花園であり、地獄

幽山あき

目線

 またこの時期が来た。


 年が変わり、休みは明けて、新しい環境が始まっていく。クラス替え、それは誰かにとっては希望で、誰かにとっては絶望である。少なくとも私、桜葉若菜(サクラバワカナ)にとっては、絶望でしかなかった。


 と、いっても私にはもともと希望などない。人生一度だって希望を持ったことはない。

 家族も学校も何もかも。

 すべての発端は家族なのかしれない。幼い頃は両親と兄と私の四人の家族だった。

 父と母は私が小学生になったあたりで離婚した。兄と私もまだ幼かったことで母は働かざるをえなくなった。父はろくでもない人間で、風俗薬酒タバコ、家族のお金すら使い込んでいた。貯蓄などあるわけもない。それを母は、許容していた。むしろ自分に目が向かないことで好き勝手していた。いつも男と遊び、関係が悪くなればまた新しい男に。幼かった私が帰ってきてほしいと喚いても、父も母も手を上げるだけだった。

 だからこそ、離婚したときは私を傷つける人が一人減って嬉しかった。

 だとしてもそんな母がまともに働けるわけもなく、職場でも男関係で揉め続け職を何度も変えてはその環境の変化のストレスを私にぶつけてきた。その時期は二人分が一人になっていただけで、私にとってはなんてことなかったのだ。


 でも、私達にはあの男と、あの女の血が流れている。


 やはり兄も同じだった。

 中学生の私と、4歳離れた高校生の兄。仕事だといって帰宅しない母親。二人きりの家ではストレスが貯まれば暴力を振るわれ、発育の進んできた私を兄は好き放題していた。時には友人を連れてきて、私を。嫌だろうが苦しかろうが年上の男に力で敵うわけもない。

 母はきっと、気づいてはいたと思う。私は兄のことを誑かす汚い女。悪はすべて私。そうやって母は私を汚物として見るようになった。

 家族のストレスのはけ口になっていた私は、体にいくつもの傷が残っている。傷を消すために何かするお金もなくて、化粧をして消そうとしたら色気づいた売女だと母に罵られる。この見た目で友達などできるわけもない。

 しまいには、兄の学校では私はまるで都合のいいお人形のように語られていたらしく、学校でも私自身が淫らな女としてあらぬ噂を流された。簡単に言えば、いじめの標的だ。


 この世はストレス社会と化していて、何かを貶めることで自分の立場を上に置かないと生きることが苦しくなっていった。その中で、見た目が普通ではなくて、一度でも噂の影が見えれば格好の餌食となるのだ。そしてそれを、正しい形だと、間違っていないと。そういう暗黙の了解が存在しているのだ。

 中学でいじめられていた、というレッテルはこの小さな街では剥がせない。高校にいるのも、変わらない面々で。私は今の今まで弱者として生きてきている。不思議と助けてほしいなど、思わなかった。もともとない希望に、思いを馳せるほど甘い絶望をしてきたわけではなかったから。


 昔語りは良いとして、今は何度も繰り返されるクラス替えとやらで、私は先の見えない暗闇にまた落ちていた。学校も、私の立場は知っているようだったが、親も親なので対処しかねて腫れ物扱いの見てみぬふり。誰一人として信用していない私にとっては、その対応はとてもありがたかった。

 ふと、新しい名簿を見て、見知った名前があった。

“夏樹 向日葵 (ナツキヒマワリ)”

“萩山 菊人 (ハギヤマキクト)”


 誰に対しても興味を抱かない私だが、この二人は知っている。世間で言う幼馴染とやら、らしい。そんなものはただの家の距離で名付けられたものでしかない。道を挟んで向かいの夏樹。今も隣に住んでいる萩山。私の環境を知ってか、今まで関わることもなかった。むしろ何かない限り関わりたくないと思っていた。過去など何もないのに、過去からの付き合いなどいらないから。


