第296話 総司教選挙と血塗れキャンディーさん(その3)

「今日が投票日? それにしては準備が……」


「あなた、今日は違いますよ。立候補締め切りと、立候補したと名乗りをあげるための日です」


「ああ、所信表明ね」




 総司教の葬儀から三日後。

 俺とエリーゼは、再び教会本部へと向かう。

 今日は、総司教選挙に立候補する人物が、本部中庭で名乗りを挙げるのだそうだ。

 なぜ中庭なのかというと、その中庭が昔の聖堂の跡地だからで、そこの地下に教会を建設した始祖が眠っているのだという。

 本当に眠っているのか、俺にはわからなかったけど。


「始祖様に、自分が総司教に立候補すると宣言するのです」


 中庭での宣言は、投票権がある全員が聞けるわけではない。

 詳細はすぐに纏められ、王国中の司祭以上の者に伝えられる。

 王都まで投票に来れない人たちは、投票用紙に記載して運んでもらうそうだ。

 そんなことが可能っていう時点で、教会は大きな力を持っているんだよな。

 いわば、宗教世界の王様を選ぶ選挙というわけだ。


「導師は来ないよなぁ……」


「はい……」


 今朝、エリーゼに候補者を聞いておいてくれと、導師から魔導携帯通信機で連絡があった。

 投票も、エリーゼがよさそうだと思う候補でいいそうだ。

 というか教会、どうして導師に投票権なんて与えたんだ?


「実質、エリーゼが二票持っているようなものだな」


「二票でも大した影響力はありませんけど……」


 投票権がある者だけで三千名以上もいるので、確かに微々たるものか。


「ホーエンハイム枢機卿から、ケンプフェルト枢機卿が出馬するのは聞いているから、問題は他の候補者たちだな」


「お祖父様が出馬せずにエミリー様を推薦しているので、ほぼエミリー様で決まりだと思います」


 ホーエンハイム枢機卿の派閥に属する人たちは、ほぼ全員がケンプフェルト枢機卿に投票するだろうからな。

 逆に彼女に投票しなかった人がどうなるのか、とても興味あるけど。


「私も、エミリー様に投票しようと思います。エミリー様は、奉仕活動に熱心ですから」


 大商家の実質的なオーナーであるケンプフェルト枢機卿は、今の教会で一番奉仕活動に熱心な人物なのだそうだ。

 同業者たちから寄付を集めるのも上手で、その中からいくらかを自分のポケットに……などという悪事とも無縁。

 これは、ケンプフェルト枢機卿が大金持ちだからだろうけど。

 わざわざ小銭を着服して、自分の評判を落とすような真似はしないわけだ。

 孤児たちを教育して、自分の商会に職を用意したりもしている。

 ケンプフェルト商会の幹部には、孤児出身者も多いそうだ。

 すべて商売で儲けるためにやっているのだが、それで実際に救われている人も多いわけで、ケンプフェルト枢機卿は庶民には人気がある枢機卿であった。

 ちなみにホーエンハイム枢機卿は、陛下からも妖怪扱いされているせいであまり人気はない。

 俺に言わせると、ケンプフェルト枢機卿の方がよほど曲者のような気もするが……。


「予想よりも出馬した人が多く、お祖父様は選挙対策で大忙しのようです」


 支持基盤が薄い立候補者が複数出て得票が分散し、ホーエンハイム枢機卿とその派閥の支持するケンプフェルト枢機卿の当選を阻むというわけか。

 あれ?

