第十話 〜湖畔にて〜
ロンは水辺に寝そべり休憩をとっていた。
その隣でカプラが湖に向かって石を投げる。
――シュッ……ピチャピチャ……。
石は水面の上で3回ほど跳ねて沈む。
「退屈……」
2、3度石を投げた後、カプラはため息をつきながらその場にしゃがみ込んだ。
目の前には、美しい湖面が広がっている。
少し離れた場所で、桶を担いだ水売りがその湖水を汲んでいる。
常に汚水が垂れ流されているにも関わらず、この湖はけして汚れることがないのだ。
「ねえ、なにか喋ってよ。このままじゃ私、退屈で死んでしまうわ」
「そいつは贅沢な死に方だ」
にべもなく返される言葉。
カプラは不満げに頬を膨らませる。
このようにロンは、まったく話し相手にならない。
ただ、畑の周囲をぐるぐる回るだけだ。
「あなたは退屈じゃないの? もうずっと歩き回ってるだけじゃない」
「……別に」
「いつまで続けるのよこれ……」
「明日の朝までだよ」
「ええ……!?」
無慈悲に放たれる言葉。
カプラは顔を青ざめさせる。
ロンにとってはいつもの仕事だが、彼女にとっては拷問にも等しいのだろう。
「もう、ずっとロクなことがないわ!」
「そいつはこっちの台詞だぜ……」
そう言って二人は、同時にため息をついた。
店に戻ろうにも、今のカプラは一人で歩けない。
ロンもまた農園から離れられない。
まさに八方塞がり。
「全部、あのハイエナ達がいけなのよ……」
いや、そんな変なマスクを被ってるからだろ――とロンは思ったが、口には出さなかった。
今更言ったところでどうにもならない。
口に出すだけ、体力の無駄であった。
そのまましばし時が流れた。
陽は高く、世界の辺縁を彩る光壁が、蒼空のような色彩を放っている。
カプラは草を弄って退屈を紛らわしていたが、やがて不意に、ロンの顔を覗き込んで言った。
「ねえ、ロンは私のことが気にならないの?」
「は?」
一瞬、何のことだかわからない。
「だってほら、私ってこんなに良い女じゃない。外に出た途端、襲われちゃうくらいに……」
と言って、獣面の鼻先がくっつくほどに顔を近づけてくる。
明らかな挑発行為。
いかにも不遜なその態度に、ロンは感情がにわかに逆立つ。
「なに言ってんだアンタ」
「私みたいな美女と一緒にいて、何とも思わないのかって聞いているのよ……! 男でしょ?」
さらにカプラはそう言って、ロンの胸板を指でつついた。
獣面の奥からは誘うような視線。
ふわりと漂う、花の香り。
「む、むぐ……」
不覚にも、つつかれた場所が熱くなるロンだったが、すぐにその意図に気づいた。
要は、退屈を紛らわす玩具を欲しているのだ。
瞬間的に、ロンは拳骨を落としてやりたい衝動に駆られるが。
「……べっつにぃ」
と言って横を向き、努めて平静を装った。
何らかの感情を発した時点で、相手の策にかかったようなもの。
その生き方とは裏腹に、ロンは実際、負けず嫌いだった。
「そう? 昨日、ロンが私を助けてくれたのって、本当にただの気まぐれだったのかしら……?」
見透かすような笑みとともに、カプラは体を起こした。
そして湖側に体を戻し、膝を抱えて小さくなった。
気まぐれというか、それより他になかった――。
ロンはそう言いたかったが、はっきり口に出すほどの自信と確証は、何故か無かった。
きっぱり見捨てようと思えば、おそらくそれは可能だったのだ。
ならばあれは、打算に基づく行動だったのだろうか?
つまりはこの女に、何かを期待していたと――。
「んん……」
ロンは、困ったように頭をかいた。
そんな訳はない。
俺にとって女とは、災いをもたらすものでしかない。
そう自分に言い聞かせる。
仮に、前もって『その正体』を知っていたとしても、進んで関わりたい相手ではなかったはずなのだ――。
「イノシシさんも、どうして急に考えを変えたのかしら……」
カプラの頬に生えていた金色の髭。
それが心変わりの原因だ。
彼女の素性と境遇が、それをもって判明した。
――金の山羊。
それが、カプラの正体であった。
サヴァナシティにおける不運の象徴。
あのお人好しなイノシシは、それを知って随分と感傷的になったらしい。
「……おっさんは女に甘いんだよ」
ロンは当たり障りのない答えを返す。
正体を知ったことを明かすべきか。
その答えがまだ出ていないのだ。
ロンとて、全く気持ちが動かなかったわけではない。
感傷とまでは言えないが、生涯無縁だったと思っていた存在を前にして言葉を失った。
相手への態度を決め
「…………」
気付けばロンは、その後ろ姿を見つめていた。
そして思った。
何故、こんなにも胸がムカムカするのかと。
彼女に対して怒りを抱いているわけではない。
ただ、彼女が金の山羊であるという事実そのものに、言い知れぬ苛立ちを感じる。
この感覚は一体なんなのだろう。
それは、長くサヴァナに生きているロンにもわからなかった。
生存本能を研ぎ澄ませるほどに、彼女は失ってはならないものだという感覚が返ってくる。
関わって良いことも、求める何かが得られることも、一切無いにも関わらず。
思考と感覚が相反する。
こんなことは、生まれて初めてだった。
「なあに? 私の顔に何かついてる?」
やがてカプラは、ロンの視線に気づく。
後ろに目でも付いているのか。
一瞬そう思ったが、単に男の視線に馴れているだけだろう。
「変な獣面だと思っただけだ」
誤魔化すように言と、相手は不思議そうに首をかしげる。
「そんなに変かしら? 丸くてふさふさしてて、私は可愛いと思うのだけれど……」
その鳥が、可愛いと形容されることは認めないでもない。
ただ、その愛らしさの裏には、隠しきれない悲壮が潜んでいた。
そしてあまりにも、彼女に似合いすぎていた。
「ああそうかい…………よっと!」
何かを断ち切るようにして、ロンは弾みをつけて起き上がった。
答えの出ない問に執着しても仕方がない。
いつまでも休んでいるわけにはいかないし、考え事なら歩きながらでも出来る。
「行くぜ、立てよ」
「うん……仕方ないけど、ロンに付いて回るしかないものね」
「なんなら袋の中に入っていればいい」
と言ってロンは、肩に担いだ麻袋を指し示すが。
「あら……!」
それを聞いたカプラは、ロンがたじろぐほどの笑みを浮かべたのだ。
「やっぱり……何だかんだ言ってロンは優しいわよね!」
「む、むぐぐっ……!? 勘違いするな! 話しかけられると面倒だからだ……」
実際、喜ばせようと思って言った訳ではないのだが――。
ロンは深く帽子を被り直し、足早に仕事へと向かう。
「うふふふ、いいわよ? 今はそういうことにしておいてあげる」
「ぐぬぬ……」
すっかり上機嫌になったカプラは、スキップまで踏み始めた。
ロンは余計なことを言ったと反省しつつ、ひそかに顔を赤らめるのだった。
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