第四話 〜月夜〜

 体力勝負であれば、断然オオカミの有利だ。

 ハイエナ達は二人とも太っており、さして俊敏ではない。

 女を背負ってなければ、とっくに逃げ切っていただろう。


 しかしロンは、人を一人背負って走っているのだった。

 女の体は軽い方だが、それが絶妙なハンデとなっていた。

 追いつかれることも引き離すこともなく、ひたすら逃げ続けること十数分。

 ロンはやがて、遮蔽物のない地形へと、追い詰められるように飛び出していった。


「げげっ! なんだこりゃ!」


 そこは建造途中の高層ビル、ゴンゴンタワーの足元だった。

 かつて迷路のような市街が広がっていたが、いつの間にか取り壊されていたようだ。

 今は瓦礫の荒野と化している。


「あのライオン野郎! いつの間に!」


 例の雷によることは疑いない。

 この辺には、ロンのお気に入りの店も何軒かあった。

 特に美味いケバブを食わせるあの店は、今度金が貯まったら行こうと思っていた。

 ロンはその場で地団駄を踏みたい衝動に駆られたが、今はそれどころではない。


「グガアアアー!」

「くそがっ!」


 後頭部めがけて襲い掛ってきた牙を紙一重でかわす。

 ハイエナの強靭な顎が、頭蓋骨の代わりにコンクリートブロックを噛み砕く。


「しつけえ! 一体なんなんだ!」


 ただの暴漢にしては、異様なまでの執念だ。

 事情を問おうにも、女はロンの背中にしがみついたまま悲鳴も出せずにいる。


「このままじゃマズいぜ……」


 獣化状態でもう随分と動き回っている。

 この状態は体力の消耗が激しい。

 対してハイエナ達は、代わる代わる獣化しながら常に全力の攻撃をぶつけてくる。


「おい、お前!」

「ううっ……」


 瓦礫の荒野に聳えるゴルゴンタワーを目指しつつ、ロンは背中の女に檄を飛ばす。


「鳥なんだろう!? 自分で羽ばたくとか出来ねえのか!」

「そ、そんなこと言われたって……!」


 絞り出した声は恐怖にかすれていた。

 怯え方や服装から察するに、やはり外の世界の人間だろうか?

 どういう経緯でこの世界に至り、そして獣面を手に入れたのか。

 今は知りようもないことだが、使いこなせないのであれば持っている意味はない。


「やらなきゃ死ぬぞ! つうか、もう限界だ! 無理ならここで振り落とす!」

「……そんな!」


 瓦礫の上を疾走する背の上で、女は表情を凍りつかせた。

 ロンとて人助けをする性分ではない。

 サヴァナでは我が身を守ることが最優先だ。

 自らの力で羽ばたけないのなら、その命はそれまでということ。


「何があったのかは知らねえが、ちったあ気張れやこのブス! 重てえんだ!」

「……な!?」


 そこまで言われてようやく、女の瞳に恐怖以外の感情が浮かんだ。

 

