第1話 釣り野伏

(異世界の空も向こうの空も対して変わらんなぁ)

そんな事を考えながら夕焼けを見ていた。

緑の山々が不気味なほど茜色に染まっている。

まるでこの後ここで何が起きるか知っているかの様に。

太陽はもう地平線近くにまで落ちでいる。もう一時間もすれば完全に日は沈むだろう。


「神とやらは、どうしても俺の味方をするつもりはないらしい」

山と山の間で俺は黄昏ながら、ぼそりと呟いた。

誰かに語りかけるつもりで呟いた訳ではないが、少し離れた場所にいた吸血鬼の女の耳には入ったらしい。よりもよってあいつか。

「何よ、急に気取った事言って」

ニヤニヤ笑いながら近付くと揶揄する様な口調で話しかけてきた。

ルビーの様な赤い瞳が綺麗な彼女は、何も知らない者から見れば少女の様な顔付きをしている。

金髪をわざわざツインテールで結ぶあたり、こいつは自分がロリ属性な事を理解している。

しかし、黒い羽と尾、何より、その小さい身体にくっつく柔らかく揺れる大きな果実が少女である事を全力で否定している。アンバランスな事この上ない。

吸血鬼は血さえ飲めれば、寿命で死ぬその瞬間まで少女の様な見た目を保てる種族であり、少々変わった趣味の貴族の間で奴隷として人気のある。

俺と齢のさほど変わらない彼女が幼く見えるのは吸血鬼故だ。


軽い溜息を吐きながら答える。

「だってそうだろ?死んだと思ったら異世界に吹き飛ばされて、あれよこれよと貴族の養子にさせられて…。…戦争に強制的に参加させられる。神が味方だと言うならトラックに轢かれ時にサックと楽に死なせてくれたはずだろ?」

平穏な日々を愛していた事を自覚させた後にこの仕打ちとは——。

そんな俺の哀しみを他所に、吸血鬼はさらに小馬鹿にする様な目つきになった。

尻尾が愉快そうにふりふりと動いている。

「あらそう?初陣だからあがって、周りが見えていないのかしら?ほら、見なさい、あんたの駒であり肉壁を。死んでも誰も文句を言わない、それどころか、名誉な事だと思ってる素晴らしい兵士がこんなにたくさん。加えて、優秀なこの私が副官よ?これが神に愛されてないと?」

彼女は前方を指差しながら嫌味ったらしい笑みを浮かべている。

蓮の前方には4万を超える兵士たちは剣やら槍やらを装備したまま、夜営の準備をしたり、簡易防御陣地を築いている。

彼らは全て俺の、厳密には俺の養父から与えられた、兵士である。

「死ぬ事を心配してるんじゃない。何せ優秀な副官様がいらっしゃるからな。戦争そのものが嫌って話だ。…いや、死ぬ事も怖いが」

皮肉を言ったにも関わらず。吸血女は得意げな表情だ。

全くもって腹立たしい。

「勝って帰れば英雄様、負けて帰ってもお金とコネで何とでもなる。ローリスク、ハイリターン。なのに戦争が嫌なんて、侯爵家の御子息はずいぶん贅沢な悩みをお抱えの様ね」

彼女の言う事は大方にはあっている。

貴族の養子。

何でも手に入る訳ではないが、領地からは不自由しない程度の税収があり、弱小貴族と馬鹿にされる家格でもない。

おまけにこの世界には転生者がそれなりにいて、家に迎え入れる事は割とよくある。養子をもらうにしても派閥だの血統だのしがらみが多い。ならばそれなりに知的水準の高い事が多い転生者を…。そんなとこだそうだ。