 でも、ホーエンハイム枢機卿の派閥は最大派閥だったはず。

 当選できないことはまずないはずだが……。


「当選できなくても、立候補をする人は多いのです」


「自分の力を誇示するためか」


「はい」


 得票率二割で当選できなかったとしても、その立候補者は二割の力を持っていることになる。

 総司教が交替すると、色々な役職も交替になる。

 当選した新しい総司教は、自分のライバル派閥にも一定の配慮しなければならないわけだ。

 それを聞くと、やはり宗教というものは好きになれないな。

 会社も政治家も同じだけど、なぜか宗教だけ許せないのは、案外俺も宗教に夢を見ている証拠かもしれない。


「新しい総司教の得票数が少ないと、指導力が弱いと見られます」


 帝国の皇帝を決める選挙と違って、そうそう全国から投票用紙を集められない。

 過半数に達しないとやり直しというルールがなく、過去には得票率が三割くらいでも当選してしまう総司教がいた。

 当然そういう人は力がないので、ホーエンハイム枢機卿はケンプフェルト枢機卿のため、少しでも得票数を増やそうと活動しているようだ。

 なるほど。

 そこに信仰はないと、ホーエンハイム枢機卿が言ったとおりだな。


「候補者は四名か……」


 ケンプフェルト枢機卿は勿論、他はラングヤール枢機卿、ブュヒャー枢機卿、ゾルガー枢機卿という顔ぶれだ。

 ラングヤール枢機卿は七十五歳、傍流ながら王族の出だそうだ。

 教会建築の仕事に長年携わってきたので、建設を行う商会、教会内の装飾品、ステンドグラスを作る工房に顔が利く。

 日本の政治家でいうと建設族か……。


 ブュヒャー枢機卿は七十三歳、彼も貴族の出だ。

 聖書を含む書籍を印刷、販売する仕事に長年携わってきた。

 書籍の校正、印刷、製本を行う工房、書店にも顔が利くから文教族だな。


 ゾルガー枢機卿は聖堂騎士団のトップなので、あまり神官には見えなかった。

 筋肉で神官服がピチピチなのだ。

 彼は平民の出で六十八歳、候補者の中で一番の若手だ。

 六十八歳を若手と呼べてしまうのが、教会という場所であった。

 彼は聖堂騎士団に装備を卸す工房に顔が利く、いわゆる防衛族というわけだ。


「(なんか、○民党の総裁選みたい……)」


 選挙という民主的な手段で総司教を決めるはずなのに、どこか生臭いんだよなぁ……。

 立候補宣言を聞いた足で、俺とエリーゼはホーエンハイム子爵邸へと寄った。

 今日は、ありがたいことにパーティーに招待してくれるそうだ。

 ご馳走がいっぱい食べられて嬉しいなぁ……って、そんなわけあるか!

