閑話19 槍と金魚(後編)

「それであなた、その金魚というお魚は見つかったのですか?」




 数日後、書斎で書類を決裁していると、そこにお茶を持ったエリーゼがやって来て、昨日の金魚探索の結果を聞いてきた。

 イーナはエリーゼに話さなかったのか?


「いやあ、これがそう簡単に見つかるものではなくてさぁ……」


 先日はあちこち、バウマイスター辺境伯領でまだ人の手が入っていない水場を『高速飛翔』で移動しながら探してみたのだが、金魚の影すら見えなかった。


「よくよく考えなくても、そんなに簡単に見つかったら貴重な魚じゃないものな」


「確かにそうですよね。それで今日もイーナさんは?」


「別の水場で探しているよ」


 今日俺は用事があってイーナにつき合えなかったので、朝、その水場に魔法で送ってあげただけだ。

 夕方、また迎えに行くことになっている。

 今日は見つかるといいのだが……。


「そんな人がいない場所に、イーナさん一人で大丈夫ですか?」


「今日は、ルイーゼも時間があるから付き合うってさ」


「そうですか」


 イーナが一人でないことを知って、エリーゼは安堵の表情を浮かべた。

 さすがに俺も、一人なら探索の許可なんて出さないさ。


「エリーゼは金魚って知ってる?」


「はい、名前くらいは。ですが、飼育されている方は盗難を怖れて秘匿してしまうそうで、現物は見たことありません」


「本に絵とかないのかな?」


「そういえば、屋敷の書斎にある本に書かれていましたね。ちょっと待ってください」


 エリーゼは急ぎ書斎へと向かい、金魚の絵が描かれた本を持ってきてくれた。


「このページです」


 エリーゼが目標のページを開くと、そこには白黒ながら金魚のイラストが描かれていた。

 金魚の色はオール金色と聞いているので、あとは造作をしているかだな。

 原種であるヒブナに近いのか……でも、独自の種だと聞いたな……それとも謎の進化を遂げてリュウキンや、もしかしたらランチュウみたいになっていたりして……なんて思いながらイラストに注目すると……。


「エリーゼ、これは……。金魚ってどれも、こんなにホラーな生き物なのか?」


「そうらしいです」


 ブサ可愛いというカテゴリーではなく、なんというか、見ていると怖くなるような不気味な外見であった。

 大まかな形はリュウキンのようであったが、その体表には爛れた水膨れのようなイボやコブがこれでもかとついており、確かにこの外見だと早く泳ぐのは難しいかもしれない。

 ヒレも千切れたように見えるが、元からこんなヒレなのだと、イラストの隣に書かれた説明文には記載されていた。


「こんな不気味な魚、どうしてみんな欲しいんだろう?」


「色は金色で縁起もよく、外見が無様なのは、持ち主の不幸を金魚が身代わりに受けているというお話だそうで……」


 なるほど。

 金魚は元からこんな外見なのに、病気や怪我を重ねてこの不気味な外見になったという風にも受け取れるのか……。

 そしてその怪我や病気は、本来飼い主が受けているはずのものであった。

 不幸を身代わりに受けているという風に捉えれば、金魚に人気が出ても不思議でないとも言える。

 かなりこじつけが酷いとも思えるけど。


「もう一つ。金魚を得ると、その飼い主はお金持ちになるとも言われています」


 身代わりで金魚が自分の不幸を受けてくれ、金魚の色自体は金色で富を連想させる。

 勿論迷信だが、だから非常に縁起のいい魚だと言われているのか。


「金持ちだからこそ、貴重な金魚が手に入るとも言えなくはないけど」


 金魚を手に入れたから金持ちになった人はおらず、金持ちだから金魚を手に入れることができた、が真実だろうな。

 自分で捕りに行く金持ちなんてまずいないのだから、高額で買い取るしかないのだから。


「真実はそうかもしれませんが、人の幸せを求める気持ちに上手く合致した生き物なのでしょうね」


 それで、みんなこぞって探しているわけか。

 でも、本当に不気味な魚だなぁ……。

 イーナは槍に交換するから構わないのだろうけど……。

 そうだ!

