閑話10 ヴァレンタイン記念SS ヴェンデリン、敗北す!

 帝国の内乱が終わり、俺たちは普段の生活に戻った。

 冒険者として狩りと採集、アーネストのつき合いで地下遺跡探索、バウマイスター伯爵領内の土木工事、たまに貴族としてのお仕事と次々にこなしていく。

 ローデリヒが上手くスケジュールを組んでくれるので、特に混乱などは発生していない。

 季節は冬。

 ここは大陸南部なので暖かいが、謝肉祭と新年がすぎ、月が変わったところでとある客の来訪があった。

 バウマイスター伯爵邸の客間に案内すると、その人物が軽い口調で尋ねてくる。


「なにか、いい商売のネタはないかなと思うのですよ」


 その人物とは、バウマイスター伯爵家の筆頭御用商人であるアルテリオであった。

 貴族家における御用商人は、一人だけという家と複数いる家に分かれる。

 うちは複数派だが、筆頭で取引量も多いアルテリオの名前は王都で有名になった。

 他にも御用商人がいるのは、ある種のやっかみを防ぐためでもある。

 導師の次男であるヘンリックも、順位は低いが、バウマイスター伯爵家の御用商人に任命された。

 彼は、内乱中に増やした小型魔導飛行船三隻を使って、バウマイスター伯爵領内中に、人と物を縦横無尽に運んで稼いでいるそうだ。


「資金繰りが苦しいんですか?」


 上手く行っていると思ったのに、商売を拡大しすぎて収支が怪しくなったとか?

 前世でも、急な商売拡大が仇となって潰れる会社は多かったをの思い出す。


「とても儲かっていますが、チョコレート事業は少し方針変換をしようと思います」


 魔の森で採れるカカオを材料にしたチョコレートが王都で売れているが、バウマイスター伯爵領の開発が進み、多くの冒険者たちが冒険者ギルドに持ち寄るカカオの量が増えた結果、チョコレートの値下がりが起こっているらしい。


「そんなに採れるものなんですか?」


「木から実を取っても、三日と経たずに元に戻るらのですよ」


「恐ろしい繁殖力ですね」


「雑草よりも凄いと言われておりますな」


 カカオなんて地球では大幅な需要の増大で、値上がりが問題になっているというのに……。

 それが自然で採り放題なんて凄いと思う。

 採りに行って魔物に殺される人も一定数いるので、決して誰もがカカオの採集でウハウハってわけでもないけど。


「カカオが大量に供給された結果、多数の業者が参入して競争となり、チョコレートの値下がりが起こっています。うちは、それほど問題視していないのですが……」


 一番にチョコレートの製造技術を確立し、高級品は王族、大貴族御用達となっている。

 あとは、富裕な平民層などのターゲットに、高価格帯の量産品を生産して売る時期が来たのだと、アルテリオさんが語った。


「老舗の強みかぁ……」


「ええ。チョコレートの値段も大分下がり、下級品なら、平民でも月に一度くらいは食べられるようになったわけです。ただ、それが王都の住民すべてに周知されているわけでもない。やはり、高嶺の花だと思っている人も多いわけでして……」


「つまり、普及のためになにか宣伝が必要だと?」


「さすがは、バウマイスター伯爵様。商売に詳しい」


 俺は貴族なので、商売の才能を褒められてもどうかと思うのだが、これでも昔はそういう仕事をしていた自負もある。

 嬉しくないはずはなかった。

 あの社畜としての日々は、決して無駄ではなかったのだと再確認できるのだから。


「チラシでも撒いて宣伝しますか?」


「それもしますが、実は、なにかチョコレートを購入する理由、イベントをデッチあげようかと」


「えっ?」


 俺は、アルテリオの発言に嫌な予感がした。

 確か、今は新年になってから月が変わったばかりのはず。


「(ということは……バレンタインか?)」


 しかし、どうしてこの世界の人間であるアルテリオが、突然バレンタインなんて……。

 俺に隠していたけど、実は彼も地球からの転生者なのか?

