愛は地球を救う

メトシミウム

愛は地球を救う

「父さんな、地球を守ることにした」

 平穏な日曜日の朝は、父の一言で崩壊した。

 どこにでもある一般家庭。テーブルの上にはカリカリの目玉焼きとお味噌汁。あと、昨日の残りのきんぴらごぼう。それらをアツアツのご飯で頬張る。父、母、祖父、私で食卓を囲む。

「どうしたのよ急に」母が答える。

「いや、皆には黙ってたんだけどな、父さん、昔からヒーローに憧れてたんだ」

 父が突発的に何かを宣言するのは、今に始まったことではない。小学生の頃、突然「キャンプに行こう!」と叫んで、家族全員を山に連れて行ったことがある。発起人が張り切るのは構わないが、せめてテントの張り方くらいは予習していてほしかった。雨の中テント張りを手伝わされて、えらい目にあった。

 その後も、海に行こう、風を感じよう、カブを育てよう、株式を育てよう、などなどを経て、今日にいたる。まあ「地球を守ろう!」でないだけ、まだましか。父が一人で勝手に地球を守る分には、私は別に何も気にしない。ていうか、心底どうでもいい。

「いいんじゃない、別に。頑張って」適当に言って味噌汁をすすると、父は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、愛。父さん頑張るよ。それでな、まずはやっぱり地域の人に、活動を認識してもらうことが大事だと思うんだ。だからとりあえず、これから毎日、町内を空からパトロールすることにした」

「空からって?」

「ああ、それも言ってなかったな。実はな、父さん空を飛べるんだ」

 家の外で犬が吠えた。隣の家のポチ太郎に違いない。この時間はいつも散歩をしている。

「意味わかんないんだけど」

「見たことないか? スーパーマンとか、あんな感じだよ。ああ、今の若者は、ひょっとしてスーパーマン知らないか」父は胸を反らして右手を高く掲げた。

 真面目な父の間抜けな格好がなんだかおかしかった。でも、嘘を言っているようにも見えなかった。

 私がリアクションに困っていると、母がさらに驚くことを言った。

「あら、じゃあ私も手伝おうかしら。実は私も特殊能力があるのよ」

 ドッキリか?! と部屋をキョロキョロ見回してみたけど、カメラらしきものは見つからない。

「やめてよ、お母さんまで」

「いいじゃない、おもしろそうだし。それに、私の能力、あなたに使ったこともあるのよ」

「え?」

「私の能力は治療ヒール。愛、あなた小さい頃、よく転んでたでしょ?」

 母に言われて、私は子供の頃を思い出す。確かに私はよく転ぶ子供だった。転ぶたびに母に泣きついては「痛いの痛いの飛んでいけ」ってやってもらってたっけ。

「あれね、実は本当に痛みを消してたの。痛覚を麻痺させて、免疫細胞を活性化して――」

 母の説明は専門用語のオンパレードだった。私は途中から聞くのをやめて、朝ご飯に集中することにした。

 すると、突然父が叫んだ。

「ああっ!!」

「今度は何?」呆れ口調で私は言う。

「トラックに轢かれたとき!」

「ばれちゃった?」母はイタズラをしたときの子供みたいに笑った。

 私がまだ生まれる前、両親が大学生だった頃、父は母とのデート中に車にかれたことがあったそうだ。信号無視した大型トラックが、手を繋いだ二人目掛けて突っ込んできたという。

