第二十八話 〜怒りの理由〜
すっかり日も暮れた夜。
幾つもの外灯に照らされた猫館の前庭に、数台の黒リムジンが停車している。
そのリムジンの横。
前庭の中央にある噴水の周辺。
そして猫館の正面玄関の前に、ジャガーやヒョウの獣面を被った黒服達が立っている。
やがて玄関から歩み出てくる
その傍らを付き添うようにして歩くカプラは、もうカカポの
その金色の頬髭に彩られた美貌を惜しげもなく晒し、流水のように淀みない様子で前庭を進んでいく。
玄関を出たところで見送るのは、ヤマネコ婦人とイノシシ、そして数名のネコ少女。
誰も言葉はなく、ただ見送るだけのその者達を、女は振り返る様子もなかった。
「カプラ!」
だがそこに、若い男の声が響き渡る。
獅子が振り返った先に見たのは、包帯でぐるぐる巻きにされた男――。
「ちょっとまてやぁ! いででっ!」
片足を引きずり、右脇をミーヤに支えてもらいながら近づいてくる。
だがすぐに、黒服達に取り押さえられる。
「はなせっ!」
「一言物申すだけにゃー!」
リムジンから20歩ほど離れた位置でしばらく揉み合っていると、ようやくカプラがそちらを向いた。
そのカプラに獅子が問いかける。
「知り合いかね?」
カプラは何も答えず、ただロン達の姿を横目で見ていた。
だが、それで十分に二人の関係を理解したジョーは、黒服達に向かって合図を送った。
「くそ……」
開放されるロンとミーヤ。
肌蹴た包帯と痛む足を引きずりながら、何とかカプラの目の前まで来る。
「……悪いね獅子長さん」
「いいや、かまわない」
その声を聞いただけで、ロンは鳥肌が立った。
「ただし、手短にたのむよ」
「あ、ああ……そんなに手間はかからねえ」
ミーヤの支えを振りほどくと、ロンはカプラと一対一で向き合う。
今まで見たことも無いほどの冷えた眼差し。
二つの視線が、音も無く交じり合う。
「それが本当のあんたか」
女の眼には、どのような感情も浮かんでいなかった。
夜空に光る不死鳥の方が、よほど情緒豊かに感じられるほどだ。
その、どこまでも己をひた隠しにした目が、ロンの内面をこの上なく苛立たせた。
この後に及んで、まだ何かを欺こうとしている。
そう思えてならない。
「言うことがあるだろうが……。どんだけ酷い目に遭ったと思ってる」
静かな怒りをこめて問いかける。
後ろではミーヤが、挑むような視線でカプラを見ている。
「そうね」
そこでようやく、カプラは口を開いた。
ロンの後ろにいるミーヤに一度眼を向け、それから2秒ほど、長めにその目蓋を閉じる。
「短い間だったけど……楽しかったわ」
そして開く。
どこまでも蒼く澄んだその奥に、一瞬だけ、以前のカプラが戻った。
「あなたには感謝している」
「……それだけか?」
散々人に迷惑をかけておいて、楽しかった?
何というふてぶてしい言い種――。
しかしそれ以上は何も答えず、カプラはロンに背を向ける。
「まてよ!」
ロンはそれを止めるべく、一歩踏み出す。
まだ、聞きたい言葉を聞けていない――。
「もう話すことは無いらしいな」
だが、それを獅子の逞しい腕が遮った。
「残念だが時間だ」
「ぐっ……」
軽く、肩をつかまれただけだった。
それでもロンは、己の全てを押し潰されるような重圧を感じた。
戦闘力指数1000を誇る獅子の獣面。
それを被る人物もまたとんでもない傑物である。
まるで男の全身から、実体化したオーラが吹き出ているようだった。
「これまで彼女を守ってくれたこと、私からも感謝の言葉を述べておく」
獅子もまた、それだけ言ってロンに背を向けた。
――感謝の言葉なんてどうでもいい。
ロンは強く拳を握り締める。
腹が立って仕方ないが、腰が引けてしまって思うように動かない。
その上半身だけが、前のめりに傾いていく。
慌ててミーヤが、その体を引き留める。
「ロン、早まってはいけないにゃ!」
「……わかってる!」
意地や腕力で何とかなる相手ではない。
女も、獅子長も、既に生きる次元の異なる存在だ。
仕方なくロンは、最後に言ってやりたかった言葉を投げつけた。
「……死にたくねえんだろうが!」
リムジンの乗り口に足をかけていたカプラの動きが、その時一瞬だけ止まる。
「本当は生きたくて仕方が無いんだろう! カッコつけてんじゃねえよ、この腰抜け!」
ゆっくりとカプラが振り返る。
相変わらずの無表情。
しかしそこには、隠しきれない怒りが滲んでいた。
やがて夜叉のような影を浮かべつつ、傷ついた少女の声で叫ぶ。
「見くびらないで頂戴!」
全力で相手の存在を突き放す、強い口調。
ロンの表情も、思わず強ばる。
「死ぬ覚悟なんて、とうの昔に出来ていたわ!」
それだけ言うとカプラは、その身を車内に滑り込ませた。
衣擦れの音さえ、残しはしなかった。
「ふふ……」
様子を見守っていた獅子が、そこで一瞬、笑みを浮かべた。
それが何を意味していたのか、ロンには分からない。
ただ、ジョーが滅多に笑わない人物であることは知っていたから、その時の微笑は、ロンの胸に強い印象をもたらした。
やがて車の扉が閉じられる。
山羊を乗せたリムジンが、護衛の車とともにキングタワーへと引き返していく。
婦人とイノシシが歩み寄ってくる。
「行っちゃったね……ロン」
これまで経験したどんな怒りとも異なる感情が、腹の底から吹き上げてきた。
闇の中にはまだ、フリージアようなカカポの香りが漂っている。
「強がりやがって……」
今は無き女の幻影。
それに向かってロンは、言い表しようのないその感情をぶつける。
「……ちくしょうが!」
彼自身、何故こんなにも腹が立つのかわからないでいた。
周囲の者達もまた、今はかける言葉を持たない。
やがてミーヤの助けを借りながら、ロンはヨロヨロと館に戻っていった。
ようやく静けさを取り戻した前庭で、イノシシが呟く。
「ロン、それは……」
婦人が、猫たちが、その後姿を見つめる。
「……それは
傍から見れば、怒りの原因は明白だった。
ただ、助けたかった――。
オオカミの背には、はっきりとそう書いてあった。
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