 いや、それなら俺の意見など聞く前に、もっと自分で色々な商売をやっているはずだ。


「どうかしましたか? バウマイスター伯爵様」


「少しだけ考え事を……」


 俺は、考え込みすぎていたらしい。

 アルテリオに心配されてしまった。


「他のチョコレートを製造する商会とも組んで、『聖ヴァレンティーン祭り』を創設して盛り上げようかと」


「えっ? その人って?」


 確か、俺に日本式クリスマスの普及を決意させた、暗黒の宗教祭り『謝肉祭』の元となった人物のはずだ。


「有名な聖人ですが、彼の奥さんも同じように優れた逸話を残した人なのですよ」


「へえ、そうなんですか」


「バウマイスター伯爵様って、教会の名誉司祭なんですよね? 聞いたことありませんか?」


「いいえ、サッパリ」


 寄付して本洗礼を受けたら勝手に命名されただけで、教会のことなんて、ましてや過去の神官の話なんて、まったく興味がないのだから。

 教会の長い歴史に比例して、聖人だの、優れた功績を残した偉人だのと、評価されている故人は多い。

 とにかく人数が多いので、よほど興味がなければわざわざ調べるなんてことはしないはずだ。

 もし試験にでも出て、ある程度点数を取らなければ留年するとでもいうのなら、頑張って一時的には覚えるけど。

 俺は、限りある記憶力で覚える必要などないと思っている。

 人にとって一番大切なのは、今と未来である。

 過去を振り返る必要などない。

 と、高校の頃の日本史の教師が言っていた。


「普通、少しは勉強するんだが……。ええと、奥様?」


 俺の無知ぶりに呆れたアルテリオさんが、エリーゼに話しを振った。


「そのために私がいるのだと思います。ヴァレンティーン枢機卿の奥様は、ご自身も貧しい子供たちに手作りのお菓子などを配るなど、夫であるヴァレンティーン枢機卿の活動を手助けしていました」


 二人は、その気になればいくらでも豊かな生活が送れるのに、常に清貧な生活を送り、奉仕活動に使うため、互いに贈り物すらしなかったそうだ。


「お二人は、お互いにわかっていたのです。そのような贈り物をしなくても、互いに愛し合っていたのを」


 ところが、奥さんが一度だけ夫に贈り物をしたことがあるそうだ。

 

「先に病気で亡くなったヴァレンティーン枢機卿の棺に、奥様は手作りのクッキーをそっと添えました。夫婦となって、初めての贈り物だったのです」


 過去の聖人の逸話を、うっとりとした表情で話すエリーゼ。

 確かに俺も、『いい話だなぁ』と思う。

 特に女性なら、堪らない種類のお話であろう。

 ここで『子供のために作って余ったクッキーくらい、旦那にやればいいじゃん』とか思ってはいけないのだ。

 周囲に視線を送ると、ハルカ、イーナ、ルイーゼ、ヴィルマ、カタリーナもその逸話に感動しているようだ。


「素晴らしい、愛の物語ですね」


「手作りのクッキーというところがいいわ」


「二人の間には、本物の愛があったんだね」


「感動した」


「私、このお話を知っていますけど、いつ聞いても素晴らしいですわ」


 数十年後、俺が死ぬと棺の中が手作りクッキーでいっぱいになるかもしれない。

 そのくらい、みんな感動していた。


「それで、その逸話とチョコレートになんの関係が?」


 ただ一人冷静なエルが、アルテリオに質問をした。

 やはり、女性と男性では思考経路に差があるのかもしれない。

 脳の違いというか……。

 エルは、その逸話に感動したという表情を見せていなかった。


「だからですよ。ヴァレンティーン枢機卿の亡くなった日に、チョコレートを売り出そうと……」


「チョコレートは、関係ないんじゃあ……」


「それを言うと、なにも始まらないじゃないですか」


「始まる必要があるんですか?」


「商売なので」


 商売のためには、時には強引さも必要なのは俺にでもわかる。

 アルテリオの提案は、平民は一家でチョコレート菓子やケーキなどを購入してみんなで食べる。

 富裕層や貴族などは、女性が男性にチョコレートを贈れるようにしたらどうかというアイデアを出してきた。

 

