だね」

 彼らのために用意されたスペシャルコースは早くも終盤にさしかかっていた。

 ドレスアップした美女が四人、そして男性も四人。

 彼らの目の前に、美しく飾りつけたデザートの盛り合わせが供されている。

「あら、サイード、食べないの?」

 肩を思いきり出した細身の白いドレスの金髪美女が、隣の男性に声をかけた。

「ああ、ここのシェフはたいしたものだが、パティシエの腕はいまひとつだからね」

 その言葉どおり、目の前の皿は手つかずだ。

「今日のデザートはいいわよ。前に連れてきてもらったときとはひと味もふた味も違う感じ。手前のタルトだけでも食べてみたら? クリームと一緒に口に入れるととろけて、うっとりしちゃう」

「そうだよ、サイード。ぼくもここのデザートは感心しないほうだが、今日のこれは見事だ。この複雑な風味とコクのある甘みが心地いい」

 キャメル色のジャケットを羽織った男性もデザートをすすめる。

 ふたりに言われ、サイードと呼ばれた男性は気が進まない様子ながらもタルトをひと口、フォークで口に運んだ。

 一瞬のち、小さく目を見張ったかと思うと、二口、三口と手が動いて、結局タルトはなくなってしまった。

 フォークを置くや、サイードは言った。

「支配人を呼んでくれ」

 テーブルについたほかの男女が一様に驚くなか、サイードはナプキンを脇に放り出して椅子にもたれた。


 一分後、レストランの支配人が足早にやってきた。

「サイードさま、いかがなさいましたか? なにか不手際でもございましたでしょうか?」

 支配人は両手を前で組み合わせている。

「このタルトをつくったのはだれだ?」

「は?」

「今日のタルトをつくったのはだれかと聞いている」

「そ、それは……」

「呼んでくれ」

「は?」

「いいから、タルトをつくった人間をここへ連れてきたまえ」

「はっ、かしこまりました」

 常に冷静な支配人が顔色を変えてさがった。


 数分後、緊張の面持ちで戻ってきた彼の後ろには、思いがけず小柄な女性の姿があった。

「サイードさま、本日のタルトをつくった者を連れてまいりました。この料理人ですが、じつは当ホテルの人間ではございません。本日はやむなく――」

「おいしかった、ありがとう」

 一同が面食らった。

同じテーブルについている全員が、珍しいものを見たと言わんばかりに目を丸くして、驚愕の表情を浮かべている。

「うそ……サイードが料理人ごときにお礼を言うなんて……」

 北欧系の長身でプラチナブロンドの一流モデルが、隣の男性と顔を見合わせた。

 彼らの反応から察するに、このサイードという男性が礼を言うのは非常に珍しいことなのだろう。

 だが、そもそもマリーにはまったく状況が飲み込めていなかった。

 眉間にしわを寄せた厳しい顔つきの支配人が厨房にやってきて、料理長に嚙みつかんばかりに話をし始めたと思ったら、いきなり呼ばれてここへ連れてこられたのだ。

 ひれ伏さんばかりの態度の支配人。

 わずかに異国訛りのある美しいフランス語。

 このサイードという男性は、おそらく本日のVIP、イスファハール王国の王子だろう。

 けれども彼は、マリーの想像とはまるで違っていた。

 ヒゲ面でも、太鼓腹でも、民族衣装でもない。

 見るからに仕立てのよさそうなチャコールグレーのスーツに、磨き上げられた革靴。

 肩幅の広い均整の取れた体は引き締まり、きれいな筋肉がついているということが服の上からでもわかる。

 濡れたような漆黒の髪。

 ギリシャ彫刻かと思うほど彫りの深い顔立ち。

 そして“中東”の言葉からは予想もしていなかった、深い青の瞳……。

 われ知らず、マリーは彼に見とれていた。

「きみが今日のタルトを焼いたのか。これはとてもおいしかった」

 サイードがマリーのほうに目を向ける。

 吸い込まれそうな瞳になかば気圧されながら、マリーは口を開いた。

「あ、ありがとうございます。お気に召していただけて、うれしいです」

 ああ、声が震えそう……。

 マリーはつとめて背筋を伸ばし、彼の瞳の威力を受け止めてまっすぐに見返した。

 するとサイードの青い瞳が、射抜くほどの力強さでマリーの瞳をとらえ直した。

 彼の視線はそのまま彼女の顔から胸へと移り、ウエスト、腰、そして脚をたどるようにおりて、また上へ……。

 視線が顔に戻ってくるまで、たっぷり十秒はかかった。

 ど、どうしてこんなに見られているの?

 わたし、どこかヘンなのかしら?

 マリーは真っ白なコックコートに身を包んでいた。

 料理学校に入った十六歳のときから九年間、来る日も来る日もお世話になっているそれは、もう第二の皮膚のようになっている。

 しみひとつ残さぬように洗い上げ、糊付けして、アイロンもかけて――これをまとうたび、身の引き締まる思いがする。

 料理人は清潔第一。

 ウエーブのかかったチョコレート色の長い髪も帽子にきっちりとたくしこみ、ハート形の顔には化粧っ気もない。

 なめらかな白い肌。

 ひときわ大きく輝くすみれ色の瞳。

 その瞳が、いまは戸惑いの色を浮かべていた。

 思いがけず長いあいだ見つめられて、マリーは首から上が急にほてるのを感じていた。

 体の奥にまでじわりと熱が生まれてくる。

 こんな感覚は初めてで、指先が震えそうになる。

 息が苦しい。

 自分はいったいどうなってしまったの?


「名前は?」

 やおらサイードが口を開いた。

 マリーははっとし、あわてて説明を始めた。

「あっ、はい、タルト・オ・ゼピス(スパイス・タルト)と申しまして、その名のとおりスパイスが主役のお菓子なのですが、その調合はオリジナルの……」

 王子がけげんな顔をする。

「きみの名前を聞いておられるのだ!」

 支配人が横からマリーをつついた。

「えっ、あっ、ごめんなさい、つい……」

 自分の勘違いに気がつき、マリーは神妙な面持ちで言い直した。「マリー‐ルイーズ・フェリエです」

「マリー‐ルイーズ……可憐な名だ」

 サイードがふっと笑ってつぶやく。

「フランスではありふれた名前よ」

 サイードの隣に座っている金髪美女が目をくるりとまわした。

 フランスで売り出し中の新進女優イヴォンヌ・シャルトリューだ。

 小麦色のつややかな肌は照明を受けてパールのきらめきを放ち、カシュクールタイプの白いドレスの胸元からはデコルテどころが胸の谷間もくっきりと覗いている。

「さっき支配人が、きみはここのスタッフではないと言っていたけど、どういうことなんだい?」

 キャメルのジャケットの男性が尋ねた。

 フランステレビジョンの若手プロデューサー、ドミニク・セローは好奇心旺盛で、興味を持ったことはなんでも放っておけない性格だった。

 マリーは支配人の顔色をうかがうようにちらりと目をやり、彼がわずかにうなずくのを見てから答えた。

「ふだんは五区のビストロで働いているのですが、今日はたまたま、こちらでお世話になっています」

「ふうん、そうなんだ。今度きみの店にも食べにいきたいな。あとで教えてくれる?」

 ドミニクが軽い調子で言う。

「二週間後――」

 マリーが返事をする間もなく、まるで光が差し込むように、よく通る声が響いた。

 サイードの声だった。

「ぼくのアパルトマンでパーティを開く。そこで出す料理を、きみにつくってもらいたい」

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