 そう思っていた。


 噂で聞く限り二人とも私と違って太陽の下の人間だった。そんなやつが、話しかけてきた。しかも教室なんて、人の多いところで。


 ナツキヒマワリ。うるさくてキンキン声の女が私に向かって言い放った。

「その傷何とかしなよ。」

 どういう思考をしたらそんな言葉を話したこともない人に言えるのか。更にまくし立てるように、そして隠すこともせず

「まだ、親たちと同じところにいるの?」

 周りを見てくれ。私よりも驚いているし、この教室の空気がとても凍てついている。

「ねえ、聞こえてる?無視するから友達できないんじゃない?」

 2つに束ねた長い髪が、下を向いた私の視界に入る。

 彼女の知り合いらしき人が彼女の腕を掴んで連れ去っていった。飼い主がもとからついているならちゃんと首輪をつけてほしい。おかげでまた、立場が悪くなっていく。


 なんであの子は逃げないのだろうか。辛くないわけはない。向日葵だったら耐えられなくておばあちゃんの家に飛び出してると思う。

 昔から私のママとパパは、向かいのお家を嫌なものとしてみてた。そこにいるらしい向日葵と同い年のワカナちゃんをいつも【可哀想】と言っていた。それなら助けてあげないの、と言っても、ママはごめんね、と。パパは別のおうちだから。と言ってもうその話をやめてしまった。

 毎年クラス替えの時期は同じ学校にいるらしいワカナちゃんを探していた。友達に聞いても、知らないとか、聞かないで、とか。向日葵のためだっていわれて、探せなかった。

 やっと今年。見つけた。

“桜葉 若菜(サクラバワカナ)”

 初めて、ワカナちゃんの名前をちゃんと知った。誰もが【可哀想】と言うあの子を、私がなんとかしてあげる。


 その若菜ちゃんは、荷物もボロボロで、制服も汚くて、近寄ることさえためらってしまうような見た目だった。顔まである手当すらしてない傷はいかにも【私可哀想】とでも言うようですごくイライラした。


『まだ、親たちと同じところにいるの?』

「…」

 こちらすら向かないその姿に、どんどんイライラしてきた。


『ねぇ、聞こえてる?無視するから友達できないんじゃない?』


「…」

 はぁぁあ?人に話しかけられてるのに無視するとか意味分かんない。下ばっかり向いて、【可哀想】を演じてる。なんで向日葵がこんなにイライラしないといけないのと思って口を開こうとしたとき、友達が走ってきた。向日葵の腕を掴んで廊下まで引きずられた。

「やばいって。一生のお願いだからアレには関わらないでよ。【向日葵のため】だからさ」

 友達に一生のお願いと言われてしまえば、黙るしかなくて、向日葵の長年のモヤモヤは消えることはなかった。


 またやってる。隣の家から聞こえる怒声と何かが壊れる音。十数年前からこの家に住んでいるが、物心ついた頃からいつもの事だった。両親は仕事柄あまり家にいない。帰ってきてるときにこの音がしても、溜息と、哀れみのこもった目をするだけだった。

 小さい頃は何かわからなかったことが、この歳にもなればなんとなく分かるようになった。関わることが良くないとも分かっていたから、同じ学校にいても何もする気はなかった。

 幼い頃からよくうちに来ていた向日葵はいつもいつも、お隣のワカナちゃんを助けると意気込んでいた。やめとけと俺が言っても、あのキラキラした目と、お花畑の頭じゃ聞く耳は持っていなかった。

 向日葵ほどではなかったが、自分にできることはないのかと、思うこともあった。少なくとも親も、何回かは通報しているらしい。ただ、あそこのワカナちゃんは警察が来ても助けが来ても自らそちらに行くことはなかったそうだ。親に依存しているとか、そういう類だろうとうちの両親は諦めて、騒音が続くようならと注意して最後だった。だが俺はそう思えなかった。親に依存してるとかそういう次元の話ではないだろう。他人が口を出せることではないのだが、向日葵が勢いづいているのもあって、調べ始めた。