「夫、婚約者、父親、兄弟、世話になっている屋敷の使用人たちにチョコレートを贈る、なんてアイデアもあります。貴族なら、安いチョコレートを大量に購入してくれるかもしれません」


 やはり、バレンタインそのものであった。

 チョコレートを贈る相手と目的が義理に傾いているような気もするが、昨今の日本でも、バレンタインのチョコレートを色々な人に贈りましょうという宣伝があった。

 お世話になった人に贈る『世話チョコ』とか、家族に贈る『ファミチョコ』、友達に贈る『友チョコ』とか。

 あきらかに売り上げを増やそうとする製菓メーカーの陰謀なのだが、元々バレンタイン自体が、製菓メーカーの陰謀なのだ。

 そして、なにが怖いのかと言えば……。


「(チョコレートの贈り先が、いつ恋人にチェンジするかだ。いや、夫や婚約者も有りだとアルテリオさんが言っている以上は、そうなるのに時間はかかるまい……)」


 もしそうなれば、かなりの男性たちが暗黒のバレンタインを迎えることとなる。

 前世において、バレンタインというものが『義理、母ちゃん九十九パーセント』であったかのようにだ。


「(思い出せば、俺が貰ったバレンタインのチョコレートは、ほぼすべてが義理チョコだったな……)」


 あきらかに三倍返し……今は五倍や十倍返しもあり得る、ホワイトデー目当ての義理チョコの群れに、唯一気を許せたのが母からの義理チョコくらいであろうか。

 本命は、大学生時代に彼女から貰えた一度だけ。

 就職したら、社内の女性社員たちからの義理チョコが押し寄せた。

 社内で貰えない人は、よほど嫌われているか、いつ消えてもおかしくないと思われている奴のみという。

 貰えなければ社内に居場所はないが、貰えれば三倍以上返しが待っている。

 一ヵ月後のホワイトデーに俺の財布を薄くするのみで、バレンタインなど俺から言わせれば敵でしかなかった。

 仕事も、チョコレートの輸入業務で忙しくなる。

 みんな輸入物のチョコに幻想を抱きすぎなのだ。

 中にはとんでもなく低品質のものもあり、クレーム頻発で、俺たちは商品の回収と販売先に頭を下げるのに奔走することとなる。

 欧米は、商業ルールがしっかりしている?

 苦情を言うと、なぜか逆ギレする欧米人の担当者は意外といる。

 もう終業の時刻だからと、途中で電話を切って帰ってしまう奴もいるのだから。

 うちのせいじゃなく、輸送方法が悪いからだ。

 などと。平気で責任転嫁する外国人の相手はかなり疲れるが、謝っても全然対応しない日本人担当者もいて、無責任な性格に人種は関係ないのかもしれない。 

 とにかく、バレンタインにはろくな思い出がなかった。


「(しかし、なぜ急にアルテリオさんがバレンタインに似た企画を?)」


 もしかすると、俺が転生した影響でバタフライ効果のようなものが?