 その交換する予定の槍も不気味だったんだ。


「今日、イーナとルイーゼが無事に金魚を見つけるかどうかわからないけど……」


 実際のところ、どのくらいの確率で手に入るものなのだろう? 

 本には書かれていないな。


「金魚を持っていることを多数に知られると、盗難の心配よりも、幸運が逃げるというジンクスもあるそうで。それでも、王都に数百人はいるのではないかと」


「その人数だと貴重なのかな?」


 その割には、ちょっと評価額が低いような気もするけど。


「あの見た目なので、嫌がる人も当然います。他に似たような縁起物がないわけでもないですから……」


 そりゃあそうだよな。

 こんな不気味な魚、他人に隠してまで飼いたいと思う人は……意外と多いのか?

 どちらにしても、イーナが無事に金魚を見つけてくれればいいのだけど。





「うへえ、不気味な魚だな。イーナとルイーゼは、わざわざこんなのを捕りに行ったのか?」


「金運上昇の効果ありですか。私も探しに行きましょうか?」


「カタリーナ、ダイエットのご利益はないんじゃないかな?」


「私は、そんなことは求めておりませんわよ」


「とか言いつつ、今日は生クリームを使っていないケーキを選んでるな」


「誤解ですわ! カチヤさん! 私は、果物のタルトが大好きなのです!」


「そうか? この前、随分と大きなプリンに大量の生クリームをホイップして、『これ以上の幸せはない』って言ってたじゃん」


「生クリームは、果物よりも好きなだけですわ」


「そこは認めるんだ」




 俺の書類整理も無事に終わり、時刻はオヤツの時間になった。

 今日はバウルブルクのお店で購入したケーキが出たが、お茶は久しぶりにエリーゼが淹れてくれた。

 金魚探しに出かけているイーナとルイーゼ以外で屋敷にいる面々が集まり、それぞれ好きなケーキを取って食べ始める。

 カチヤが、また微妙なダイエット……ならケーキを食べなければいいと思うし、別に太ったようにも見えないんだが……フルーツを使ったタルトを選んだカタリーナをからかって遊んでいた。

 そして、例の本の絵を見て金魚の不気味さも感じているようだ。  

 こんな魚が欲しい奴の気が知れないという顔をしていた。


「逆に、不幸になりそうですね」


「呪われそうなイメージがある」


 ケーキを食べながら、リサとヴィルマも金魚を散々に貶していた。 

 というか、これが可愛いという美的センスの人はちょっと変わっているどころではないと思う。


「あくまでも、交換用のアイテムだから」


 あの骨董品屋の主人が、金魚と交換でなければ例の槍を渡さないというのだから仕方がない。


「よって、イーナの美的センスに欠点があるわけじゃない」


「ヴェル様、交換する予定の槍も趣味が悪い」


 ヴィルマ、正直な意見をありがとう。

 実は俺もそう思っているけどな。


「それはだな。あくまでもコレクターズアイテムだから」


「数あるコレクションの中に、一つくらいああいう品も混じっていた方がコレクションの幅が広がって評価も上がる?」


「そういうことだと思う」


 大方、ヴィルマの言うとおりであろう。

 イーナは槍が好きで、コレクションとして色々な槍を集めている。

 その中にあの趣味の悪い槍が混じっていたとしても、そういう珍品も揃えてのコレクションというわけだ。

 コレクションが全部趣味の悪いものばかりだったら、それは本当にイーナの美的センスに問題ありなのだろうけど。


「カチヤのサーベル収集みたいなもの?」


 一旦ケーキを食べる手を止めて、ヴィルマがカチヤに質問した。


「あたい、別にサーベル集めは趣味じゃないけど。あくまでも予備のサーベルだから、デザインとか、製作した年代や職人の名前なんて気にしてないぜ。性能と値段だけで決めているから、コレクションとは違うかな」