 主催者はケンプフェルト枢機卿で、ホーエンハイム枢機卿が共催という、怪しさ満点のパーティーだ。 

 一応会費制らしいが、その金額はわずか十セント。

 神官が主催するパーティーなので酒は出ないが、ケンプフェルト商会がバックアップするので素晴らしい料理が出てくるであろう。

 会費は全額、孤児院の建設費用として寄付される予定になっていると聞いた。

 そういえば、まだ生きていると思う田舎のお祖父さんが言ってたな。

 昔は地元の政治家が安い会費で歌舞伎鑑賞とか、温泉旅行に連れて行ってくれたって。

 あきらかにそれと同じだよなぁ……。


「すまないが、この席だけは顔を貸してくれ」


「はあ……」


 俺に投票権はないが、ホーエンハイム枢機卿の義孫だからパーティーに顔を出すことに意義があるのであろう。

 ホーエンハイム枢機卿は、全力でケンプフェルト枢機卿を支援すると周囲に表明するわけだ。


「初めまして、バウマイスター伯爵です」


「妻のエリーゼです」


 俺とエリーゼは、ホーエンハイム枢機卿についてパーティー参加者たちに挨拶をしていく。

 とてつもなく面倒だが、これもフリードリヒたちの未来のためだ。

 子供たちよ。

 お父さんは、お母さんと共に頑張っているぞ。


「ホーエンハイム枢機卿、バウマイスター伯爵、聖女様の支持か……ケンプフェルト枢機卿の勝ちは固いかな?」


「あとは、残り三名の立候補者がどのくらい票を取れるかですな」


 パーティー参加者たちは、ちょくちょく出入りを繰り返している。

 実は、他の候補者たちも似たようなパーティーを主催しており、掛け持ちをしている人も多かったからだ。

 パーティーを開けない神官は立候補すらできないという。


「盛況だな、エミリー」


「支援者が素晴らしいからよ」


 ホーエンハイム枢機卿と共にケンプフェルト枢機卿に挨拶に行くと、彼女の周囲には多くの女性神官たちがいた。

 投票権を持つ年嵩の司祭以上だけ……かと思ったら、俺たちとさほど年齢が違わない少女たちも沢山いるな。


「可愛い娘たちばかりでしょう? バウマイスター伯爵」


「おい、エミリー」


 即座にホーエンハイム枢機卿が、ケンプフェルト枢機卿に釘を刺した。

 俺に若い女性を押しつけようとしている風に見えるからだ。


「そんなつもりはないわよ。あなたがバウマイスター伯爵に対するガードを固くしちゃうから、顔を見たいって娘が多いのよ。この娘たちの親御さんも支持者だから」


「お前なぁ……」


 そう言われてしまうと、ホーエンハイム枢機卿も反論できない。

 実際に顔を合わせた結果、俺が彼女たちを見初めることがあってもそれは仕方がないよね、という意図が見え隠れする。

 ケンプフェルト枢機卿……相当に食えない婆さんだな。


「初めまして、リーファ・ケンプフェルトです」


 しかも何気に、ケンプフェルト枢機卿の孫娘が数名混じっていたりする。

 ケンプフェルト商会ほどの大規模な商会になると、子弟を教会で手伝わせるのが普通だ。

 大半が嫁入り修行も兼ねたお手伝い程度のものだが、子育てが終わると教会の活動に戻る女性も多い。

 彼女たちも、そんな人生設計を立てているのであろう。


「デムミン通りに新しいお菓子のお店ができたんですよ」


「へえ、どのようなお菓子なのでしょうか?」


「シュトロイゼルクーヘンの専門店なのですが、中に入っているフルーツがバウマイスター伯爵領産のフルーツなんです。他のシュトロイゼルクーヘンとは違う美味しさだって評判ですよ」


「それは知りませんでした」


 同年代の女の子たちと話す。

 いまだにその手の経験値が貯まっていない俺であったが、話題が王都に新しくできたお菓子屋やレストランのお話なので助かった。

 最近、バウマイスター伯爵領産のフルーツや魔物の肉を用いたお店の新規オープンが増えているそうだ。

 女性は食べ歩きが大好きである。

 教会を手伝いに行っている時間以外は普通の女の子ということもあり、この手の話題が豊富であった。

 まあ、俺の好みが実によく研究されているわけでもあるが……。

 やっぱり、ケンプフェルト枢機卿は食えない婆さんだ。


「今度、一緒にいかがですか?」


「最近は忙しいので、機会がありましたら」


 あくまでも社交辞令の範囲で、了承の返事を出しておく。

 まあどうせ、俺のスケジュールを管理するローデリヒが弾いて終わりだ。

 楽しく話はしているけど、これはあくまでもケンプフェルト枢機卿の選挙支援の一環だ。

 

「ご苦労じゃったな、婿殿。おかげで、ケンプフェルト枢機卿の大勝利は確定した。まあ、相変わらずの食えない幼馴染じゃが……」


 個人的には仲のいい幼馴染だが、教会内ではライバル同士でもあるというわけか。

 隙あらば俺に女性を送り込もうとするあたりは、この二人、夫婦になったら実はお似合いだったかも。


「あなた、そろそろ戻りましょうか?」


「そうだな」


 エリーゼはパーティー中は、俺の正妻として上手く振る舞っていた。

 ケンプフェルト枢機卿が多くの女性神官たちを連れて来た時も、表面上は無難に対応している。

 でも、さすがにいい気分がしないのは確かで、そのくらいは女性に疎い俺でもわかる。

 そこで、戻る前に王都でデートをしていくことにした。

 エリーゼも出産や子育てで大変なので、こういう時間を作った方がいい。

 彼女は真面目なので、定期的に息抜きをさせないと、育児ノイローゼになってしまうかもしれないからだ。

 他の奥さんたちも、たまに連れて来た方がいいかもしれないな。

 今度、予定を開けておこう。

 

