第十一話 イシュルバーグ伯爵は、どこか壊れている

「……うーーーん、ここは?」



 目を覚ますと、私は暗い場所に倒れていた。

 急ぎここはどこかと周囲を確認しようとするが、まだ周囲の暗さに目が慣れていないようで、あまり見えない。

 辛うじて、傍に二人の人が倒れているのが確認できた。

 急ぎ近づき、誰なのか確認すると、それは黒木さんとエリーゼさんだった。

 信吾、拓真、ヴェンデリンさん、イシュルバーグ伯爵さんの姿はない。


「黒木さん、起きて」


「ううん……」


 私の一番近く倒れていた黒木さんを起こすと、彼女はすぐに目を覚ました。


「……私たちは、怪我もなく無事なようね」


「ええ」


 床が崩れて落下した時の衝撃で気を失ってしまったが、私も黒木さんも怪我はなかった。

 イシュルバーグ伯爵さんが貸してくれた、特別な武具のおかげだと思う。


「ちょっとおかしな点があるけど……エリーゼさんは大丈夫かしら?」


「私たちと同じく、気を失っているだけだと思うけど」


 二人で地面に倒れているエリーゼさんを起こそうとするが、どういうわけか、黒木さんの動きがしばらく止まってしまった。


「黒木さん、どうかしたの?」


「いえね、凄いなって」


「凄い? なにが?」


「エリーゼさんの胸。さすがは西洋人ぽい人ね。日本人とは根本的に体の作りが違うというか。私もせめてもう少し胸があればねぇ……赤井さんもエリーゼさんほどじゃないけどいいわね」


「はあ……」


 そんなに胸が大きいのがいいのかしら?

 肩は凝るし、運動する時に邪魔だし、男子はあからさまに見てくるから嫌なのよね。


「でも、信吾君も見てくれるでしょう?」


「……ないとは言わないわね」


 他の男子……特に江木ほど露骨じゃないけど、信吾の視線がたまに私の胸に行っているのは確認していた。

 信吾も普通の男子ってことで、私は別に嫌じゃないけど。


「男子って全員そんなものだから。同性愛者でもなければね。私なんて、同じ女子からはスレンダーでスタイルがいいって羨ましがられるけど、胸がないと悲惨なものよ。信吾君も見てくれないし」


「今は、そんな話をしている場合じゃないと思うけど……」


 そうなんだ。

 信吾は、黒木さんの胸に視線は送っていないのね……って、そんなことを喜んでいる場合じゃないわ!

 すぐエリーゼさんを起こさないと!


「あれ? ここはどこですか?」


 急ぎエリーゼさんを起こさなければと思っていたら、その前に彼女は一人で目を覚ましてしまった。

 それにしても、横になっても、上半身を起こしても形が変わらない胸が凄い。


「赤井さんもでしょう?」


 ええまあ……黒木さんの言うとおりなのだけど。


「あの、ここはどこでしょうか?」


 これで三人とも目を覚ましたことになるが、いまだ周囲は薄暗くてあまり様子を確認できなかった。

 信吾たちとイシュルバーグ伯爵さんの姿も見えないままだ。


「あの大きな広間でオプションドラゴンの本体を装った分身体が自爆、そのせいで床が崩壊して、私たちは全員地下深くまで落下してしまった。一緒に落下したはずの信吾君と江木君の姿が見えず、上を見ても天井が崩壊したようには見えない」


「ここは本当に落下地点なのでしょうか?」


 エリーゼさんも、ここがどこか変だと思っているようだ。


「ちょっと待ってくださいね」


 エリーゼさんは懐から取り出した指輪を填めてから、『ライト』と唱えた。

 すると、指輪の宝石から光があふれ出し、真っ暗だった周囲の様子が確認できた。


「私たち、閉じ込められている?」


「落下地点じゃない!」


 なぜか私たちは、五メートル四方ほどの空間に閉じ込められていた。

 慌てて出口を探すも、ピンク色の壁と天井に囲まれ、どこからも出られない。


「エリーゼさん、床は?」


「床も駄目です」


「柔らかいけど、ビクともしないわね」


 黒木さんが拾った自分の槍で床をあちこち探ると、壁や天井と同じくピンク色の床は、まるでゴムのように柔らかい。

 そんなに分厚くはないと思うのだけど、槍の穂先で突いても傷一つつかないは不思議だった。

 こんな岩……そもそも、これは岩なの?


