02 ベータ

 自分が死んだと報道されてから。もうすぐ日付が変わって、十年になる。


 仕事のためには、死ぬことが、必要だった。生きている人間として認知されたままでは、仕事ができない。


 官邸直属の、覆面内偵捜査官サイレントスイーパー。そして同時に、海沿いのこの街の顔役。


 ずっと、両方の顔を立てて、なんとか街と国がぶつかり合わないようにしてきた。


 そして、急に。限界が来て。心がこわれた。それまで一度も思ったことがないのに、しにたいと強く感じて。しに場所を探して、街をあてどもなく彷徨っていたとき。


 彼と出会った。


 しのうとしている私に気付いて。酒でも呑もうと言って、近くのコンビニで安物の日本酒を買ってきて渡してきて。からくて、呑めなかった。それを見て、彼は笑っていた。


 それからは。ずっと彼と一緒だった。


 彼は、人が良すぎるから。生きるのがとても下手だった。


 詐欺グループの末端の受け子に同情して、詐欺グループの受け子を全て逃がしてあげたりするようなひと。その詐欺グループは私が全員一人残らず処分した。


 情勢が変わって資金難にあえぐレストランを、ごはんがおいしいからという理由で助けたりもしてたっけ。街の導線を見直して、裏から店として再建させたのは私。


 ソフトクリームを地面に落として泣いている子供に同情して、夕方まで一緒に公園で遊んであげてたこともあった。私はその子の親に不審者ではないことを説明して、帰り際にソフトクリームを買ってあげた。彼にも買ってあげたんだっけか。おいしそうにソフトクリームを食べてたのが、思い出される。


「わたし。なんもしてないなあ」


 彼が、やさしかったから。私は、彼の側にいるだけで、幸せだった。


 幸せだったのに。


 仕事は、否応いやおうなく迫ってきた。


 やさしい彼の前で、霞まないぐらいの自分でいたい。思春期なりたての男みたいな、ちっぽけなプライドだと自分でも思う。それでも。彼に見合う、彼の隣にいるのにふさわしい自分でいたかった。


 街と国の仕事。その両方をこなすために。いちど、死ぬことにした。警察に死亡診断書と事故の調書をでっち上げさせて。報道機関と細かく打合せして。自分が、死んだことにした。


 死んだので。彼とは一緒に暮らせなくなったし、逢えなくなった。


 彼に見合う自分でいるために。彼の隣に、いられなくなってしまった。


 それでも。


 仕事をこなし続けて。街と国を。両方の仕事を。ひたすらに。


「そう。正義の味方」


 変な例えだけど。彼が、心やさしきヒロインで。私が、それを助ける正義の味方。そういう、頭の中の設定。


 そして、もうすぐ。


 十年が経つ。


 死んでから十年。私のことを知っている人間もいないし、報道機関と細かく打合せした報道の情報削除までの期限も十年。


 日付が変わって。仕事が終わったら。


 彼に逢いに行こう。


 まだ、覚えていてくれるかな。


「はあ。ばかみたい」


 夜。街の海岸線。誰もいない波止場。


「ないのに。そんなことは」


 十年も前のことで。彼はきっと、私のことなんか忘れて。別の誰かと、仲良く暮らしてるかもしれないのに。


「ばかだなあ、わたし」


 彼に見合う自分でいたくて。彼の隣に、いられなかった。


 涙は。


 出てこない。


 彼はきっと、私には手の届かないひとだった。それだけ。


 海沿い。


 ぽつんと、豪華客船がひとつ。


 あの船には、密輸された盗品がたくさん積まれている。この国にも街にも、不要なものだった。小型化弾頭や音響兵器ソナーウエポンなんて、必要ない。


 あの豪華客船には。


 カップルがたくさん乗っていて、プロポーズには最適な場所らしい。街の夜景が、きれいに見える。


「カップルなんて」


 死んでしまえばいいのに。


 そんな気分だった。


 すでに、爆破装置は仕掛けてある。


 日付が変われば、爆発して。盗品は海に沈む。


 彼は。


 まだこの街のどこかに、いるのかな。


 どこかでまた、すれちがえたら。


 出逢うことができたら。


 声をかけることはできないけど。せめてやさしく、ほほえみたかった。そのために。最後の仕事は、完璧に終わらせる。

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