第190話 どこかで聞いたような眠たい政治の話(その3)

「ヴェルも結婚という監獄に捕らわれたか……。これじゃあ、新皇帝陛下が決まっても歓楽街に遊びに行けないな」


「エルヴィンさん。前にも言いましたが、ヴェンデリン様に遊びの女はいけません」


「エルも相変わらずね」


「そういうことを言うから、本命の女性にフラれるんだよ」


「エルには、誠意がない」


「ですわね。もし来世で出会っても、あなたとは結婚しませんわ」





 翌朝。

 風呂から上がると、早朝の鍛錬を終えたエルから昨晩のことでからかわれたが、逆にエリーゼたちから反撃を食らって、朝からノックアウトされてしまった。

 テレーゼ様の件で多少気が立っているのだから、余計なことを言わなければいいのに……。


「みんな、容赦なさすぎるぞ。俺は失恋のショックを癒そうと……」


「失恋のショックなら、お仕事で癒してね」


「ああ……今日も退屈そうだな……」


 今日も、出かける支度をしてから貴族議会会議場の見学席に入ると、早速三人目の候補者が演説を始めていた。

 とても育ちがよさそうな、あまり派手ではないが高品質な服を着た、落ち着いた感じの三十代半ばくらいの青年であった。

 ブライヒレーダー辺境伯と同じくらいの年齢であろう。


「中央の皇家から立候補したワルター殿だな」


 アーカート神聖帝国は皇帝を投票で決めるのだが、中央で直轄地を管理する皇家が存在している。

 爵位は公爵よりも上の大公爵家という名称で、この家から皇帝が出ない時は、彼らは皇帝を支える官僚機構としてのみ働く。

 皇帝は決められた予算内で自分が使う人材の雇用も可能であったが、それですべて賄えるわけではない。

 帝国の統治には、皇家の協力が必要不可欠であった。

 その部分は、皇家が有利な点かもしれない。

 

「選帝侯出身の皇帝たちは、皇家に気を使うわけだな。これが」


「金がないと首が回りませんからね」


「人も国も、その辺は同じだな」


 彼らは直轄地を管理して予算を捻出する存在なので、かなり気を使うわけだ。

 なるほど。

 投票で他家の者が皇帝になっても、皇家からすればさほど問題でもない。

 日本で言うと財務省のような感覚かな。


「だからこそ、あまり革新的なことはできないんですね」


「そういうことだな」

 

 どうりで、立候補者たちがみんな同じようなことを演説で言うわけだ。


「それでも皇帝陛下だからな。皇家は取り戻そうとするし、選帝侯たちも名誉や利益があるから立候補する」


「なるほど」


 中央のエリートであるワルター大公爵の演説は、前日の二人とさほど差はなかった。

 今の政治状況で、斬新な政策というのも難しいのであろう。


「彼が当選すれば、アーカート十七世陛下になるわけだ」


 皇帝の名前であったが、これは中央の皇家の者が当選するとアーカートの国号に、選帝侯がなるといくつかの候補の中から選ぶ。

 先代の陛下は、失政が少ないので評価が高い皇帝が多いウィルヘルムを選んでいる。

 逆に、前者の評判が悪くて二度と選ばれない皇帝名も複数あるそうだ。


「やっと最後のニュルンベルク公爵殿だな」


 かなりのタカ派だと聞いているが、果たしてどんな演説をするのか?

 少し興味があって耳を傾けるが、彼の演説は過激であった。


「我がアーカート神聖帝国は、現在重大な危機に直面している!」


 刺激的な最初の一言で、上座の議員席に座るテレーゼ様や、他の候補者たち、さらには立候補していないホーエンツォレルン公爵、マイセン公爵なども、驚きのあまり目を見開いていた。


「現在、隣国ヘルムート王国は大きく成長しようとしている! それはなぜか? 英雄が現れたからだ!」


 ニュルンベルク公爵がその鷹のように鋭い視線を向けた先は、見学席に座っている俺であった。

 導師もかもしれないが、彼はこの状況に至っても目を開けたまま軽いいびきをかいている。

 脅威の精神力といえよう。


「(えっ! 俺?)」


「その英雄はわずか十二歳で伝説の古代竜を倒し、続けて老属性竜を倒してパルケニア草原を開放した。現在、パルケニア草原は大穀倉地帯として開発が進んでいる」


 確かに、俺たちが開放したパルケニア草原は、大規模な穀倉地帯として開発が進んでいる。

 ニュルンベルク公爵は、隙なく情報を集めているようだ。


「これに加え、古代の名工イシュルバーグ伯爵の工房に、即時に稼動可能な大型魔導飛行船も増えている! すでにその数では、両国との間に倍以上の差がついているのだ! そればかりか、この大陸の名を冠した超巨大魔導飛行船の試運転と訓練も行われており、正式配属は時間の問題であろう!」


