第22話 命の値段

人は成長する物だと俺は思う。

得意な事はもちろん伸ばせるし、苦手な事にも向き合い克服できる素晴らしい生物だと思う。

特に後者は野生生物には絶対にできない。

なぜなら、野生の生物は苦手な事、心の傷とは絶対に向き合わず、死に物狂いで逃げるからだ。

人間はなぜかそういうモノと向き合うことがある。

発展しすぎた理性が暴走し克服したいという願望を持つ場合や、社会的要請の場合が多いわけだが、それでも———


「レン、嘔吐しながら現実逃避してない?そんなことではダメだよ」

「『ダメだよ』じゃねぇよ!何で本陣に居て然るべきな俺が!前線に引きずられなきゃならねぇんだよ!!…!うえぇ…」

神聖同盟と件の隘路で戦闘が始まって3日。

俺は今、小高く土が盛ってあるアランの指揮所から、最前線を目撃させられている。

レイ以外の腹心に半ば強制され前線に来た挙句、なぜか俺を拉致した事で機嫌が良くなっている騎士団が逃亡しない様に、おはようからおやすみまで監視している。

何だよ、これ。

新手の拷問かな?

当然、指揮官のアランの近くにいるため、ここまで矢が飛んできたり突撃が来る事はないが…。

矢が当たり爆ぜる肉片、真紅の刃に斬られて霧となる血、死に切れずに体の一部が無いのに口だけ動いている人間…。

遠くから、そんな最高な光景を毎日見せられて、ここ3日はまともに飯が食べられていない。

それでも不思議なことに胃は中身を吐き出し続ける。


しかし、この腹心たちの迷惑な忠誠と敵味方の哀れな兵士諸君おかげさまで、胃と喉の痛みと引き換えに、トラウマは少し良くは成った。

地獄の地獄を見ても気を失わなくなった。

…それだけ。本当にそれだけ。

相変わらず手足に力は入らないし、身体の震えは止まらない。

春先なのに寒く感じるのは、山だからではないはずだ。

つまり、とてもじゃないが指揮なんてできない状態である。

誰が嘔吐しながら命令する人間の言うことなんて聞くものか。


「…それで、戦況はどうなんだ?」

胃の内容物を吐き出しながら問う。

「悪くはないよ。5層で出来てる防衛線の一枚目で粘っている。これなら冬になるまで粘れるかもしれないよ」

「バカ言うな。その前に決める。そのためにダニエールには最前から離れてもらっているんだろ」

この軍隊の指揮官に序列をつけるなら、攻守共に一番がダニエールだ。

次点で防衛ならアラン、攻撃ならレイと言ったところか。

吸血女に関しては、本来は現場指揮官と言うより全体を俯瞰して後方で戦略を練る方が得意だ。

誰かさんが戦場で指揮できないから代わりにやっているだけであって…。

…とにかく、『北方の英雄』と呼ばれた義父上に長い間従っていた経歴は伊達ではない。

その彼を温存しているのは他でもない、提案した作戦のためだ。

少ない人数で効率的に攻撃することが必須となる。

つまりは後方で待機。

納得はしていたが不機嫌だったので、俺は手足の骨を心配した方が良いだろう。

まぁ、とにかく、そんな訳で隘路ではアランが指揮をしている。

つまりは単なる歩兵が敵の機械科歩兵と戦っている訳だが善戦しているのは意外だ。

もっとヒーヒー言うものだろうと思っていた。


まぁ、その理由は一目瞭然なのだが。

「やっぱり陣地か」

「そうだね、素晴らしい防衛陣地があるお陰だね。さすがはダニエール様」

陣地が機能して、陣地の中にいる前線部隊に被害はさほど出ていない。

たまに、陣地に進入して、攻撃もされるのだが、如何せん乗り越えて来る敵が少なすぎる。

つまりは突撃する敵のほとんどが防衛陣に着く前にで死ぬ訳で、そこは大変な光景になっている。

もう、それはそれはすごいことに。

そっと悲惨なものから目を逸らし、陣地の全体図に目を落とす。


うまく機能している事は理解している。

しかし、俺はダニエールの作成した陣地のどこが素晴らしいかイマイチわかっていない。

まず、目につくのはジグザグな空堀だ。

道を塞ぐ様に掘ってある。

堀といったら真っ直ぐなイメージだがノコギリを思わせるその空堀は、全体を線として見た時、敵に向かって弓形になっている。

深さは3メートルと言ったところで、縦幅もかなり広く、15メートルあるそうだ。

その中に槍を持った歩兵と弓兵が控えている。

何と言うか…完全に塹壕、だな。

妙な形をした空堀の次に目につくのは穴。

塹壕の前に少し空間を開けて、無数の穴が無秩序に並んでいる。

1、2メートルはあろうか、そんな深さだ。

地雷原かな?