 カチヤの予備のサーベルは、戦闘で破損した時の予備だからな。

 俺と決闘した時、かなりの数のサーベルを失ったのでストックするサーベルの数を増やしたら、ヴィルマからコレクションだと勘違いされたのであろう。


「イーナさんは槍が好きだからね」


「でもよ、女性の身で槍が好きとか。これは、旦那様の槍に不満を抱いての槍収集かもしれねえなって、俺はケーキいらないからな」


 突然、いかにも下品なオヤジギャグと共に現れたのは、本物のオヤジであるブランタークさんだった。

 しかも、まったくウケないオヤジギャグで場を寒くしておきながら、何食わぬ顔でエリーゼにお茶を頼んでいる。


「なんという無責任な!」


「えっ? 俺のどこが無責任?」


「ブランタークさんのオヤジギャグ、全然ウケてない。場の空気が冷たい」


 しかも、何気に不敬罪のような……。

 俺の槍が粗末とか……いやね、別に豪槍だとか見栄は張らないけど普通ですって。


「確かに、なんとも言えない感じね……」


 あんなオヤジギャグを聞かされたら、普通はアマーリエ義姉さんのようにどう答えていいものやら、といった状態になってしまう。

 『その通り』と言うわけにもいかず……そんなわけないハズだけど……。

 かと言って、その正反対で『凄いんです!』って言われても、やはり俺が恥ずかしいしな。

 俺は元々、謙遜を美徳とする日本人なのだから。


「????」


「エリーゼ様、どうしたの?」


「ヴィルマさん、私、ブランタークさんが仰った冗談の意味がよくわからないのですが……」


 生粋のお嬢様であるエリーゼは、ブランタークさんのオヤジギャグを理解できなかったようだ。

 理解できていたら、それはそれでホーエンハイム枢機卿とかが怒りそうだけど。


「あのね……「俺が恥ずかしいし、居た堪れない気持ちになるから、わざわざ説明しないでくれ!」」


 エリーゼにオヤジギャグの説明をしようとしたヴィルマを、ブランタークさんは全力で止めるのであった。





「ああ、金魚か」


 改めてエリーゼからお茶を淹れてもらったブランタークさんは、イーナが探している金魚について聞くと、彼はそれを知っていたようだ。

 元ベテラン冒険者だから当たり前か。


「お師匠様は、金魚を見たことがあるのですか?」


「あるよ。若い頃に捕らえたこともある。たまたまだけどな」


「それは凄い」


 俺たちはつい先日まで金魚の存在すら知らなかったし、他の冒険者が捕まえたという話も同様だ。

 それがなんと、ブランタークさんは金魚を捕えたことがあるという。

 みんな、ブランタークさんに対し尊敬の眼差しを向けた。


「本当にたまたまだぜ。金魚を捕えようと思っていたわけでもない。あれは、俺がまだ駆け出しの頃だ……」


 ブランタークさんが、王都からかなり北にある魔物の領域において狩猟をしていた時のことらしい。


「ちょっと休憩で、森に沸いている泉で水を汲もうとしてな」


「酒じゃない?」


「おい、リサ。俺も若い頃はそんなに酒が強かったわけでもないし、仕事中には飲まねえよ」


 リサは、以前に噂でも聞いていたのであろうか?

 ブランタークさんが、仕事の休憩に酒を飲まないことを不思議がっていた。

 酔いが残るから、さすがに仕事中は酒を飲まないと思うけど……でも、魔物が弱い領域ならあり得るとか?