 両国ともそれに見合う大きさの魔晶石がなく、発掘されていても動かない大型魔導飛行船をそれなりの数保管している。

 稼働している魔導飛行船の数のバランスが、俺たちのせいで崩れているのは確かであった。


「南端部未開地の開発も始まっている! 大鉱山地帯ヘルタニア渓谷の開放もなった! この差を埋めなければ、我が国は将来的にヘルムート王国の北征を避け得ない状態となるであろう!」


 歯に衣を着せぬヘルムート王国脅威論に、見学席にいたシュルツェ伯爵たちも絶句していた。

 過去にも、たまにヘルムート王国の貴族たちが議会の見学を行なっているそうだが、その席で堂々と我が国の脅威について語った議員はいなかったそうだ。


「外交的に無礼になるというか、妙なのを刺激するからでしょう?」


「そのとおりだ」


 停戦から二百年以上も経ち、すでに実戦経験者など存在しない。

 喉元をすぎれば熱さを忘れるというか、非主流派や若い世代などから戦争を望む意見も無視できないくらいには育っており、両国ともにその鎮火に多大な労力を使っていると聞いた。

 実戦経験がない人ほど、過激な戦争論を唱える。

 よくある話ではあるな。


「年寄りや主流派の連中は、今の状態をよしとするからな」


 逆に、非主流派でどうにか上にあがりたい者、軍部において出世の糸口にしたい者、商人などでも戦争になれば儲かると考える人たちも多い。

 彼らに、全体の利益を考えろと言っても無駄である。

 今の体制では自分たちはのし上がれないので、戦争による現状の破壊を望んでいるのだから。

 現に、軍部で強硬な意見を言うのは、中堅辺りで燻っているような者たちが多かった。


「国内の開発の促進に、交易の拡大などは当たり前である! だが、同時に軍の強化も必要と考える! 現実に、ヘルムート王国の軍予算は微増傾向にある!」


 パルケニア草原の開放で防衛管区が増えた分は兵士の数とポストも増加していたし、空軍は地下遺跡に隠されていた魔導飛行船用のドッグを本拠地にするために人員の増加を行なっている。

 ヘルタニア渓谷でも、警備隊の仕事とポストが増えた。

 必要なことなので、わずかではあるが軍事予算が増えているわけだ。


「これに対抗すべく、アーカート神聖帝国でも軍備はその量と質を充実させなければならない!」


 ニュルンベルク公爵の演説を聴いていると、帝国軍と関係の深い議員たちから歓声と拍手が沸き起こる。

 軍に携わっている者たちからすれば、予算が増えるのは大歓迎なのだ。

 そこに、戦争をどうしてもしたいからという理由はあまり含まれていない。

 軍の上の方にいる連中からすれば、予算が増えるのは結構だが、負けた時のリスクを考えると戦争自体は反対というスタンスの者たちが多かった。


「(国力が増えている隣国への脅威論を理由に、軍の予算を増やしてほしいと。そういうことだろうな……)」


 扇動的な演説ではあるが、支持を増やす手法としてはとてもよくできている。

 皇帝にならなくても、この若き野心家ニュルンベルク公爵は、ヘルムート王国が注意し続けなければいけない人物であろう。


「今までが安泰であったからと言って、それに胡坐をかいていては滅亡への一里塚である! 次の皇帝は、大きく変化する両国の関係に適切に対応し、時には痛みを伴う改革を行う必要があるのだ! 私、マックス・エアハルト・アルミン・フォン・ニュルンベルクこそが、この帝国に真の繁栄を導くと約束しよう!」