 それは考えすぎか。

 チョコレートを贈るイベントなんて、多少目端の利く商売人ならいつか思いつきそうだからだ。


「バウマイスター伯爵様、どうですか?」


「ええと……、試してみたらどうですか?」


「うん? なにかピンとこないのですかか? いつもバウマイスター伯爵様の意見ばかりに頼っていてもどうかと思うので、駄目元でやってみますよ」


「そうだな……」


 こうしてアルテリオは、王都でバレンタインモドキの行事を取り行うことを決めた。

 俺は反対しなかったが、心の中では違う。


「(チョコレートなんて好きな時に食べればいいんだ! 俺は、このバレンタインを絶対に潰すぞ!)」


 今のうちなら、失敗企画として潰せる……ボツにできるはずだ。

 人気がなかったらしょうがないものな。

 というわけで、他のなにを置いても、これだけは絶対に達成しようと誓う俺であった。





「新しい行事? それは貴族の仕事なのか? ヴェル」


「いや、違うけどね……」



 早速俺は、バレンタインを潰すための行動に入る。

 とはいえ、エリーゼたちが感動するほどの云われがある行事を正面切って潰すのは、不可能とは言わないが困難であろう。

 大人気ないと思われそうだし、アルテリオもうちの御用商人なのだ。

 そこで、別の戦法で『聖ヴァレンティーン祭りは定着しませんでした作戦』を実行しようと思う。

 手伝いにはエルを呼び、彼には『聖ヴァレンティーン祭りは定着するか不安なので、他の行事を提案する』と嘘を言って協力させた。

 要は、バレンタインを潰せればいいのだ。

 これに成功したら、俺以外の誰にもわからないが偉業を達成したと、一人で誇ることができる。

 御用商人のアルテリオが失敗すると、バウマイスター伯爵家にも損失が出るので、他の行事が成功すれば損失の穴を埋められるという理由もあった。


「うちの特産品なんだから、チョコレートの普及でいいんじゃないの?」


「チョコレートは美味しいから勝手に広まっていくさ。それよりも……」


 さて、バレンタインを潰すとなると、それを上回る魅力を持つ行事が必要である。

 日本におけて、バレンタインが行われる二月と同じ月に行われる行事。

 勿論あの行事であるが、それをなんとか普及させてバレンタインを潰そうと決意した。

 少々派手さに欠けるが、そこは上手く盛ってバレンタインに対抗しようと思う。

 どうせ、元の行事なんて知っている奴はいないのだから。


「そのヒントは、ミズホ公爵領に!」


 というわけで、俺はエルと共にミズホ公爵領へと『瞬間移動』で飛ぶ。

 今回は二人だけでの移動だが、それは聖ヴァレンティーン祭りに傾きそうなハルカを同行させるわけにはいかなかったからだ。

 ミズホ公爵領は真冬で寒かったが、予想どおり、お店ではあの食べ物が売られていた。


「煎った豆?」


「これなら、誰にでも買えるぞ」


「安いからな……」


 王都では、豆腐や湯葉を普及させるまでは、家畜の餌での用途が一番多かった食材だ。

 この煎り豆を使う『節分』こそが、バレンタインに対抗可能な行事となるはず。

 いや、俺がこの行事を育てるのだ。


「バウマイスター伯爵様は、『移節祭』に興味をお持ちなのですか?」


 ミズホ公爵領に到着後、ローデリヒ経由でミズホ公爵から俺の護衛任務を受けたタケオミさんが尋ねてきた。

 今日の彼は、ハルカがいないこともあってテンションが低い。

 ここまでわかりやすいシスコンは、ある意味貴重かもしれないな。


「この移節祭を、王国に普及させるのさ」


「王国にですか? でも地味ですよ。移節祭って」


 由来は節分に似ている移節祭は、旧暦の季節の変わり目に炒った豆を撒いて邪を払い、撒いた煎り豆を年齢の数だけ食べると、その年は病気にならないと言われている。

 まあ、そのまんま節分だな。

 

「御社……もとい、教会でその年の恵方に豆を撒くので、みんな拾いに行きますけどね……」


 家族の誰かが全員分の豆を拾い、それを夜に分け合って食べる。

 あとは、柊と魚の頭で作った飾りを家の入り口に飾るだけだと、タケオミさんは説明した。


「ねっ? 地味でしょう?」


「確かに地味だ……」


「なあ、ヴェル。煎り豆でチョコレートに勝てるのか?」


 エルから厳しい指摘をされてしまう。

 確かに、美味しいチョコレートと、味も素気もない煎り豆では勝負にならない。

 やはり節分では地味すぎて、バレンタインに勝つのは難しいか?

 日本でもその傾向が強く、節分は地味な行事扱いだが、それでも俺は戦わなければいけないのだ。

 この世界の未来の男たちを幸福に導くために。

 俺のこの戦いは、決して誰にも理解されないはず。

 それでも、俺は戦う。

 この孤独な戦いを!

 バレンタインに似た行事を潰すために!