「あるか! どうせ俺が嫌いな連中の噂だろう。俺はデキる冒険者だったからな。やっかみも当然あるさ」


 自分で自分を、デキる冒険者だと言ってしまうのか……。

 まあ、事実だから否定するつもりもないし、自惚れというよりは客観的に自分の実力を把握しているのであろう。


「話を戻すが、その泉にいたんだよ。金魚が」


 金魚はそんなに泳ぎも速くないので、ブランタークさんによって簡単に捕まってしまったそうだ。

 

「それを持ち帰り、俺は興味なかったから冒険者ギルド経由で誰かに売ったわけだ。金魚だから、誰に売ったのかは知らんけど。ギルドが言わねえし、当時としてはいい金になったから、俺も文句なかったってわけさ」


「へえ、そんなに簡単に捕まるものなのですね」


「あくまでも、そこにいればだぞ。そういつもいないから、稀少なんじゃねえか」


 ブランタークさんによると、金魚は年に十匹前後しか見つからないらしい。

 ふと人気のない水場に行くと、水面近くを漂っていたりする。

 金魚を探すぞと気合を入れている人よりも、たまたまその水場にいるのを見つけたなんて人の方が多い。

 ある意味、気まぐれな魚とも言えた。

 

「一匹見つかると、その水場は最低でも数十年新しい金魚が見つからない。単体でも繁殖できるのかどうかは知らんが、雄雌がいるのかも不明で、とにかく謎の多い魚だな」


 幸運を呼ぶとされる不思議な魚。

 黄金色の金魚ってわけか。


「見た目は最悪」


「そうだよな。俺も最初見つけた時は、全身奇妙なコブと水膨れみたいな膨らみで、なにか病気にでもかかっているんじゃないかと思った。あれで健康らしいんだが、よくあんな不気味な魚を飼うよな。金持ちの考えが理解できんわ」


 と言い終えたブランタークさんは、少し冷めてしまったお茶を飲み干してから、まだ用事が残っていると、バウルブルクの町に戻って行った。

 帰りは、魔導飛行船を使うそうだ。

 バウルブルク~ブライヒブルク間なら日に何便か出ているので、よほどの急用か大切な用事でもなければ俺に『瞬間移動』を頼まなくなっていた。

 ブランタークさん曰く、船内で飲む酒が美味しいらしいのだが。


「じゃあ、イーナとルイーゼは駄目かな?」


「一年に十匹だからなぁ……難しいんじゃねえの?」


 カチヤは、望み薄だよなと俺に言った。

 宝くじの一等に当たるよりは……そんなに確率的には変わらないのか?

