第292話 ヴェンデリン、挫折する

「フリードリヒも、アンナも、エルザも、カイエンも、フローラも、イレーネも、ヒルデも、ラウラもよく寝ているなぁ、寝る子は育つだ」




 壮観な光景であった。

 バウマイスター伯爵家の屋敷の一室に二十以上のベビーベッドが置かれ、そこで寝ている赤ん坊たちを、エリーゼたちやハルカ、乳母として雇われた家臣の妻たちが世話をしているのだから。

 まるで乳児園のようになってしまったが、この後も保育園から小学校へとジョブチェンジしていく予定だ。

 この世界には小学校なんてないから、初等教育という位置づけだな。

 家臣の子供たちと共に生活を送らせて、バウマイスター伯爵家に忠実な家臣にする。

 過去の地球でも普通に行われていたことで、この世界でもそうしている大貴族は多いと聞く。

 なるほど、いきなり新参者が仕官できないわけだ。

 能力はあるかもしれないが胡散臭い余所者よりも、子供の頃から一緒に育っている幼馴染、教育を受ければよほど駄目な奴以外は普通に仕事をこなせるとなれば、気心の知れた者たちを家臣にするのは当然であった。

 一斉に泣き始めた赤ん坊にエリーゼたちが母乳を与え、お腹がいっぱいになった彼らは、そのままスヤスヤと寝てしまう。

 その寝顔を見ていると、俺の心が安らぐ。

 赤ん坊は純粋でいい。

 王都にいる大貴族たちとは大違いだ。


「赤ん坊はいいねぇ。心洗われるようだ」


「お館様、残念ながら大人の時間にございます」


「わかっているよ……」


 貴族に子供が産まれると、縁のある貴族たちは出産祝いを贈る。

 祝いを貰えば当然お礼状を送り、あとでお祝いを貰った貴族に子供が産まれたらお返しをしないといけない。

 というわけで、誰からなにを貰ったのかを把握し、その内容に沿った御礼状も書かないといけないわけだ。

 これには決められた文体があるらしく、他にも冒頭の季節の挨拶や言葉遣いなど色々とルールがあって、俺の頭の中はパンク寸前である。

 実は、商社マン時代に年嵩の上司に命令されてビジネス文章検定を取ったけど、あまり役には立たない。

 一級じゃなくて二級だからか?

 単純に、もう内容を忘れたからだろうな。

 エリーゼたちは子育てで忙しいので、俺はこの仕事を、土木工事をこなしながら行わないといけないのだ。


「しかし、どうしてこんなにあるのかね?」


「それは、バウマイスター伯爵家との繋がりを周囲にアピールするためと、これから繋がりを強化したいからではないでしょうか」


 ローデリヒが、わかりきったことですといった表情で俺の質問に答えた。


「それしかないよなぁ……」


 赤ん坊たちがいる隣の部屋には、大量のお祝いが山積みとなっていた。

 あまりに量が多いので、今にも崩れてきそうである。

 

「すげえな。こんなに貰えてよかったじゃないか」


「御礼状を大量に書き、贈ってきた貴族に子供が産まれたら、確実にお返しをしないと駄目なんだが……。もし忘れたらえらいことになるんだぞ」


「面倒くさいな、それ」


「いや、エルもやるんだぞ。同じことを」


 いや……エルも同僚たちからお祝いを貰ったら、あとでちゃんと返さないといけないんだが……。

 エルが思うほど、いい話ばかりでもない。

 貴族は収入も多いが、出ていくお金も多い。

 その中でも、交際費の多さは出費の中でも上位にランクインするはずだ。

 前世でも、ご祝儀や香典を貰うとお返ししないといけないから結局同じ、なんて話があったけど、貴族は贈り物の金額が違うからなぁ……。

 相手の贈り物の金額を正確に把握し、同じ金額の品を送らないと失礼になってしまうから、これも調べるのが面倒だったりする。

 お祝いを贈ってきた貴族の領地の名産品だったりすると、流通範囲が狭くて調べるのが面倒だったりするのだ。


『ちょっと量が多いですな。ですがお任せを』


 お祝い品の値段を調べる仕事は、先ほどやはり出産祝いを持ってきたアルテリオに任せてしまった。

 俺たちだけではとても調べられないし、アルテリオ曰く、こういうのも御用商人の仕事なのだそうだ。

 ついでに、お祝いを贈る時にはうちをよろしくと、ちゃっかり宣伝されたけど。


『思いきって、お互いにお祝いをナシにする、という決まりにできないですかね?』


『それは無理だな。生活できない奴が出てくるから』

  