「不味くはないけど、美味くもないよな」


 エルは、店頭で購入した煎り豆を食べながらその感想を述べた。

 とりあえず買って味見はするようだ。


「キナコにした方が美味しいと思いますが」


 タケオミさんも、煎り豆がチョコレートに勝てるとは思っていないようだ。


「ミズホ公爵領では、バウマイスター伯爵様との縁で交易が盛んですからね。チョコレートなら、ほらあそこに……」


 和菓子に似たミズホ菓子を売っている店舗に特設コーナーができ、そこにはチョコレートが置かれていた。

 値段は高いが珍しいということで、多くの客で賑わっている。


「私はあまり甘い物が好きではないのですが、新製品の『抹茶チョコレート』は美味しいですね」


「(なんだと!)」


 衝撃の事実である。

 日本人に似ているとはいえ、ミズホ人は、もう輸入したチョコレートの改造に入っていたのだから。


「本当だ……」


 店先の特設コーナーには色々な種類のチョコレート菓子が置かれ、中には抹茶チョコレートもあった。

 試しに購入して食べてみるが、日本で食べた抹茶チョコレートそのものだ。

 もの凄く美味しい……。


「他にも……キナコチョコか!」


 侮りがたしミズホ人! 

 なんと、すでにキナコチョコもあり、他にもチョコ饅頭、チョコ大福なども販売されていた。


「見事なまでの改良能力だな」


「ミズホ人は、外から導入した料理や食品の改良が大好きですからね」


 その辺も、日本人と大差ないようであった。


「これがもし輸出されるとなると……」


 物珍しいイコール、貴族なら大枚を叩いても買うということだ。

 もしアルテリオがこれらのお菓子に気がつき、輸入及び、ライセンス製造して聖ヴァレンティーン祭りで販売をしたりすれば……。


「このままでは勝ち目がなくなるぞ!」


 俺は、危機感を募らせていく。


「いやだから、チョコレートの原料であるカカオはうちの特産だから、売れた方がいいじゃないか」


 エルが正論を言うが、俺はチョコレートの普及に反対しているわけではない。

 この世界の希望のため、バレンタインモドキの普及を阻止するのが目的なのだから。


「こうなってしまった以上、煎り豆だけではなくて他の食べ物も導入しよう!」


「俺には、ヴェルの考えがサッパリ理解できん」


「たとえ理解できなくても、宮仕えとはそういうものだ」


 タケオミさんは、エルに諭すように言う。


「だから、こうして俺は動いていますけどね……」


「それでいいのだ、エルヴィンよ」


 なぜか、エルとタケオミさんの意見が一致しているようであったが、ならば好都合だと、俺たちは三人で新しい行事の準備を始めるのであった。






「ふっ、俺は竜退治のバウマイスター伯爵だ。俺が勧める行事が、聖ヴァレンティーン祭如きに負けるとは思わないな」


「ヴェルのその自信がどこから湧いてくるのか、俺は不思議でならない」


 それから数日。

 俺たちは、バレンタインをこの世界に普及させないように準備を進めた。

 ローデリヒから言われた土木工事をこなしつつ、煎り豆と共に普及させる食品を急ぎ用意させたのだ。


「そしてできあがったのが、この『恵方巻』だ!」


「それって、太巻きですよね?」


 ちょっとミズホ公爵に貸してもらったタケオミさんが、大量に準備された恵方巻を見て質問してきた。

 ミズホ公爵領においても、移節祭で恵方巻を食べる風習というのは存在しなかった。

 日本でも、元々狭い地域でしか行われていなかった風習だ。

 海苔屋が仕掛けた行事とも言われ、この世界になくても不思議ではない。


「太巻きだが、当然中身は改良してある」


 王国人たちの味覚に合わせるべく、卵焼き、デンブ、キュウリなどの他に、茹でエビ、スモークサーモン、ツナマヨ、から揚げなどを入れ、なるべく多くの人たちの好みに合うよう、恵方巻を改良した。


「これでチョコレートに勝てる!」


「そうか? ところで、この恵方巻とやらを食べればいいのか?」


「エルよ、ただ食べるのでは駄目だ。こうして、幸運が訪れる方向を向いてだな……」


 そのままかぶりついて、一人一本を食べる。

 こうすることによって……あれ? どうなるんだっけ?