 ニュルンベルク公爵の演説に、かなりの数の議員たちが大きな拍手を送った。

 前の三人の当たり障りのない演説に比べれば、聞く価値のあるものであったからだ。

 後の質疑応答でも、ニュルンベルク公爵はテキパキと質問に答えている。

 鋭い目付きと視線は気になるが、それも特徴となって目立っているし、若くて顔も悪くない。

 なにより演説が上手い。

 質問への答え方を見ても、彼がとても頭が回る人物なのは確かであった。


「(ただなぁ……)」


 過去の地球には、ヒトラーとか、ムッソリーニとか、演説が上手い独裁者たちが存在していた。

 そして彼らを選んだ国民は、後に不幸に遭っている。


「(気のせいかもしれないし、ヘルムート王国のことではないからなぁ……)」


 多少の心に引っ掛かるものを感じながらも、四人の候補者たちによる所信表明演説が終わったので、俺たちは今日も迎賓館へと戻るのであった。




「ニュルンベルク公爵の評判か? 悪くはないの」


 夕食後。 

 さすがに毎日ネグリジェで押しかけられても迷惑なので、リビングにみんなを集めて話をすることにしたのだ。

 テレーゼ様、導師、ブランタークさんも集まっており、彼らと俺は酒を、エリーゼたちはお茶を飲みながら、二日間に渡って行われた所信表明演説の話をしていた。


「彼の、過激な南進論をぶちまける姿は昔からじゃからの。ただ、自領であるニュルンベルク公爵領では財政規律をおかしくするような軍備の増強は行なってはおらぬよ」


 その代わり、ニュルンベルク公爵家諸侯軍の精鋭化には、自ら陣頭に立って積極的に取り組んでいるそうだ。


「軍の訓練内容に魔物狩りが入っておる」


 冒険者たちを先導役に雇って集団での狩りを行い、魔物の集団が活性化しないうちに上手く撤退する。

 他にも、陣地構築訓練と称して街道の整備や開墾の手伝いを行なったり、失業者を軍属に雇ってそれに参加させたりと。

 そのおかげか、ニュンベルク公爵領の失業者は他よりも少なく、軍が訓練であちこち動いているので治安も悪くないそうだ。

 施政も基本的には善政であり、領民たちからの人気も高いとテレーゼは断言する。

 