 オヤツの時間が終わり、そして夕方。

 俺が今日、イーナとルイーゼが金魚を探している水場まで迎えに行くと、二人はえらく興奮していた。


「ヴェル! 見つかったわよ」


「マジで?」


 ブランタークさんの話から、そんなに簡単に見つかるものではないと思っていたんだが……。


「マジでイーナちゃんが見つけたよ。本当に金色なんだね」


 と言いながら、ルイーゼが桶に入った金魚を見せてくれたのだが……。


「うわぁ、金色なことくらいしか取柄がねえ……」


「だよねぇ……。まあ、交換用のアイテムだと思えばさぁ」


 前世の記憶で金魚ってのは可愛いイメージがあったのだが、この世界の金魚はとにかく不気味だ。

 基本形はリュウキンなんだが、変な伝染病にかかったのではないかと思うほど、体中からコブというかイボが出ていて、他の部分も水膨れしたみたいにブヨブヨしている。

 しかもそれが金色なので、余計に不気味に感じてしまうのだ。

 ブサ可愛いければまだ救いがあるのだが、誰が見てもブサキモイであり、こんなものを飼う奴の気が知れない。

 これを飼うのなら、まだ他の魔物でも飼った方がマシかもしれない。


「なあ、イーナ」


「交換アイテムだから問題なしよ!」


 自分で飼うわけではないから、不気味でも問題ないのか。

 あくまでも、欲しい槍との交換用アイテムだからな。


「というわけで、急ぎあの骨董品屋で交換しましょう」


「その前に、屋敷に寄っていくから」


「えっ? どうして?」


「それが、みんな、金魚を見てみたいんだってさ」


 どうしてこんな不気味な魚をと思わなくもないが、多分怖い物見たさなのだと思う。

 金魚は珍しく、そうそう直接見られるものではないというのもあるのか。

 骨董品屋の店主に渡してしまえば、金魚という幸運アイテムの性質上、二度と他人には見せてくれないはず。

 エリーゼすら、『一度見ておきたい』と興味があるようであった。


「見なければ見ないで、気になるのが人間だよね」


「そんな感じなんだろうな」


 ルイーゼの言うとおりで、人間はもの凄く不味い食べ物だと言われると、不味いとわかっているのに試食してしまう生き物だからな。

 不気味で見る価値がない金魚でも、ひと目見ておきたいのだと思う。


「見ておけば、あとでなにか話のネタになるかもしれないし」


「私が無理言って、ここで探索させてもらって手に入れたものだからかまわないけど、実際にこうして見てしまうと、見てみたいと思う人の気持ちがわかるような、わからないような……」


 イーナも了承したので、俺たちは金魚を持って『瞬間移動』で屋敷へと飛んだ。

 屋敷中の人たちはみな興味あるようで、まるで砂糖に群がる蟻のように金魚の入った桶に集まってきたが、すぐにその不気味さから見るのをやめてしまった。


「エリーゼ、どう?」


「どのような生き物でも、神が必要だからそういう容姿にしたのです。ただ、私には神の意思すべてがわかるわけでもありませんので……」


 この世界でも、キリスト教のように生物は神がその形を作ったという説が主流になっており、エリーゼは金魚がブサイクなのにはちゃんとした理由があるのだと俺に言った。

 神の意思なので自分にもわからないことがあると言ったのは、やはり金魚がとてもブサイクだと思っているのであろう。


「カタリーナ、ヴァイゲル家が繁栄するように飼ってみるか?」


「さすがにこれは……つい世話を忘れてしまいそうですわ」


 こんなブサイクな魚、カタリーナの美的センスには合わない……わざと世話をしないかもと言い放った。 

 それは可哀想なので、それなら元いた水場に放せばいいのにと思ってしまう。


「動くと余計気持ち悪い」


 ヴィルマも大概容赦なかったが、確かに水面をフワフワと泳ぐだけで見ているこちらの気持ちが落ち込んでくる。

 というか、これの世話をしている人、よく餌やりとか水替えができるな。


「旦那、もう十分に見たから、とっとと交換した方がいいかもな」


「ええ、話のタネとしてはもう十分よね。テレーゼにも見せておく?」


 テレーゼは、ここ数日気ままな旅行に出かけているので、その間にもし金魚が死にでもすると槍と交換できなくなってしまう。

 あとでアマーリエ義姉さんが話をすればいいと思う。


「話に聞いたところでは、そんなに簡単に死なないそうですけど。万が一ということもあります。そんなに何日も見ていても意味がないのもありますけど……」


 リサも金魚について少しは知っているようだが、その頑丈さも幸運アイテム扱いされる原因のようだ。

 そういえば、地球の金魚も何日か餌をやらなくても全然死なないからな。


「みんな、見た?」


 ルイーゼの問いに、みんなが首を縦に振った。


「拙者、初めて金魚を見ますが、これを飼っていると不幸になるような気がしてなりませんな」


 さすがのローデリヒも、初めて金魚を見たそうだ。

 もう二度と見なくていいと断言していたが。


「じゃあ、早速持って行きましょう」


 みんなもう十分だと言うので、俺たちは例の骨董品屋に金魚を持って行った。


「おおっ! もう見つけたのですか!」


「運がよかったのよね」


「では、早速拝見……」


 と言って、骨董品屋の店主が金魚の入った桶を覗き込んだ瞬間、彼は硬直してしまった。

 自分が欲しいと言ったくせに、金魚があまりにも不気味で精神にダメージを受けたようだ。


「金魚ですよね?」


「ええ……」


「よかったぁ、じゃあ、『ラグレルアル作、双竜の槍』と交換ね」


「あのぅ……。やはり交換は……」


 イーナが店内に飾ってあった槍を手にしようとすると、店主が彼女になにか言いたそうな表情を向けた。

 きっと、気が変わって金魚が欲しくなくなったのであろう。

 気持ちはかわらないでもないが、先に交換を提案したのは店主の方だ。

 ルール違反はよくないので、俺は静かに店主とイーナの間に割って入った。


「イーナ、よかったな」


「イーナちゃん、よかったね」

 