 そういえば、恵方巻は知っていたんだが、食べるとどうなるのか知らなかった。

 どうだったかな?


「……健康になる」


「なんか、急に取ってつけたような返答だな」


 エルが、俺を疑わしい目で見始めた。


「とにかくだ! この風習を広げ、恵方巻を売るんだ! ついでに煎り豆も!」


 ヴァレンティーン枢機卿の命日に、王都では二つのイベントが推奨された。

 一つは、アルテリオさんとチョコレートを販売する商会、店舗などで行われる聖ヴァレンティーン祭。

 もう一つが、俺たちが広めるべく努力している移節祭。

 こちらは、豆を撒き、恵方巻を食べる風習だ。


「きっと俺たちの勝利となるはずだ! エル! タケオミさん!」


「はいはい。まさか、俺たちが直接売り子をするとは……」


「宮仕えの宿命だな……」


 こうして、双方の宣伝合戦が始まったのだが……。





「普通に売れているな」


「売れているからいいじゃないか」


「というかさ、単純に恵方巻が珍しくて美味しいから売れてないか? 移節祭とか関係なくね?」


 エルの鋭い指摘が、俺のピュアな心に突き刺さった。


「客層も偏ってますよね……」


 念のためにアルテリオさんたちの偵察を頼んでいたタケオミさんが戻って来て、気がついたことを報告し始める。


「偏っている?」


「はい、聖ヴァレンティーン祭はほぼ女性客ばかり。こちらは、年配の方々と男性が多いですね」


「そう言われると……」


 こっちは女性客が少ない。

 珍しい食べ物だから家族に買って行こうと考えた老人たちに、男性は肉体労働系の人が多いような気がする。


「これ、片手で持ちながら食べられるし、ボリュームあっていいな」


「バウマイスター伯爵様、移節祭は関係ないですね。売れてますけど……」


「働くお父さんたちのご飯になっているな」


 確かに売れてはいるが、俺が意図した方向性ではないな。

 だが恵方巻は、仕事で忙しい男性が片手で食べられ、お腹もいっぱいになると、大人気となった。

 徐々に買いに来るお客さんが増えてきたが、やはり女性はほとんどいない。


「幸運の方向を向いて、これを一本食べるのはいいんだけど、女性や子供や老人には辛くないか?」


「そう言われると……」

 

 お得感を出すために恵方巻を大きくしてしまったのが、女性や子供の支持を得られない原因なのかもしれない。

 切って食べればいい、と言われてしまえばそれまでなのだが。


「孫にお土産で買って帰るかの」


「老人の支持もある」


「数人で食べるなら、切ればいいからな」


 売れているのに、なぜか釈然としない。

 それは、俺がただ新しい食べ物を売っているだけで、聖ヴァレンティーン祭打倒に繋がっていないからか?


「でもさ、売れているんだからよくないか? うちの特産品である米と南方マスの販売促進にもなるし」


 この恵方巻、米は増産中のバウマイスター伯爵領産を、スモークサーモンは同じく養殖事業を始めたバウマイスター伯爵領に生息するナンポウマスのサーモンを使っていた。

 

「ミズホ公爵領としては、海苔とお酢の販売促進になったので、お館様も喜んでいましたが」


「じゃあ、結果的には大成功ですね」


「エルヴィンの言うとおりだな。よかったですね、バウマイスター伯爵様」


 いや、商売的には成功なんだけど、やはり釈然としない。

 ちょっと様子を見に、アルテリオ商会が運営するお菓子屋に自分で偵察に赴くと、チョコレートとそれを使ったお菓子がもの凄く売れていた。

 しかも、女性比率が多い。

 というか、ほとんど女性だ。


「この一番小さなチョコレートを三十個くださいな」


「ありがとうございます」


「女性から男性にチョコレートを贈る行事ですか。こういうのも面白いですわね」


 貴族のご婦人が、一番安いチョコレートを大量に購入していく。

 多分、家臣や使用人たちにでも配るのであろう。


「旦那様には、この大きいのを買って帰りましょう」


 まずい……。

 このままでは、この世界にもバレンタインが普及してしまう!

