第219話 新たな仲間?と、意外な人たちとの再会(その1)
「私、これまで一度も村の外に出たことがないので、外の世界楽しみです」
「今は内乱中で、あまり素晴らしい場所には行けないけど」
「どんな場所にだって、フィリーネは旦那様について行きますから」
「なあ、ヴェル……」
「旦那様、頑張れよ」
「今。お前に少しイラっときた。俺にお付きのメイドなんているか?」
巡回治療を行った翌日の早朝。
俺たちは、再び馬に乗って野戦陣地へと戻って行く。
その人数は、昨晩に村長に押しつけられたフィリーネという少女が加わって一人増えていた。
帰りの道のりでは、エリーゼと一緒の馬に乗りながらえらくはしゃいでいた。
彼女の話によると、生まれてから一度もあの村を出たことがなかったそうで、外の景色はなんでも珍しいらしい。
エリーゼと楽しそうに話をしながら、街道の景色すら楽しんでいる。
「フィリーネのご両親は?」
「お母さんは私が生まれてすぐに死んだって村長さんが言っていました。お父様は遠い場所にいるって」
「そうですか……。フィリーネさんは一人で大変だったのですね」
優しいお姉さんであるエリーゼは、教会で孤児たちの相手をしていたので子供の扱いに慣れていた。
一緒に話をしながら、上手くフィリーネの事情を聞き出してくれている。
そして、俺によって彼女をメイドとして押し付けられたエルは、ハルカにどう説明しようかと思案中だ。
二人はまだ婚約状態であり、今は状況が状況なのであまりイチャイチャしているところは見たことがない。
デートが刀の鍛錬だからな。
表立って恋人同士のようなことをしていると、間違いなくタケオミさんが邪魔しに来るはずなので、そうするしかないという現実もあったのだけど。
あの人は、『今は戦時である! たとえ婚約していても、イチャついている場合ではないのだ!』と常々口にして二人を牽制しているが、本音は重度のシスコンなので、妹とエルが仲良くしている光景を見たくないだけであろう。
「普通にメイド見習いとして扱えば問題ない。違うか?」
「正論だけに反論できねぇ……」
フィリーネに途中で手を出し、側室にするとかそういう話はエル自身の責任になる。
俺が関与する余地などないのだ。
「ヴェル。調子に乗っていると、そのうちに罰が当たるからな」
「忠臣の諫言に留意しておきましょう」
とはいえ特にトラブルもなく、俺たちは無事野戦陣地に戻った。
巡回看護終了の報告をテレーゼにすると、彼女はフィリーネを見た途端、とんでもないことを口走った。
「なんじゃ? 新しい妾か?」
「違いますよ、エリーゼが引き取ったんです」
「別に気にせぬでよいぞ。ヴェンデリンに何人妻がいようと、妾の気持ちは変わらぬ」
「そっちは普通に諦めてください」
「それは不可能じゃの」
「不可能なのかよ……」
追うテレーゼに、かわす俺。
最近では、フィリップ公爵家の家臣たちも生暖かい目で見るようになっていた。
さすがに慣れたのであろう。
「妾は、へこたれない女じゃからの」
「その根性を、内乱の終結と将来の帝国統治に生かしてくださるように」
「ヴェンデリン。その辺の連中が言いそうなありきたりな言葉では興ざめじゃぞ。もっと、妾を楽しませい」
「俄か参謀にそういう仕事はありません」
テレーゼに俺に罵られて喜ぶ趣味があるというわけではなく、どうせ便宜上の名誉爵位持ちなので、王様に付いている道化の如く、自分を楽しませろってことか。
勿論、俺にそんな才覚はないのでお断りだ。
王様の道化になれるような人とは、とんでもない才能を持つ人物だけなのだから。
でなければ、すぐに王様の怒りを買って処刑されてしまうだろう。
道化とは、ただ皮肉や毒舌を吐けばいいというわけではないのだから。
「なかなかに可愛い娘じゃの。年はいくつじゃ?」