 父は咄嗟に母をかばった。そのおかげで母はなんとか轢かれずにすんだのだが、父はトラックに跳ね飛ばされてしまった。

 目撃者の誰もが、口にするのもはばかられるような悲惨な結末を想像したのだが――

「いやぁ、あのとき医者に言われたんだよ。本当に車に轢かれたんですか、って。三輪車の間違いじゃないんですか、ってさ」

「うふふ」

 どうやら今の父があるのは母のおかげらしい。

「あのとき、母さんが助けてくれたんだろう? 本当に助かったよ。ありがとう」

「いいえ。最初に助けてくれたのはあなたでしょ? あのとき二人で轢かれていたら、どっちもそのまま助からなかったわ」

 見つめあう二人。視線が交錯し、熱く混ざり合う。その脇で冷める味噌汁と私。あほくさ。

「どうでもいいけどさ、私を巻き込まな――」

「私も気づいたことがあるの。木の上の風船。あれって、あなたの能力でしょ?」

 今度は父が恥ずかしそうに微笑んだ。

 これもまた、私が生まれる前の話。二人が公園でデートをしていたとき、見知らぬ女の子が、木に風船を引っかけてしまったそうだ。

 脚立を用意しても到底届かない高さに引っかかる風船を、父はジャンプして軽々と取ったのだという。

「んな馬鹿な」

 私のツッコミを意に介さず、二人の世界は続く。

「私、てっきりあなたのこと、跳躍力に優れた人だと思い込んでたわ」

「ははは。なんだか言い出しづらくてね。あれはただ単に、ばれない程度に空中浮遊して風船を取っただけさ」

 何かがおかしい。二人の会話も、この空間も、何もかもが全部おかしい。「いや、もしかしたらおかしいのは私の頭か?」などと、自分を疑い始めたとき、ふと別の疑問が浮かんだ。

「あれ? そういえば、地球を守るって言うけどさ。何から守るの?」

 テレビのニュースが政治、経済の話に切り替わる。おじいちゃんが「また増税か」と呟く。まさか増税から市民を守るわけではあるまい。実際に出来たら間違いなくヒーローだとは思うけど。

