第五話 〜地下水路〜

 ゴルゴンタワー周辺の瓦礫地帯を出たところで、女がロンを待っていた。


「何やってるんだ……」

「待ってたの、お礼を言わなきゃと思って」

「はぁ?」


 平然とした顔でそう言ってきた女を見て、ロンは唖然とする。

 お礼という言葉の意味すらよくわからない。


「何で逃げねえ!?」


 ロンはこれから、古い時代の地下水路を通って店に戻るつもりでいた。

 ひとまず後ろを確認し、追っ手がこないことを確認する。


「ちっ……」


 そして女には構わず、市街地に向けて歩き出した。


「まって! ここがどこなのかも分からないの……」

「……つくづく面倒な女だ」


 ロンは人の気配に注意しながら通りを進む。

 その後を女が追いかけてくる。


 比較的まともな形状を保っているビルは、全ての窓に鉄格子がはめられている。

 それは人を閉じ込めるものではなく、外部からの進入を防ぐためのもの。

 辺りは廃墟のように静まり返っているが、ここは間違いなく人が住む場所だ。


 少し行ったところに雑草が伸び放題になっている空き地があった。

 ロンは改めて周囲を見渡し、その中へと入って行く。


「あ、あの……」

「静かにしてろ」


 苛立ちながら、ロンは茂みの中に隠れているマンホールに手を伸ばす。

 古めかしい石の蓋を持ち上げる。


 それは水路への入口だった。

 ロンはその底を指差して、下に降りるようと促す。


「……ゴクリ」


 女は喉を鳴らしつつ、鉄の手すりに手をかけた。

 そして一歩一歩確認するようにして、地下へと下りて行った。


 続いてマンホールに入ったロンは、石蓋を閉じるとともに、ライターで周囲を照らした。

 下には、人が立って歩けるほどの通路が伸びている。

 ここは200年ほど前の獅子長が、外の世界を真似て作った下水設備である。

 今も細々と、街外れの湖に向かって汚水を流している。


「どうやって助かったの?」


 地下に降りて安心したらしい女は、いくらか表情を明るくする。


「掘っ立て小屋をクッションにしただけだ」

「そうだったの、凄いわね……それだけで助かっちゃうなんて」


 取り壊しが行なわれた場所には、未練を捨てきれない住民が戻ってきて、仮の棲家を作ることがある。

 ロンは、その中から目ぼしい小屋を見繕って飛び降りたのだ。

 普通の人間ならそれでも即死だが、ロンには獣面の加護がある。


「あんたも、割とまともに飛んだじゃないか」


 月夜の光景を思い出して言う。

 

「正直自分でもビックリしたわ。それにちょっと……楽しかった」

「あ?」


 存外にも、剛毅な言葉を返してくる女に、ロンは少なからず動揺した。

 先ほどまで生命の危機にあったはずなのに、存外、腹が据わっている。

 一瞬そう考えて、感心しそうになるが。


「ふん……」


 すぐにそれが無意味なことであると気づく。

 いずれしても、彼女を助けることにメリットは無いのだ。


 ここサヴァナにおいて、大抵の人助けは命取りだ。

 ヒーロー稼業を気取る輩もいるにはいるが、それは、よほど力が有り余った者にだけ許された娯楽だ。

 そして今のロンに、そんな余裕はなかった。


「一体なんなんだよアンタ……」


 だからさっさと会話を切り上げる。

 そして黙って、水路を進む。



 * * *



「うふふ……」


 女は当然のように、ロンの後をついてきた。

 いかにも機嫌が良さそうなオーラが背中ごしに伝わってきて、ロンはひどく落ち着かない。

 先程から、どうやって別れたら良いものかと思案しているが、これといった策を思いつかない。


「私、カプラっていうの。貴方の名前を教えてくれない?」


 なんとなく予想していた言葉。

 ロンはぎくりとしながらも、平静を装ってそれに答える。


「そんなのを知ってどうする? もうこれっきり会うこともないんだ」

「そうかしら? 私は運命じみたものを感じているのだけど……」


 ため息をつくロン。

 やはり、無理にでも置き去りにするしかないのか――?

 頭ではそう考えるも、直ちに実行に移すことは何故か出来ない。


「ん……」


 脳裏にチラつく、月と鳥。


「私、わけあっていま一人ぼっちなの。仲間が一人もいない……。有り金はたいてこの獣面を買ってはみたけど、全然だめね。このままじゃ、いずれさっきみたいな人達に捕まって殺されてしまう」

「……それがサヴァナだ」


 と言って突き放すが。


「でも、助け合って生きている人達もいるわ。貴方にもお仲間さんがいるんでしょう? せめてその人達を紹介してもらえないかしら? とにかく私は今、仲間が欲しいの」


 無言で歩き続けるロン。

 女があまりにもピッタリとくっついて歩くものだから、徐々に居た堪れなくなってくる。


「むうう……」

「私、手先は起用な方だし、細かい作業なんかには向いていると思う。あと踊りも出来るし、楽器も一通り弾けるの。そういう商売をしている人の所なら、色々と役にたてると思うのだけど……」