「閉じ込められているのはわかったけど、私たちはどこにいるのかしら? 信吾君たちとはぐれてしまったというか、私たちだけここに閉じ込められたというか」


『正解だね、マヤ』


「「「っ!」」」


 突然、籠ったような声が聞こえたが、声の主がイシュルバーグ伯爵さんであることに私たちはすぐ気がついた。


「これはどういうことですか?」


 エリーゼさんはいつもより低い声で、姿が見えないイシュルバーグ伯爵さんに質問する。

 どうして私たちをこんな場所に閉じ込めたのか、教えてもらえるかはわからないけど、聞かなければ気が済まないのであろう。


『ええとね、これを見ればわかるよ』


 と、イシュルバーグ伯爵さんが言うと、ピンク色の壁に二十センチ四方ほどの穴が開いた。

 ここから外を覗けというわけね。

 それとやはり、ピンク色の壁は意外と薄いようね。


「なんか、この壁柔らかいんだけど……」


「床も歩くと、足が沈みますね。まるで生きているみたいです」


 色がピンク色ということあって、まるで生きているような……。

 黒木さんもエリーゼさんも、ピンク色の壁と床の柔らかさを不気味がっていた。


「狭い穴ね」


『いくら女子でも抜けるのは無理だね。マヤなら大丈夫かな?』


「失礼ね!」


 イシュルバーグ伯爵さんは、こんな時でも冗談を言って黒木さんを怒らせていた。

 私とエリーゼさんは胸が閊えて外に出られないって言いたかったのだろうけど、胸が閊えなくてもこんな小さな穴からの脱出は困難だ。

 私たちは猫じゃないんだから。


『外を見てほしいかな』


 自分が変な冗談で邪魔したのに……と思いながら穴の外を見ると、そこにはオプションドラゴンの本体が洞窟最深部にある青白く光る岩の上で体を休めていた。

 あの青白く光る岩は、さっきイシュルバーグ伯爵さんが言っていた、大量のマナが流れている、マナ鉱脈のようなものだと思う。


『ユウはさ。時間がほしかったんだよね』


「オプションドラゴンに大量のマナを補給させ、もっと強くさせるためですか?」


 またもエリーゼさんは、イシュルバーグ伯爵さんに怖い声で質問を続けた。


『そう、ユウの作品であるオプションドラゴンは、ああいう濃厚なマナがある場所でマナを補充すればするほど強くなる。だから、時間が欲しかったわけ』


「先ほどの自爆の罠、あれはあなたの仕業ですか?」


『ユウがそうしろって言ったわけじゃないよ。オプションドラゴンが自分でそう判断しただけで。まあ、そう動くような思考は組み込んでいたけどね』


「オプションドラゴンは、あなたの作品だったのですね」


『正解、簡単にわかるクイズだけどね』


 人間が、竜の変種を作り出す。

 まるで遺伝子工学の世界みたい。

 そしてそれができてしまうイシュルバーグ伯爵さんは、本物の天才というわけね。


『でも、オプションドラゴンとエリーゼたちがこの世界に飛ばされたのは本当に偶然だよ。そこは誤解しないでほしい』


「偶然オプションドラゴンが飛ばされたこの世界には、なぜか地下に大量のマナが溜まっているポイントがあった。ならばそこで、徹底的に強化したオプションドラゴンの強さを確認したい。そういうことですか?」


『正解だね。さすがはエリーゼだな。生まれがいい大貴族の正妻様ともなると頭のデキが違うね』


「茶化さないでください!」


 エリーゼさんが、イシュルバーグ伯爵さんに怒るのは当然か。

 私たちを利用して、自分が作った生物兵器の性能実験をしようとしているのだから。


『でも、ユウはそこまで壊れていないから。誰も死なないようにコントロールするし、ちゃんと元の世界に戻すよ』


「では、どうして私たちを閉じ込めるのです?」


『もしヴェンデリンだけで戦うとあっという間に終わってしまうかもしれないから、彼に足かせをつけることにしたんだ。エリーゼは戦闘力が皆無に近いけど、治癒魔法と強固な『魔法障壁』があるから、ヴェンデリンがエリーゼを気にせず戦えるので駄目。マヤとハルナが適任かなと思ったけど、女性だからね。それでシンゴとタクマにしたわけ。実は四人が装備している武具もユウが改良しているから、その性能試験も兼ねてってわけさ。なにより一番の理由はね……ヒロインを救うべくオプションドラゴンと戦う騎士たちって構図が一番しっくりくるから。男は戦えってわけ』