「何からって、そりゃあ怪獣とか怪人とかじゃないか?」父が答える。

「怪獣も怪人もどっちもいないでしょ」

「いや、わからないぞ。ここに超能力者が二人いるんだから、突然怪獣が街で暴れまわってもおかしくはない」

 母は、賛同するように首を縦に振った。

「じゃあ、仮に怪獣が実在したとして、どうやって倒すの? お父さん、空を飛べるだけなんでしょ? お母さんだって怪我の治療しかできないし」

「それは……」父は言葉に詰まった。

 私はなぜかむきになっていた。二人を言葉で言い負かそうとしていた。議論で勝つことが出来れば、これまでの非現実的な出来事が、すべて白紙に戻る気がした。

 二人が沈黙し、私が勝利を確信したとき、おじいちゃんが口を開いた。

「それは、ワシに任せてもらおうか」

「えぇー、何、おじいちゃんまでそっち側なの?」

「ワシにも実は特殊能力がある」

 おじいちゃんは、どこからどう見ても普通のおじいちゃんだった。特殊能力どころか普段の体力さえ心配な、よぼよぼの老人だ。

「もうホント、勘弁して。そういうのいらないから」

 私は冷めた味噌汁を一気に飲み干すと「ごちそうさま」と言って、席を立とうとした。

「まあ、待ちなさい、愛。ワシらの力で地球を守れるかもしれないんじゃろ? だったらワシは、喜んでこの力を使おうじゃないか。ワシはな、目からビームが出せるんじゃ」

 そう言って、おじいちゃんは右目でウインクをした。その瞬間、閃光が走り、居間に飾ってあった花瓶が二つに割れた。緑色の直線が網膜の裏に焼きつき、残像でチカチカする。

「うわ、すっごい」

 花瓶は、まるで最初からそう作られていたかのように、綺麗に真っ二つに切れていた。

「最近は老眼で精度が落ちてきたんじゃが、怪獣の一匹や二匹なら簡単に焼き殺せると思うぞ」

 怪獣を焼き殺すよりも、自分の火葬のほうが先に来そうな老人が何を言っているんだ、と脳内でツッコミを入れる。

 不自然な沈黙。皆の視線が私に集まる。

「何よ」

「いや、この際だからさ。全員、ちゃんと能力は共有したほうがいいかなって」

「そうよ、何も恥ずかしがることはないわ」

「どんな能力でも、愛はワシのかわいい孫じゃよ」

 四面楚歌。どうやら皆、私にも特殊能力があると疑っているらしい。

「あのね! 私は普通の女子高生でいたいの! 勝手にトンデモ家族の一員にしないで!」私が机を叩くと、父がビクッと表情を強張らせた。

「私、これからデートがあるから。邪魔しないで。ごちそうさま」

 自分の分の食器をキッチンに下げにいくと、父が母に尋ねる声が聞こえた。

「デートって、そんな相手がいるのか。初耳だぞ」

「あら、私は知ってたけど。タクミ君、とってもいい子よ」

「会ったことがあるかのか?! いつだ。まさか家に上げたんじゃないだろうな」

「さあ、どうだったかしら」

「俺は認めんぞ。どんな能力を持っているかもわからない奴と、軽々しく交際だなんて、絶対に認めないからな」

 なぜ、皆特殊能力を持っている前提なのか。ウザすぎて、なんだか一周回って笑えてくる。

「バッカみたい」

 わざと聞こえるように大きな声で言って、二階へと上がる。自分の部屋のドアを、これでもか、というくらい強く叩きつけて閉める。もちろん、これもわざとだ。

 床に座るとひんやりとお尻が冷たい。今日はタクミ君とのデートだから、張り切りすぎて早起きしてすぐに準備をしてしまった。着替えも化粧も朝ご飯のあとのほうが良かった、と気づいたのは食卓についてからだった。

 まあ、今となっては、この選択もあながち間違いとは言い切れないのだけど。

 ほら来た――

 階段を上る足音が聞こえる。

「愛。ちょっといいか」

 低い声とノックの音が廊下に響き渡る。

「さっきはすまなかった。父さん、少し取り乱したみたいだ。話がしたい。出てきてくれないか」

 ドアは開かない。開くわけがない。

「まあ、いい。じゃあ、このまま聞いてくれ。父さんな、ずっと愛のことを子ども扱いしてた。ごめん。まず、それを謝る」

 予想外の言葉に、思わず背筋が伸びた。

 なによそれ――

「父さんにとって、愛はかわいいかわいい一人娘で、それは今までもこれからも、ずーっと変わらない」

 やめてよ――

「愛も高校生だもんな。彼氏くらいできるよな。なんだか、ついこの間までこんなに小さかった愛に、彼氏ができるなんて信じられなくてな」

 やめてって――

「親が寂しい気持ちになるのは、子供が成長した証なんだろうな。これからは余計な口出しはしないようにするよ。もし、父さんがまた何か口うるさく言ったら、そのときは遠慮なく注意してくれ。父さんも気をつけるようにするから」

 バッカみたい――

 父ではなく、私がだ。

 素直に謝られるとは思っていなかったので、感情の整理に戸惑った。くだらないことでイライラしていた自分が、幼く感じられた。

 これじゃ、私が子供みたいじゃない――

 さっきとは別のイライラが胸の内に沸いてくる。

 ああっ、もう、わかったわよっ――

 デートに出かける前に、こちらも一言謝ろうと思って立ち上がると、父が再び口を開いた。

「とりあえず、口を出すのはやめるから、そのかわり今日のデートを見学させて欲しい。大丈夫。見つかるような、へまはしないから。なんたって、父さんは空を飛べるからな。ばれないように上空から見てるから、気にしなくていいぞ。あ、あんまり建物の中に入るのはやめてくれよ。部屋の中でおじさんが飛び回ってたら、目立つからな。公園なんかいいんじゃないか。天気が良くて、気持ちがいいだろう。あっ、もし、木に風船を引っ掛けたときは、すぐに合図してくれ。父さん、全速力で助けに行くからな。はっはっはっ」

 前言撤回。やっぱ、ダメだこの人。

 父の背中を見つめる。大きくて、広い背中。口うるさいけれど、優しい背中。

 ドアの前で喋り続ける父に気づかれないように、そっと階段を降りる。

 リビングではおじいちゃんがテレビを見ていた。キッチンではお母さんが洗い物をしている。

 二人の意識の間をすり抜け、私は玄関に出る。

「いってきます」

 微かな空気の振動は、誰にも聞かれることなく、宙へと消えた。


 空が遠く澄み渡っていた。何も変わらない、いつもの街並み。

 もし、この平和な世界に突然怪獣が現れて、さらに万が一、タクミ君が危険な目にあうとしたら、私はどうするだろうか?

 そんなの決まっている。私は全力で彼のために戦う。

 まあ、そのときくらいは、あの口うるさい空飛ぶおじさんと協力してやってもいいかな。

 散歩から帰ってきた犬が、誰もいるはずのない空間に吠えた。

 透明人間の心は、きっと晴れた空と同じ色をしている。

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