「はい、フィリップ公爵様。九歳になります」
「そなた、大きいの……」
道中でエリーゼが色々と聞いていたから知っていたが、実はフィリーネはまだ九歳らしい。
どおりで、見た目に反して言動に幼い部分があるわけだ。
「それに、髪の色も特徴的じゃの……」
フィリーネは、俺たちが帝国ではまだ一度も見たことがない銀色の髪をしていた。
「亡くなったお母さんが、私とお父様が同じ髪の色だったという話をしていたと。村長さんが」
「そうかえ。帝国には、銀色の髪の人間は滅多におらぬがの」
テレーゼの発言で、その場が一気に沈黙に包まれた。
帝国に銀色の髪の人間がいないとなると、今度は王国の人間という可能性が高くなるからだ。
「もし王国人だとしても一般庶民じゃないよね? 親善訪問団と、決められた交易しか両国間には交友がないから……」
ルイーゼが言うように、父親は商人か貴族かその随員ということになるが、王国でも銀髪の人間はそんなに多くない。
貴族の中にも少なく、その中でも一番有名な一族となると、俺も知っているあの人物しかいなかった。
「ブライヒレーダー辺境伯様だね」
「ルイーゼ、他に候補者は?」
「親善訪問団に選ばれるくらい大物になると、ブライヒレーダー辺境伯様だけ」
「あなた。この娘の髪の色合いは、ブライヒレーダー辺境伯様にそっくりです……」
確かに、フィリーネの銀髪はブライヒレーダー辺境伯とほぼ同じに見える。
エリーゼのみならず俺にも、彼くらいしか同じ髪色の人を思いつけなかった。
「フィリーネ、ちょっとお話があるんだけど……」
「なんでもお聞きください。旦那様」
「(俺も旦那様か……)」
ここで話をしていても埒があかないので、俺たちは家に移動してからブランタークさんも呼び出して話を続けることにした。
「なんだ? この娘っ子は?」
カタリーナと共同で行っている魔法使いたちへの訓練を抜け出してきたブランタークさんは、フィリーネを見て怪訝な表情を浮かべた。
殺伐とした野戦陣地に、美少女は相応しくないと思っているのであろう。
彼と一緒に戻って来たカタリーナと、たまたま居た導師も不思議そうな顔をしていた。
「ヴェンデリンさん、新しい奥さんですか?」
「いや……。カタリーナがそれを言うかよ……」
「あははっ! バウマイスター伯爵は若くて羨ましい限りである!」
「導師、勘違いも甚だしいですよ」
こんなことなら、カタリーナと導師はここに戻って来なくてもよかったのにと、俺は思った。
詳しい事情は、あとで説明すればいいのだから。
「それで、この娘っ子は誰なんだ?」
「あのお爺さん、怖いです」
「お爺さん……」
フィリーネは顔を近づけてきたブランタークさんが怖かったようで、エリーゼの後ろに隠れてしまった。
それと、お爺さん呼ばわりされたことがショックだったようだ。
顔を少し引きつらせていた。
「俺、導師ほど怖くないと思うけどなぁ……」
「導師様は怖くないです。このお爺さん怖いです」
「ブランターク殿、まだ幼き娘を怖がらせてはいかんのである!」
「珍しく子供に好かれたからって……」
ブランタークさんはフィリーネに怖がられてしまい、不満そうな表情を浮かべていた。
実は、お爺さん扱いされたのが一番不満なのかもしれないが。
逆に導師は、珍しく子供に怖がられなかったのでご機嫌だ。
「お話が長くなるので、これをどうぞ」
「うわーーー。美味しそうですね」
フィリーネは、エリーゼが用意したケーキを目を輝かせながら見つめていた。
王都の名店で買ったものだが、こういう時に魔法の袋は大いに役に立つ。
フィリーネは、大量の生クリームがホイップされたフルーツケーキを美味しそうに食べ始めた。
女の子には、やっぱりケーキだよな。
「まずは、これです」