 あそこの家の子供はやはり、DVにあっているようだ。しかしこちらに聞こえる声は怒声がほとんどで泣き声や叫び声が聞こえることはなかった。昼間に男が複数人入っていく事もあるが男以外の騒ぎ声や、物音以外はしなかった。もしかしたら、ワカナちゃんというのはもう。そう思うほどであった。

 だからこそ、俺は自分でワカナちゃんを見ないといけないと思っていた。向日葵が探しているときになんとなく見つけたかを聞いたりしていたがなかなか何もつかめなかった。


 そして今年。

 たまたま同じクラスになった。

“桜葉 若菜”

 ここでやって俺の”最悪の予想”は外れてくれた。生きている。そして、彼女は。【カワイソウ】に陶酔していた。

 向日葵の助けを無視し、自分の立場がクラス中で悪化した瞬間、彼女はほんの少しだけ、笑ったのだ。

 気持ちが悪かった。

 他の何があっても表情一つ揺らがなかった、声すらあげなかった彼女が、にやりと、笑った。

 それからしばらく観察すると、何か嫌がらせを受けたとき、警察が帰るとき、空気扱いされたとき。彼女は微かに笑っていることがわかった。自分の立場に陶酔し、それだけを生き甲斐としていること。それは間違いなく、癖の域に達していた。

 悩んだ。彼女がそれを良しとしていること、それを奪って彼女はどうなるのか。そして、自分からアクションを起こせる立場にはないこと。

 向日葵が声をかけたことで少しだけ前進したが、何かを進めるためにはまだピースが足りない。

 決定的何かが。

 とりあえず児童相談所に隣の家の状況と、若菜さんの年齢を伝えた。

 その時点で、事の大きさに今すぐにでも動きたいようだったが、警察に通報した、という話や色々からまだ動かないでほしいと伝えた。そして相談しつつ、DVよりも、昼間に入っている男たちの方で警察に通報できるのではないかという結論に至った。

 それができるのは、隣人である俺。若菜さんがまだ未成年であること、そして入っている男が成人を超えているということが条件だった。


 噂を辿り、若菜さんのお兄さんの事を知った。そして、彼の大学で若菜さんがどういわれているか、あの家の中で何が行われているかがわかった。


 これで、ピースは揃った。次の土日、男が入るところを写真に撮り、その時点で通報。児相にもその写真を、過去の相談内容も含めてメールをした。


 パトカーの音がすると焦って男たちが出てくるが、もう遅い。

 向日葵にも協力してもらい、玄関があかないように待機。警察にすべてを告げ中にはいると、想像通りの状況が広がっていたそうだ。


 保護者不在、兄の事情聴取の為に若菜さんはとりあえず保護という形となった。

 そこから先、できることは何もない。

 あの今まで、ほとんど顔色を変えなかった若菜さんが初めて、叫び泣きわめき倒れた。

 児相からは、彼女は精神疾患という扱いでとりあえず入院になるということ、彼女の体の傷、兄の常習性等も含め家に帰すことはできないという連絡を頂いた。


 これは、本当に、正義なのか。

 親と兄は逮捕されるだろう。

 彼女は存在意義を見いだせるのか。入院だってただではない。

 ギリギリで保っていたであろうバランスは、俺達が崩したようなものだろう。

 いじめの対象は、目に見えて移り、若菜さんではなくなった、それ以外の何も解決はされていない。


 このストレス社会の中で、俺達が生きるための正しい形は見つけられるのだろうか。

 俺達の近く以外で、同様のことが起きているとしても、俺達が動けただろうか。

 本当に、助けることはできたのか。


 誰かにとっての希望は、誰かにとっての絶望であるように。誰かにとっての絶望が、誰かにとっての希望であるのだろう。

 自己満足で救っても、それが本当の救いになると、言えるのか。


 そんなことを考えながら、もぬけの殻になった明かりのつかない真っ暗な隣の家を眺めるのだった。

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花園であり、地獄 幽山あき @akiyuyama

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