閑話14 隠居……できたらいいな
「父上、お呼びでしょうか?」
「よく来たな。フリードリヒ。実は少し話があってな……」
「お話ですか?」
この世界で生活を始めて、いったい何年経ったであろう?
俺もとっくに、肉体年齢が三十歳を超えてしまった。
中身に至っては、五十歳をとうに超えたのか……。
エリーゼが産んだ嫡男フリードリヒが、もうすぐ十五歳になるのだから、俺も年をを取ったわけだ。
俺のことは置いといて、フリードリヒは十五歳になるのだから、もうすぐ彼を成人、大人として扱わなければならない。
そして俺は、ある決意を固めていた。
「そんなに大したことじゃないんだが、来週、フリードリヒは成人するだろう?」
「はい」
「その時に、お前にバウマイスター辺境伯家の家督を譲るから」
「えっ? 父上、今なんと?」
「だからね、フリードリヒにバウマイスター辺境伯家の家督を譲るから」
「父上、そんな急に、子供にお菓子をあげるみたいに言われても困ります」
「別に困らないだろう。いつかお前が継ぐ家と領地なんだから」
別に俺も、好き好んで成人したばかりの子供に家督と領地を譲るわけじゃない。
これには、一代で成り上がったバウマイスター辺境伯家が持つ、やむにやまれぬ事情があってのことだ。
「ローデリヒは、なんて言っているんですか?」
「賛成しているな。最初はローデリヒと相談しながらやってくれ」
「そんな急に、やってくれと軽く言われても……」
わずか十五歳で、いきなり辺境伯家の領地と家督は重いか。
それでも、これは受け入れてもらわないといけない。
第一、俺がこのバウマイスター辺境領の前身、バウマイスター伯爵領を王国から下賜されたのも十五歳の頃だった。
フリードリヒは才能もあるので、やってられないことはないはずだ。
「いいかい、フリードリヒ。よく聞きなさい」
俺はフリードリヒに対し、どうしてこんなに早く家督を譲るのか、事情を説明し始める。
「このバウマイスター辺境伯家は、俺の代で誕生し、急速に勃興した家だ。当主である俺の影響力が大きすぎて、俺の死後に家督を譲ろうとすると混乱する可能性が高い」
子供も多いし、家臣にも仕官して間もない者たちばかりで、大貴族の子弟も多い。
それぞれが派閥を作り、俺の子供たちを神輿として、バウマイスター辺境伯家の家督継承問題に口を挟んでくるかもしれない。
歴史あるブロワ辺境伯家でも、タイミングが悪いと激しい家督争いが起こった。
新興であるバウマイスター辺境伯家では、余計にその可能性が高い。
それを防ぐためというわけだ。
「王家は今、南にあるガトル大陸の開発を最優先課題にしている。そんな時に、中継地となるバウマイスター辺境伯領で混乱が発生することは絶対に許されないのだ。よって、順当に嫡男であるお前に家督が譲られ、それを俺がしばらく後見するというのが一番混乱が少なくていい」
「なるほど。父上がしばらくは後見してくれるのですね」
「それはそうだ」
とは言いつつ、実はローデリヒに丸投げするに決まっている。
考えてもみてほしい。
俺も、十五歳で広大な領地を得て苦労の連続だった。
ローデリヒからは鬼のように土木工事をさせられ、そのおかげでバウマイスター辺境伯領は大いに発展したが、俺は本当に大変だったんだ。
頭がおかしい……変な貴族たちへの対応も面倒だし、正式に隠居する今、エリーゼたちと遊んだり、魔の森で狩りをする冒険者に戻るに決まっている。
今のうちなら、まだ体も十分に動くのだから。
勿論、この計画は誰にも言っていない。
ローデリヒに知られると、色々と面倒だからな。
あいつは俺がフリーになったと思ったら、もっと仕事を、多分工事の仕事を沢山押し付けてくるはずだ。
そもそも俺は、前世では会社の経営者じゃなかった。
跡を継いだ息子の後見って……。
物語やドラマとはではよく見たけど、実際なにをするのかもわからない。
俺がフリードリヒの後見をしているから、『妙なことをしたら消すぞ!』的な雰囲気を出しておけば、なにか企みそうな連中の悪事は排除できるはず。
つまり、俺は飾りで十分なのだ。
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫に決まっている。お前は、俺よりも優秀なのだから」
フリードリヒは、俺の才能を受け継ぎ上級魔法使いであった。
エリーゼの子供なので頭もいいし、貴族に必要な教養も十分にある。
むしろ俺よりも貴族らしい。
なにを習ってもすぐに習得できるのは、母親からの遺伝だろうな。
背も高いし、イケメンだし、人格者でもある。
女性にもモテるし……なんか、自分の息子なのに微妙に腹が立ってきたな。
絵に描いたようなイケメン陽キャ……俺の本能の敵じゃないか!