俺は、フィリーネが持っていた一冊の古い日記帳をみんなに見せる。
彼女の亡くなった母親のものらしい。
俺たちは最初、あの村長が食い扶持を減らすためにフィリーネを差し出したのかと思っていた。
ところが、エリーゼが帰り道でフィリーネ本人から直接事情を聞くと、どうも他に事情があって俺たちに押しつけたのが真相であるようだ。
『なら、説明しろよクソ村長!』という気持ちが湧いてくるのだが、立場は俺たちが圧倒的に上なので、断られることを恐れたのかもしれない。
そんな事情があって、ここに戻るまでに、フィリーネの持ち物である亡き母の日記に書かれていた内容を知るのが精一杯であった。
「ちくしょう、あのクソ村長」
「まあ、そう言うでない。寒村の村長がこの娘を連れて親善訪問団が滞在していた迎賓館を訪問しても、まず門前払いが普通なのじゃから」
『ここに、王国の大貴族様の隠し子がいるのでお目通りを』などと言っても、詐欺師扱いされるのが普通だ。
頼まれもしないのに付いて来たテレーゼが、村長に対しフォローを入れた。
彼は、彼ができる範囲で頑張ったってことか。
それは、俺にもわかるのだが……。
「今回はまたとないチャンスだと、あのジイさんは考えたんだな」
「だから事情を言え!」
「下手に事情を言うと、俺たちが内乱に参加していて面倒だからと言って断る可能性もあった、と考えたのかも」
「こんなに小さい娘を戦場のある外に出して、危険だとは思わないのか?」
「それでも、ヴェルならブライヒレーダー辺境伯様に会わせてくれると思ったのでは?」
「妙に評価されているな」
「ヴェルは戦争で負けたことがないからな。そういう評判は平民にも自然と流れるんだぜ」
俺は、エルの推論に妙な説得力を感じ始めていた。
「ヴェル、その日記は読まなくてもいいのかしら?」
「読んでおくか。確認のために」
フィリーネはほぼ間違いなくブライヒレーダー辺境伯の隠し子なのであろうが、イーナに促されたので、確認のために日記を読んでおくことにした。
フィリーネの亡くなった母親のものだ。
彼女は、前回の親善訪問団の時にブライヒレーダー辺境伯のお世話係りの一人に指名され、その時に彼と恋愛関係になったようだ。
その辺の細かな私小説のような話は省いて、ブライヒレーダー辺境伯が王国に帰った直後、あの村に戻って来ており、その時にはすでに妊娠していた。
そして未婚の母としてフィリーネを産むが、彼女が幼い時に体調を崩してそのまま亡くなってしまう。
日記帳の最後には、残される幼い娘が心配だと書かれていた。
「親善訪問団の貴族の世話をしていて、担当がブライヒレーダー辺境伯だったそうです」
俺は、日記の簡単な内容をみんなに説明する。
「なんてこったい。紀行文だけじゃなくて、隠し子まで作るとか……」
「ブランタークさんは、気がつかなかったんですか?」
「前回は、導師やテレーゼ様とばかりいたからな。そんな俺にお館様はなにも言わないどころか、『フィリップ公爵殿の護衛とは、光栄じゃないですか』とか言ってきてな。なんか変だなって思ったんだが……」
「それ、自分の逢瀬に邪魔だったからだと思う」
「だよなぁ……」
ルイーゼの指摘に、ブランタークさんはガックリと肩を落としていた。
「それで、証拠はあるのか?」
「それがあるんです……」
フィリーネは、村長からバッグ一つ分の荷物を持たされていた。
その中には、ブラヒレーダー辺境伯がフィリーネの母親に宛てた恋文、一週間ほどの逢瀬ではあったが子供ができたら自分の子供であると証明する手紙。
トドメとして、ブライヒレーダー辺境伯家の家紋入りの豪華な装飾が施されたナイフが入っていた。
というか、そこまでするのなら連れて帰ればいいのにと思ってしまう。
もしかすると、本妻が怖かったのであろうか?