他の貴族からも「ああ、転生者が養子になったのか。実子が居なかったもんな」程度にしか思われていない。

結果として蓮は、不自由も、軋轢もなくこの世界に受け入れられた。

むしろ、この世界においてこれ以上ない勝ち組と言ってもいい。

多くの人間が望む最高の異世界転生だろう。

もし俺以外の人が同じ状況なら異世界転生装置、もとい白のトラックに涙ながらに感謝したかもしれない。

その代償として戦争に参加する羽目になったとしても…だ。

しかし、首を振る。

「少なくとも、俺にとっては勝ち負け以前に戦争がやだね。お前と違って。」

「はぁ…。じゃあ、止めれば良いじゃない、侯爵家を継ぐの。『養子を辞めます』。はい解決。」

女吸血鬼はパンと両手で音を鳴らした後にその手を軽く広げた。

どうやらこの女吸血鬼は四年も一緒にいるのに全く俺と言う人間を理解していない様だ。

「エリザベート、俺がこの世界に来てから四年ずっと世話になった恩人の願いを断る様な人g———」

「見える。どうせなんか裏があるんでしょ?」

ククク、と嫌味な笑いをする。

この女郎…。その言葉をグッと飲み込む。

実際、彼女の言う事にも一理ある。

何も恩義だけで養子になった訳ではない。異世界で他に生きる手段がなかった。

手に職もない、かと言って完全にこの世界に染まるほど子供でもない。

そんな中途半端な自分がこの世界で職業につける当てがなかった。

それに義父であるエステル侯爵も完全な善意で彼を拾った訳ではない。

領内視察中に道端に転がっている俺を発見して、エステル侯爵はその見たことの無い服装から転生者である事を見抜いた。

子供が出来なかったエステル侯爵は養子にしようと、打算の上で拾ったのだ。

(つまりはお互い様だ。それに、仮に職が有っても恩人の頼みを聞かないほど薄情ではない。)

しかし、この事情を目の前の吸血鬼に話そうものなら

『ホラァ、やっぱりそうじゃない。あんたが他の人のために動くことなんてないものねぇ』とか何とか言って小馬鹿にされる事は火を見るより明らかである。

俺はエリザベートを睨みつける事しか出来なかった。

この反応を見てエリザベートは一瞬キョトンした顔をした。

非常に愛らしい。いつもこの様な顔であって欲しいものだ———が、一瞬で俺の無言の意味を理解し、醜悪な笑みに早変わりする。

図星だったの?と言わんばかりの表情だ。

これ以上話しても一方的にからかわれるだけだ。視線を外し空を見上げる。

空の半分が暗い。もう半分は赤く染まっている。


エリザベートと並んで座っていると、一人の兵士が近寄っていきた。

黒髪、黒目な如何にも爽やか系のイケメンである。

黒いライダースーツの様な服の上から将校用の軍服を羽織っている。

「何やってんだ…。探したんだぞ。そろそろ軍議の時間だよ。早く来て。」

その声に反応して二人は立ち上がる。

「アランか。今行く。」

「…機械科歩兵スーツも来てないし、武器も持っていない様だけど?」

「ん?必要なのか?」

ここは自陣のど真ん中。敵が急襲してきても最悪逃げれる。

大体、機械科歩兵スーツとは彼が軍服の下に着ているものだ。

恥ずかしい上に締め付けられるので戦闘時以外に着たくない。

「あのねぇ?」

アランが穏やかな笑みを浮かべる。

俺が女性ならば惚れてしまうであろうほど、眩しい笑顔である。

しかし、目は一切笑っていない。

かなしいかな、俺は女性では無いからトキめかないし、この男とそれなりに付き合いが長いため、この手の笑顔の時は長々と説教が突く事を知っている。良くも悪くも世話焼きなのだ。

「いくら自陣であっても、急襲を受けて深く切り込まれることもある。まして機械科歩兵に攻めこまれたらどうするつもりなんだい?彼らの最高時速は160キロだ。そんなんだから、ダニエール様に怒られるんだ。だいたい君はだね、侯爵家の次期当としての自覚が…」