なぜ親子でここまで違うのか?
やはり、母親の血なのか?
「当主の仕事は、経験を積めば順当に得られるさ。ローデリヒが引退するまでは、彼から色々と教わるがいいさ」
そして俺は、形だけの後見人となる。
これからの人生、あとは遊んで暮らすのだ。
「わかりました。二代目バウマイスター辺境伯として、粉骨砕身努力いたします」
「先は長いから、気張りすぎるなよ(やったーーー! フリードリヒは真面目だから助かったぜ)」
こうして俺は、無事フリードリヒにバウマイスター辺境伯家の家督を押しつけ……じゃなく、譲ることに成功するのであった。
俺よりも圧倒的に向いているから、俺はいいことをしたんだよ、きっと!
「じゃあ、俺もレオンに若様の護衛をすべて任せるかな。ヴェルの専任に戻るよ」
無事に隠居できそうなことをエルに教えたら、彼も自分の嫡男レオンが成人したら、フリードリヒの護衛をすべて任せてしまうつもりだと言う。
昔とは違って、今は当主と嫡男の護衛は何人もの家臣たちが協力して行っている。
エルはその指揮を執っており、フリードリヒの護衛も常に傍らにいるレオンに細かく指示を出していた。
それをやめてレオンに全面的に任せ、俺のみの護衛に戻る決意をしたようだ。
「なるほど、エルも上手く俺の隠居を利用したな」
昔のように、ほぼ冒険者としての生活に戻るというわけだ。
俺の護衛だと言っておけば、他の仕事はしないで済むからな。
いいアイデアだと思う。
「子供たちも無事に成人し、俺たちは再び自由な冒険者稼業に戻れるな」
「はあ? お前はなにをわけのわからないことを言っているんだ?」
「いやだって、エルは俺の専任護衛に戻るんだろう?」
これからは魔の森などに行く用事も増えるから、エルは他の仕事をしている余裕がなくなる。
だから、レオンにフリードリヒの護衛役を譲ったんじゃないのか?
「王城は基本安全だが、大貴族であるヴェルが護衛もなしというのも格好がつかないからな。俺の他は、ルイーゼやヴィルマならついて来るか」
「王城? なんで俺がそんなところに行かないといけないんだよ」
なにか用事でもあれば別だが、あんな堅苦しい場所、無理に行く必要もないじゃないか。
あそこに行くのは、俺の仕事が増えるフラグじゃないか。
大体俺は、ようやくバウマイスター辺境伯の重責から脱することに成功したんだ。
意味もなく、そんなところに行くのは嫌だ。
俺は自由な冒険者に戻るんだ。
「お前、もしかして忘れているのか?」
「忘れて? 俺がなにを?」
「やっぱり忘れていやがる……。今のお前が楽隠居なんてできるはずがないだろうが! お前が家督を譲った情報が王城に流れたら、あの人が飛んで来るぞ」
「あの人?」
果たしてエルの予言は当たり、俺が王国に対しフリードリヒに家督を譲る旨を伝えた数日後、エルの言うあの人が飛んできた。
「某! ついに面倒な王宮筆頭魔導師を辞められるのである! これより始まる自由な第二の人生! 実に素晴らしいのである!」
あと二~三年で六十歳、前世では赤いチャンチャンコを着る年齢になるはずの導師であったが、彼は相変わらず元気だった。
ブランタークさんはさすがに寄る年波に勝てず頭が真っ白になったが、導師は初めて会った頃から見た目があまり変わっていない。
ブランタークさんが『殺しても死なない』、『実は呪われていて、加齢が止まっているのかもしれない』と言っていたのに納得してしまうほどだ。
「導師、王宮筆頭魔導師を辞めるのですか?」
「当たり前である! なにしろバウマイスター辺境伯がいるのである! おっと、もう隠居するのであるな! これより、前バウマイスター辺境伯が導師と呼ばれるようになるのである!」
「俺ですか?」
「当たり前なのである! 某も寄る年波には勝てないのである! 某よりも優れた後継者がいる以上、王宮筆頭魔導師の地位を譲って当然である!」
すっかり忘れていた。
導師の次の王宮筆頭魔導師、その最有力候補は俺だったんだ。
「というか、お前以外がなったらおかしいじゃないか」
「でもさぁ……」
クソっ!