「言いたくはありませんけど、最低ですわね」
自身が高名な魔法使いなのであまり貴族に遠慮しないでいい立場にあるカタリーナなどは、露骨にブライヒレーダー辺境伯の所業を非難していた。
多分、エリーゼたちも同意見だと思われる。
文系好青年に見えるブライヒレーダー辺境伯の評価が、大暴落した瞬間だ。
「恋文って、ブライヒレーダー辺境伯はこういう時でも文系だよなぁ……」
申し訳ないが中身を確認してみると、そこには『太陽のように美しい君』とか、『この胸の高ぶりを、君にどう伝えようか?』とか見ているだけで恥ずかしい文言が書かれている。
導師とエルも中身を見て、あまりの恥ずかしい内容にその場で腹を抱えて笑い出した。
本人は真剣なのであろうが、第三者が見れば一種の喜劇で公開処刑でもある。
女性陣の冷笑と、男性陣のバカ笑いの差が非常にシュールであった。
「ヴェルは、あまり手紙とか書かないよね?」
「苦手だから。ルイーゼよりは書く機会は多いけど」
「ボクも面倒だから、手紙とか嫌い」
前世では、メールすら億劫であった男だ。
必要もない手紙をわざわざ書く趣味などない。
「それで、これは?」
続けてもう一冊日記帳が出てきたが、そこにはもっと恥ずかしいものが書かれていた。
「『アマデウス・フライターク・フォン・ブライヒレーダーが愛しき君に送る。愛の詩』完全に空ぶってるなぁ……」
その日記のページには、ブライヒレーダー辺境伯が自作したものと思われる、恥ずかしい詩が記載されていた。
どうやら紀行文などは得意なようだが、恋文や詩などの才能は圧倒的にないようだ。
俺には、ブライヒレーダー辺境伯の黒歴史にしか見えない。
もし俺がこんなものを書いてそれが世間に漏れたら、間違いなく自殺を考えるであろう。
そのくらい、素人目から見ても恥ずかしい出来の詩であった。
「ブライヒレーダー辺境伯様も、意外と無責任ね」
「あまり感心できる行為ではありませんね」
常識人なので身分の高い人を非難するのを普段は避けるイーナに、あまり人の悪口を言わないエリーゼですらそうなのだから、現時点でブライヒレーダー辺境伯の男性と父親としての評価は地に底まで落ちてしまった。
そんな主君を庇っても無駄だと考えているブランタークさんは、なにも言わずに黙っている。
唯一の救いといえば、フィリーネが女性陣の同情を一身に受けていることであろうか。
「普通の女性って、こういう詩とかを貰うと嬉しいのかしら?」
「ええと……。恋は盲目と聞いたことがあります。あくまでも本の内容なのですが……」
イーナは手紙や詩に書かれたブライヒレーダー辺境伯独特の恥ずかしい文章表現を見てから、一人ボソっと感想を述べる。
エリーゼも、自分がこの詩を貰っても嬉しくはないと思っているのであろう。
イーナにかなり曖昧な返答をした。
「ブライヒレーダー辺境伯様、詩人の才能はゼロね」
「お笑い芸人としての才能はあるかも」
「ルイーゼ、あんたねぇ……」
貴族のサロンなどで公開されれば絶対にウケるはずだが、それは笑いの才能ではなく、ただその詩を笑われているだけである。
笑われているようでは、お笑い芸人としての寿命は短い。
その前に、お笑い芸人扱いではブライヒレーダー辺境伯本人も不本意であろう。
「それで、あの娘がブライヒレーダー辺境伯の隠し子だと?」
「証拠がすべて揃っているからな。フィリーネ」
「はい、旦那様」
俺もエルも、今のフィリーネからすれば旦那様のようだ。
声をかけられると、純真な笑顔と共に答えた。
口の周りに少し生クリームがついていたが、ブライヒレーダー辺境伯の血を受け継いでいる美少女なので余計に可愛かった。
「フィリーネさん、お口にクリームがついていますよ」
「ありがとうございます、エリーゼ様」
エリーゼから口についたクリームを拭いてもらい、フィリーネは嬉しいようだ。
ヴィルマにも慕われる彼女の特性は、フィリーネにも発動していた。
「ええと……。亡くなられたお母様の髪の色は何色だったのかな?」
「茶色でした」
「そうか。教えてくれてありがとう。ケーキのお代りが欲しいのなら、エリーゼに言ってね」
「はい」
フィリーネ本人は初めて食べるケーキに夢中なようで、自分の父親のことなどどうでもいいようだ。
