第五話 ヴェンデリンと信吾(前編)
「あなた、今日はどこで情報収集を?」
「適当に町中を歩いてみよう。元に戻るためのヒントが漠然としている以上、色々と動いてみないと」
「どこに、元に戻るヒントがあるかわからないですからね」
日本滞在三日目。
今日も朝食は外で取ろうと、朝早くにラブホテルをチェックアウトした。
途中コンビニで新聞を購入してみると、地方紙の第一面は、歓楽街木佐貫においてハングレ組織レッドクロウが壊滅した記事が書かれていた。
「『謎の敵対者から襲撃を受け、彼らは痺れて動けなくなっていた。そして、違法行為の証拠がすべてわかりやすい場所に並べられており、何者かが警察を利用してレッドクロウを壊滅させたのだという見方を、捜査筋はしている。ただ、彼らが稼いだり所持していた現金の大半が行方不明になっており、加えて逮捕されたレッドクロウの構成員たちは、『黒騎士が稲妻を落とした』などと意味不明の供述を繰り返しており、現在警察はレッドクロウを壊滅させた黒騎士なる人物の行方を探している。同時に、レッドクロウの活動内容の全容解明を急ぎ行うと発表している』か。黒騎士、見つかるといいね」
お金も予想以上に手に入ったし、もう引退だろうけど。
「(そろそろ、なにか理由をつけて一宮信吾の家を訪ねてみようかな?)」
もしヴェンデリンの人格が入っていない状態ならお手上げだが、入っていれば元の世界に戻れるヒントがあるかもしれない。
エリーゼに疑念を抱かれないよう、頃合いを見て会いに行かないと駄目だな。
とはいえ、今日はもう一日くらい遊んでも構わないであろう。
「今日は、ここに行こうか?」
「水族館ですか? それはどういったところなのでしょうか?」
「色々な魚や水生生物が飼育されている施設らしい。ほら」
俺は、地方紙に掲載されていた水族館の広告をエリーゼに見せた。
「楽しそうですね」
「だろう? 行ってみようよ。その前に朝食が先だけど」
「はい」
元の世界に戻る手段を探りつつ……とはいっても、実はヒントなどなかったりする。
とにかく今は、エリーゼにこの世界に慣れてもらう方が先だな。
元の世界に戻る前に、不審者扱いされて警察から追われる身になったら意味がない。
『この国には、魔法がないみたいだな』
『はい。便利な魔道具で十分なのですね、きっと』
文明の利器は魔道具じゃないけど、それを俺が詳しく説明するわけにもいかない。
昨晩の話だが、とにかくエリーゼには日本の生活に慣れてもらわないと。
『だから、エリーゼは治癒魔法が使えるのを隠した方がいいと思うんだ』
『私もそう思います』
俺たちが、魔法を使えることが公に知られたら大変なことになってしまう。
魔法を使わなくても自然に行動できるよう、俺とエリーゼは色々な場所に出かけているというわけだ。
焦っても仕方がないし、金も稼いだから、ただ好き勝手に遊んでいるだけとも言えるが。
「今日はなにを食べようか?」
「あのお店がいいです」
エリーゼが示したのは、某ハンバーガーチェーンであった。
昨日の牛丼屋といい、エリーゼって実はジャンクフードが好きなのかな?