「……んななな!?」


 生まれてこの方、聞いたこともない暴言だったか。

 獣面の上からでも美女であることがわかるその表情が、みるみる屈辱に歪んでいく。


「なんてことを言うの!? これでも私はレディなのよ!」


 目尻には涙まで滲んでいる。

 相当にショックだったらしい。


 だが、ロンは思う。

 少しはまともな目になったじゃないか、と。


「うっせえ! こっちはここまで運んでやったんだ! 後は自分でなんとかしろ!」

「でもわからないのよ! どうしたらそんな獣みたいな姿になれるの!?」

「怒りでも恐怖でもなんでもいい! とにかく本能を爆発させろ!」

「……本能?」

「ああそうだ! というか、こんだけ追い詰められれば……」


 ロンは走りながらチラリと後ろを見る。

 すると――。


「出来かけてるじゃねえか! 自分の手を見てみろ!」

「えっ!?」


 言われて女は、己の腕先を確認する。


「嘘!? なんで!?」


 そして驚愕する。

 なんとその腕には、黄緑色の羽が生え始めていたのだ。


「テンションあがると勝手になる! 何でも良い! 叫べ! 気持ちを高ぶらせろ!」


 そこに再び、ハイエナ男が飛びかかってくる。


「グルアアアア!」

「うおっと!」


 地を蹴って横に飛ぶ。

 鈍い光を放つ爪が女のスカートにかかり、その生地が半分持っていかれる。


「いやああああああ!」

「良いじゃねえかその調子だ! もっと気合入れて叫べええ!」

「い、いやああああー!?」

「間の抜けた声だしてんじゃねえ! 次でお前は確実に引き裂かれるぞ! それであいつらにとっ掴まって、一日中嬲られて死ぬんだ!」

「……!?」


 ロンが怒鳴ると、背上の女は一瞬にしてその表情を失う――。


「そ、そんなの……」

「嫌なら叫べ! 死ぬ気でさけ……ああ?」


 だがその瞬間、ロンは寒気が走るのを感じた。

 未だかつて無い感覚に振り向くと、そこには冷めた鉄のような瞳が。


「そうね……それが現実」


 一言だけそう言うと、女はしばし虚空を睨んだ。

 そして理性も品格もかなぐり捨て、ついに完全なる獣と化す。


――PYAAAAAAAAA!!


 夜を裂く咆哮。

 直後、女の獣面から大量の羽が噴き出した。

 さらには、その関節と筋肉の形がグネグネと変化していく。

 変異は全身へと至り、衣服を貫いて、またたく間に全てを飲み尽くす。


――クルッッッッッポオ!


