夢の続き

布施鉱平

夢の続き

 俺、藤森秋也しゅうやには、幼馴染の少女がいた。



 ────春川すみれ。



 名は体を表すというが、本当に花のように可愛くて、甘い匂いがして、そして────はかない少女だった。



 俺とすみれが中学生になった年、彼女は死んだのだ。



 自殺だった。


 通学途中、近所でも危ない目つきをしていることで有名だったホームレスのおっさんに、レイプされたのだ。


 だが、すみれが命を絶った本当の理由を、俺は知っている。


 それは────俺が、彼女を受け入れられなかったからだ。



しゅうちゃん……私、もう、嫌だよ……もう、生きていたくないよ……』



 学校の屋上から飛び降りる前日、すみれは俺にそう言ってきた。


 俺はそんな彼女に対し、



『な……なに馬鹿なこと言ってんだ! 二度とそんなふざけた事言うなよ!』



 怒鳴りつけるように、そう言い返してしまった。


 すみれを守ることのできなかった後悔、愛する彼女に告白もできないまま、その初めて・・・を奪われたことに対する怒り、苛立ち。


 俺はそれを、あろう事かすみれにぶつけてしまったのだ。


 まだ中学生だったからとか、そんなことは言い訳にならない。


 俺があのときするべきだったのは、上手な慰めの言葉をかけることでも、自分の気持ちを伝えることでもなかった。


 ただ、傍にいてあげるべきだったのだ。


 そのままのすみれを受け入れ、彼女の傷がかさぶたになるまでずっと一緒にいてやることだったのだ。


 本気で『死にたい』と思うくらいに辛かったその気持ちを、『ふざけるな』と切り捨てられたとき、すみれはいったい何を考えたのだろう。


 何を思ったのだろう。


 少なくとも、俺の言葉がすみれの気持ちの後押しをしてしまったのは、疑いようもない事実だった。


 すみれが死んだあと、俺は抜け殻のようになって生きた。

 

 本当はすぐにでも後を追って死んでしまいたかったが、そうはしなかった。


 やるべきことが、ひとつだけ残っていたからだ。
















 …………
















 ────七年後。



 俺は、刑務所から出てきたホームレスのおっさんを拉致した。


 そして、死なないように細心の注意を払いながら、徹底的に痛めつけた。


 自分がすみれに何をしたのか。


 すみれの家族に、すみれの友達に。


 すみれを心から愛していた俺たち・・・に、いったいどれだけの傷を負わせたのか。


 醜くたるんだ肉体にそれを文字通り刻み込み・・・・、薄汚い声が出なくなるまで謝罪の言葉を吐き出させ続けた。


 そして最後には、血まみれのイモムシみたいになったそいつに、生きたまま火をつけて焼き殺してやった。


 




 ────同時に俺は、俺自身にも火をつけた。






 誰であろうと、すみれを傷つけたクソ野郎は、許されるべきじゃない。


 浮浪者のおっさんに対する拷問はすべて録画し、俺のすみれに対する謝罪の言葉とともにネットにアップした。


 これで、俺とおっさんの悪行は白日のもとに晒され、多くの人々の記憶に救いようのない愚か者として残るだろう。


 ようやく、全てが終わったのだ。


 俺の贖罪の人生は、ようやく…………






 …………






 …………






 …………






 …………











 …………秋ちゃん











 ◇





「…………」


 ありえない声が聞こえて、俺は目を覚ました。


 声の主の姿はない。


 当たり前だ。


 すみれはもう、七年も前に死んでしまったのだから。


 …………だが、おかしい。


 どうして俺は生きている?

 

 そして、どうしてもう長いこと帰っていなかった実家の自室で目覚めたのだろうか。


 ガソリンを被って火をつけたはずの、自分の両手を見てみる。


 日に焼けてはいるが、火傷どころか傷一つない健康的な肌だ。

 どういうわけか毛も生えていない。


「……夢か?」


 疑問を声に出してみるが、声まで若干高くなっている。


 枕元を探ると、いつもの場所・・・・・・にスマホが置いてあった。


 中学に上がると同時に機種変更してもらった、すみれとお揃いの型の、青いスマホだ。


「…………2013年、6月、10日……? …………ははっ」


 そこに表示されていた日付に、俺の口からは思わず乾いた笑いが漏れた。


 忘れるはずがない。


 忘れられるはずがない。


 その日は俺の一番大事な人が、純潔と笑顔と人生を奪われた日なのだから。


「…………」


 俺はスマホが壊れるんじゃないかと思うくらいきつく握り締めながら、体を起こした。


 時刻は午前5時30分。


 あの日も同じ時間に目を覚ました俺は、この先に待ち受けている地獄のような現実のことなど何も知らず、簡単な朝食を食べたあと陸上部の朝練に向かったのだ。


 そして朝練後、普段であれば7時50分には俺の弁当を持って登校してくるすみれを校門の前で待ち続け、8時を過ぎてもいっこうに姿を現さない幼馴染を心配して電話をかけるが繋がらず、三時間目の授業中に最悪の知らせを受ける事になる。