 続けてアルテリオ曰く、お祝いを廃止してしまうと、贈り物を作ったり販売している人たちの生活が成り立たなくなってしまう。

 だから、お祝いや贈り物の習慣をなくすわけにはいかないのだと俺に説明した。


「聞いたことがない貴族家からも来ているなぁ……ローデリヒ、知っているか?」


「名前くらいは知っている貴族に、名前すら初耳の貴族からの贈り物もありますね。紋章官に確認を取らせます」


 それをしないと、お礼状すら書けないのだから困ってしまう。

 そして悲しいことに、その御礼状を書くのは俺であった。


「ブライヒレーダー辺境伯とか、ホーエンハイム枢機卿とか、ルックナー財務卿とか、その辺はいいんだ」


 誰かわかるので、お礼状もそう苦労なく書けるはず。 


「そんなわけないけど……」


 手紙は色々と細かい決まりに従って書かないといけないし、前世のようにパソコンで打って印刷して済ませるわけにもいかない。

 全部、俺が手で書かないと駄目なのだ。


「泣ける……俺の筆跡で文章を勝手に書いてくれるペンとかないかな? あれば、一億セントでも出すんだけど……」


 それで、手紙を書くわずらわしさから解放されれば安いものだ。


「そんなものはありません。その手の作法や決まりに詳しい家臣も新規に雇いましたので、文面は作成させています。お館様は、それを写していただければ」


「それだけでも面倒臭いなぁ……その家臣に俺の筆跡で代筆させるのは駄目か?」


「駄目です。もしバレると、自分は軽く扱われたと怒りを買いますので」


 貴族の手紙は、他人に代筆を頼んではいけないようだ。

 結局、午前は御礼状の作成、午後は土木工事というローテーションで一週間ほど過ごすことになる。


「貴族の仕事で一番面倒なのは、手紙を書くことじゃからの。妾も昔は難儀したわ」


「テレーゼ、俺の筆跡を真似して書くとか、そういう特技はない?」


「残念じゃの。妾はフローラの世話で忙しいのじゃ。文面は考えてあげられるが、それは担当の家臣がいるのであろう?」


 非公式の愛人のような立場になったテレーゼであったが、別に誰に憚ることなく、エリーゼたちと一緒に赤ん坊の世話をしている。

 彼女が俺の屋敷に入り浸りでも、もはや世間の誰もが不思議に思わなくなっていた。


「魔法でなんとかならぬのか? リサ、そういう魔法はないのかえ?」


「まったく同じ筆跡、文面なら、『摸写』の魔法がありますけど……」


 ペンを魔法で動かして、同じ筆跡と文面を複製する魔法を使った魔法使いの記録があるらしい。

 俺は初耳であったが、さすがはベテラン魔法使いのリサ、その手の勉強はちゃんとしていたようだ。


「ですが、まったく同じ筆跡と文体なので御礼状には使えません」


 面倒なことに、貴族にお礼状を送る時にはその貴族に合わせて微妙に文面を変える必要がある。

 大貴族などは文面を考えるのが面倒なので、それを担当する家臣が存在するほどだ。

 普段は領内の統治などで使う書類の作成に関わるのだが、これも各貴族家ごとに決められた文体があったりする。

 王国に報告書や書類を出す時にも、王国政府で使われる文体や形式、決まりなどがあって、これも把握して書けるので専門家というわけだ。

 違う文体で手紙や陳情書を送ると王国政府に相手にしてもらえないので、彼らは高度なテクノクラートと言えた。

 当然給金は高く、貧乏な貴族は自分で勉強してなんとかする羽目になる。

 しかし付け焼き刃だと上手く行かず、結果小貴族は、中央への陳情が通らずに余計に困窮するわけだ。


「そうよな。まったく同じ文面で、宛名だけ変えて出したのがバレたら大恥じゃからの。その辺は帝国も同じじゃ」


「なんてこったい!」


「あたいの実家では考えられないことだな。まあ、うちの親父や兄貴が他の貴族に手紙なんて出したことはないけど。旦那、お祝いで実家からマロイモが来ているから蒸かして食べようぜ」


「甘い物はいいなぁ」


「だろう? 今から蒸かすからさ」


 なんとか大量の御礼状は書き終わったが、結局数多あるお祝いの中で一番評判がよかったのは、カチヤの実家から贈られてきたマロイモと、ミズホ公爵領から贈られて来た『旬の食材詰め合わせ』であった。