歩きながら説教が始まった。

ちらりとエリザベートを見て助けを求めるが、相手が悪かった。

(いい気味ね)そんな事を言わんばかりの表情だ。

結局、天幕に付く入るまでの10分間はアランの説教タイムへとなってしまった。

陣中で装備を付けない事はアランにここまで小言を言われる様な事だったのか。

ますます天幕へ行くのが嫌になった。


            ✴︎


少し遅れて天幕に到着すると各部隊長が揃っていた。

「初陣で軍議に遅刻か。さらに装備もつけていない。緊張感が足りんな」

案の定、野太い声が俺を嗜める。

その声質と屈強で巨大な肉体そして何より、その如何にも軍人らしい顔から、その言葉からかなりの圧を感じる。

武術の師匠であり、今回の戦いにおける歩兵指揮官だ。

「言葉を謹みなさい、ダニエーレ。エステル家を継ぐ方です」

礼儀正しい女ダークエルフが師匠を睨みつけた後、蓮様からも言ってやってください、と視線をこちらに向ける。

その真っ直ぐな視線を受けつつ、慎重に答える。

「いやレイ、俺が悪かった。以後気をつける」

ここでスレンダーな弓兵指揮官に便乗して師匠に「上官に対する礼儀がなってない」など言おうものなら帰った後の稽古で骨の二、三本折られかねない。

実際、過去に一度稽古をサボただけであばらを折られた。

ファンタジー風味なだけであって、魔法もなければポーションもないこの世界では、簡単に傷は治りはしないのだ。

ここは大人しく良い子のふりをしていた方が良い。

レイは何やら不満そうだが、我が身の可愛さに変えられない。

これ以上、師匠の機嫌を損ねる訳にはいかないのだ。

謝罪の仕方が悪かったのか、お師匠様のご機嫌は治らない。

余程、遅刻が気に入らないのか。いや、多分装備の方だな。

軍人としての心構えを何より大切にしている人だ。

根からの軍人は今にも斬りかかりそうな目でこちらを睨み続ける。

あまりの圧に逃げ場を探して、ちらりとエリザベートとアランを見るがまるで知らん顔だ。

その様子がさらに機嫌を損ねたのだろう。

「本当にわかっているのか?」

野太い声がさらに低くなる。

い、嫌だな。ほんとに反省してますって。———たった今。

「まあまあ、息子を虐めるのはそのくらいにしてやってくれないか。」

機械科歩兵装備を着た、銀髪が特徴的な好々爺から穏やかな声で援護が入る。

今回の出兵の総指揮官にして俺の義父であるエステル侯爵である。

「それにそこまで目くじら立てるほどの遅刻でもないだろう?」

「しかし…」

「指揮官としての注意は後で私からしておくよ。そう怖い顔をするな。」

なるほど、どの道俺は説教らしい。まあ、悪いのは俺だから当たり前であろうが。


「さて、役者は揃った。軍議を始めるとしようか。」

義父上の纏う空気が緊張感あるものへ変わる。

普段は穏やかな御仁だが、戦となると話は別である。

戦の度に出陣し西に東にと転戦し、我らが祖国ニタ王国の将として長年守り続けている英雄だ。

まずは現状の確認だろう。義父上がそれぞれに報告を促す。

「エリザベート、神聖同盟軍動きはどうだ?」

「こちらに向かって真っ直ぐ進軍してる。もう国境を超えてる。明らかな侵略行為ね。目標はニタ川水源の湖で間違いわ。数はおよそ20万。明日の昼前にはここに到着。」

「俺の4万、義父上が6万。…倍か」

溜息をつく俺とは対照的に父上は冷静な様だ。

さすがは歴戦の猛者といったところだろう。

「レイ、周りに抜け道はないか」

「ありません」

「山は登れそうか?」

「エルフならば」

エルフならば、ね。なら神聖同盟は無理だな。

「エステル侯爵、愚心をよろしいでしょうか」

策を思いつたのだろう、ダニエールが口を開く。

「許す」

「神聖同盟は人間至上主義国家です。エルフを使うとは思えません。つまり、この山と山に挟まれた道を通るしかありません。挙げ句の果てに、国境の大山脈進軍して兵は疲弊しています。この道に陣を敷けば数の利を生かせず、容易に突破できないものと考えます。あとは根比べです。」