…全体の形として、第一次世界大戦の会場はここですか?と言いたくなる陣地だ。

あの時代の最適解だったのはおそらく間違えないが、この時代では何で『素晴らしい陣地』なんだ?


「火器も爆撃機もの無い世界に、どうして、この形があんなに有効なのか?」

「レンの言っている物はよくわからないけど、かなりすごい陣地だよ。レンはこの世界で一番嫌な兵はなに?」

「死んだ兵だ。言葉通り、見ただけで吐き気がする」

「…説教した方が良いかな?」

この拷問のおまけにネチネチクドクドな説教がセットになるのはごめんだな。

「…機械科歩兵。馬より速くて小回りが効いて、挙げ句の果てに一撃で戦闘不能にならない。歩兵と今は無き騎兵銃のいいとこ取り。何と言うか…チートだな」

正解なのだろう。

アランは綺麗な顔に美しい笑顔を浮かべている。

この笑顔は間違いなく有料だ。

「その通り。この陣地はそれを限りなく無力化できるんだよ」

「理屈を説明してくれ。さっぱりわからん」

ニコニコしながら得意げに説明を始める。

お前が作ったものでは無いだろ。

「まずは、あの穴。まず単純に横一列の隊列で攻撃できないね。集団で突撃できないから、散発的な攻撃にならざる得ないね。かなり楽だ。次に速度だよ。機械科歩兵が小回りが効くと言っても、本物の足よりは当然無理だ。弓兵の射程圏内にあるから、あの穴に落ちたら、上がってくる時は良い的だよ。だからみんな速度を落とす。そして、速度を落とすと部隊全体としては被弾率が上がるね」

いくら機械科歩兵が数発の弓矢に耐えられると言っても、それは無限ではない。

穴に落ちてノコノコと上がっている時に矢で打たれたら間違いなくハンバーグの原料になる。

カニバリズは絶対しないが。

「兵個人が死にたく無いと思う気持ちを利用して全体を効率よく殺すのか。悪趣味だな」

心の底から思った事を言っただけなのだが、アランは呆れた様に乾いた笑い、説明を再開した。


「次に塹壕。色々理由はあるけど、大きい理由は矢が当たる確率を下げる為と、細い道でも多くの兵力を集める為かな?後者はノコギリの刃の形にしたからできた事だね。これまでの塹壕にこんなモノはなかったよ」

塹壕の形はこれが普通の形だと思うのだが…。

おそらく、過去の異世界人が中途半端な知識を伝えたのだろう。

ゲーム感覚でやっているなら迷惑な話だな。


クリアガラス作成時の正しい原料割合ってどうだっけ?

…強化ガラスってどうやって作るんだ?

……シリカガラスに頼らない耐熱ガラスの作成方は?

………俺も中途半端なところがあるから人のこと言えないか。

ここは素直に、わずかなヒントからより効率的な形を発見したダニエールを褒めるべきだろう。


そんな事よりも、だ。

話を戻そう。

「一箇所に止まっていると矢が当たりやすいのは気のせいか?」

「それ、レイに言ったら呆れられるよ。高さが同じなら止まっている方が当たりやすいかもしれないけど…。山なりに打って狙い通りの場所に落とすってかなり厳しいよ?」

「打ちまくればいつか…」

「そんな暇ある?」

遠くに広がる戦場を指差す。

絶対に見まいと顔を伏せていたが、監視のアイヴァーンが俺の顔を、両手で無理やり戦場に向ける。

胃の中身を吐き出しながら見た戦場は、阿鼻叫喚、全員が生き残るために必死になっている。

敵後方控える弓兵も同じで、矢を打たれながらも応戦している。


うん、無理だろうな。

だいたい、こんなに矢が行き交っていたらどれが自分のだか、わからねぇよ。

そうは思うが、そっと目を閉じ、一応反論してみる。

「…もしものことがあるだろ。穴を掘った分、こちらの方が矢の射程圏自体は狭い。敵がベストポイントから横一列に並んで一斉に打ったら一網打尽だぞ?」

「目を閉じているから気がつかないんだと思うよ?さぁ、レン目を開けて塹壕を見るんだ」

「断固として拒否する」

「騎士アイヴァーン、彼の目蓋を切り落として良いよ」

「お前はそんなにバイオレンスな人間だったか!?」

恐ろしい事を口走る腹心に対して恐怖を抱きながらしっかりと空堀を見る。

すると、図面と違う光景が見える。

「…直線に見える。何がどうなってる」

多少ジグザクしているのは分かるが、アランの地図にある程ではない。

塹壕が直線的であると言う先入観があれば直線に見えるだろう。

「簡単な話だよ。これは上から見た図なんだ。でも実際の指揮官は、地上に立って戦うよね。地上に立った途端、遠くにある物の距離感は掴みづらくなる。だから直線に見えるんだよ。…少なくとも、塹壕の正しい形はわからないよ」