「うむ、壮観じゃの。一度に八人か」




 お祝いと御礼状攻勢が終わると、今度は赤ん坊の顔が見たいと言ってくる人たちがいた。


「陛下、なにも御自ら玉体をお運びにならなくても……」


 なにより困ったのは、陛下が王太子殿下と導師、ルックナー財務卿、エドガー軍務卿、ブライヒレーダー辺境伯を連れてバウルブルクを訪れたことだ。

 『今から行くから』と、突然携帯魔導通信機に連絡が入り、エドガー軍務卿が用意した『瞬間移動』持ちの魔法使いが連れて来た。

 お偉いさんばかりがゾロゾロと赤ん坊のいる部屋へと入り、俺の赤ん坊を見て安堵の笑みを浮かべている。

 だが、俺にはわかる。

 この大人たちは、なにかよからぬことを企んでいると……。

 どんな大物貴族でも、自分の跡取りを陛下に披露する際には、王宮を訪ねるのが常識だからだ。

 それが自分たちからやって来るなんて……。

 きっと、なにかお願いという名の命令があるはずなんだ。

 俺もいい加減に学んだぞ。


「エリーゼ、元気そうな跡取り息子でよかったの」


「はい」


「バウマイスター伯爵に似ているではないか」


 陛下は、まずはエリーゼに労いの言葉をかけた。


「陛下、この後の予定が詰まっておりますれば……」


「おお、そうであったの。実は、バウマイスター伯爵にお願いがあっての」


「それは、どのような?」


「実はの……」


 俺は、陛下からの願いに絶句することとなる。






「まあ、予想はできたのですが……」




 お願いを断れる立場にない俺は、この世の理不尽を嘆いた。

 忙しい陛下はお願いを言うと、魔法使いの『瞬間移動』で他の閣僚たちと一緒に王城に戻り、唯一残ったブライヒレーダー辺境伯が俺を慰める。


「産まれたばかりの子供たちに、もう婚約者が?」


「平均よりは早いですけど、いないこともないんですよ。貴族や王族の婚姻ですから、勝手に当主が決めますしね」


「ブライヒレーダー辺境伯も、そうは言いつつ俺の娘を……」


「それはお互い様でしょう? 私の可愛いフィリーネが成人したら、バウマイスター伯爵の元に嫁ぐのですから」


「ううっ! 言い返せない!」


「バウマイスター伯爵は特殊ですからね。子供や子孫が魔法使いになるとわかれば、婚姻関係を結びたくて当然です」


 まず、エリーゼが産んだ長男フリードリヒの正妻は、王族から迎えることになった。

 王太子殿下に、産まれたばかりの娘がいるのだそうだ。

 あの人、陛下と一緒にいると余計に目立たないなぁ……おっと、今はそういう話じゃないんだ!

 普通は王太子殿下に子供が産まれたのだから騒ぎになるはずなのに、なぜか噂すら流れてこなかったな。

 娘だからかな?

 それとも……詮索はやめておくか……。

 フリードリヒは、金の草鞋を履いて探すこともなく姉さん女房をゲットした。

 0歳児と一歳児だから、そこまでの年齢差でもないか。


「フリードリヒの奥さんは王族のお姫様か……どうなんだろう?」


「あの陛下だから、ちゃんと教育するでしょう。高慢チキで夫に嫌われ、子供が生まれないと悲劇ですから……」


 普通の貴族や王族同士の結婚なら、家同士の繋がりには役に立ったと放置される。

 ところがフリードリヒの場合、子供を作らないと魔法使いが生まれないので、夫に嫌われる娘などは寄越さないはずだと、ブライヒレーダー辺境伯は言うのだ。


「イーナ、可哀想なくらい動揺していたな……」


「まあ、母親の身分から考えると、普通はあり得ませんからね……」


 イーナが産んだ長女アンナは、王太子の長男、つまり次の次の王様の正妻に決まった。

 相手はまだ三歳だそうだが、いきなりそんなことになったイーナはどうしようといった感じの表情を浮かべていたのだ。


「王太子殿下に、跡取り息子っていたんだな」


「お館様、なぜか大半の貴族たちはそう言いますが、いらっしゃるのです」


 職務上、ローデリヒは王太子殿下の跡取りの存在を知っていた。

 これで王国は安泰というわけだ。

 でも、親子して目立たないのってどうなんだろう?

 大きくなると、子供の方は目立つようになるのかな?