 もしそうなれば、来年からバレンタインが多くの男性にとっての悲しみの日となってしまうのだから。


「(だが、阻止する手が……)」


 チョコレートが売れれば、自然とバウマイスター伯爵領が潤い、それは開発の促進にも繋がる。

 俺は領主として、この行事を潰すわけにはいかないのだ。


「(なんというジレンマ……)」


 急ぎ戻って、煎り豆と恵方巻の販売、節分モドキの移節祭のアピールに努めたが、地味で馴染みがないという欠点を払拭できなかった。

 恵方巻は売れたが、煎り豆はあまり売れなかった。


「酒のツマミになるかな?」


 少数の酒飲みたちが、安いツマミになるからと言って購入しただけだった。

 お酒のツマミになる、ピスタチオやカシューナッツの低価格版だと思われたようだ。


「この煎り豆を撒くのですか? バウマイスター伯爵様、食べ物を粗末にするのは感心しませんぞ」


 なぜか、煎り豆を購入した老人に説教されてしまった。

 正論なので言い訳できない。


「なんだ? 浮かない顔だな、バウマイスター伯爵様」


 恵方巻は完売したので店終いをしていると、そこにアルテリオが顔を出した。


「聖ヴァレンティーン祭は、無事に定着しそうです。チョコレートの増産に勤しみませんと。バウマイスター伯爵様も、新しい食べ物が売れてよかったじゃないですか。しかし、自ら自領産の食材を売るのに、新しい料理まで紹介するとは……。こういう売り方もあるんだなって、感心しましたよ」


 チョコレートの売れ行きがよくてご機嫌だったからかもしれないが、アルテリオは、なにか色々と勘違いしているようだ。

 俺が、バウマイスター伯爵領産の米とスモークサーモンを売るため、あえて恵方巻の紹介と販売を行ったのだと。

 確かに、調理方法を紹介しながら食材を販売する方法は日本ではポピュラーだけど、俺は聖ヴァレンティーン祭を打倒するため、恵方巻の販売を行っただけなのに……。

 それがわかってもらえないもどかしさを、俺は感じていた。


「これと、バウマイスター伯爵様がよく食べているオニギリに、ミズホの和菓子、いなり寿司を組み合わせたお店をやろうかなと、今思いつきました。さーーーて、職人を貸してもらえないか、ミズホ公爵様に相談しに行かなければ。バウマイスター伯爵様、その際には頼みますよ」


 結局チョコレートも恵方巻も売れ、俺は損どころか大儲けなのに、なぜか敗北感しか感じられない。

 このままだと、聖ヴァレンティーン祭が本当のバレンタインへとなる可能性が高まったからだ。

 なのに、それを止められない領主としてのジレンマ。

 俺は敗北を認めざるを得なかった。


「片づけて帰るか……」


「商売に成功したのに、変な奴だな」


「そうですぞ、バウマイスター伯爵様。我がミズホ公爵領でも、商売などに出資して大損害を蒙る者が多く、『サムライ商売』などと揶揄されるのですから。成功するだけ素晴らしいのですから」


「ただいま」


 屋敷に戻った俺は、まだ落ち込んでいた。

 聖ヴァレンティーン祭を潰せず、未来永劫モテない男性から聖ヴァレンティーン祭を考案して広めた戦犯として非難されることが決定したからだ。

 俺は頑張った……いや結果がすべてなのだ。

 言い訳はやめよう。


「バウマイスター伯爵様、ハルカは元気なのでしょうか?」


「元気ですよ」


 ここ数日手伝ってもらったので、俺はタケオミさんを屋敷に招待した。

 彼も、久々に妹の顔が見れると嬉しそうだ。

 エルとの結婚式の日取りも決まり、今はその準備と、エリーゼたちと一緒に料理をすることも多かった。

 公式には、バウマイスター伯爵夫人方の侍女兼護衛という立場でもある。


「兄様ですか? お久しぶりです」


「ハルカ、元気にしていたか? エルヴィンが浮気していないか?  イジめられていないか?」


「いいえ、まったく」


 エリーゼたちの側にいるのに異邦人だからという理由でハルカをイジめなどしたら、そいつはバウマイスター伯爵領にいられなくなってしまう。

 エルですか?