 どこまでが本気で、どこまでが嘘かよくわからない言い分だけど、要するに自分の発明品の性能試験をヴェンデリンさんたちでやっているというのは理解できた。

 他人の迷惑なんて考えない、人としてはどうかと思うけど、天才となんとかは紙一重の実例みたいな人ね。


「……人生の最後に、あなたを大きな神の試練が襲うでしょう」


『ははっ、それはいつになるんだろうね? 少なくとも、あと数万年は先かな?』


 神官でもあるというエリーゼさんの皮肉も、すでに生き物の常識を逸脱しているイシュルバーグ伯爵さんには通じなかった。


「……性格、悪っ!」


「本当ね」


 イシュルバーグ伯爵さんには私たちを殺すつもりなんてないと思うけど、まるで人をモルモットみたいに扱って、しかも私たちを閉じ込めたまま。

 性格が悪いと思われても仕方がないと思う。


「そう、あなたの都合どおりにはいかないわよ!」


 そう言うと、黒木さんは持っていた槍でピンク色の壁に渾身の一撃を加えた。

 この、イシュルバーグ伯爵さんが作ったと思われるピンクの檻を破壊しようとしているのだ。

 壁自体は柔らかいし、開いた覗き穴のせいでそれほど分厚くないこともわかった。

 魔力を篭めた槍の一撃で、どうにか脱出できないかと試したわけか。

 黒木さんも大胆というか、決断が早いというか。


『危ないよ、マヤ。外にはオプションドラゴンもいるし』


「信吾君とヴェンデリンさんに合流すればいい。オプションドラゴンは、パワーアップに夢中だから私たちなんて無視か、分身体で攻撃してくるはず。それなら振り切れるわ」


 黒木さん、江木のことを忘れてあげないで……。


『合流してもマヤじゃあ戦力にならないよ。それどころか、足手纏いになりかねない』


「かもしれないけど……あんたの思い通りになるのは嫌!」


 黒木さん、私が思っていた以上に気が強いのね。

 槍を構えた彼女は、ピンク色の壁の同じ部分を、立て続けに何度も攻撃し続けた。

 ところが、何度攻撃してもピンクの壁には傷一つつかない。

 壁自体がとても柔らかく、槍の穂先が跳ね返されてしまうのだ。


『ちなみに、この部屋もユウの作品なんだ。生きている壁。常人は壁や天井の素材をなるべく堅くしようとするけど、ユウは生き物の筋肉の柔軟さに目をつけたわけだね』


「駄目だ……」


 黒木さんは、息が切れるまでピンク色の壁に攻撃を続けたが、結局傷一つつけられないまま疲労困憊し、膝をついて息を切らせてしまった。


「生き物の改良が得意なのかしら? 遺伝子工学?」


『この世界だとそういう名前の学問なんだね。ユウは天才だから、竜や魔物の改良もお手のものってわけ。不得意な分野はなく、ユウはすべてが得意分野なのでぇーーーす』


 今の状況で、冗談交じりで半分人をバカにしたような言動。

 それは、ヴェンデリンさんが彼女を嫌うわけね。


「生物の改良が得意なのですか。ちなみに、アンデッドの改良は難しいですか?」


『エリーゼ、ユウに不可能はないさ。アンデッドも、魂は『底』に残っているからね。魂が持つ情報の書き換えを行って、いつもと違う行動をさせることも可能さ』


「古代竜もですか?」


『むしろ、ああいう永遠に近い時を生きる生物の方が改良しやすい。あの手の生物は、なまじ自分が長生きなものだから、死んでからも生への未練が強く、魂が死体の『底』に残りやすいのさ。魂があれば書き換えができる……ああっ!』


 イシュルバーグ伯爵さんは、なにかを思い出したような声を出した。


『死んで朽ち果ててからも、しばらく魂が骨に残っていた古代竜がいたね。ちょっと試しに過激な情報を書き込んだら、人が沢山住む場所を目指して移動しちゃったんだ。あれは、ヴェンデリンが倒したんだよね?』


「やはり……」


「エリーゼさん、なにかこのマッド女の犯行に心当たりでも?」


 息切れから立ち直った黒木さんが、エリーゼさんに質問した。

 どうやらピンク色の壁が壊せなかったことを根に持ったようで、イシュルバーグ伯爵さんをマッド女呼ばわりしていた。


「ええ、その昔。私とヴェンデリン様が十二歳の頃……」


 お兄さんの結婚式のため、魔導飛行船……魔法で動く飛行船かな?……で王都に向かっていたヴェンデリンさんが、骨だけになった古代竜という強い竜と遭遇。

 それを見事ヴェンデリンさんが倒し、そのおかげで彼は王都で有名人になり、貴族に叙され、エリーゼさんと婚約したのだそうだ。


『覚えてるよ。実はね、あの古代竜の骨はちょっと暴走しちゃってね。あのまま放置していたら、もっと大暴れしてその被害もバカにならなかったはず。じきに王都も破壊しただろうね。あいつは死んでいたから、生きている人間が、それもあんなに沢山いれば憎しみも増すってものさ』