ただ新しい食べ物に興味があるというか、ハンバーガーに似た食べ物は向こうの世界にもあった。
「こういうお店に入るのって楽しいじゃないですか」
貴族のご令嬢であるエリーゼだから、なかなかこういうお店に入れなかったはず。
今がチャンスだと思っているのであろう。
「エリーゼの好きなお店でいいよ」
「ありがとうございます、あなた」
早速お店に入り、朝なので朝食用のメニューを注文した。
またも店員さんは焦っていたが、俺たちが日本語を話せると知ると安心したようだ。
「ありがとうございました」
頼んだ品をトレーに載せて空いている席を探していると、とある四人組が目に留まった。
高校生であろうか。
男二人と女二人、しかもダブルデートとはリア充を極めていやがる。
なんて羨ましいんだと思いながら、さらに彼らを観察するとある事実に気がついた。
その中の男子一人に、えらく見覚えがあったのだ。
それもそのはず、その男子こそ一宮信吾その人だったのだから。
「なっ!」
「あなた、どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない。席が空いてたなって」
まさか事実を話すわけにもいかず、俺は四人組の隣の席が空いているとエリーゼに教えた。
「では、ここに座りましょう」
彼らの隣の席に座ろうと距離を縮めると、信吾の方も驚きのあまり声をあげてしまった。
どうやら俺に気がついたようだ。
成長しても、元の自分なので気がついてくれたようだ。
「信吾、どうかしたの?」
「一宮君、知り合いでもいた?」
女子二人に心配される信吾。
そこには、前世の俺では考えられないリア充の光景が存在した。
というか、俺が高校生の頃にそんなことをした経験がないのだが……。
夏休みに友人たちと出かけるにしても、そこは男子率100パーセントが当たり前じゃないか。
女子なんて、一人も混じっていた経験がないぞ!
「エリーゼ、ちょっとトイレに行ってくるね」
「はい」
向こうも俺を見て驚いているってことは、そういうことだよな。
ならば話をしなければいけないが、いきなり顔見知りでもない外人に話しかけられたら向こうも困ってしまうであろう。
ここはトイレに行くフリをしつつ、信吾を上手く誘い出す方がいい。
「一宮君?」
「僕、ちょっとトイレ」
「信吾、大の方か?」
「江木ってば、デリカシーの欠片もないのね……」
スポーツマンぽい男子の冗談に、小さくて可愛い方の女子が文句を言った。
それにしてもこの江木って男子、雰囲気がエルに似ているな。
「ちょっとお腹の調子が悪い……のかな?」
「大丈夫? 一宮君」
黒髪のクール系美少女までもが信吾の心配をするとは……。
いったい、奴の身になにがあったのだ?
「トイレ、トイレ」
やはり信吾は、俺の意図に気がついてくれたようだ。
俺の後についてトイレに入ってきた。
トイレの中には運よく他に誰もおらず、時間も惜しい俺は彼に声をかけた。
「ヴェンデリンかな?」
「信吾か?」
信吾の方も……いや、中身は本当のヴェンデリンか……いちいち言い換えるのも面倒だし、俺もヴェンデリンで十年以上も生活して慣れている。
ここは、彼を信吾と呼ぶことにしよう。
「なあ、一宮信吾」
「やはり……君はなぜここにいるんだ? バウマイスター騎士爵領はどうなっている?」
全部説明するには時間がかかる。
あまり長時間トイレに籠っているとお互いの同行者が勘づく可能性もまったくないとは言えず、今はお互いが出会えただけでよしとしよう。
「積もる話がありすぎる。帰宅後でいいかな? 家に招待……元は君の家か……」
「もう入れ替わって何年経ったと思っているんだ。俺はヴェンデリンでお前は信吾。違うか?」
元に戻れるとは思わないし、今さら一宮信吾として生活できるか不安もある。
というか元に戻るなど不可能だ。
もう俺はヴェンデリンであり、目の前にいるのは一宮信吾なのだ。
「長時間ファーストフード店のトイレに籠っていても意味はない。お互いに同行者もいるのだし」
「そうだ。榛名と拓真と黒木さんがいたんだ!」
「俺もエリーゼがいるから」
それにしても、榛名と黒木さん? 拓真というのはあの男子だと思うが、俺が高校生の頃にあんな連中いたかな?
俺がよくつるんでいたのは、田代と石山と桑名とか……勿論全員男子だ。
文句あるか?
「ダブルデートか?」
「榛名と拓真は幼馴染だし、黒木さんは同じクラスの友人だけど」
今、信吾から衝撃の事実を聞いた。
男子はともかく、女子の幼馴染?
女子のクラスメイトとお出かけ?
信吾、お前はいったいどうなってしまったというんだ!