「このお店、ブランタークさんの知己が開店させたんだってさ」


「ブランタークさんのお知り合いといいますと、冒険者の方ですか?」


「みたいなんだよ。元冒険者だって」


 女性を連れてのデートなので、向かったのは女性向けの洋品店であった。

 最近オープンしたばかりだが、なかなかに好評だというブランタークさんからの情報だ。

 洋品店でブランタークさんの知己がオーナーだというから女性かと思ったら、男性らしい。

 男性で、冒険者で、女性用の洋服に興味があるというのは妙であったが、店内に入ってオーナーと顔を合わせた瞬間に納得できた。


「あら、いらっしゃい。ブランタークちゃんのお弟子さんで、竜殺しの英雄バウマイスター伯爵様ね。うーーーん、若くていい男」


「どうも……」


「……」


 彼は、いわゆるオカマさんであった。

 多分、ブランタークさんとそう年齢も違わないはずだ。

 男性なのに、化粧をしてスカートとフリルのついたシルクのYシャツを着ているが、まったく女性には見えない。

 導師ほどではないが筋肉質で、シャツの上からでも筋肉が凄いのはわかってしまう。

 冒険者としても、相当実力があったはずだ。


「バウマイスター伯爵様、私のことはキャンディーって呼んでね」


「はい……キャンディーさん……」


「……」


 なんとか気力を振り絞ってそう呼んでみたが、五十歳超えで、マッチョなオカマキャラの迫力に俺は圧倒された。

 俺は、前世でこういう人は見たことがあるからまだいい。

 会社の接待で、何度かオカマバーに行ったこともあるからだ。

 お嬢様育ちであるエリーゼは見慣れないオカマに衝撃を受けたようで、言葉を発することができないようだ。


「私、こんなナリだけど、中身は乙女ちゃんなの」


 乙女ちゃんて……久々に、導師に匹敵するとんでもない人物が出現したな。

 『乙女とか抜かすな! オカマ野郎!』とか言ったら、殴り殺されそうなイメージしか浮かばない。


「ブランタークさんとは、古いお知り合いなのですか?」


「そうなの。ブランタークちゃんて、若い頃は可愛かったのよ。私も狙っていたんだけど、彼はノンケだからお友達にしかなってくれなかったの。あの人、女の子の扱いが上手だから私を翻弄してくれたのよ」


「……」


 俺の隣にいるエリーゼは、半ば機能を停止していた。

 同性愛は教会ではタブーであるし、キャンディーさん自体がこんなに濃いキャラをしている。

 どう対応していいものか、頭が処理し切れていないのであろう。


「ブランタークさんとは、冒険者仲間だったのですか?」


「たまに、臨時でパーティを組んだりしてね」


 さすがのブランタークさんとアルテリオも、この人と常時パーティを組む精神力はなかったみたいだな。


「キャンディーというのは、冒険者時代のニックネームみたいなものですか?」


「私の本名ってバルストなんだけど、似合わないから、魂のネームがキャンディーなの」


 魂って……見た目だけで言えば、もの凄く似合っている名前だけどな。

 バルストって、格好いい名前だし。


「冒険者時代もキャンディーで通していて、現役時代の二つ名は『血塗れキャンディー』って言われてたわ」


 血塗れって……このおっさんが怪我をする光景が思い浮かばないので、魔物の返り血をよく浴びていたとか、そんな理由なんだろうな。

 というか、この人魔力はないけど隙がないというか、尋常でない実力の持ち主だ。


「冒険者なのに、洋品店って珍しいですね」


「私、小さい頃からお洋服を縫うのが得意だったの。でも、小さい頃から実家が貧乏で、仕方なしに冒険者になったのよ」


 冒険者として家族の生活を支え、ようやく引退して洋品店を開いたというわけか。

 それにしても、そんなにゴツイ指でよく女性用の洋服が縫えるものだと感心してしまった。


「奥さんのお洋服ね。いいわ、似合うのを見繕ってあげる」


「お願いしようかな。エリーゼ、見てもらいなよ」


「はい……」


 見た目が見た目なので、最初エリーゼはキャンディーさんをえらく警戒していた。 

 神官としても、オカマさんと仲良くするのはどうかという考えなのだと思う。

 でも実際に服を見てもらいながら話をしていたら、すぐに仲良くなったようだ。

 キャンディーさんは見た目はアレだけど、確かに乙女っぽくて、もの凄く女性受けがよかったのだ。


「もう少しで、この色が流行になってくるはずなの。エリーゼちゃんは金髪だから、色が被る黄色系統の服はやめた方がいいけど、エンジ色やえんたん色系くらいまでならよく似合うわよ。青系統や緑系統だけに拘ると、お洋服のレパートリーが減っちゃうものね」