つまり、彼の意見はこうだ。

改札を通ろうと大勢が押しかけても一度に通れる数は決まっている。ごった返すだけだ。皆さんお行儀よく並んで改札を通る。日本でよく見る光景だ。

ここでも似た様な事をしている。この道は100人以上横に並べば武器を振るう隙間もなくなる。エルフを使わない以上この道を通るしかない。

20万人いようと同時に戦えるのは100人まで。挙句に敵兵諸君はお疲れときている。

10万とはいえ、そこまで疲労していない我々が戦えばそう易々と負けることは無いし、被害も最小限に抑えられる。

戦いを長々と続けて相手が折れるのを待つ。

防御の基本にして理想。堅実な作戦だ。


師匠の作戦を聞いた義父上は苦い顔をした

「私もできればそうしたかった。」

「小官の策に問題がありましたか?」

「作戦自体は上策だよ。ただ、ここでそう何日も戦えない。本拠地から離れ過ぎた。兵糧が来ない。帰りの事を考えると、その作戦で戦えるのは2日が限界だな。」

「なら、後ろに下がって補給しやすい地で戦う、これはどう?そこならこの道の左右の山と水源を囲む山の間で、開けた土地になっているのはネックだけど、2日で無理に戦うよりマシじゃない?」

エリザベートは普段は見せない真面目な顔をしている。いつもこんな顔をしてくれりゃ良いのに。

「悪くない提案だね。ただ、それなりの広さのある土地で戦い続けると消耗も激しくなる。数の少ないこちらが不利だ。」

なにか言おうとするエリザベートを手で制して義父上は続ける。

「王国から援軍は望めない。宮廷の貴族どもは水源の重要性を理解していないみたいだ。要するに時間を稼いだところで意味がない。つまり、我が軍はこの地で2日のうちに敵軍が敗走する損害を与えなくてはならないわけだ。」

「となると、道の先の盆地で決戦…?いや、二倍相手に真っ向勝負は確実に負けますね。」

アランの言葉を最後に天幕に嫌な静寂が訪れる。

前も後ろも光明がない。だからと言って止まることも出来ない。

打つ手なし。そう言わんばかりの静寂だ。


そんな状況の中、俺は現実逃避を始める。

左右の山を見ながらぼんやりと考える。

(この山、噴火とかしてくれないかなぁ。それで敵軍壊滅!とか。…自軍も死ぬか。)

その時ふとある策を思いついた。下らない現実逃避が思いの外、役にたった。

(…リスキーな作戦だが、いけるかもしれない)