 俺の意図に気がついたルイーゼもさらに俺と店主の間に割って入り、彼の交換は中止という発言を完全に遮ってしまう。

 曲がりなりにも商売をしている人間が、口約束でも契約を破るのはよくない。


「あの……。槍は十万セントで売りますので……」


「いえ、交換で」


 いや、俺たちもこんな不気味な魚はいらない。

 第一、屋敷に持って帰っても世話する人がいないじゃないか。

 俺は嫌だし、きっとエリーゼでも嫌がるはず。


「幸運のアイテムじゃないか。お店が繁盛するかもよ。だから密かに持っている人も多いのだし」


「いやあ、私はもう隠居の身で、孫も最近景気がいいので稼ぎも悪くありませんし……別に金魚を飼わなくてもいいかなって思うのです」


 普通こういう反応になるよな。

 逆に、金魚をずっと飼い続けている奴の神経を疑いたくなる。

 そのくらい、この金魚はとにかく不気味なのだ。


「他に欲しい人に売ればいいじゃん」


「それまで、うちで預かるんですか……」


 というか、どれだけ嫌なんだよ。

 元々あんたが欲しいって言ったんじゃないか。


「じゃあ、槍は貰っていくから」


 俺たちは、半ば強引に金魚を置いて槍を持ち帰った。


「『ラグレルアル作、双竜の槍』。最高の出来ね。今度、魔の森で狩猟する時に使おうかしら?」


「それはやめた方がいいと思うな」


「どうして、ヴェル?」


「ほら、希少な槍だから、使って摩耗したり壊れたりしても補修が難しいと思うんだよ。そこを確認してから使わないと」


「それもそうね、ヴェル、いいことに気がついてくれてありがとう」


「どういたしまして」

 

 それとイーナだが、金魚の不気味さには敏感だったが、自分が手に入れた槍の趣味の悪さにはまったく気がついていなかった。

 大好きなものなので、完全に盲目状態なのであろう。


「つまりだ。イーナの嬢ちゃんは、どんな槍でも愛でてしまうことができる、ある意味女神とも言えるわけだ」


「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」


 数日後、再び所用で屋敷に来たブランタークさんが下品なオヤジギャグを飛ばし、みんなから呆れられてしまうのであった。 






「そういえば、ヴェル。あの店主さんが、金魚は無事に売れたってさ」


「へえ、世の中には変わっている人がいるんだな」




 それから数日後、ルイーゼがあの金魚が売れたという情報を持ってきた。

 あれを買った人がいるのか……コレクターズアイテムだから購入希望者がいないわけがないのだが、俺なら一セントでも買わないと思う。

 というか、金を貰っても飼いたくなかった。


「そうだよねぁ、あんな不気味な魚を飼うなんて。ヴェルはもうお金持ちだからいいんじゃないの?」


 金魚なんていなくても、俺は金持ち……その分柵も多いが、もし金魚を飼ったら柵が全部消えるのなら飼ってもいいかも。

 俺はバウマイスター伯爵だから、飼育は使用人に任せるという手もある。

 特別手当てを出せば、引き受ける人もいるであろう。


「それにしても、誰が買ったんだろうね?」


「さあな? 意外と身近な人だったりして」


「そうかもね」


 ルイーゼとそんな話をしてから、俺はいつものとおりバウマイスター伯爵としても仕事を始めるのであった。





「これもまた可愛いのである! 幸運にも、某に十匹目の金魚が! まさか、バウルブルクで購入できたとはである! 可愛いのである! 名前はリリーにするのである!」


 どこかで聞いたことがある口調の人物が、運よく手に入れた金魚を見ながら一人喜びにうち震えるていた。

 しかし、金魚にその名前は似合わないと思うのだが、誰も止める人はいなかったのであった。

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