「確かにそうです。あまり暗い色ばかりはよくないですよね」


「そうそう。若い娘は、明るい色のお洋服を着た方がいいわ」


 エリーゼが、一瞬俺を見ながらキャンディーさんとの話を続ける。

 幼い頃から知り合いであったケンプフェルト枢機卿が俺に孫娘たちを紹介した件で、少し不安を感じているのかもしれない。

 いや、エリーゼさん。

 これ以上嫁が増えるのは、本当に勘弁してほしいんです。

 決して、あの婆さんの思惑どおりにはなりませんので。


「エリーゼちゃんは綺麗だしスタイルもいいから、基本的にはなにを着ても似合うけど。お母さんになったから、教会のお仕事以外の時間は、もう少しアダルティーにいきましょうよ。旦那さん、あなたに惚れ直すわよ」


「本当ですか?」


「エリーゼちゃんは、もっと自信を持たないと」


「そうですね」


「そうよ、そうよ」


 前世でもそうだったけど、こういう業界にはオカマさんが多かったよな。

 そしてこういう人は、中身が本物の女性よりも女性らしいから、女性のハートを掴むのが本当に上手なのだ。


「あとは、こういう組み合わせもいいわね」


 ぱっと店内を見た感じ、キャンディーさんのお店で売っている商品は貴族の令嬢にでも通用する品が多かった。

 展示されている服の数が少ないのは、キャンディーさんが自ら縫製したか、気に入った品しか仕入れていないからだそうだ。

 彼女は……このおっさんは、お客さんにコーディネイトのアドバイスをしながら、その客に似合う服を薦めるという手法を用いていた。

 出てきたお茶とお菓子も美味しいし、商売はとても上手いと思う。

 引退前は有名な冒険者だったから資金力が豊富なせいか、お客に無理やり商品を勧めたりしない。

 そのおかげで、いわゆる太い常連客を掴んでいるようであった。

 ガツガツ稼ぐ必要がないから、上品に商売ができるわけだ。

 まあ……オーナ―兼店主が、筋肉質のオカマな点だけはどうにもならなかったが……。


「お勧めは、これとこれね」


「じゃあ、それをいただこうかな」


「あなた、ありがとうございます」


 バウマイスター伯爵が奥さんと一緒に買い物に来て、買った品の代金を奥さんに支払わせるわけにはいかないし、お屋敷内で着る服だからそこまで高いわけでもない。

 俺が全額、キャンディーさんに服の代金を支払った。


「バウマイスター伯爵様って、太っ腹。他の奥さんたちもコーディネートしてあげるから、またいらしてね」


 見た目はちょっとアレだけど、キャンディーさんは確かに中身は乙女なんだよなぁ……などと思っていたら、突然店の外から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。


「このクソアマ! 急にぶつかってくるから、俺様の肩が外れたじゃねえか。治療費と慰謝料を払いやがれ!」


「そんな……先にぶつかってきたのは……」


「そんなのはどうでもいいんだよ! 俺様の肩が外れちゃったの。わかるか? ああ、痛い、これじゃあ、仕事にならねえよ!」


 チンピラがわざと若い女性にぶつかり、因縁を吹っかけているようだ。

 この通りは下級貴族街寄りだから、この手の輩が出るのは珍しかった。

 もしかすると、兄貴分や親分に納める上納金が不足して、こちらに出稼ぎに来たのかも。


「あなた」


「やれやれだな。町の美観を損ねやがって」


 俺が顔を出せば、暴力的な手段を用いずともチンピラは逃げるはずだ。

 そう思って店の外に出ようとすると、キャンディーさんの方が先に動いていた。


「バウマイスター伯爵様、私に任せて」


 笑顔を浮かべながら俺にウィンクするキャンディーさんは、正直不気味だった。

 彼は店の外に出ると、すぐにチンピラに絡まれていた女性の前に立つ。


「駄目よぉ、女性を怖がらせるようなことをしちゃ」


 キャンディーさんは、笑顔と優しい声でチンピラに手を引くようにとお願いした。

 俺と同じく、暴力的な手段で排除するつもりはないようだ。

 ところが、チンピラの方がまったく引く気配がない。


「なんだぁ? オカマのくせに余計な口を出すんじゃねえよ! お前も俺様に治療費と慰謝料を支払うか?」


「治療費? 慰謝料?」


「そうだよ! 俺様の肩が外れちまってよぉ! 早く医者に行かねえといけねえんだよ!」


 チンピラは最初、ガタイのいいキャンディーさんに驚いたようだが、オカマ姿なのを見てすぐに舐めてかかるようになった。


「肩が外れているように見えないけど……」


「ほら、見てみろよ! 俺様の肩は外れているだろうが!」


 チンピラは、外れていると自称している右肩をキャンディーさんの前に差し出した。

 