決して薄情なのではなく、生まれてから一度も見たことがない父親の話をされても実感が湧かないのであろう。
「それでどうする?」
「それは勿論、ブランタークさんに」
「俺?」
まさか自分が指名されるとは思わず、ブランタークさんは目を丸くしてしまう。
「だってほら、主君のご令嬢ですよ」
「それはそうなんだけど、俺は嫌われたっぽいしなぁ……」
フィリーネは少し変わった娘で、女性、子供受けがよいブランタークさんよりも、導師の方を気に入っている。
なので、自分では面倒を見れないと、彼から断られてしまった。
「というか、女の子なんだからそっちのお嬢ちゃんたちで面倒見てくれよ」
ブランタークさんは、エリーゼたちにフィリーネの面倒を頼みたいようだ。
「導師は……。無理だな……」
気に入られるのと、面倒を見られるとかいうのは別問題だ。
それに、もしフィリーネが導師のようになってしまうと問題になるので、それはやめた方がいいかもしれない。
あとで、ブライヒレーダー辺境伯に恨まれでもしたら嫌だし。
「フィリーネよ、ケーキは美味しいかな?」
「はい、導師様」
「それは、よかったのである」
「変わった娘だなぁ……」
子供と女性ウケがいいブランタークさんが怖がられてしまい、逆にウケが悪い導師を怖がらないどころか、逆に気に入っている節もあるのだから。
可愛い容姿をしているのに、意外とゲテモノ好きなようだ。
「ここはやっぱりブランタークさんが? ほら、娘が生まれた時に備えて」
「それは、嫁さんが妊娠してから考慮する。というか、伯爵様はエルの坊主に預けるんじゃないのか?」
ただの庶民の娘ならそれでもよかったのだが、今ではブライヒレーダー辺境伯の娘であることが正式に判明した。
となれば、それなりの対応が必要になるであろう。
このタイミングで、俺たちはまた難儀を背負い込んだわけだ。
「そうですね、お館様の仰るとおりです」
公の席でもないのに、エルが俺をお館様と呼ぶ時は大抵ろくでもない理由だ。
エルの顔には、してやったりという表情が浮かんでいた。
「家臣の身で、王国南方の雄であるブライヒレーダー辺境伯様のご令嬢を見習いメイドとして扱うなど非礼に当たります。ここはお館様にお任せするしか」
正論だが、エルは一度俺が押しつけたフィリーネをお返しする口実ができ、嬉しくて堪らないのであろう。
まさかのフィリーネの出自に、俺が手痛いしっぺ返しを受けたわけだ。
馬上で日記を読んでいた時に、こんな予感はしていたけど。
「エル、本音を言ってごらん」
「どう考えても、ヴェルが預かるしかないじゃん。ざまぁ」
「反論できねぇ……」
エルはわざと恭しく頭を下げながら意見を述べていたが、その顔には清々しい笑みが浮かんでいた。
あきらかに、厄介のタネを俺に押しつけられて嬉しいという風にしか受け取れない。
「お前のその爽やかな笑みに、ちょっと殺意が沸いた」
「現実問題として、ヴェルが預かるしかない」
「だとしてもだ……」
エルとのこの手のやり取りは、俺がバウマイスター伯爵でなくてヴェンデリンとしての自我を保つために必要なので問題ない。
エルも公式の場では弁えるので、問題になったこともなかった。
それよりも、俺がフィリーネを預かって、のちにブライヒレーダー辺境伯に返しに行くと、確実に嫁として押しつけられるという点にあった。
「フィリーネが十五歳になると、ヴェルは二十二歳。まったく違和感がないな」
「しかも隠し子だから、序列が低くてもなんの問題もないわね」
エルとイーナの見解に、俺は溜息しか出なかった。
確実に、ブライヒレーダー辺境伯がそう言うであろうからだ。
「旦那様、私、邪魔ですか?」
つい熱を入れて話をしていると、いつの間にかケーキを食べ終わっていたフィリーネが目を潤ませながら聞いてくる。
どうやら話の流れから、自分がいらない人間なのではないかと思ってしまったようだ。
「そんなことはないよ。ちょっとフィリーネをお父さんと会わせるのに時間がかかるから、その間にフィリーネに色々と習ってもらおうと思って」
「お父様に会えるのですか?」
「外国にいるし、今は事情があって会わせることができないから、その間にフィリーネには少しお手伝いをしてもらおうと思って。エリーゼ」