さも当然かの様にアランは言ってのける。

なるほど、明らかに俺が前線指揮官としての経験が足りてない訳だ。

そして、それは前線に立たないと得ることはできない。

彼らがノリノリで俺に拷問する理由の一端が見えた気がする。


まとめると、と前置きしたあと、アランが話を続ける。

「この陣地に効果的に弓を打ちたい場合、敵がやるべきとこは、接近しないと分からない陣地の形を把握して、正確な部隊の配置と矢の射出角度を発見して、それを全弓兵部隊に共有する。…無理じゃ無いかな。できたとしても、その時には被害と時間がかなり出ていると思うよ」

なるほどな。

仮に全ての不運が重なっても、時間が俺たちの味方である以上、それはそれで言い訳だ。

正確な測定器具でもあればうまく行くんだろうが、生憎この世界にはそもそもレンズがない。

レンズの材料はクリアガラス、つまりは俺の専売特許だ。

未だにこの世界には無いし、作り方を知っているのは恐らく俺だけだ。

…俺も正確とは言い難いが。

とにかく、この世界には観察、測定する手段が無い。

敵の弓兵は現代の砲兵の様に正確な射撃は無理であると言う訳だ。

ではこちらは?

簡単な話だ、陣地構築時に実際に打って確かめれば良い。

狙撃は無理でも大雑把な着弾位置は特定できる。

そして、敵兵はそこに突っ込んでくる訳であるから、塹壕の外で見ている指揮官が指示を出して、そこに大量に撃ち込めば、それなりに当たる。

実にめんどくさい。素晴らしい陣地だ。


とは言え

「この作りじゃあ前線へ援軍やら物資やらが送りにくいぞ。後退もしにくい。いつかはジリ貧になるぞ」

補給がなくなればいつかは干上がる。

限界を迎えた瞬間にこの防衛戦は崩壊する。

そうならない為に増援やら物資を送るべきなのが、防衛線の後ろにあるのは、次の防衛のための穴ぼこ道と塹壕。

本物の塹壕とは違い、前の堀と繋がっていない為、物資の輸送がまるで出来ない。

いくら固くてもこれはダメだろう。

そう思って指摘したところ、アランから笑顔が消えて、スッと目が座った。

背筋が寒くなる視線だ。

彼は少しトーンを落として絶望する様な内容を口にした。

「…彼らは撤退もしないし、増援も送らない。補給は食料と武器だけ、最低限のものだ」

「おい。おま…」

アランは抗議をあげようとする俺を手で制し、冷たい視線を俺の目に合わせてゆっくりと話す。

「下手に増援を送れる様な道を作ればその道を使って敵が次の陣地を攻撃しやすくなるよ。隘路の部隊に求められているのは時間稼ぎ。レンの作戦が始まるまでのね。そのはずだよ。次の陣地に繋がる道なんてあってはいけないんだよ。…彼らももちろん承知してるよ。遺族に大金を約束した」


『なんて無責任な!10万人の命がかかってるのよ!!』

去年のエリザベートの言葉が思い出される。

そうだ、10万人の命を俺は握っている。

それは勝てば全部守れるとか、そんなモノではない。

この命の握り方は、誰にどこで殺しあってもらうか、そう言う殺す事を前提とした握り方だ。


…前回は作戦を採用した義父上の責任だ、と責任転嫁できたかもしれない。

実際、そう思う節があったから、あんなに呑気に『戦争やだなぁ』なんて呆けてられた。

今は違う。

女吸血鬼が補佐しようと、騎士団の太鼓判があとうと、俺が考え、俺が指示した作戦だ。

その元に人が殺し合い、死んでいく。

今更ながら改めてその責任の重さを、背筋の寒さに感じている。

「…名誉ある死者の家族には、しっかりとした金額を出す」

「…頼んだよ」

この日はそれ以降、アランと会話することはなかった。

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