「俺、高校生の時に彼女たちとつるんでいないけど……」
「えっ? それはどういう意味なの?」
そうか、信吾は俺と入れ替わった時に時間のズレがあったことを知らないのか。
俺は急ぎ、その事実を説明する。
「五つの僕と入れ替わった時、君は二十五歳だったの?」
「そうだ。俺はしがない商社マンで、毎日残業でひいこら言っていた」
「僕は、君が赤ん坊の頃に入れ替わったんだ」
ヴェンデリンが、一宮信吾としてすごした期間にも差があるな。
どういう現象かは知らないけど、今はそれを分析している時間がない。
なぜなら……。
「信吾、随分と長いクソだな……って、外人さん?」
トイレに拓真と呼ばれていた男子が入ってきて、俺と信吾が話をしているのを見て驚いたようだ。
「おはようございます。ちょっと、信吾に日本のこと聞いていたんだ」
「おおっ! 日本語上手ですね」
「故郷に住んでいた日本人から習ったのさ。新学期の前に、念願の日本旅行へ来たってわけ」
「欧米の新学期って、確か九月からだったよな」
「そうだよ。今は夏休み」
勿論大嘘だが、外国から来た、日本に不慣れな外人のフリをしていた方が疑われないで済む。
「信吾とか名前で呼ばれちゃって。いきなり仲いいんだな」
「拓真、外人さんは名前で呼ぶことが多いんじゃないのか?」
「らしいな。ええと……外人さんの名前は?」
「ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターです。親しい人はヴェルと呼ぶことが多いかな」
「俺は江木拓真。拓真って呼んでくれ」
江木拓真か……。
いまいち聞き覚えがないが、信吾はどうやって彼と幼馴染の関係になったんだ?
まあ、それはあとで聞けばいいか。
それにしても、本当に拓真はエルに雰囲気が似ているな。
「ヴェルは、どこかに出かける前の腹ごしらえか?」
「水族館に行こうと思って」
「ちょうどいいな。実は俺たちもそこに行く予定なんだ」
男女四人で水族館か。
「ダブルデート?」
「いや、そんな関係じゃないよ。俺と信吾と榛名は幼馴染でよく一緒に出かけるからな。黒木さんは……信吾に興味がありそうだけど」
「おいおい、からかうなよ、拓真。黒木さんが僕なんて相手にすると思うかい?」
「さあな?」
あんなに可愛い幼馴染がいて、あれほどの美少女に惚れられているかもしれないだと?
一宮信吾、本当にお前はいったいどうしてしまったんだ!
おっと、今はこんなことで動揺している場合じゃない。
そうだ! 急ぎエリーゼの元に戻らないと!
「連れがいるから、俺は席に戻るよ」
「あの金髪のすげえ美少女だろう? なあ、あの外人さんって、ヴェルの彼女?」
彼女って設定でもいいんだが、エリーゼが頑として妻だと言い張る可能性が高いな。
嘘はやめて事実を伝えるとしよう。
「俺の奥さんだけど」
「「なんだとぉーーー!」」
そこで、信吾も一緒に驚くのか?