 だが、ロンの仲間と言える人物はイノシシのマスターくらいだ。

 あの安っぽい袋麺の店に、踊り子や歌い手が必要だとは思えない。


「悪いが、そんなアテはねえ」


 そして何より、女の素性がまるで知れない。

 ハイエナ達にも目をつけられてもいる。

 関わり合って良いことなど、どう考えてもありはしない。


「この先に、コロシアムの近くに出る場所がある。そこにゲートがあることくらいは知っているな? そこをくぐって外の世界に出ろ。そして二度と戻ってくるな」


 どの道、お前はサヴァナで生きられる人間じゃない。

 法に守られた世界で、平穏な人生を送れ。

 ロンの言葉はそう告げていた。


「それは出来ないの」


 だがカプラは、すぐに否定してきた。


「それだけは……だめなの」


 押し殺すような声で言う。

 どうやらロンの想像以上に、込み入った事情を抱えているらしい。


「じゃあ適当な出口から外に出ろ。それで娼館の扉でも叩けばいい」

「…………」

「あんたほどの上玉なら、どこでも大事にしてもらえるだろうよ」


 そこまで言うと、カプラはさすがに黙ってしまった。

 ロンは帽子を脱ぐと、ライターを握った方の手で、獣面の上から慎重に頭をかく。

 先程から、妙な汗が出て仕方がなかった。


 地下水道には、しばし二人の足音だけが響いた。

 表情にこそ出さないが、ロンは困り果てていた。

 このままカプラを置き去りにすることは可能だ。

 しかしその行為に対して、後ろ髪を引かれる思いがあるのもまた事実だった。


 どうしてなのか。

 先ほど、夜空を飛んだ辺りから調子がおかしい。

 あの胸の内に生じた熱は、一体何だったのか?


 そして恐らくは、女はこの葛藤に気付いている。

 それがまた、何とも言えず気まずいのだった。


 微妙な空気を漂わせて歩くこと十数分。

 やがて『インスタントMEN』のある街区に、一番近い出口まで来た。


「悪いがここまでだ」


 ロンはカプラの方を振り向くと、毅然とした口調でそう告げた。


「後は自分の力で生きろ」

「…………」


 カプラはうつむき加減で、両拳をきつく握り締めていた。

 これまで見た中でも、一番深刻な表情を浮かべている。

 なにか重大な決断が下されようとしている気配が、ありありと感じられる。


 ロンはそれらから目をそらしつつ、壁面に打ち付けられた手すりに手をかけた。

 するとその腕に、スッと女の細腕が伸びてきた。


「お願い……私を連れていって」


 カカポ面の奥から、湖のような視線が伸びていた。

 己の全てを投げうつような、決意に満ちた瞳だ。


 しかし、それでいて女は何かを諦めているようでもあった。

 澄んだ瞳の奥に沈むのは、底知れぬ闇――。

 どこまでも透き通るが故に、その闇は殊更に深く感じられる。


 そんな視線に射抜かれて、ロンは身動きがとれなくなった。

 まるで見つめられる側もまた、その深い闇に飲まれていくかのように。


「どうしても仲間が欲しいの……そのためなら私」


 いよいよカプラは、その決意を口にする。

 それは喉元まで出かかっている。

 片手はロンの袖をにぎり、もう片方はきつく胸にあてられ、地下水路の静寂の中、その鼓動がはっきりと伝わってくる。


 ベージュ色のドレスは、ハイエナ達の攻撃によってボロボロになっている。

 足は膝の上まで露出して、他にもあちこち、肌が透けて見えている。

 だがそれはあえて晒されているようでもあり、ロンの奥底にあるものを、不思議と掴んで離さないのだった。


『……ゴクリ』


 さて、喉をならしたのはどちらであったか。

 いよいよ己の魂が試されていることを悟ったロンは、彼女がそれを口にする前に手で制した。


「わかったよ……わかったからそんな眼で俺を見るな」

「あ……」


 瞬間、女の表情が氷解した。

 そして瞳の下の雫となり、ポロポロと流れ落ちていく。


「な、泣くなバカ!」

「ふ、ふえ……ごめんなさい、つい」


 幾度か目を拭って気を取り直すと、カプラは再びロンを見上げた。


「ひ……ひとまず、知り合いの店を紹介してやる。もしかすると部屋くらい貸してくれるかもしれねえが、上手くいくかどうかはお前の交渉しだいだ……」

「うん、ありがとう……それで十分よ! 頑張ってみる!」

「ったく……今日はとんだ一日だ」


 イノシシのマスターが、さてどんな顔をするやら。


 女に甘いおっさんのことだから、案外あっさりOKするかもしれない。

 だが、素性もしれない女を匿うことの危険を知らないわけでもないだろう。

 金もあまり持ってそうにないし、養うとすればただの石つぶしになる……。


 先が思いやられて仕方がなかった。


「ねえ、名前を教えてくれない?」


 ロンはしぶしぶその名を告げる。


「覚えやすいわね!」

「よく言われるよ」


 だから教えたくなかったんだ――。

 胸のうちで毒づきつつ、ロンは地上へと上がって行く。

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