王宮筆頭魔導師なんて、王城に行く度にお偉いさんと会わなくちゃいけないじゃないか。
できればなりたくない。
こうなれば、そこそこ魔力量があり、書類仕事ができそうで、無駄にプライドが高い魔法使いを煽てて……。
そいつを後継者にしてしまえばいい。
我ながらいいアイデアだな。
必ずしも、魔力量が一番多い俺が王宮筆頭魔導師にならなければいけないルールもないのだから。
会社でも、必ず一番優秀な人が社長になる保証がないのと同じだ。
うん、これこそ派閥、政治闘争の因果というわけだな。
俺のせいじゃない。
これは組織の定めなのだから。
「他の候補者に譲りまぁーーーす」
きっと、やりたくてたまらない人が沢山いるはずだ。
そいつに譲ってしまおう。
「陛下にお尋ねしたところ、バウマイスター辺境伯以外に適任はいないと聞いたのである!」
「でも、やりたいという本人の意志は大切だと思うのですよ」
才能があるやる気がない人よりも、才能がイマイチなやる気のある人の方がいい結果が出ることもある。
ほら、その人の才能は地位が作るってお話もあるじゃないか。
「いないのである」
「いない?」
誰も他に、導師の後継者になりたい人がいないの?
「それはおかしい。一人くらいは……」
「本当にいないのである」
「当たり前だろうが……」
エルが、『お前は、なにをわけのわからないことを……』といった表情を俺に向けた。
「導師の次で、しかも候補者にお前がいるんだぞ。まっとうな精神をしていたら立候補なんてするか。もしなれたとしても、ずっと言われるんだぞ。どういう卑怯な手で、ヴェルを差し置いて王宮筆頭魔導師になったんだと」
「エルヴィンの言うとおりである! まず心が折れてしまうのである!」
クソっ!
一人くらい、そんな周囲からの非難が気にならない、厚顔無恥な奴はいないのか。
「いるか! いても、そんな奴に王宮筆頭魔導師なんてさせられるか!」
エルの奴、ズバズバと正論を言いやがる。
「まあ、仕方がないですね……」
この世界に来てから、いや前世から俺は長い物に巻かれて生きてきたんだ。
それに、導師の王宮筆頭魔導師としての働きぶりを見るに、週に一度くらい王城に顔を出せばいいはずだ。
導師以下の魔導師たちは残っているから、彼らに面倒な仕事は丸投げして、あとは毎日遊んで暮らしてやる。
思えば導師って、あまり王城に顔を出さないからな。
俺も彼の方針を継承して、週に一度も顔を出せばいいか。
前世の東京都知事もそんなものだと聞いたし。
まあ、王宮筆頭魔導師なんて有事でもなければ、ほとんど用事なんてないものな。
大丈夫、俺は忙しくならない。
「思えば某も、長い間王宮筆頭魔導師として忙しい日々であったのである!」
「「ええっ!」」
「バウマイスター辺境伯、なにか?」
「いえ、別に……。なあ、エル?」
「ええ、なんでもないですよ」
導師の発言に対し、エルと二人で驚きの声をあげてしまった。
導師って俺たちによく同行していたけど、あれは王宮筆頭魔導師の仕事ではなく、あきらかに自由意志で俺たちにつき合っていたよなぁ。
そして彼がいないため、王城に詰めている他の魔導師たちに全部面倒な仕事を押しつけていたような印象が……。
なにが凄いって、導師にその自覚がまったくないことだ。
俺も同じようにする予定だから、あえて強くツッコミは入れないけどね。
前例は踏襲した方が、魔導師たちも役人の側面があるから喜ぶだろう。
「とにかくである! 明日にでも王城に顔を出してほしいのである!」
「わかりました」
ようやく面倒な仕事から脱出できたと思ったんだが……。
仕方がない。
翌日、俺はエルを連れて王城へと『瞬間移動』で飛んだ。
「クリムトもいい年なのでな。余としても、あとは自由にやらせてやりたいのだ」
「……(ずっと自由だったじゃないですか……言えないけど)」
早速陛下に謁見すると、導師って本当に陛下の親友なんだよな。
彼を、王宮筆頭魔導師という重責から解放してあげたいだなんて。
導師自身が、その重責をプレッシャーだと思っていたかどうかは知らないけど……。
その代わり、俺がこれから王宮筆頭魔導師の重責を背負うことに……。
でも、導師ってそんなに忙しくなかったよな?