「あなたという人は!」


 そんな好奇心を満たすだけの実験のせいで、多くの人が殺されるところだったのだ。

 たまたまヴェンデリンさんがいたからいいものの、いなかったら大災害になっていたはず。


「ヴェンデリンさんに、わざと古代竜とやらをぶつけようとしたの?」


『マヤ、ユウはそこまでヴェンデリンに興味ないから。エリーゼ、もしかしてあの事件のせいでヴェンデリンと婚約する羽目になったから怒っている? 実は他に想い人がいたとか?』


 この人、本当にデリカシーの欠片もないな……。

 さて、エリーゼさんがどう答えるのかと思って見ていたら、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 見ているこちらも嬉しくなりそうな笑顔だ。


「イシュルバーグ伯爵、あなたがろくでもない人なのは事実ですが。一つだけとてもいいことしてくれました。それは、私とヴェンデリン様を出会わせてくれたことです。私は、あの方と出会い、おつき合いをし、結婚できたことを人生最良の幸せだと思っていても、後悔なんてしたことなんて一度もありません。私は、あの方の妻になれてよかったと心から思っています」


『言い切るね……』


 きっと、本心からなのであろう。

 エリーゼさんは恥ずかしげもなく、嬉しそうにそう言い切った。


「いいなぁ、私もそんな風に言ってみたい」


 黒木さんだけじゃなく、私も将来、結婚相手のことを聞かれたらそう言ってみたい。

 それが信吾ならもっといいかな……なんて思いながら、黒木さんを見ると、彼女も同じことを考えていそうね……。


『でもさ、こう言ってはなんだけど、ヴェンデリンよりもいい男なんて沢山いるじゃない。エリーゼなら王子様とでも結婚できそう』


 イシュルバーグ伯爵さん、本当に意地悪だな。


「そんな人には興味ありません。どうしてヴェンデリン様がいいのかといえば、それはヴェンデリン様だからなのですから。そういう気持ちがわからないから、あなたは結婚もできないのでしょう。お可哀想なことで」


 エリーゼさん、意外とエグイことを言うな。

 でも、見事な反撃だと思った。


『うぐっ! 実はちょっと気にしていたことを! あと、ユウがいまだ女になれていないという、ちょっと悲しい事実も』


 そんな情報、私は知りたくなかったな……。

 この人、いくつなのかよくわからないから、答えにくい部分もあるけど。


「ご自分でお作りになられたらいかがです? 理想の恋人、旦那様を」


 またもエリーゼさんの毒舌が、見事イシュルバーグ伯爵さんに直撃した。

 よほど腹に据えかねたのであろう。

 普段のエリーゼさんなら、決して言わないはず。

 でも、ここには女性しかいないからなぁ……。

 女性って、女性同士だけだと結構過激なことを言うから。


『男性は、活きのいい天然物がいいなぁ……。とにかく! 君たちはそこで大人しくしていてね。そのうち、ヴェンデリンたちがオプションドラゴンと戦う。ユウがその戦闘データを取る。これで終わりだから』


 というか、そんなことしてなにになるのだろうか?

 改良品を作って、それをどこかの国に兵器として売りつける?


「死の商人?」


『死の商人って、武器を売りつけて儲ける人たちのことかな? ユウは普段引き籠っているから、そういう連中とのつき合いはないし、そんなつもりはないよ』


「では、どうしてそういうことをするのですか?」


『どうしてか? それはね、エリーゼ』


 イシュルバーグ伯爵さんは、エリーゼの質問に答えるように生い立ちを含む自分のことを話し始めた。


『ユウは、物心ついた頃から本を読み漁るのが好きな子供だった。どんな本でも一回読めば理解して忘れない。特に興味を持ったのは魔導技術だったから、ある程度知識を得てからは発明に没頭したのさ。魔法使いとしての才能もあったからね。研究をして新しい発明品ができるのが嬉しかったんだ。これは今もそうだよ。ユウは発明すること自体が好きなんだ』


 一方、家族はみんな平凡な人だったそうだ。

 下級役人の父、専業主婦の母と、兄二人。

 家でまだ幼い自分が新しい発明をすると、驚き、喜び、その成果を次々と世間に発表した。


『凡人で出世にも縁がなかった父は、ユウのおかげで出世して、富を得て。母も兄たちも喜んでユウが研究に没頭できる環境を作った』


 天才少女であった彼女は、十二歳の時に伯爵の爵位を得た。

 大金持ちになった家族は喜び、ますます彼女が研究に没頭できる環境を作り出した。


「だから、イシュルバーグ伯爵は後世の人たちから男性だと思われていたのですか……」


 高名な天才発明家が、若い女性だとはなかなか思わないか。


『影武者を兄に頼んだからね。ユウは研究が好きだから、公の場に出るのが苦手だったんだ。兄を見れば、みんなユウが男性だと思うわけ。古代魔法文明崩壊後の時代になると、わずかな資料と伝聞のみだから余計にかな?』


 ヴェンデリンさんとエリーゼさんのいた時代になると、優秀な魔導技術者とやらが女性なのを許せないというか、女性だと思い浮かぶ人がいなくなった?