「母親の身分から考えてあり得ないけど」


「父親がバウマイスター伯爵だと、なくはない話なんですよ……」


 正妻が産んだ娘がいないので、妾や側室が産んだ娘を代わりに政略結婚の駒にするというわけだ。

 その前に、形式上だけは正妻の養子にするらしいけど。


「将来の王の正妻は異常です。ですが……」


 王族に魔法使いが産まれるメリットを考えると、そのくらいは無視しても構わないということであろうか?


「うちも、そうですしね」


 ルイーゼが産んだ次女エルザも、ブライヒレーダー辺境伯の跡取り息子の正妻に決まったからだ。

 他に婚約者がいたらしいが、それはなかったことにするらしい。

 貴族ではよくあることらしいが、俺たちが、娘の婚約を破棄された貴族から恨まれそうで嫌だな。


「ちょっと年齢差がありますけど、大切にするので安心してくださいね」


 ブライヒレーダー辺境伯は悪い人ではないし、俺の娘が産む子供が魔法使いというメリットを考えると、嫁いびりはないと信じたい。


「というか、仔馬の競り市やオークション会場じゃないんですから……」


 カタリーナが産んだ次男カイエンは次期ヴァイゲル準男爵なので、ルックナー財務卿の一族から正妻を迎え入れる。

 ヴィルマが産んだ四女イレーネはエドガー軍務卿の嫡孫の正妻に、カチヤが産んだ五女ヒルデはアームストロング伯爵家の嫡孫に。

 そして、リサが産んだ六女ラウラは導師の嫡孫の正妻に決まった。

 ここに俺が介在する余地はなく、陛下たちが勝手に話し合って決めてしまったのだ。

 かかった時間も十分ほど。

 憐れ俺の娘たちは、サラブレッドの子馬を競るように嫁ぎ先が決まってしまった。

 

「ごめんよ、娘たち。嫁ぎ先が嫌なら、遠慮せず、ここに戻って来ていいんだよ。お父さんは、大歓迎だから」


 俺は涙目で、ベビーベッドに寝ている娘たちに話しかけた。


「あなた、まだこの子たちにはわかりませんよ。今はそんなことは考えず、すこやかに育てばいいのです」


 そんな俺に、エリーゼが慰めるように声をかける。


「ううっ……カタリーナ、リサ。子供たちは、なるべく早く魔法の鍛錬を始めよう。嫌な旦那なら、魔法で吹き飛ばせるように」


 俺は優秀な魔法使い二人に、子供たちの鍛錬を早めようと言った。

 もし娘たちが嫁ぎ先で苛められたら、魔法で吹き飛ばせるように。

 何事にも備えは必要だからな。


「ヴェンデリンさん、それは貴族としてどうなのでしょうか?」


「お気持ちはわかるのですが……」


 カタリーナとリサは、俺を呆れた表情で見つめた。


「やっぱりそういうことになったの……妾も同じようなものじゃ」


 俺の非公式な妾なのに、他の奥さんたちと普通に生活しているテレーゼ。

 さすがに彼女の娘と婚姻を結ぶ王国貴族はいなかったが、彼女は大量の手紙を抱えている。

 差し出し人は、すべて帝国貴族からであった。


「テレーゼがフローラを産んだ情報なんて、よくわかったな」


「両国は、講和後に交易規模を拡大したからの。間違いなく商人経由であろうて」


「おいおい、アルフォンス……」


 フィリップ公爵家を先頭に、ミズホ公爵家、バーデン公爵家の他にも、多くの帝国貴族が、テレーゼが産んだ三女フローラを嫁に欲しいと手紙を送ってきた。

 その数に、俺は眩暈を感じてしまう。


「テレーゼの娘って、帝国の政治状況的にまずくないか?」


「妾本人なら問題かもしれぬが、フローラは娘じゃからの」


「フローラが魔法使いなのが漏れているのか?」


「いや、単純に王国貴族と縁を結ぶためであろう。ヴェンデリンは内乱で勇名を挙げたが、領地は遠く南方にある。過度な干渉もないであろうから、縁を結ぶのには適当な相手とも言えるの。交易でも利が大きい」