やっぱり王宮筆頭魔導師は、万が一の時のための最後の切り札なわけで。
俺は『瞬間移動』も使えるから、週に一度くらい顔を出せば……。
などと思っていたら、陛下が続けて俺にこう言った。
「余もクリムト同じく年を取った。見よ、バウマイスター辺境伯。余の髪も大分白髪が増えたであろう?」
確かに、今の陛下は白髪の方が多い状態だ。
幸いというか、抜け毛はないようだが。
「ヘルムート王国の国王は、死なねば退位できぬ。だが、人間は年を取れば衰えていくもの。ボケて正常な判断ができなくなる王も過去にはいた。そこで、徐々に王太子に仕事や権限を譲渡していくわけだ。王太子も、自分が王になった時に備えて経験が積めるからな」
ヘルムート王国の国王は退位できないが、後継者と一緒に政治を見るという方法で加齢による衰えを補完しているわけか。
「よって、バウマイスター辺境伯はヴァルドと接する機会の方が多いであろうな。あやつは、バウマイスター辺境伯が気に入っているようだから、色々と支えてくれると嬉しい」
「はい」
これから徐々に王太子殿下の方の仕事が増えていき、俺も王宮筆頭魔導師としてその補佐を行うわけだ。
だが、政治向きの仕事は各大臣や官僚たちの担当だ。
俺の仕事はそれほどないはず。
「ヴァルドに挨拶をしておいてくれ。あれには言ってあるからな」
「わかりました」
俺は陛下に一礼してから、ヴァルド殿下の執務室へと向かった。
案内してくれた騎士によると、今の殿下は次第に仕事が増えて執務室に籠ることが多いそうだ。
謁見などの対外的な仕事の大半は陛下、内向きの仕事はヴァルド殿下という割り振りができているのであろう。
「失礼します」
「おおっ! よく来てくれたな! ヴェンデリン!」
この人、相変わらず俺以外に友達がいないようで、執務室を尋ねたら大歓迎されてしまった。
「もうすぐアンナがアーサーに嫁ぐ。これからは親戚としても仲良くやっていこうではないか」
俺の王宮筆頭魔導師人事もそうだが、もうすぐフリードリヒの妹アンナがヴァルド殿下の嫡男アーサー王子に嫁ぐ予定だ。
勿論俺が望んだわけではないが、彼はそれを心待ちにしていたらしい。
親戚同士になれば、もっとつき合いが深まると思っているのであろう。
新しい王宮筆頭魔導師に就任し、娘が次の次の陛下に嫁ぐ。
政治好きで野心がある貴族から見たら、今の俺は大きな力を持つ外戚として我が世の春を謳歌しているように見えるわけだ。
実際、陰ではコソコソ言われているらしい。
噂では、陛下に俺のことを讒訴した者たちもいたそうだ。
俺としては、言ってくれればいつでも代わってやるのに……といった心境だ。
もっとも、王宮筆頭魔導師は実力で選ばれるので、俺以外に適任者はいないのだけど。
婚姻に関しては、魔法が使える王族が産まれるかどうかの瀬戸際なので、陛下がアンナの嫁入りを中止するはずがなかった。
俺への讒訴の類は、すべて聞き流しているそうだ。
讒訴なんて俺以外にもよく行われているそうで、いちいち相手にしているとキリがないと聞く。
別に貴族じゃなくても、上司に同僚や後輩の悪口を吹き込むサラリーマンなんて珍しくないからな。
世界は違えど、人間にそう差なんてないさ。
「アーサーとアンナは仲もいいし、きっといい夫婦になれるさ」
殿下の意向で、子供の頃から一緒にいる機会が多かったからな。
遊び相手にしてご学友から、夫婦になるというわけだ。
でも、それなら俺が王宮筆頭魔導師になってよかったのかもしれない。
なぜなら、定期的にアンナの様子を見にこれるからな。
イーナも心配しているから、たまに二人で様子を見に行くことにしよう。
「ヴェンデリンが王宮筆頭魔導師になってくれたから、これからは毎日顔を合わせられるな」
「はい?」
俺は、思わず言葉を疑問形にしてしまった。
毎日?
いや、導師なんて週に一回か二回王城に顔を出せば上出来だったと聞いている。
それが俺になったら、急に毎日?
お休みは?