 最近の日本では男女平等が叫ばれているけど、それにはまだほど遠いと思われている。

 エリーゼさんのいる世界では特にそうなのでしょうね。

 だから最初、ヴェンデリンさんがイシュルバーグ伯爵さんと出会った時、彼女が女性なのを知って驚いたのね。

 きっと、イシュルバーグ伯爵が男性だという先入観があったからだと思う。

 ただこれは、ヴェンデリンさんが男尊女卑だからではなく、イシュルバーグ伯爵さんが男性だという話しか聞いていなかったからでしょうね。


『ユウは新しい研究ができればよかった。家族はそれをフォローした。あの大崩壊の直前、家族はユウが得た地位と財力に踊らされておかしなことになっていたみたいだけど、別にユウは気にしなかった。怪我や病気と違って治せるものでもないし、ユウは研究だけが楽しみで、それだけがあればよかったから』


 ところが、大崩壊の原因となった危険な実験への参加を国から命令された。

 家族も反対せず、むしろ積極的に国家に貢献するようにと言われ、彼女は断れなくなってしまった。

 だが大失敗するのがわかっていたイシュルバーグ伯爵さんは、研究用の施設と自分の新しい体を準備して破滅の時に臨んだ。


『偉大な文明はすべては滅んだけど、人間が滅んだわけじゃない。一万年ほどで大分回復したみたいだし、ユウは時間の流れすらない別の次元の空間に居を置いて、そこで研究に没頭した。ユウはこの生活を気に入っているんだよ。完成したものを他人に披露して賞賛を受けることにはさほど興味がないけど、作った物の性能を試したいじゃない』


「アンデッド古代竜と、オプションドラゴンですか?」


『そう、アンデッド古代竜の方は簡単な加工しかしていないから、まだ子供だったヴェンデリンに倒されちゃったね。だからというわけじゃないけど、ユウの最新作オプションドラゴンとヴェンデリンの戦いは楽しみだね』


「あなたは!」


『ユウに、正義感とか、倫理とか、道徳とかを説いても無駄だよ。ユウは今、少しでも強い改良生物の研究をしているだけだから』


「完全にマッドサイエンティストね……」


『マヤとハルナの世界では、そう呼ぶのが正しいのかもね。否定はしないよ』


 研究とその性能確認にしか興味がなく、そのためなら人が死んでも仕方がないと思えてしまう。

 きっと、イシュルバーグ伯爵さんは天才なんだと思う。

 本物の天才ってのは、いちいち他の人の迷惑とか考えないで突っ走るからこそ、多くの成果を出してしまうものなのだから。


『安心して。ユウもそこまで非情じゃないから。もしヴェンデリンがオプションドラゴンに負けそうになったら、ちゃんと戦闘を中断してあげる。死なれると、また別の機会にユウの発明品を実験してもらえなくなるからね。でも、ヴェンデリンとオプションドラゴンが戦うことは止めないからね。三人は、その中で大人しくしていてくれないかな?』


「くっ……」


「エリーゼさん、この生き物の檻、いくら攻撃しても一時的に凹むだけで傷一つつかないわ。どうやって脱出すれば……」


 試しに私も攻撃してみたけど、ピンク色の壁はまるで分厚いゴムを攻撃しているみたいで、こちらの攻撃を跳ね返して傷一つつかなかった。


「こうなったら、ヴェンデリンさんと信吾君に期待するしかないのかしら?」


「私がいないと、ヴェンデリン様は回復手段に制限が出てしまいます。どうにかここを脱出して合流しなければ……」


 エリーゼさんは、限られた回復手段しか持っていないヴェンデリンさんのことが心配で堪らないようだ。

 でも私は、ほぼ素人なのに彼と行動を共にし、オプションドラゴンと戦わされるかもしれない信吾の方が心配だ。


「信吾……」


 私は信吾の無事を祈りつつ、どうにかこの生き物の檻から脱出する方法を考え続けるのであった。

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