「はい」
「そういうわけだから、基礎的な教育を空いている時間にお願い」
「わかりました」
俺はエリーゼの両肩に手を置いて、フィリーネへの教育を頼んだ。
ブライヒレーダー辺境伯に会わせるにしても、内乱が終わらないと無理だし、なによりケーキを食べる時にクリームを口につけてしまうところを直さないと。
「貴族の令嬢として、最低限のマナーや礼儀でしょうか?」
「そんなところかな。エリーゼも忙しいだろうから、あとは見習メイド扱いでも構わないけど」
父親がブライヒレーダー辺境伯なので、会わせるにしても最低限の礼儀は必要なはず。
それっぽい衣装などはあとでどうとでもなるし、むしろこの状況は好都合なのかも。
フィリーネに教育の時間を与えられるから。
「それでしたら、私も手伝いますわよ」
どうやら、貴族としての行儀作法を教えるという話がカタリーナの心の琴線に引っかかったらしい。
彼女は、自分もフィリーネの教育に参加することを希望した。
自分が貴族として、彼女にマナーや礼儀作法を教える立場が嬉しいんだろうなぁ。
「ケーキ、美味しい」
ずっと静かにしているヴィルマは、自分もエリーゼからケーキを貰って美味しそうに食べているだけだ。
自分に、貴族としてのマナーを教えるなんてできないと思っているのであろう。
「えっ? カタリーナが?」
「私は一度は没落したものの、諦めずに貴族として必要なことを学び、今にそれが生きておりますもの。フィリーネさんのことも安心して任せるといいですわ」
「そうか?」
「ヴェンデリンさん、私の貴族としての振る舞いになにかご不満でも?」
「カタリーナの貴族としての振る舞いは、少しわざとらしい」
形式に捕らわれすぎているし、常に前屈みで全力投球しているように見えるので、どこか一杯一杯で余裕がないように見えてしまうのだ。
あとは、たまに思いっきり空回りしているのも問題であろう。
「ヴェンデリンさんは大人しすぎるのです。貴族とは本来はこういうものでしてよ」
俺も俄か貴族なのでよくわからないが、貴族が全員カタリーナみたいだと、それはそれで困ってしまうような気がする。
「それに、フィリーネが俺やカタリーナに似てボッチ体質になっても困るし……」
「ですから、私はボッチではありませんのに!」
「ボッチな人ほど、自分はボッチではないというんだよ」
「旦那様、ボッチってなんですか?」
「カタリーナみたいな人のことを指すのさ」
「そうなのですか」
「ですから、私はボッチではありませんのに!」
俺とカタリ-ナの掛け合いに、フィリーネは一人首を傾げる。
そして珍しく静かなままのルイーゼであったが、彼女は一人しょんぼりとしていた。
「どうしたの? ルイーゼ」
「あのフィリーネって娘。ボクより七歳も下なのに、身長が十センチ近くも高いんだ……」
ルイーゼに静かにしている理由を尋ねたヴィルマに、彼女は己の成長速度の遅さを嘆いた。
確かに、ルイーゼとフィリーネを比べると、大半の人がフィリーネの方が年上だと思うはずだ。
「でも、小さい方がヴェル様に撫でてもらいやすい」
「ボクは大人の女だから、撫でてもらっても嬉しくない」
「そう? カタリーナは、たまに撫でてもらって喜んでいる」
「似合わないね」
「大きなお世話ですわ!」
二人の会話がカタリーナに漏れ、彼女はルイーゼの発言に大声でツッコミを入れる。
結局フィリーネの扱いは、表面上は俺の見習いメイドとして傍に置くことにして、教育はエリーゼたちが交代で行うことが決まった。
当然だが、関係者以外には彼女の出生は秘密とし、テレーゼにも口を噤んでもらっている。
彼女も大貴族なので、その手の話を軽々しく世間に漏らさないのは、国は違えど貴族としてのマナーなので快く引き受けてもらった。
「その代わり、貸しが一つじゃの。なにで返してもらおうかの」
「……」
俺は、この場にいないブライヒレーダー辺境伯をわずかながらも恨んでしまうのであった。
それにしても、大貴族の隠し子騒動って本当にあるんだな。
初めて目の当たりにしたよ。
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