 魔法使いの素質が遺伝する件は、帝国側には漏れていないはずだとテレーゼは予想した。


「なにか変だとは思っているかもしれぬが……」


「なんですと!」


「一生隠しきれるものでもあるまいて。産まれた子供たちが、全員魔法使いなのがわかればの。バレるのが嫌なら、生涯独身で禁欲生活を送るしかないのじゃから」


「それは嫌です」


 俺は出家した修行僧ではないのだ。

 人並みに欲は存在している。


「正直なのは素晴らしいぞ。ヴェンデリンよ」


「あと、陛下にも念を押されましたよね」


「ですね……」


 ブライヒレーダー辺境伯も聞いていたのだが、『みんな、二人とか三人と言わずに五人でも十人でもバウマイスター伯爵の子を産むがいい』と言い残して去ったのだ。

 出生率の低下に悩む日本では、考えられないレベルの子沢山要求であった。


「ですが、これも陛下の温情ですよ。もし他の人が王なら、とんでもないことになります」


 王族で適齢期の女性は、すべて俺の元に送り込まれるかもとブライヒレーダー辺境伯は言う。


「継承で揉めるので籍には入れず、手習い扱いでも、召使扱いでも構わない。子供を産ませろとか言って押し付けますよ」


「それは酷い……」


「王家というのはそういうところです。娘の婚姻くらいなら温情というレベルでしょうね」


 ヘルムート王国の安定が民衆の平和をもたらしている以上、そのために俺を種馬にするくらいは平気で行うというわけか。


「わかりました。でも、俺の可愛い娘たちが……」


 まだ一歳にもなっていないのに、もう嫁ぎ先がほぼ全員決まっている。

 悲しくなるような現実である。


「私にもフィリーネがいるからわかりますけど、どうせ娘が好きな男性と結婚したいと言っても腹が立ちますよ」


「それはあるかも……」

 

 お父さん、私この人と結婚したいの。

 うん、確実にぶん殴りたいな。

 でも、娘が嫁に行くのは嫌だけど、かと言っていつまでも嫁がずに家に残っているのもどうかと思う。

 ブライヒレーダー辺境伯も、複雑な心境でフィリーネを嫁に出すというわけか。


「うちの叔母みたいになられると、これはこれで困りますし……」


「ああ、あの方ですね……」


「最近景気がよくなってきたから、あれが欲しいこれが欲しいと子供みたいにうるさいんですよ。自分で稼ぎもしないくせに……」


「そうなんですか……」


「誰かあの人を引き取って……すぐに返品されるとまだ面倒ですねぇ……」


 なぜか後半からは、ブライヒレーダー辺境伯の愚痴になってしまった。

 それと、産まれた子供たちの婚約者がすぐに決まってしまったがために、逆に平穏な日々が訪れたのは皮肉であった。

 なぜって?

 彼らがみんなブロックしてしまうからだ。

 他の貴族たちに情報を漏らすわけがないし、もし漏れてもバウマイスター伯爵家への接近を阻止しようとする。 

 つまり、俺たちの平穏は彼らによって保たれるわけだ。

 正直、複雑な心境であった。





「気持ちを切り替えて、俺は父親として頑張るぞ!」


 もう決まってしまったことで、いつまでも悩んでいても仕方がない。 

 俺は、領地開発、アグネスたちへの個人指導、バウマイスター伯爵家当主としての仕事をこなしていく。

 エリーゼたちは、赤ん坊の世話と、時間があれば鍛錬をしていた。

 冒険者としての現役復帰を目指しているのだ。

 もっとも、またすぐに妊娠してしまうかもしれないので、あくまでも復帰できたらということになっているけど。

 むしろ、周囲の人たちはそれを望んでいるという。

 そして俺は、赤ん坊の世話に参加しようとしていた。

 前世でいうところの『イクメン』というやつである。

 俺も忙しいから、あくまでも参加できる範囲内でだけど。

 