「『軍は、集団で精強たれ』だそうじゃ」


「間違ってないな」


 導師のような存在など滅多にいないので、軍は集団行動に慣れている方が戦争になれば強い。

 別に個人の鍛錬を怠っているわけでもないそうで、ニュルンベルク公爵家諸侯軍はアーカート神聖帝国一精強であると知られているそうだ。


「魔法使いの方はどうなんです?」


「それは、他の公爵家とあまり変わらん」


 どうしても中央が優れた魔法使いたちを囲う傾向にあるので、公爵家でもなかなか魔力量が上級の魔法使いを雇えない。

 限られた魔法使いを上手く回しているそうだ。


「それで、ニュルンベルク公爵は次期皇帝になれそうですか?」


「難しいであろう」


 若くて有能なニュルンベルク公爵に期待をしている人たちは多かったが、別に今までのアーカート神聖帝国の政治が極端に悪かったわけではない。

 政策に関しても、今までの流れに少しずつ変化をつければいい。

 急ぐ必要はないと考える人も多いわけで、大方の予想では大公爵が勝利して、久しぶりに皇帝の名がアーカートになるのではないと噂されているそうだ。


「確かに、賭けでは大公爵が一番人気であるな」


「賭けなんてしているのですか?」


「皇帝選出の際には、必ず行なわれる名物だと聞いたのである!」


 そう言いながら、導師は一枚の木製の賭け札を俺たちに見せる。

 見ると、意外と堅実に一番人気の大公爵に賭けていた。


「穴狙いで、他の人にしないのですか?」


「バウマイスター伯爵、賭けとは勝たねば意味がないのである!」


「納得の一言だけど……」


「その前に、色々と疑問が出てくるなぁ……」


 導師の立場で賭けをしてもいいのかとか、その賭け行為自体が違法ではないのかとか。

 イーナとルイーゼは、かなり気になっているようだ。


「賭け自体は、胴元が帝国なので問題ないぞ」


「帝国主催なのですか?」


「然り。陛下の葬儀代やら、娯楽関連の施設が新皇帝即位まで営業を自粛するからの。下々には、多少の娯楽も必要であろう?」


 テレーゼ様の説明に、カタリーナは驚きを隠せないようだ。


「まったくもって、理解できませんわ」


「賭けは、胴元が一番儲かるから」


「ヴィルマはボソっと辛辣なことを言うの。面白い奴じゃ。逆に『暴風』殿は真面目じゃの」


 実はヴィルマの一言にはお上に対する毒が混じっているのだが、それに気がついたテレーゼ様は笑いながら彼女を褒めていた。


「なにをするにしても、先立つものが必要じゃからの。なにしろ、予算は有限なのだから」


「なにかの間違いで、ニュルンベルク公爵が次期皇帝になるとか?」


「エリーゼ殿は、ニュルンベルク公爵を警戒しておるのか?」


 俺と同じく、エリーゼもニュルンベルク公爵に警戒をしているようだ。

 彼女は祖父経由からの情報を基に、俺は前世からの知識と勘でしかなかったが。


「得票数では、上手くすれば三位にはなるかの? 今回はそう波乱はないと思うぞ」


 いくら人気があっても、投票するのは議員である。

 地縁、血縁、派閥、利権などで、他の人に入れざるを得ない人が多いと言うわけだ。


「さて、明日に備えて早めに寝るかの」


 その日はテレーゼ様の夜這いもなかったので普通に寝た翌日。

 ついに、次期皇帝を決める投票がスタートした。

 

「誰かが過半数の票を得るまでは、投票を繰り返すらしいが……」


 まずは、最初の投票が行なわれる。

 議員たちが一枚の投票札を持ち、それに羽ペンで記載して投票箱に入れるのだ。

 議員全員の投票が終わると、すぐに開票されて集計が始まる。

 この作業は、不正を防ぐためにすべて議員たちの前で行われる。

 開票作業の間、みんな静かにそれを見守っていた。


「結果は、もう一度投票です!」


 集計係をしていた役人の宣言により、二回目の投票に入る。

 最初の集計結果は、本命である大公爵が221票、ニュルンベルク公爵が111票、残りはブランデンブルク公爵が97票、バーデン公爵が71票であった。

 テレーゼの予想が外れて、ニュルンベルク公爵の得票数は二位であった。

 予想以上に、彼は人気があるらしい。

 まずは最下位であるバーデン公爵が抜けて、残り三人で再投票が行なわれる。


「次で、大公爵が過半数を取って決まりか」


「テレーゼ様はそう読んでいるようだな」


 今日も目を開けたままで眠る導師を見ないことにして、俺はブランタークさんと話を続けていた。


「得票数の比率から言っても、そんな感じかな?」


 ところが、次の投票で波乱が起こる。

 

「結果は、もう一度投票です!」


 議場では予想が外れたせいであろう、ざわついている議員たちが多かった。


 大公爵が249票で、過半数を取れなかったのだ。

 あとは、ニュルンベルク公爵が154票、ブランデンブルク公爵が97票となり、ここでブランデンブルク公爵の脱落が決まる。

 ブランデンブルク公爵が驚いているが、彼は自分が皇帝になれるとは思っていなかったらしく、むしろニュルンベルク公爵が二位になっていることに驚いているみたいだ。

 得票数二位の実績を持って、新皇帝施政下である程度の影響力を発揮しようとしたが、あてが外れてしまったのであろう。


「うーーーん、大公爵の勝ちは確実だと思うが……」


 問題なのは、テレーゼ様ですら票の流れを読み切れていなかったことだ。

 最初の投票で、四位であったバーデン公爵の71票。

 この半数以上がニュルンベルク公爵に流れたのは、大方の予想では勝ちが決まっていると噂されていた大公爵に今さら投票をしても、優遇されないだろうという考えなのかもしれない。


「あとは、商人票が流れたのか?」


 議席の一割は、非貴族枠になっている。

 下手な貴族など圧倒する財力を持つ大商人や大工房の大親方などが大半を占めていたが、彼らはニュルンベルク公爵の新しい経済政策などに期待したいという考えなのかもしれない。


「これで、最後の投票です!」


 三回目の投票が始まり、また速やかに開票と集計が進んでいくが、その結果に議場中から溜息が漏れていた。

 大公爵が267票で、ニュルンベルク公爵が233票。

 結果は最初の予想どおりとなっていたが、ニュルンベルク公爵の人気が侮れないという結果が判明したからだ。


「これは、新皇帝はニュルンベルク公爵に一定の配慮が必要ですね」


 予想外の結果に、見学席にいたシュルツェ伯爵たちは報告書の草案の記載に入っていた。

 まだ若く過激なニュルンベルク公爵の台頭に、警戒感を抱いてのことであろう。

 なにしろ彼は、南進論者なのだから。

 新皇帝と得票数が競っていた事実も大きい。


「まだ若いですから、次の皇帝選挙に出る可能性もありますね」


「ないとは言えないな」


 とはいえ、その脅威は数十年後のことであろうし、それに対応するのはその頃のヘルムート王国である。

 今から気にしても仕方がなく、俺たちは早く新皇帝の即位式典を終えて領地に戻りたいと、心より願うのであった。

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