 ものの見事に尻に敷かれて、財布と胃袋も握られていますが、本人はなんの不満も感じていませんよ。


「そうか、元気ならいいんだ」


「兄様は、お館様とご一緒に太巻きを販売していたとか? 王国で売れるものなのですか?」


「王国の人たちの舌に合うように改良はしてあったし、珍しいから完売したよ」


「そうですか、それはよかったですね。ああ、そうだ」


 ハルカは思い出したかのように、手に持っていたリボン付きの箱をタケオミさんに、続いてエルにも差し出す。


「アルテルオさんが、聖ヴァレンティーン祭なるものを始めたので、私も試しに購入してみたんです」


「「やったぁーーー! 聖ヴァレンティーン祭最高!」」


 ハルカからチョコレートを渡され、二人はなぜそこまでというほど大声を出して喜んでいた。

 男性とは、単純な生き物なのだ。 


「聖ヴァレンティーン祭は必要な祭りですな」


「恵方巻は、普通に売ればいいじゃん」


 二人は、チョコレート一つで速攻で俺を裏切った。

 いや、その言い方は間違いか。

 聖ヴァレンティーン祭を潰すという隠れた野心は、俺一人しか知らないものなのだから。


「(これで俺は一人か……だが! バレンタインを潰すという野望は決して!)」


 そう、これは未来の男たちに捧ぐ俺の戦いなのだ! 

 たとえ一人でも……という風に思っていると……。


「あなた、おかえりなさいませ」


 エリーゼたちが揃って俺を出迎えた。


「アルテリオさんが始めた聖ヴァレンティーン祭に合わせて、今日はチョコレートを準備してありますよ」


「ホットチョコ、チョコアイス、チョコレートケーキ、チョコチップクッキー、他にも色々作ったわよ、ヴェル」


「食後にみんなで食べようよ、ヴェル」


「エリーゼ様の音頭で、みんなで作った」


「なかなかの自信作ですわよ」


 なんと、エリーゼたちは俺のためにチョコレートを用意してくれたらしい。

 

「あなた、チョコレートはお嫌いでしたっけ?」


「いいや、大好きだよ。前から食べていたじゃないか」


「そうでしたわね。夕食の後に一緒に食べましょう」


「そうだね」


 俺は、即座に考えを変えた。

 聖ヴァレンティーン祭でチョコが貰えない?

 それは甘えです。

 それに、一年、二年のスパンでチョコレートが貰えないからって騒ぎすぎ。

 人間、生きていればいつかいいこともあるって!


「(聖ヴァレンティーン祭大好き!)」


 その後、聖ヴァレンティーン祭は俺が死ぬまでに、日本のバレンタインとほぼ同じような形に落ち着き、恵方巻は他の海苔巻やいなり寿司と共に王国に定着。

 アルテリオさんが展開したお店も大繁盛することとなる。

 そして誰であろう、一番得をしたかもしれない人物は……。





「父上、バウマイスター伯爵様が宣伝をした恵方巻は売れました。オニギリや他の巻物なども王国で売れるでしょう」


「そうか。我がフジバヤシ家は、末端ながら上士となったのはいいが、お金がなくて困っていたところ。副業をなににしようか迷っていたが、分家を名目上のトップにして海苔の卸しと販売にするか」


「甘くないミズホ茶や、製菓材料としての抹茶にも需要が見込めます。乾物も扱ってはいかがでしょうか?」


「そうするか」


 ミズホ公爵領においても、下っ端上士程度だと色々と物入りなので生活もなかなかに大変だ。

 フジバヤシ家は、タケオミさんの進言で始めた、海苔、お茶、乾物の卸しと販売で、将来大きな財を築くこととなる。

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