「そうかしら?」


 目の前に肩を差し出されたキャンディーさんは、素早く触って確認する。

 

「外れてないわよ」


「外れてんだよ!」


「私、元冒険者で、そういう怪我をした人を散々見ているからわかるけど、肩なんて外れていないわね。そういうことだから、あなたはお家にお帰りなさい」


「ありがとうございます」


 キャンディーさんは、後ろに匿った女性を上手く逃がした。

 チンピラに絡まれていた女性は、彼女? おっさんにお礼を述べてからその場を立ち去ってしまう。


「てめえ! 勝手に逃がしてんじゃねえよ!」


「だってぇ、肩なんて外れてないしぃーーー」


 体をウネウネさせながら反論するキャンディーさんは、やはりちょっとキモかった。

 とてもいいことをしているから、俺もエリーゼも『キモイなんて思ってごめんなさい』という気持ちになってしまう。


「外れてるって言ってんだろうが!」


「しつこいわね。肩が外れるってこういう状態を言うのよ」


 しつこいチンピラに、ついにキャンディーさんはキレてしまったようだ。

 あっという間に、チンピラの両肩を外してしまった。

 やはり、キャンディーさんは冒険者としても凄腕のようだ。

 いきなり両肩の関節を外されたチンピラは、両肩をダラっと下がった状態に陥ってしまう。


「腕が動かねえ!」


 チンピラは両腕を動かせなくなってしまい、その場で悲鳴をあげた。


「肩が完全に外れていたら、腕なんて動かせないもの」


「てめぇ! 元に戻せよ」


「いいわよ、はい」


 チンピラから外した肩を元に戻せと言われたキャンディーさんは、やはり一瞬で外れた肩を継いでしまった。

 キャンディーさんのガタイのよさで勘違いしてしまったが、この人はとてつもなく技巧派の冒険者でもあったはずだ。


「なに人の肩を勝手に外してんだ? おらぁ! てめぇの店をぶち壊すぞ!」


 自分の思いどおりにならないチンピラが、ついに口にしてはいけないことを言ってしまった。

 命がけで冒険者をしながら懸命にお金を貯め、ようやく持つことができたお店を壊す。

 なんて言われたら、キャンディーさんがキレて当然であろう。

 彼は一切の予備動作なしに、チンピラをネック・ハンギング・ツリーで宙に浮かせた。

 チンピラも結構ガタイがいいのに、キャンディーさんは腕を微動だにさせず、彼は次第に息が詰まってきたようだ。


「たじゅけて……」


「おらぁーーー! 俺の店に手を出したら、お前の組織をその構成員ごとバラバラに引きちぎるぞ!」


「しゅびびゃせん……」


 窒息死する前にチンピラはネック・ハンギング・ツリーを外してもらえたが、突然豹変したキャンディーさんにトラウマを植え付けられたようで、肩で息をしながら、目からもも下からも涙を流していた。

 俺もエリーゼも、キャンディーさんの豹変ぶりに背筋が凍る思いだ。

 

「今度、この近辺で見かけたらバラすぞ!」


「すっ、すみませんでしたぁーーー!」


 チンピラは、ウンコをズボンの裾から漏らしながら、這うように逃げ去ってしまった。

 そしてキャンディーさんは、チンピラがいなくなったのを確認すると、俺とエリーゼにいつもの笑顔を向ける。


「やだ、私ったら。ちょっとお転婆しちゃった」


「「……」」


 俺とエリーゼはお互い無言であったが、言いたいことは同じであった。

 決して、キャンディーさんを怒らせてはいけないのだと。

 それだけは、無条件に本能に刻まれた瞬間であった。


「あなた、もうそろそろお屋敷に戻りましょうか?」


「そうだね」


「また来てねぇーーー」


 買い物を終えて俺たちを見送る時のキャンディーさんと、チンピラ相手にに凄んだ時のキャンディーさん。

 人間とはこうも変わるのだと、俺とエリーゼは一つ勉強になったような気がするのであった。

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