第1話

 エニィ・ウェアはジューロシャ王国のどこにでもいる公務員である。

 一つ特別なことがあるとすれば、アール伯であることだ。

 アール伯とは、アールの地を領する伯ということで、いわゆる貴族である。

 また、伯は古代帝国の軍団指揮官に由来する地位であり、相応の軍権と実力を要求され……たのも昔のこと。

 百年前の魔物活性期からこちらの社会変動で貴族の地位は大きく落ち込み、エニィの家もまた没落したといっていい。

 一応とはいえ領地を維持しているのだが、その大部分は魔物の領域に呑み込まれ、実質失われていた。

 それでも家名の維持のために維持しているということになっていて、税の支払いで赤字が続くばかり、累代の家臣もほとんどいなくなり、エニィの公務員の給金で何とか食つないでいるという有様。


 それでもエニィはウェア家の一人娘であり、アール伯を継いだ女貴族である。

 相応の生活レベルを要求され、貴族の集まりには呼び出され小娘扱いを受けながら昔は昔はと口とも自慢話ともつかないものを聞かされて、立場の都合上職場では浮き、税の支払いはかさみ、結婚はまだかと休みに帰るたびに急かされる。

 このままでいいのかと思いつつも、日々の忙しさに流され続ける毎日を送っていた。


 そんなある日。


「アール領を召し上げるという話が挙がっている」


 言葉の主は、ジューロシャ王国の若き国王であった。

 学生時代の同期生である。

 親しい友人だったとか、元カレだったというわけではない。当時から落ち目も落ち目のアール伯家とは最低限の関わりしかなかった。

 しかし同窓会で携帯の連絡先を交換してから、時折情報を交換する仲になっていた。

 まあ、これはエニィに限ったことではなく、他の同期生たちも同様に連絡を取っているそうなので、やはりその他大勢の一人に違いない。


 さて、その伝で呼び出され、お高い応接間でほどほどのお茶を出されて伝えられたのは一応とはいえ領地貴族であるエニィにとって、極めて大事な問題だった。


「どういうこと、たーくん」

「最近、魔物領域開拓論が強まっているだろ。その流れだな」


 プライベートでは陛下などと呼ばないでくれと本人に望まれ、エニィは公の場を除き国王をたーくんと呼んでいた。


 魔物領域開拓論というのは、文字通り、現在魔物に占領されている地域を解放し、開拓することで国力を高めるべきという主張である。

 近年の外交関係の変化により、この主張の勢いが強くなっていることは、エニィの立場でも耳に入っていた。


「理屈としては、自領を管理できておらず、これからもその見込みがない者にいつまでも貴重な領地を委ねておくのはけしからんと。召し上げて国で再開発するべきだ、とそういう話だ」

「耳が痛い話ね……」


 エニィがアール領を持て余しているのは事実である。

 とはいえ。


「貴族の立場が弱くなっているのはわかっているけど、私財を没収というのが通るというの?」

「その方が都合がよいものの声が大きければね」


 先の魔物活性期における人類圏の衰退期において、貴族、少なくともジューロシャ王国の貴族は期待されていたほどその役割を全うできなかったらしい。

 その歴史の余波で貴族による支配は弱まり、貴族の地位は相対的に低下してきていたのである。

 そのほかにも原因はあるのだが……さておき。


「貴族嫌いのものにはちょうどいい口実なのさ。だが一方で、かつての領土を取り戻したいという動きが支持を得ているのも確かだ。近年の生活の改善で長い雌伏の時期が終わったという期待感が強まっているからなあ」


 ただ貴族への反目だけではなく、複数の流れがエニィへの逆風となっているらしい。 エニィは頭を抱えた。


 領地を失うことはアール伯でなくなることもある。一応とはいえ、アール伯は領地貴族なのだ。

 日頃の苦労を思うとそれもいいかと、ほんの少しだけ思わなくもない。ほんの、すこしだけだが。

 だが、多くの人が築き守ってきた、そして今でもいくらかの人たちを、そして人たちが支えているこの地位が失われることは看過すべきではないし、したくない。

 仮にそうなるとしても、当代である自分が力を尽くしてからであるべきだった。


 さて。


「それで、たーくん、どうしたらいい?」

「余はそういう話があると教えただけだよ」

「そういうのいいから」


 諸々の逆風の中にいるエニィに情報を流したということは、国王にも何か狙いがあるのだろう。だって国王だもの。国を背負うものがなんの目論見もなく行動することはないだろう。一つの行動で二つも三つも意味を兼ねていてしかるべき。