「……っ、クソっ!」


 俺は溢れ出る怒りを口から吐き出しながら、スマホを操作して部長に電話をかけた。


『おう、どうした秋也』

「すいません部長。今日の朝練は休ませてもらいます」

『なんだ、具合でも悪いのか?』

「いえ、どうしても外せない、大事な用があるんです」

『…………その声、マジっぽいな。分かった、詳しく言えないなら無理には聞かない。ただ、無理はすんなよ?』

「ありがとうございます」

『おう』


 電話を切り、俺は煮えたぎる頭をなんとか冷静に保ちながら、これからどうするべきかを考えた。


 たとえこれが夢だろうとも、やるべきことは決まっている。

 すみれを救うのだ。


 だが、救うにしてもやり方は考えなければならない。


 例えば、今日俺がすみれと一緒に登校したとしよう。

 

 すると、同行者がいるすみれをおっさんは襲うことができず、レイプされるのは回避できるかもしれない。

 だが、それは今日だけのことだ。


 これから毎日俺がすみれに付きっきりで行動することも可能だが、それでもおっさんの脅威が消えるわけではない。


 あの人間のクズは、完全にすみれの周囲から排除しなければならないのだ。


 なら、どうすればいい?


 今すみれを救うだけでなく、将来的な不安を取り除くために、俺はどう行動するべきだ?


 考えて、考えて、考えて…………







 俺は、どうするべきかを決めた。




 ◇



 ────7時20分。


 俺は、すみれの家の近くに身を潜めていた。


 すみれには何の連絡もしていない。

 警告すらもしていない。


 これから彼女が遭遇することになる恐怖を思えば、すぐにでも傍に行って守ってやりたいという気持ちが強く湧き上がってくる。


 だが、他ならぬ彼女のために、俺は血が滲むほど歯を食いしばって、自らの行動を抑制した。


「いってきまーす」


 それからほどなく、すみれが明るい声で母親に声をかけながら、外に出てきた。

 

 風に流れる、ツヤのある黒髪。

 内面の明るさがにじみ出ているような、柔らかな表情。



 ……すみれだ。



 すみれが、生きて、目の前にいる。


 七年ぶりに見る幼馴染の姿は、滲んできた涙によってすぐにぼやけてしまった。


 歓喜と、後悔と、罪悪感が、激しく胸を突き上げる。


 大好きだった。

 本当に、心の底から大好きだった。 


 なのに、守れなかった。 

 

 

 ごめん、すみれ。


 

 俺は今も昔も、自分勝手なクソ野郎だ。


 傷ついたお前よりも自分の気持ちを優先し。


 前を向いて生きて欲しいと願ってくれた両親を殺人犯の親にしてしまい。


 娘を失って一番苦しいであろうお前の両親になんの断りもなく、第三者の俺が勝手に復讐を遂げてしまった。


 そしていま、お前を守るためとは言え、お前に恐怖を味わわせようとしている。



 手に持ったこぶし大の石を握り締めながら、俺はすみれに気づかれないように足音を忍ばせ、その後ろ姿を追っていった。





















 ────そして俺は、すみれを襲おうとしたおっさんを石で殴りつけた。


 殺すつもりだった。


 二度とすみれに手を出せないように、この世界から消し去るつもりだった。


 なぜすみれに襲いかかるまで手を出さなかったのかというと、『すみれを守るため』という大義名分が欲しかったからだ。


 自惚れじゃないが、すみれは間違いなく俺のことが好きだった。

 当時ガキだった俺には分かってなかったが、贔屓目に見てもベタ惚れだった。


 そんな俺が理由もなく人を殴り殺したりしたら、すみれが受けるショックは計り知れないだろう。


 もう二度と人を好きになれなくなってしまうかもしれない。


 それじゃあダメなのだ。


 すみれにはただ生きているだけではなく、幸せになって欲しいのだ。


 だから俺は、すみれが傷つくと分かっていながらも、すみれの前でおっさんを殺すことにした。


 そして『過剰防衛』で少年院に入り、そのまますみれから遠ざかっていくつもりだったのだ。

 俺みたいなクズは、すみれには相応しくないから。 


 

 なのに────



「やめて! 秋ちゃん、もうやめて!」



 泣きながらすがり付いてくるすみれの声に、暖かさに、俺はどうしても最後の一撃を振り下ろすことができなかった。


 震える手で握り締めていた、おっさんの血がついた石を捨て、俺はすみれを抱きしめた。


 そして、何度も何度も謝った。


 守れなくてごめん。


 一緒にいてやれなくてごめん。


 受け入れてやれなくて、抱きしめてやれなくて、好きだって言えなくて、俺じゃダメだって分かってるのに────諦められなくて、ごめん。


 謝りながら、俺は泣いていた。

 中身はもうとっくに成人してるってのに、子供みたいにギャンギャン泣いていた。


 そしてそんな情けない俺の腕の中で、すみれも同じように泣いていた。


 泣きながら、俺の名前を呼んでいた。


 警察が来て、救急車が来て、おっさんが連れて行かれて、家族が来て……


 それでも、俺たちは抱き合ったままだった。


 絶対に離すものかと、俺はすみれの背中に回した腕に力を込め。

 すみれもまた、俺の服をギュッと掴んで離さなかった。











 どれだけそうしていたのかは分からない。


 いつの間にか俺は、真っ暗な場所に居た。



 眠ってしまったのか、気絶してしまったのか────それとも、夢が覚めてしまったのか。



 たとえそうなのだとしても、俺の心は安らかだった。



 

 

 すみれの甘い匂いが、まだ仄かに香っていた。
















 ────それから七年。


 どういうわけか、今もまだ、夢は続いている。


 

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