俺の脳裏に、様々な疑問が浮かんできた。
「アームストロング導師は、ちょっと特殊な例でね。一見ほとんど仕事をしていないようにも見えるけど、実は父の私室に報告に行くこともあったし、その報告が大成果になるケースもあったんだよ。ただ一緒に酒を飲んでることも多かったけど。本来の王宮筆頭魔導師ってのは、基本毎日王城に顔を出すものなのだよ。部下の魔導師たちに魔法の指導をする仕事もあるし、魔導師見習いの若者たちへの教育もある。書類仕事も意外と多くてね。導師は全部部下に押しつけていたけど、部下に押し付けていい書類の数にも制限があって、必ず王宮筆頭魔導師が決済しないといけない書類もあってねぇ……。アームストロング導師は例外なのさ」
そうだったのか!
実は王宮筆頭魔導師って、ちゃんと沢山仕事があったんだな。
でも俺は、導師という前例の方を踏襲しようと思う。
だって面倒だから。
「殿下、アームストロング導師のやり方で長くやってきたのですから、次の王宮筆頭魔導師である私も……そのですね……」
殿下が俺に親しくしてくれるのはいいが、あまり親しすぎると他の貴族たちがうるさい。
王孫に正室を送り出したのをいいことに、殿下に取り入り、政治を壟断しようとしているなんて批判され、攻撃でもされたら面倒だからだ。
導師と同じように、週に一度くらい顔を出せば……と思ったのだが、なぜか殿下は異常にテンションが高かった。
「現在、王都の大規模再開発と拡張を進めているが、魔法使いが不足していてね。私が責任者なんだが、ヴェンデリンの協力があるとありがたいな」
「再開発ですか……」
これは、魔族との交易が増えて魔力で動く車両の輸入量が増えたせいでもある。
加えて、王国と帝国でも安価な車両の生産量が徐々に増えていた。
王都の大半の道が車両の通行に向かないため、これを機に王都を再開発、拡張する計画が行われていたのだ。
殿下はその責任者であり、子供が結婚した親戚同士、加えて数少ない友人である俺に目を輝かせながら期待しているのが、誰にでもわかるくらいだ。
「ヴェンデリンは、バウマイスター辺境伯領の開発で大いに貢献したと聞く。王都を時代に合わせて作り変えることは、これからの王国発展に絶対に必要なのだ。前任者はこういう仕事が苦手なので頼みにくくてね」
導師は派手にぶち壊すのは得意だけど、残骸の後処理や整地のような作業は苦手だからな。
周囲への迷惑とかも、基本あまり考えない。
彼が王都で魔法を振るうと、多くの人が迷惑を蒙るであろう。
その前に、彼が殿下の頼みを聞く保証もない。
もし断っても、親友である陛下が庇ってしまうからだ。
「そうですよねぇ……」
「ヴェンデリンなら安心して頼めるよ。城内にヴェンデリンが泊まる部屋も準備させるから。安心して、毎日職務にまい進してほしい」
「はい……」
ここで断るという選択肢もあったのだが、如何せん俺は一宮真吾の時の癖が抜けきっていない。
偉い人に頼まれると断れない、雇われ人体質が抜けきっていなかった。
「一緒に頑張ろう。これだけの大事業だ。きっと、私とヴェンデリンの名前が歴史に残ることなる」
きっと殿下は、歴史に名が残る方が嬉しいのであろう。
普段から目立たないから。
せっかく上手く隠居してローデリヒとフリードリヒに領地のことを押しつけたのに、それ以降の俺は王宮筆頭魔導師として忙しい日々をすごす羽目になってしまうのであった。
ああ……、早く隠居したい。
出典『王国開発史』からの一文。
帝国との融和、魔族との貿易の開始、魔物の領域の開放、南方新大陸への殖民。
拡大を続けるヘルムート王国では、王都スタッドブルクの再開発がヘルムート三十七世の発案で行われ、その責任者に王太子のヴァルド、のちのヘルムート三十八世が任命された。
地味ながらも堅実な王と呼ばれた彼は、婚姻関係を結んだバウマイスター辺境伯……嫡男フリードリヒに家督と領地を継承後は一代侯爵の地位を賜った……が、王宮筆頭魔導師として、その事業に大いに貢献した。
優れた魔法使いであり、功績著しく、娘を王孫に嫁がせることに成功した彼を妬む貴族たちは多かったが、彼は王都再開発で縦横無尽に魔法を駆使し、それらの批判を封じ込めるのに成功する。
彼が、ヘルムート三十八世の親友であるからという理由も大きい。
なおバウマイスター辺境伯……バウマイスター一代侯爵は、アーカート神聖帝国皇帝であるペーター一世の親友でもあると、記録には残っている。
王宮筆頭魔導師に任じられた彼は、以後バウマイスター一代侯爵よりも、『バウマイスター導師』と呼ばれることが多かったという事実を記しておく。
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