リスキーな策で動く軍隊は危険だが、策なしで動く軍隊より幾分マシだ。

溺れるものはなんとやら。提案するだけしてみるか。

「義父上、俺に策があります。」


   ✴︎


「本当に上手くいくんでしょうね?」

「何回同じ質問すんだよ。何回聞いても答えは変わらん。『知るか』だ」

「なんて無責任な!10万人の命がかかってるのよ!!」

「人間が絡む事なんだから絶対はねぇんだよ!」

普段は人をからかう事しか知らない女吸血鬼がずいぶん真面目な事を言っている。

戦となると急に真面目になる。調子が狂うからやめてほしいものだ。

レイは無表情で山間部を眺めている。

銀髪が風になびいて美しい。


義父上が決戦しているであろう時、俺達は後方の山間部の山陰に居た。

此処で神聖同盟軍を殲滅するためだ。


昨日提案した作戦の大筋はこうだ。

盆地に出て、わざと決戦に負ける。敗走を装い山間部まで敵を誘い込む。

弓兵を中心とした兵士を山陰に伏兵として忍ばせておき、ノコノコと山間部まで入ってきたところを叩く。

これだけでも大混乱だ。

さらに残念なことに、この世界の武器は、ハッキリ言ってやばい。

矢をはじめとしたすべての武器は、真紅の石で出来ている。

聞いた話によると真紅の石は1グラム中に広島型原子爆弾1000個分のエネルギーがあるそうだ。

ただ叩き着けたり、射られたりした程度では放出されるエネルギーはただがしれているが、

それでも、そんな高エネルギー体を打ち込まれたら、脆弱な肉体は文字通り爆ぜて死ぬ。

同じく真紅の石が編まれている機械科歩兵スーツをつけていれば、打ちどころが相当悪くない限りは数発は耐えられる。

しかし、付けている兵は一部のみだし、無限には耐えられない。

周りの兵士がバラバラになって死んだら普通の人間は恐怖のあまり逃げる選択をするだろう。

統制を一気に失い、我先にと逃げ出す。

しかし、皮肉なことにそれは出来ない。

退路はただ一つしかないし、その退路である後から味方が全速力でこちらに向かってきている。

その人の波を逆走する事は不可能に近い。

完全包囲の完成だ。

古今東西よく使われた手法だが、決まった時の効果は大きい。


少女漫画風に例えるなら、お馴染みのあのシーン。

「いっけな〜い。遅刻遅刻!!」と少女が食パンを咥えて走るシーンだ。

とにかく急いでいる少女は曲がり角にイケメンがいる事に気が付かずぶつかって、ラブストーリーが始まるあれだ。

敵軍に圧勝する良い夢を見て、寝過ごしてしまった少女(神聖同盟軍)が「いっけな〜い。追撃追撃!!」と急いで走る。

その結果、曲がり角にいる怖いお兄さん(弓兵)に気が付かない。

そして、飛び出た所で思いっきりぶつかる。

頭が真っ白になって、全力で逃げようとしても目の前の車道は車が行き来していて、来た道には既に人が一杯いて通れない。

ゆっくりと近づいてくる怖いお兄さんに捕まって、あんな事やこんな事をされました。


そんな感じだろうか。

…少女漫画じゃなくて薄い本になったな。

そういえば、あっちの世界のパソコン、どうなっているだろうか。

怪しげなものを保存はしてないが履歴を見られるのは少々まずい。

性癖がモロバレになる。

死後であっても何か小っ恥ずかしい。

むしろ、もう会わないからこそ恥ずかしい。

面と向かって言われる悪口はどうでも良いが、陰口が気になるアレと一緒だ。


そんな事を考えて、これから起こる現実から目を逸らせていると、レイが目の前に立っていた。

「な、なんだ?」

「足音が聞こえます。間も無くエストラ侯爵の軍がきます」

俺には全く聞こえない。

「さすがはエルフ。耳が良いんだな」

「違います。私はダークエルフです。似て非なるものです」

レイが不機嫌そうに答える。

「…さいですか」

このエルフ…ダークエルフは自分がダークエルフであることに異常にこだわる。

(イギリス人と白人アメリカ人の違いみたいなものだろ…)