 明らかに物理法則を無視した挙動。

 女の体はどんどん小さくなり、やがて人の頭ほどになった。

 そして、黄緑色のまん丸な鳥となって顕現する。


「ハァハァ……! これでいい!?」

「あ、ああ……上出来だ、あとは全力で羽ばたけ」


 鳥と化した女は、言われるままに、その頼りない翼を羽ばたかせる。

 だが――。


「どうした飛べ! 飛んで逃げろ!」

「く、くうっ……!」


 パタパタパタ、パタパタパタ――。

 いくら羽ばたいても空を飛べる気配がしないのだった。


「飛べないわ……!」

「んなアホな! どんな鳥だ!」


 むしろ広げた翼が空気抵抗になって、ロンの逃げ足を鈍らせている。


「お、お店の人はカカポって言ってたけど……」

「なんだよそれ、聞いたこともねえ!」


 二人が言い合ってるうちに、またもやハイエナの片方が追いついてきた。


「いい加減止まれやクソ犬!」

「しつっけえんだよデブッ!」


 一転してロンは急ブレーキ。

 勢い余って追い越していったハイエナに、今度は強烈な頭突きをぶちかました。


「オラァ!」

「グフエッ!?」


 潰れたカエルのような声を出して男はひっくり返った。

 ロンはその上を跳び越えて再び疾走。

 素早く周囲の状況を確認する。


 見渡す限り、綺麗に均された瓦礫の荒野。

 隠れる場所はまったくない。

 利用できそうなオブジェクトは、目の前にそそり立つ建設途中の高層タワーくらいだ。


「もういい! 羽ばたくのをやめろ!」

「……なんとかなる?」

「軽くはなったからな! あの出来かけのタワーを登る! 掴まってろ!」


 背中の上のカカポという鳥は、愛嬌に満ちた外見とは裏腹に、邪悪なほどの脚力があった。

 強靭な足の爪で、ガッチリとロンの背筋を掴んでくる。


「いでっ!?」


 思わず悲鳴を上げるロン。

 顔を歪めつつ瓦礫の上を駆け抜け、タワー手前でジャンプ。

 組まれたままの足場に飛び乗りさらに跳躍。

 無数にある窓枠に足をひっかけて、屋上までの200m超をひたすらに駆け上がった。


「お、落ちちゃう!」

「だからしっかり掴まっ……いでででえ!」


 完全に垂直となったオオカミの体。

 その背中に立つカカポは、真っ直ぐに夜空を見上げる格好だ。

 背筋を掴む足に、さらなる力がこめられる。


 まったく不安定な姿勢だが、カカポはその翼を必死に羽ばたかせてバランスを取る。

 ロンは一心不乱に壁面を走る。

 ある意味では一心同体。


――どうして、こんな厄介なことに。


 先ほどまでそう思っていたし、今でもそう思っている。

 だが、事ここに至っては是非も無しだ。

 あの欲深なハイエナどもの標的にされてしまった以上、逃げるための最善を尽くさなければならない。


「はははっー!」

「しくじったなオオカミ野郎!」


 ハイエナ達もまた、後を追って壁面を登っていた。

 ロン程の速さは無いが、その表情には余裕が見られる。


「屋上に逃げ場はないぜ!」

「首を洗って待ってな!」


 男達は二手にわかれ、屋上でロン達を挟み撃ちにする作戦だ。

 だがロンは気に留めず、新築物件に特有の浮ついた匂いを放つタワーを昇る。


「どうするの……? こんなので逃げれるの?」

「そいつはあんた次第だ……」


 窓枠からクレーンの台座に飛び移り、そこを足場にして一気に屋上へと躍り出る。

 20m四方もない狭い屋上には、梱包された設備と建築資材がまばらに置かれている。


「ぐへへへ……」

「ここまでだぜ!」


 ついに、ハイエナ達が追いついた。

 ロンは背中の上のカカポとともに、屋上の中央で挟まれる。

 地上200mの高みに、視界を遮るものは何も無い。


 夜空の不死鳥が、ただ静々と輝くのみ。

 じりじりと距離をつめながら、男たちはすでに勝利の表情でいる。


「観念して女と獣面をよこしな」

「ついでにその命もな」

「ふん……」


 一つめの女はまあいい。

 二つの獣面はいざとなったら仕方がない。

 しかし三つめだけは絶対にくれてやるものか。


 ロンはオオカミのまま、しばし呼吸を整えた。


「じゃ、飛ぶぜ」

「えっ……?」


 そう言ってロンは、屋上の辺縁に向けて顎をしゃくる。


「ええ!?」

「あそこからな」


 まさかこの高さから――?

 カカポの円らな瞳が、これでもかと見開かれる。


「全力で飛ぶから、あんたはその翼で遠くに飛べ。滑空くらいはできるだろう?」

「で、でも……そんなことをしたら!」


 このオオカミさんはどうなってしまうのか――。


 当然、女の脳裏に浮かんだであろう疑問。

 だがロンは、それには答えない。


「……出来なきゃそれでしまいだ!」


 それだけ吐き捨てると、屋上の淵に向けて走り出す。


「てめえ! 何をする気だ!」

「まさか!」


 ロンの意図に気づいたハイエナ達が、慌てて追いかけてくる。

 だが次の瞬間には――。


「あばよ!」


 銀色のオオカミは夜空に舞っていた。

 背上のカカポは、そのくちばしを最大限に開き、死を前にしたような形相。


「クポーー!?」

「翼を開け!!」


 背中に食い込んだ爪を外すため、ロンは一瞬だけヒトの姿に戻った。

 それに続いてふわり、カカポの体が浮き上がる。

 ただ広げるしかない翼は、それでも確かに風を掴んだ。


「と、飛べた……!?」


 ぎこちなくも風に乗り、薄明かりの中で滑空を始める。

 ロンは軽く首をひねって、その姿を瞳にとらえた。


――何だよ、やれば出来るじゃないか。


 満月の下、飛べない鳥が舞っていた。

 その姿と夜空の不死鳥とが、不思議なほどに重なって、ロンの胸に言い表しがたい熱をもたらす。


 タワーの屋上では、二人のハイエナが口をポカンと開けている。

 全ての事象が思い通りに進んでいることを確認すると、ロンは地上の闇へと眼を向けた。

 あとは、自分が生きるだけ。


「ねえオオカミさん……! 私いま、飛んでる!」


 時折聞こえる、ぎこちない羽音。


「俺は落ちてるけどな……」


 ロンは小声で呟きつつ、再びオオカミの姿になる。

 そして急な放物線を描きながら、瓦礫の荒野へと落下していった。

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