お前がいた世界では、十六で結婚なんて別に珍しくもないじゃないか。
「あれほどの金髪巨乳美少女が奥さん! ヴェル、お前は凄い!」
拓真、お前は信吾以上にモテそうな気がするがな……。
「エリーゼのところに戻るよ。とはいっても、隣の席か」
三人で席に戻ると、エリーゼのみならず、信吾と拓真と一緒にいた女子二人も驚いていた。
「信吾、外人さんと知り合いだったの?」
「違うって、榛名。たまたま同じ水族館に行くって話を聞いてね。日本を案内することになったわけ」
「へえ、信吾にしては積極的ね」
「異文化コミュニケーションってことで。これからは国際化の時代だから」
信吾は、上手く榛名という女子からの追及をかわした。
「本当かしら?」
赤井榛名という名前だと紹介を受けた女子は、エリーゼの……胸を見ていた。
赤井さんも胸は大きいが、エリーゼには少し負ける。
『信吾がエリーゼに興味を持ったのでは?』と疑っているのであろう。
その気持ちはわかる。
日本人って、金髪巨乳美人が大好きだからな。
「榛名、エリーゼさんはヴェンデリンの奥さんだそうだ」
「えっ! あなた、もう結婚しているの?」
エリーゼが既婚だと聞き、赤井さんはえらく驚いていた。
「ええと……はい……」
「エリーゼさんって、何歳?」
「十六歳です」
「同じ年なのに……」
やはり、俺と信吾が入れ替わった時間に大きな誤差があるみたいだな。
今の信吾と俺の肉体年齢は同じ年というわけだ。
「学生結婚?」
「そうなんだ。俺たちの地方の風習みたいなものなのさ」
エリーゼの代わりに俺が、住んでいる場所の風習で早く結婚するのだと説明した。
「日本人は誰も知らないヨーロッパの小国だからね。しかも古い国だから」
日本人が、ヨーロッパにあるすべての国を把握しているはずがない。
その辺を利用して、上手く誤魔化すしかないな。
「どうやって知り合ったのかしら?」
赤井さんに続き、黒木さんという女子の方も興味津々のようだ。
エリーゼに、俺との馴れ初めを聞いてきた。
「お祖父様が決めた許嫁ですけど……」
「昔の日本みたい」
今のこの時代に許嫁と結婚すること自体が、日本人には奇妙に見えるのかもしれない。
クール系美少女である黒木さんは驚きを隠せないでいた。
「俺の祖父ちゃんは、こんな綺麗な嫁さんを紹介してくれないけどな」
拓真、俺もまだ生きているはずの田舎のお祖父さんから、可愛い女の子なんて紹介してもらったことはないから安心しろ。
「この国では、旦那様とどうやって知り合うのですか?」
「今だと恋愛結婚が多くて、あとはお見合いも少しはあるのかな?」
「そうなのですか。でも旦那様とは十二歳の頃からずっと一緒だったので、いきなり結婚したわけではありませんよ」
俺がホーエンハイム枢機卿の紹介でエリーゼと知り合ったのは十二歳の時。
それから四年近くもつき合っていたようなものだったから、多少は恋愛もしたのかな?
ただ毎日、なんとなく過ごしていたような気もするけど。
「まあまあ、あまりエリーゼさんを質問責めにするなって。文化の違いってのもあるのだから」
ここで信吾が、上手くフォローしてくれた。
これ以上色々と聞かれると、ボロが出る可能性もあるからな。
「ああ……俺もヴェルの祖国に行って、エリーゼさんのような金髪美少女と結婚したい!」
拓真は、自分に正直な人間のようだ。
自分もエリーゼみたいな女性と結婚したいと一人吠えていた。
「拓真、いきなり妙な外国人が結婚してくれと言っても、ヴェルの故郷の人たちに相手にされるわけがないだろうが」
「そうだった!」
「それよりも、早く食べて水族館に行かないか?」
「それもそうね」
「早く行きましょう」
赤井さんと黒木さんも賛成し、俺たちはファーストフード店の朝食メニューを食べてから、最寄りの駅に向かう。
ここから電車で水族館へと向かうのだ。
「凄いですね!」
エリーゼは、駅の自動改札にえらく感動していた。
古代魔法文明時代の遺産にあるかもしれないが、現時点でリンガイア大陸に自動改札は存在しないからだ。
「エリーゼさんの故郷って……」
「決して都会じゃないかな。海外も初めてだし」
赤井さんも、エリーゼに田舎に住んでいるのかと聞きにくかったのであろう。
つい語尾が詰まってしまったが、代わりに俺がフォローした。
「ヴェンデリンさんも日本語上手ですね」
「日本人に教えてもらったんだ」
本当は俺が日本人なのと、どういうわけか向こうの世界の言語が日本語だからなのだけど。
とにかく、せっかく信吾と合流できたのだから、ボロを出さないように気をつけないと。
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