「フリードリヒはいい子だな」


 俺は、バウルブルクの町でこの世界にはなかったおんぶ紐を注文、これは昔からある背負うタイプではなく、体の前で赤ん坊を対面だっこもできるタイプである。

 職人に説明すると、すぐに作ってくれた。

 それを使ってフリードリヒをおんぶし、同じく職人に作ってもらったでんでん太鼓を鳴らしながらあやしていく。


「ご機嫌だな、フリードリヒ」


「うわうーーー」


 屋敷の庭で、俺はフリードリヒをおんぶしながらあやした。

 遅くに生まれた子供たちは、まだ首が座っていないからおんぶできないので、今はフリードリヒだけだ。


「ヴェル、なにをしているんだ?」


「見てわからないか? フリードリヒをあやしているんだ」


「男なのにか?」


 この世界では、赤ん坊の世話は女性の仕事だという考えが強かった。

 田舎では特に顕著であり、エルはフリードリヒをあやす俺を不思議な生き物のように見ている。


「エルよ、俺は新しい貴族なのだ」


「新興だからな」


「新しい貴族である俺は、男でも赤ん坊の面倒を見てもいいじゃないかという、新しい常識を世間に示すのだ」


 どこの世界でも、世間の常識とは、誰かが始めたものをみんなが長期間真似したから常識になったにすぎない。

 つまり、俺が赤ん坊の面倒を見て、それを他の貴族たちが真似したらミッションコンプリートである。

 それこそが、イクメンがこの世界にも誕生した瞬間なのだから。

 そして、それを最初に始めた俺の名前が、後世に残るかもしれないな。


「そういう考え方もあるのか……」


「エルも、レオンの面倒を見るとハルカに見直されるかもよ」


 女性は、家事や育児を手伝う男性が好きだからな。

 その点を散々アピールしたにも関わらず、俺は前世でモテなかったけどね。


「じゃあ、俺も……」


 エルがレオンの面倒を見ようと育児室へと向かおうとすると、それを止める者がいた。


「お館様……」


 誰であろう。

 それは、ローデリヒであった。


「おおっ、ローデリヒか。俺は新しい貴族を目指すぞ」


「いえ、目指さなくて結構です。いいですか、お館様は世間に注目されている存在なのです。そのお館様が赤ん坊の面倒など……」


「そうか? 俺が赤ん坊の面倒を見ても別に変じゃないだろう」


「変です! やめてください! いいですか……」


 それからしばらく、俺はローデリヒから説教されてしまった。

 貴族が、赤ん坊の面倒を見るとは何事かという内容だ。


「深刻な問題だな……新しい時代の流れが、古い慣習によって防がれてしまうとは……」


「どうとでも仰ってください。お館様が、フリードリヒ様の世話をするなどあってはならないのです」


 貴族には、それに相応しい振る舞いがあるのだそうだ。

 

「ローデリヒは、俺と大して年が違わないのに考えが古いぞ。よし、ここは」


 きっと、エリーゼたちならわかってくれる。

 という期待を胸に、俺は育児が行われている部屋に戻った。

 すると、いきなりエリーゼに怒られてしまった。


「あなた、フリードリヒの面倒は私たちで見ますから」


 せっかくおんぶしていたフリードリヒを、エリーゼに取り上げられてしまった。


「ここは、新しく赤ん坊の面倒を見るバウマイスター伯爵、というイメージでいこうと思うんだけど」


「それは、よくないと思います」


 いきなり、エリーゼから全否定されてしまった。

 この世界には、男性が育児を手伝ってくれたらありがたいと思う女性はいないのか?


「駄目なのか?」


「はい、育児は女性の仕事です」


 おかしいな? 

 男性も育児に参加すべきとかいう意見はないのか?


「イーナ」


「駄目よ。育児は私たちの仕事だから」


 いやそんな、みんなの仕事を奪うつもりとかはなくて、少しだけ手伝えたらと、かそんな話なんだけど……。


「ヴェル、もう少し大きくなったらどこかに一緒に出かけようよ」


「ルイーゼの言うとおり。ヴェル様には世間の目があるから」


 ルイーゼとヴィルマにも否定されてしまった。


「ヴェンデリンさん、真の貴族とは赤ん坊の面倒など見ませんわよ」


「旦那、こういうのは昔から分担が決まっているからさ」


 貴族に拘るカタリーナは勿論、カチヤにまで否定されてしまう。

 彼女の実家も田舎だからなぁ。

 考えが保守的なのであろう。


「帝国の貴族でも、赤ん坊の面倒を見る者などおらぬぞ」


「女性魔法使いは、余裕があるのでベビーシッターを雇いますね。魔導ギルドが使用人ギルドを紹介してくれますから」


 テレーゼも、リサも、俺の育児参加に反対のようだ。


「そういうわけだから、ヴェル君は大人しく見ていてね」


「はい……」


 最後に、アマーリエ義姉さんから子供のように諭されてしまった。

 まさか女性側からの反対が根強いとは……世界が変われば常識は変わるものだと、俺は改めて思い知らされたのであった。





「お館様、このおんぶ紐は優れておりますな。すぐに量産を指示しましょう」


 ただ、俺がオーダーメイドしたおんぶ紐はローデリヒに気に入られ、量産されて王国中に普及していくこととなる。

 俺の育児には反対なくせに、俺のおんぶ紐を目敏く見つけて採用してしまう。

 ローデリヒは鬼だな!

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