心の中で悪態をつく。

まぁ、口に出したところで伝わらないが。


間も無く足音とともに義父上の軍が戻ってきた。

手には大きな旗を持っている。色は紫。

…作戦は此処まで順調だと言うことだ。

機械科歩兵を率いるアランと義父上が左右の道に分かれると素早く反転した。

迎撃態勢を急ぎで整えている。

昨日、俺に小言を言ったアランは有能な指揮官だ。

義父上にその才能を見込まれて、平民にも関わらす側近として取り立てられている。

イケメンで有能。天は二物を与えない、とか言ったやつは今頃地獄で舌を引き抜かれてる。

そろそろ、敵さんも来るな。

そう思い、腰をあげると再びレイが近付いてきた。

「レン様。予定通り、一斉攻撃の指示はお任せします。その後の細事は私にお任せを。」

それだけを言うとレイは敬礼をした後、持ち場へ向かって行った。

エリザベートに聞こえない声で皮肉を言う。

「一斉攻撃の指示、ねぇ。…は、最高だな」



案の定、神聖同盟軍が山間部へ雪崩れ込んでくる。

こちらに気がつく様子は一切ない様子から、明らかな油断が見て取れる。

戦況とは逆に俺の心は暗くなる。

一斉攻撃の指示を出す時が近付いている。

帰れよ。戦争なんかやめて酒でも一緒に飲もう。

そんな俺の願いを嘲るように

どんどん雪崩れ込んでくる。

止れよ、止まってくれ。

帰ってくれ。頼むから、大人しく国境まで戻ってくれ。

願えば願うほど侵入してくる。

ふざけるな!

こんな事を俺にさせるんじゃねぇ!!

怒っているのに、何故だか血の気が引いて行く

寒い。

手足が震える。歯がガチガチと音を鳴らしている

「これは敵よ。躊躇うなんて、随分お優しい事ね。」

エリザベートの声が遠く聞こえる。

殺すことが怖いんじゃない。

俺はそこまで臆病ではない。

死ぬ敵兵が哀れなんじゃない。

俺はそんな優しくない。

戦争を憂いている訳でもない。

そんな慈悲は俺にはない。

そもそも、臆病で、優しさく、慈悲深いなら退路を断って殺したりするか。

単純に肉片が飛び散る事を見てられない。

自分の死んだ感覚が蘇るから。

体がミンチになるあの感覚が…。

骨の砕けるあの感覚が。

血がぶちまけられるあの感覚が!

頭蓋が砕けるあの感覚が!!

そんな自己中心的な理由、ただそれだけだ。

そんな事を知らない吸血鬼は嘲て笑う。

「ほんっと、情けない男」

「お前も一度ミンチになってみろ。俺の気持ちが嫌でもわかるぞ」

精一杯の強がりだったが、今にも泣きそうな声だ。

その声すらも遠く聞こえて自分のものか、ぼんやりしている。


敵の指揮官らしき女が入ってきた。

アランと義父上も交戦し始めた。

敵は十分引きこんだ。

頃合いだ。

発案者なんだ。

指揮官なんだ。

戦争なんだ。

やるしかない。

口の中が酸っぱい。

脂汗が噴き出でる。

寒い、寒い。

それでも腹に空気を入れる。

トラウマを振り切るように叫ぶ。

「弓兵、一斉射撃!!!」


放たれた矢が飛んでいく、ゆっくりと飛んでいく。

どんどん、どんどん矢の速度が遅くなる

ゆっくりと神聖同盟軍の兵士に刺さっていく。

ゆっくり、ゆっくり刺さっていく。

そして、一瞬世界が止まった。

このまま永遠に止まればいい。

強く願う———このまま二度と動き出さなくて良い

しかし現実は無慈悲だった。

願った刹那、元の速さで動き出す。


爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる。

肉が、血が、骨が。

木々が赤に染まって行く。

土に血が染み込んでいく。

山間部が地獄に変わった。

いや、俺が変えた。

たった一つの思いつきで。

たった一つの号令で。

嬉々として戦っていた兵士が混乱し、調子に乗っていた将校が絶望している。

そうしてまた、彼らを矢が射抜く。

爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる

爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる

その光景が四年前のあの日の感覚を呼び戻す。

骨が砕けていく感覚、体が肉になる感覚、頭蓋が割れるあの感覚!

胃の中のものが帰ってくる。

世界がグルグル回る。

さらに血の気が引いてく。

五感が一気に鈍くなる。

立っているのかすらわからない。

もう、訳がわからない。

今俺はどんな顔をしている?

戦争なんて、やっぱりやるもんじゃ無い。

こんな地獄、誰が望んだ?


意識がスッと遠くなる。

遠くの方から声が聞こえる。

女の声だ。


「後は私がやっとくわよ。そこで寝てなさい。意気地無し君」


その日神聖同盟は20万の兵士を失った。

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