 エニィはそう考えて、国王が望む展望を直截に尋ねた。

 正直どうするべきかわからなかったこともある。


「そうだな。領地の召し上げの前例は作りたくないのが本音だけれども」

「王家としてもそうなのね」

「領地貴族が反乱を起こしかねないからね。下手を打つと帝国との同盟が併合に変わってしまう」


 アール伯とは違い、領地を維持している貴族もいるのだ。

 当然国内でも権勢を維持しており、まだまだ時流に抗する力を持っている。

 そして視点を一国の内部から外へ向けると、貴族の反乱など起きてしまうことはとても許容できない。

 もっともそれは貴族に限らないわけでもあるが。


「理想は、キミが自力でうまくやって領地を取り戻すことだな。そうすれば少なくとも管理できていない、機械損失だ、との追及理由が減る。そしてうまく利益配分をして黙らせることかな」

「そんな無茶な」


 出来るならばやっているという話である。


「どうしてもダメならば、全部放り投げて余に頼ってもいいぞ」

「うーん……まあ、貴重な情報をありがとう」


 冗談めかして告げる国王に、エニィは礼を言って別れた。


 そして翌日、上司へ休職届を提出した。









「アール伯、残念ですがこの条件ではなんとも……」


 ですよね。


「企画規模に対して成算とこちらの負担が――」


 わかります。


「成功の見込みに乏しい計画に多大な成功報酬を約束されましても――」


 ごもっとも。


「弊社は時に投資を行うことはありますが、投機は行わないことにしていまして。本業もございますし――」


 はい。


「そこをなんとかなりませんか?」

「申し訳ありません、お引き取りください」



 ラビット魔動錬金会社。

 ジューロシャ王国初の“株式会社”であり、同時に王国随一の資産を持つ組織と噂されている。


 アール伯エニィ・ウェアは、この会社を訪れていた。


 目的は金である。


 アール領大部分は百年以上かけて魔物の領域と化しており、復興には多額の金がかかる。

 まともな貴族領であれば労役である程度を賄えるが、アール領はまともな状態ではないのだ。

 戦力、労働力、物資、その他もろもろ計上するまでもなく大金が必要なことは明白であり、計上したら途中から後悔した。必要だったのでやり遂げたが。

 エニィが働いてもらっている給金の何万倍ものカネが必要だ。


 だが、そんな大金はない。

 当然だ。あったらすでに行動に移している。

 それができないからこその現状。


 もともと、魔物領域開拓論が抱える最大の問題はここだった。

 だれが負担するのか。

 魔物領域開拓というが、どう考えても簡単な仕事ではない。費用も掛かる。死者も出るだろう。

 何か問題が起きれば大いに批難されることだろう。

 成功が約束されず失敗すれば批難を受ける、そんな大事業を引き受ける者がどれほどいるか。

 すでに一定の力を持っているものは避けるだろう。

 力、突き詰めると予算を用意できないものは成功の見込みがないだろう。

 こうするべきだ、と人は言うが、じゃあお前がやれよと言われると自分には無理だからできる人がやれと返って来るような。



 であるにもかかわらず、動く以外に道がないとなれば。

 カネも力もないが、やるしかないのならば。

 ある所から持ってくるしかない。

 どうやって?

 アール伯であるという名分のみを武器に。

 未来の利益を対価にカネを引き出すのだ。

 そのために領地復興計画の外殻を企画して必要な経費を計上し、話を少しでも有望そうなところから順に持って行った。

 有望というのは保有資産よりも、伝という観点からだ。


 そして残念ながら、ここまで十二連敗。

 正直、簡単ではないとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。

 心が痛い。

 もっとも、エニィもこのような話が持ち込まれたら断るだろう。

 それでも、うまいこと利用してやろうという野心的な組織があれば、それがとっかかりになれば道が開かれるかも、と思っていたのだ。

 しかし現実はこの通り。

 貴族の求心力が失われたことを実感する。

 “アール伯”が力を失ったことも。

 それはこれまでの積み重ねによるものなのだろう。


 ラビット魔動錬金会社の受付のお姉さんの視線を背中に受けつつ、今風の建築できれいに掃除されている大きな社屋から出たところで。


「はぁ」

「はぁ」


 ひとつ、ため息をつく。

 これは油断だったろう。人目のある場所でため息など、恥ずべき事。せめて乗車するまで我慢すべきだった。


「ん?」

「ん?」


 しかしこの度に限っては――。


 ため息が二つあった。

 思わずそちらに目を向けると、人の顔、ではなく、赤いリボンが揺れていた。

 リボンに沿って視線を下げると、金髪のおさげの女の子がエニィを見上げていた。

 どうもエニィと前後して出てきたようだ。

 ここまで気づかなかったのは疲れと心労そしてこれからのことで頭がいっぱいで意識の外にいたせいだろう。

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